第16話「掟」
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高屋敷家を来訪した俺は、応接間に通された。
トワコさんは先に2階の真理の部屋に上がり、俺は真理のお義母さんの
順子さんは小さくて痩せていて、なんとも生命力の弱そうな人だった。年齢的には俺と10歳も違わないだろうに、白髪だらけの頭をぺこぺこ下げる姿が悲しいほどに板についていた。
終始申し訳ないような表情をしていた。
自分なんかがあの娘の母親ですいませんって。
そんな風に見えた。
「どうぞおかまいなく」
遠慮しても断っても、貢ぎ物みたいにお茶やお菓子を出してくる。
椅子に座ってもまったく落ち着かないようで、ちらちらとこちらの様子をうかがってくる。
「あの……あの、うちの子は……病弱で……その……」
「ええ、窺っております。季節の変わり目でもありますしね。真理さんの場合はとくに長距離通学という事情もありますし……」
「はあ……ええ……その……ええと……。別に嘘ってわけじゃないんですよ……? 具合が悪いっていうのは本当で……」
俺の言葉をどう捉えたのか、順子さんは勝手に弁解を始めた。
「あの子はその……特別デリケートで……。なんにでも影響を受けやすくて……。……だからその、本当に申し訳ないんですけど……」
ぺこぺこと、ひたすら謝ってきた。
真理の過去を考えれば無理もない。
いじめ、登校拒否。中学時代はほとんど学校へ通っていないという。
今回だって、おそらく風邪をひいたのではない。
もっと根深い、心の病気を患ってる。
あんな風な見た目だから、俺は安心してたんだ。
勝手に思い込んでたんだ。
もう吹っ切れてるんだって。
そんな風に、楽観してたんだ。
「ところで……さっき2階に上がっていった髪の長い女の子は……あの子のクラスの……?」
「ああ、彼女ですか。彼女はトワ……三条さん。真理さんのクラスメイトで、友達です。真理さんが心配で、ぜひお見舞いしたいとうことで……」
「はあ……お見舞いを……」
トワコさんの存在は少なからず彼女の心を軽くしたらしい。ほうと安堵のため息をついている。
「あの子にも……友達なんているんですねえ……」
順子さんは天井を見上げ、しみじみとつぶやいた。
「真理さんは、あまりお宅に友達を連れてきたりは?」
「……私の記憶が正しければ、たぶん一度も。あ、でも──」
順子さんは思い出したように目を見開いた。
「一時期、あの子が部屋で楽しそうにお喋りしてた時期があったんです。当時、携帯電話の類は持たせてませんでしたし、友達でも来てるのって聞いてみたら。その……前世の自分とお喋りしてるんだなんて変なことを言い出して……。一時期は本気で病院へ連れて行こうと思ったことがあったんですけど……。ウチの人がご近所さんの目を気にして……。だったら高校へ上がる時期まで待って遠くの学校へやろうって。そうしたら思い悩む暇もないだろうって……」
順子さんは俺のほうを上目遣いに窺う。
「で、でもですね……悪い子じゃないんですよ? ほんとです。親のひいき目かもしれないですけど、あの子、ほんとにいい顔で笑うんです。……あの時期も、毎日が楽しそうで生き生きしてて……そりゃあ多少おかしな格好はしてましたけどね? でも、いまどき普通なんじゃないですか? いまの若い子たちなら、ね?」
お茶のお代わりを淹れに順子さんが席を立ったのを見計らい、俺はちらりと目を横へ向けた。
「……ふん、わらわとしたことが油断したわ」
応接間の隅っこで、マリーさんは膝小僧を抱えている。
ぶすっと唇を尖らせ、ふて腐れたようにしている。
「たしかに同じ県内じゃが、これだけ離れていればよもや会うことはあるまいと思っておったんじゃ……。それがまさか……あんなところで……」
「……やっぱり会いたくないかい?」
「会うもなにもあるものかよ」
マリーさんは鼻で笑った。
「見えない。聞こえない。触れない。掟の通りじゃ」
掟──死蔵した物語の行く末。
世界図書館の閉架書庫に納められてしまったマリーさんの姿は、他の作者か物語か、または司書にし捉えられない。
普通の人間はもちろん、昔作者だった者にさえ、存在を覚知することはできない。
だから真理にとって、今のマリーさんは透明人間のようなものなのだ。
「掟のなんたるかは知ってるよ。でも、まったくなんとかできないってわけじゃないと思うんだ」
「……ふん、気休めを抜かすな」
マリーさんは冷笑した。
「貴様ごときに何が出来る。たかが一介の作者が、掟に逆らうことなど出来るものかよ」
「──もし本当に、なんとか出来るとしたら?」
「……っ」
マリーさんは俺の言葉に反応し、がばりと顔を上げた。
息を呑んで、何かを求めるように口を開いて……やがて、それを恥じるかのように目を伏せ、唇を噛んだ。
「……そういう問題じゃない。会えるとか会えないとかじゃない。わらわは別に……真理に会いたいわけじゃないんじゃ。そもそも、いまさら会ったところで……」
「ウソつけよ」
「ウソなものか。わらわは……」
「ホントにイヤならさ、どうでもいいと思ってるんならさ、ここまで来ることすらしなかったはずだろう。長いこと俺に近づかなかったように。公園に来るのすらさんざん渋ったくせに。真理の家に行くって言ったら、きみは勝手について来た」
「……っ」
マリーさんは顔を上げた。見えない何かに打たれたような表情をしてた。
「ほら、きみにそんな顔をさせる、それがなによりの証拠じゃないか。きみは会いたかったんだ。別れてから何年も経った真理に。長い時間を共に過ごした同胞に。なあ、しばらくぶりの真理は、きみの目にはどういう風に見えたよ? 大きくなったか? 綺麗になったか? もう、イジめられてないか?」
「やめろ……」
「ひと声かけてやりたいと思わないか? 大きくなったなって。自分は今、ここにいるんだよって」
「──やめろ! わらわはあれに……真理に、捨てられたんじゃぞ!」
マリーさんは立ち上がった。
俺をにらみつけた。
小さな体から紛れもない殺気を放った。
めきりと、日傘の柄を強く握る音があたりに響いた。
「創られたままに! 望まれるままに! わらわはあれほど……あれほど尽くしたのに! 貴様らは……! 作者という生き物は……!」
マリーさんはかっと目を見開き、一歩を踏み出した。
「いとも簡単に……! 人のことを……! 捨てて……! 忘れて……!」
日傘の柄をねじって回した。
仕込みの造りになっていた。
細身の両刃が、室内灯を反射した。
「頼むよマリーさん。真理に会ってやってくれよ」
「うるさい! 黙れ!」
あくまで引かない俺に、マリーさんは激昂した。
「部外者のくせに、知った風な口をきくな! 余計な口出しをするな! 何様のつもりじゃ!」
刃が俺の首を掠めた。
ちくりと痛みんだ。
血が出た。
「……部外者じゃないよ」
ぎゅっと拳を握った。
不思議と恐怖はなかった。
さっきからずっとだ。
悔しさみたいなものに突き動かされている。
そいつが俺を、下がらせてくれない。
「俺は真理の先生なんだ。親御さんから大切に預かってる。健やかに育つことを願ってる。そのためにここまで来た。これから直接会って話をする。きみのことも、トワコさんのことも、あらいざらいぶちまける」
「それでどうなる⁉ いったい何が解決する⁉ 誰が幸せになれるんじゃ⁉」
マリーさんは激しい反応を示した。
「……わかんないよ。わかんないけど、言わなきゃ何も始まらないじゃないか。きみがこうしてここにいることを知らないまま、真理はこれからもずっと生きていく。そんなの不幸だよ。俺にはわかる」
「貴様如きが何を……っ」
「……わかるんだよ」
マリーさんの手首を、俺は掴んだ。
刃はすでに、力無く垂れさがっていた。
「……俺だからこそ、わかるんだよ」
綺麗な顔を覗き込んだ。
鏡のような碧眼に、俺の顔が映ってた。
そうさ俺も──作者だから。
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