第13話「たった一言」


 ~~~新堂新しんどうあらた~~~




 学校帰りにマリーさんと待ち合わせた。

 さんざん渋られたが、トワコさん抜きで話たいことがあるからと、どうにかこうにか口説き落とした。


 待ち合わせ場所は駅近の公園。 

 マリーさんはジャングルジムの上に座って待っていた。

 日傘をくるくる回しながら俺を見下ろすと、警告するように告げた。


「──そのままじゃ。それ以上一歩たりとも近づくな。どうせ、下からスカートの中を覗きこもうとかふしだらなことを考えておるんじゃろう?」


「……いやいや疑いすぎでしょさすがに」


「ふん、作者の言うことなぞ信用できるか」


 マリーさんはぷいとそっぽを向いた。

 

「に、にべもねえ……」


 どんだけ嫌われてんだよ俺……。

 具体的になにかしたわけじゃないってのに……。


「お、オッケーわかった。これ以上そっちへ行かない。一歩たりとも動かない。それでいいかい? オーバー?」


 俺は改めて両手を上げて、害意のないことを示した。

 今ここで、彼女にヘソを曲げられるのは非常にまずい。



「驚いたかい? 兄ちゃん」


 いつの間に入りこんでいたのか、俺の鞄から血の眼が顔を覗かせた。


「だけど仕方ないんだよ。司書ってのはとにかく気難しいやつが多いんだ。作者との別れ話がこじれにこじれて死蔵して……結果、作者全員に恨みを抱くようになっちまうんだ。マリーさんもおそらくはその手合いだろ? だからさ、少々のごたつきは大目に見てやってくれよ」


「……わかってるさ。なんとなく察するよ」


 死蔵した物語が司書になる。

 死蔵する条件はふたつ。

 作者との死に別れ。

 作者からの離縁絶縁三下り半。 


 後者の場合は……まあ当然こじれるわけだ。

 自分を捨てた者への恨み辛み。

 作者という存在への憎悪。


 そりゃあもう……想像するだけで胸が痛む。

 


「じゃ、幸運を祈ってるぜ」


 血の眼は鞄から飛び降りると、ぴょんぴょん跳ねてベンチに跳び乗った。

 観戦モードのつもりか、目を大きく見開いて俺たちを見ている。


「幸運ねえ……」


 俺は肩を竦めると、改めてマリーさんと向き合った。


「マリーさん、わざわざ来てくれてありがとう。今日ここへ呼んだのは他でもない。きみに聞きたいことがあるん……」

「──トワコさんの話、じゃろう?」


 俺の言葉に被せるように、マリーさんは声を発した。


「……わかってるんだ?」


「わらわとそなたの間を繋ぐものが、それ以外にあるか? あるとしたら手錠の鎖くらいのもんじゃろう」


 ……なにその、上手く言えたじゃろ、みたいなドヤ顔。


「いいさ、俺を変態扱いするのはかまわない。知ってたさ。言われるまでもなくわかってたんだ。ただ認めたくないだけだった」


「……ふん、ようやく自覚したというわけか?」


 マリーさんは不敵に笑った。


「そうさ、ようやくだ。ようやく俺は自覚した。俺は変態だ。変態エロ作者だ。トワコさんに与えた数々の設定。淫らで不潔で……もう思い出すだけで死にたくなる。まだ正確に全部は思い出していないけど、かなりのひどい設定だったはずだ。それはそれで猛省するとして、今はもっと大事なことが他にある」


 それは──


「……トワコさんのこれから」

 

「……ほう?」


 マリーさんは愉快そうに口の端を歪めた。


「というと、物語の意を汲んで、肉の交わりを結ぼうというわけか?」


 肩を揺すって笑い出した。


「あれの望むようにあれを愛し、朝な夕なにくんずほぐれつ。身分も倫理も無視した淫蕩三昧をしようと、そういうわけじゃな?」


「違う」


「なにが違う。そなたはそのためにあれを創ったんじゃろう? 自分の意のままになる女子を創って、布団を並べて寝起きを共にして、することはひとつじゃろう? 世の殿方とはおしなべて、そういうものであろうが」


「違う」


「ふうーん……?」


 マリーさんはうろんげな目で俺を見た。

 まったく信用してないって顔だった。


「そりゃあまあ……さ、変な気持ちがまったくないかっていうと嘘になるよ。俺だって健康的な一般男性だし、夜中にふとムラムラと、おかしな気分になることはあるよ」


 言ってるうちに恥ずかしくなって、俺はがりがりと頭をかいた。


「まして相手はトワコさんだ。小さい頃とはいえ俺が描いたもので、つまりは俺の理想の女性像そのものなんだ。美人で髪が長くて、肌が白くてモデル体型で。胸はそんなになくてもいいけど多少は欲しくて。料理が上手くて、裁縫とかはちょっと苦手で。でも頑張り屋だから涙目になりながらズボンのほつれとかを縫ってくれたりして……。自分でもわかってるよ……気持ち悪いってさ」


 俺はため息をついた。


「でもさ、だからって自分の欲望に忠実になっちゃうわけにもいかないだろう。人として、やっていいことと悪いことがあるだろう」


「人として、のう?」


「そうだよ。自分で創った女の子を好きなように扱って、欲望を満たして、そんなの人間として最低じゃんか」


「でも、そのために創ったのじゃろうが」


 マリーさんは事もなげに言う。


「勘違いするなよ? わらわは責めておるわけではない。世のたいがいの作者はそういうものじゃ。欲望に忠実に、おのれの創った物語を楽しんでおる。そしてそれが間違った選択だとは、わらわは思わん。なぜなら物語は、そもそもそのために創られたのじゃから。物語の本懐はすべからく作者の夢を叶えることであり……ならばそういう・ ・ ・ ・関係・ ・になることこそが、あれの幸せじゃろう」


 トワコさん自身が、俺とそういう関係になることを望んでいる。


 それも気づいてた。

 彼女の日常のしぐさ。

 俺に甘える時の顔、声。

 それらがどこか潤んだような、とろけたような感じになる時がある。

 あ、いまだな。

 そう思う瞬間がたしかにある。


 その先にあるものも想像がつく。


 彼女との蜜月。

 甘やかなピンク色の世界。

 それらはきっと、とてつもなく素晴らしいものとなるだろう。 


「でも違うんだ。それは本当の幸せじゃない」


「では、そなたの思う本当の幸せとは?」


「それは……本当の幸せってのは……」


 俺は答えに窮した。


 幸せってのは心が満ち足りてるってことだ。

 俺とトワコさんふたりともが幸せになるには、互いの心が満ち足りている必要がある。


 トワコさんにとってのそれは、俺と結ばれることだろう。

 だけど俺は、それじゃ納得いかないんだ。

 押しつけといてなんだけど、押しつけのそれじゃ嫌なんだ。

 本当の俺を見て、好きか嫌いか判断してもらって、その上で……その上で…・・。


 ……本当の俺・ ・ ・ ・

 本当の俺ってなんだ? どういう意味だ?

 突然出てきた疑問が、ぐるぐると頭の中を駆け回る。 


「……どうした? 顔色が悪いぞ?」


「いや、その……」


 人間関係の悩みと多忙が重なったせいだろうか、頭にズキンと痛みが走った。

 呼吸が乱れ、考えが上手くまとまらない。


「……大丈夫だ、なんでもない」

 

 冷や汗を拭うと、俺は強くかぶりを振った。

 

「ごめん。今はそれよりも他に優先させたい問題があるんだけど……いいかな?」


「言ってみろ。答えるとはかぎらんが」


 俺の体調をおもんばかってのことだろうか、マリーさんはしぶしぶという感じでうなずいた。


「もし彼女が、人間を傷つけたらどうなる?」


「はあ?」


「正当防衛という以外の理由で、目に余るレベルで、彼女が人を傷つけたらどうなる? 彼女を裁くものはなんだ? 人間界の法律か? 違うよな? だって彼女には戸籍がない。人間界の法では裁けない」


「……傷つけたのか?」


 マリーさんは探るように目を細くした。


「まだだ。だけど正直、時間の問題だと思う。俺の創った設定が彼女を嫉妬させる。女生徒と交わす視線、言葉、ささやかなコミュニケーション。すべてが彼女の中の歯車をぶん回す。浮気を許さず容赦を知らず、苛烈に責め立てる。俺を相手にするのだったらかまわないさ。甘んじて受けてやる。だけど彼女の矛先は、いずれ女生徒自身へと向かうだろう」 


「ふうん?」


 マリーさんはにやりと口の端を歪めた。


「誰か、そなたを好きになった変り者がいるということか?」


「……まだはっきりとは言えないんだ。だけどちょっと……ヤバいかなと思う。俺のために弁当を作ってきてくれたり、帰り道で偶然・ ・一緒になる機会がやたらと多かったり。休み時間もいちいち職員室まで来てくれるし。何か話すたび、いちいち俺の体を触ってくるし……。演技かもしれないよ? 俺の自意識過剰なのかもしれない。だけどトワコさんはそんなの気にしないだろう。演技かどうかなんて、彼女には関係がない。自分にとって害になるかならないか。ふたつにひとつ……」


 俺は小さく息を吐いた。


「とても目立つ生徒なんだ。入試成績トップ。運動神経抜群。見た目も実に美しい。アイドルと名乗られたって驚かない」


「よくもそんな優良物件がそなたを……」


 マリーさんは肩を竦めた。


「なんとも、もの好きもおったもんじゃな」


 まったくだ。

 こんな俺を気に入るなんて。


「まあそんなわけでさ。俺はトワコさんが暴力沙汰を起こさないか危惧してるんだ。もちろん俺だって最大限努力するつもりではいるけどさ。避けられないものは避けられない。そういうもんだとも思うから……」


 最悪の場合でも、なるべくダメージは抑えたい。

 ふたりが傷つかないように。


「──世界図書館の法によって処罰される。死蔵じゃ」


 マリーさんは厳格な裁判官のように告げた。


「執行猶予もない。恩赦もなければ懲役もない。ただ死、あるのみ」


 バサバサと、カラスが一羽、羽ばたいた。


「……っ」


 唐突に、足が震え出した。

 それは膝から腰を伝い、全身に伝播した。


「だ……だけどっ」


 俺は咄嗟に反駁した。


「俺たちは……トワコさんと俺は……! 何度も……っ」


 関節技をかけられてきた。

 痛めつけられてきた。

 

「作者はノーカン。物語の枠の内よ」 


 マリーさんは俺の心中を見透かしたように目を細めた。


「それにそんなものは、目に余るレベルじゃない。そなた自身がわかっておることじゃろう?」


「く……っ」


 言葉の重みに打ちのめされた。 

 トワコさんが死んでしまう。

 俺の創った少女が、俺のせいで処罰され、死んでしまう。


「防ぐ方法は……?」 


「未然に防ぐしかあるまい。あれの凶行を止めるか。出来ないのであれば、被害を最小限にとどめるしかない」


「最小限……?」


「なに、簡単じゃ。たった一言で済む」

 

 マリーさんは、くふふと楽しげに含み笑いをした。


「嫌えばいい」


「……嫌う?」


「トワコさんなんか嫌い。トワコさんなんかもういらない。そうたった一言つぶやくだけで、あれは死ぬ。死蔵される」


 一瞬言葉が出なかった。


「……………………そんな……ほんとに? でも……それじゃなんの解決にも……」


「なってないか?」


 マリーさんは目をすがめた。


「……本当・ ・に、なってないか?」


 わかっておるじゃろう? って口調だった。


「あれが死ねば、そなたは解放される。大手を振って、その女生徒とやらとつき合える。よいではないか。現役アイドルみたいに可愛い女子高生。創り物でない、本物の女子高生」


「……やめてくれ」


「楽になるぞ? 作者由来の苦労心労がなくなる。もうあれの凶行に怯えなくて済む。教師としては、依然倫理観の悩みがあるのじゃろうがな。作者と物語のそれに比べれば微々たるものじゃろう」


「……やめてくれ」


「なにをやめる? わらわは語って聞かせておるだけじゃろう。司書として、物語という存在のリスクと対処法を。現実とのすり合わせ方を。のう、楽になればよかろうよ……」


「──やめてくれ! マリーさん!」


 俺が叫んだと同時。

 ドサリと、何かが地面に落ちる音がした。


 振り向いたさ先には、学生鞄がひとつ落ちていた。

 一緒に大きなきんちゃく袋も転がっていた。


 見覚えのあるきんちゃく袋だった。

 口が開き、弁当箱が転がり出た。


 ……何が入っていたか知っている。

 から揚げ、タコさんウインナー、エビフライ、プチトマト、キャベツとキュウリのサラダ、俵おむすび。

 ……どんな味だったかも知っている。

 ちょっとケチャップの多い、お子様向けの味付け。   


「真理……どうしてここに……」

「先生……今……」


 台詞が被った。

 俺が黙ると、真理は震える声でこう言った。


「──今、マリーさん・ ・ ・ ・ ・って言った……?」


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