第17話「マリーさんはもういない」
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東北の片田舎に産まれた。
髪の毛の色、肌の色、瞳の色。普通なら賞賛されるべきあらゆるものを、しかし貶されながら育った。
ママが生きているうちはまだよかった。
ふたりで生きていると思えたから。
日々の理不尽にも耐えることが出来た。
亡くなってからは悲惨だった。
ただ偉そうなだけのパパや、新しいママと名乗る誰かでは、なんの慰めにもならなかった。
日々孤独を募らせた。
だから私は、3B鉛筆を握った。
スケッチブックに、あるべき自分を描き出した。
あれこれと設定を盛り重ね、理想の世界に生きる自分を創造した。
フランス革命の頃。
文化爛熟したフランスの、もっとも美しい時代。
そこで私は生きていた。
一国のお姫様として。
ビスクドールみたいに小さく可愛い女の子として。
運動能力、学力、美的センス、誇り高さ。
もって生まれた人間としてのエッセンスの豊かさから、人は彼女を太陽姫と呼ぶ。
……おお、いいじゃないか。
これこそ私にふさわしい。
私は興奮した。
前世創りに没頭した。
それはスケッチブック何冊分にもなった。
イラストや文章では飽き足らず、自分で衣装を作ってみようと思い立った。
コスプレという意識はなかった。
その頃には私はすでに、マリーさんになりきっていた。
前世の記憶を保ったまま転生したのだと固く信じていた。
学校へもマリーさんの格好で通った。
みんなは呆然と顔を見合わせていたが、すぐにそれは嫌悪の表情になった。
悪口のバリエーションが増え、私の周りの空白地帯が広くなった。
両親はやんわりと釘を刺してきたけど、すべて無視した。
だってそれが、本当の私なのだから。
ある春の日の夕暮れ。
私はベッドの上で布団もかけずに寝ていた。
学校から帰ってすぐに始めた縫製作業が遅々として進まず、イライラしてベッドにダイブしたまま、いつの間にか眠ってしまったのだ。
「もうこんな時間……」
目をこすりながら上体を起こした。
開けた覚えのない窓が開いていた。
カーテンが風に揺れていた。
──誰かがそこにいた。
白い肌が夕陽で赤く染まっていた。
綺麗な金髪が風になびいていた。
ビスクドールのように可愛らしい女の子。年の頃なら8歳か9歳か。
「……ふん、ようやく起きたか」
少女は碧眼をすがめながら振り返った。
「まったく、こんな時間から寝ておるとは、わらわの来世のくせに、自制が足らんぞ」
私が反応できずにいると、少女はハアとため息をついて腰に手を当てた。
「まぁだ寝ぼけておるのか? しょうがないのう。どれ、ひとつ気付けの一発をくれてやろう」
歳に似合わない尊大な口調で、少女は告げた。
「心して聞けよ? わらわの名はマリー。マリー・テントワール・ド・リジャン、じゃ」
──その日から、世界が変わった。
──大げさでなく、私の人生観を変えた。
マリーさんが私の部屋に住み着いた。
食卓を家族と囲むわけにもいかないから、自分用のを部屋に持ち帰ってふたりで食べた。
どこかの青ダヌキみたいに押し入れに寝かせるわけにはいかないから、ベッドで一緒に横になった。
マリーさんがいる生活。家に帰れば笑って迎えてくれる暮らし。
ふつふつと喜びが沸きあがってきた。
願えばかなうのだ。信じれば通じるのだ。私は本当に、マリーさんの生まれ変わりだったのだ。
物語だとか作者だとか司書だとか、色々としち面倒くさいことを騒ぎ立てる人がいたけど、無視していたらいつの間にか姿を見なくなった。
小学校を卒業して中学校に入ると、状況が変わった。
制服を着なければいけないという。以前みたいにマリーさんの衣装では通えないという。
でも私は言うことを聞かなかった。
だいたい日本の教育がおかしいのだ。
十把一からげにお仕着せの制服を着せ、狭い校舎に詰め込んで、画一的な子供を育ててる。
そのくせ夢だ個性だなんて、ちゃんちゃらおかしい。
私は小学校の時と変わらず、マリーさんの衣装を着て通った。
怒られても注意されてもバカにされても、なんだそんなのと鼻で笑っていた。
マリーさんがフランス革命の折に受けた暴力に比べれば、全然大したことない。
家に帰ればマリーさんが待っている。楽しくおしゃべりが出来る。
それだけで幸せだった。すべてを許すことができた。
──中学校と小学校の違いは、でもそれだけじゃなかった。
嫌がらせのレベルが格段にアップした。
体格が良くなり、頭が良くなり、それでいて人間としての質はさほど変わらない。
悪い意味での成長をした人たちが徒党を組み、私をいじめた。
下駄箱から靴がなくなったり、すれ違いざまにドレスの裾を踏まれたり、昼食時にアクシデントのふりをして牛乳をかけられたりした。
誰も注意する人はいなかった。
存在感のない女教師のせいで、私のクラスは学級崩壊していたのだ。
ある時どうにも我慢ならず、リーダー格の少年を殴りつけた。
だけど怒られたのは私のほうだった。
悪知恵のきく彼らは、決して暴力には訴えてこなかったから。
手を出した私が悪いと言われた。
学校へ呼び出されたママと名乗る誰かは、陰気な顔で先生に謝った。
一言も、言い返しすらしなかった。
自分の教育が悪かったんだって。
申し訳ございませんって。
私は抗うことをやめた。
何を言われても、何をされても。
自分の殻に閉じこもって、ただ耐えることにした。
どんな屈辱を受けようと、あの女の娘と思われるよりはマシだった。
イジメはエスカレートを続けた。
ある日とうとう、私はスケッチブックを奪われた。クラスで一番体格のいい男子が私の鞄を漁り、マリーさんの描かれたスケッチブックを見つけて騒ぎ立てた。
返してくれと頼んだが返してくれなかった。フランス語で頼んでみろよとからかわれた。フランス語で頼んだら、気持ち悪いとバカにされた。
頭上で男子同士のパスが始まり、それをみんなが笑って見てた。
パス回しは校庭にまで及び、最終的には焼却炉にシュートされた。
灰になったスケッチブックを胸に抱き、とぼとぼと家に帰った。
マリーさんに会いたい。マリーさんと話しがしたい。
その気持ちだけが私を支えていた。
温かい言葉、優しい笑顔。それだけが頼みの綱だった。
でないと、くじけてしまう──。
だけど家に帰った私を待ち受けていたのは、情け容赦のない叱咤だった。
窓枠に座ったマリーさんは、「なんじゃ、いじめられておめおめと帰って来おって、情けない。わらわの転生体ならその男子と決闘するぐらいの気概がなぜ持てん」と、不満そうに腕組みした。
こう訊ねた。
「誇りはないのか?」って。
──私は爆発した。
──最初で最後のケンカだった。
今考えてみれば、あれはマリーさんなりの発破のかけ方だったのだろうと思える。
でもその時はわからなかった。
驚いて、悲しくて、悔しくて、憤って──私は衝動のままにマリーさんを罵った。
全力で、負の感情を叩きつけた。
──助けてくれないなら……私のこと嫌いならもういらない!
──そのためだけに存在してるくせに……!
──あんたなんかもういなくなってよ! 顔も見たくないわ!
……その時のマリーさんの顔を、私は今でも思い出せる。
痛みで泣き出しそうな顔をしてた。
あんな悲しい顔を、私は見たことがない。
そしてそれ以来、私はマリーさんの姿を見ていない。
──ベッドの上で目が覚めた。
「また……やっちゃった……」
ひさしぶりに仮病で休んだ。
ただただ、先生に会いたくなかった。
私のスケッチブックを見ただろう先生に。
おそらくは私の鞄を開けて、中をたしかめただろう先生に。
証拠はない。
だけどそうでなければ説明がつかない。
先生がマリーさんのことを知っているわけがないのだ。
「……ううぅっ!」
私は顔を覆った。
急速に頬が熱くなった。
「……全部っ、見られた……! 私の……スケッチブック……! 黒歴史……!」
足をジタバタさせた。
「もう忘れようとしてたのに……! 隠して生きて行こうとしてたのに! なんで……先生が! ひどいよ……!」
罵りながら、手当たり次第にいろんなものを壁に投げつけた。
「バカ……! バカバカッ!」
枕、毛布、クッション、3B鉛筆……スケッチブック。
「……っ」
マリーさんを描いたスケッチブック。
あの後──マリーさんがいなくなってしばらくしてから再開したものだ。
失ったものを取り戻そうと足掻いて、もがいて。
後生大事に鞄の中にひそませていたものだ。
ページを開けばマリーさんがそこにいる。つい何年か前までは一緒に寝起きしていた存在がそこにいる。
……そこにいた。
マリーさんはもういない。
もう二度と戻って来ない。
「……」
全身から力が抜けた。
ぽてんとベッドに倒れこんだ。
「もう……いいや……」
ひとりごちた。
今度登校した時に捨ててしまおう。
焼却炉に入れて、焼いてしまおう。
そしてもう一度、灰色の生活に戻ろう。
先生のことも忘れて。
トワコさんと争うこともやめて。
今後一切、余計なことは考えまい。
「もう……終わり……」
柔らかな風が頬を撫でた。
揺れるカーテンの向こうから、春の夕陽が入りこんできた。白い壁紙が赤く染まった。
「──⁉」
どきりと心臓が跳ねた。
あの時と同じだ。開けた覚えがないのに、いつの間にか開いている。
季節や時間帯までそっくりそのまま……でも、窓枠に腰掛けていたのはマリーさんじゃなかった。
風になびくのは背中まで届く長い黒髪。そして夕陽よりも赤いマフラー。
──トワコさんがそこにいた。
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