第12話「爆発の火種」


 ~~~新堂新しんどうあらた~~~




 その後もマリーさんとは打ち解けないままだったが、学校生活自体は上手いことやっていた。

 各種行事や研修・勉強と多忙で慢性的な睡眠不足ではあったが、ヒゲさんや生徒たちとの関係は良好に保てていた。


 ──ある特定の人物を除いては。




 ある日の昼休み、トワコさんを避けてLIME連打を無視して屋上でひとり菓子パンをぱくついていると、生徒たちに囲まれた。


「せんせー、なにひとりでこんなとこにいんの? 寂しーっ」


「せんせーひとり暮らしだっけ? にしてもパンだけとか……」


「彼女に作ってもらったらいいのにー。あ、いないんだっけ?」


 ぎゃははとうるさい女子陣に囲まれて戸惑っていると、女子陣目当ての男子陣にも囲まれた。


「なんだよせんせー、そんなデカイ図体してるのに、そんなんじゃ足りないっしょ。オレの弁当わけてあげるよ。……ポッ」


「武のとこのかーちゃん飯旨いんだぜ? ラッキーだな」


「マジで? オレにもひと口味見味見!」


「……最後のポッが余計だけど、サンキューな?」


 なんだかんだ大人数になって車座になって屋上に座りこんで、みんなで食事を共にすることになった。

 5月の空には白い雲がぽかりと浮いて、そよ風ふわりと吹いていて、まことに気持ちのよい日よりだった。


 ひとり飯を気づかってくれる生徒の優しさ、日々の穏やかさ、働いていることの充足感……。

 

「ああ……俺はいま……人生で1番幸せかもしれない……」


 思わず涙腺が緩みそうになった。

 



「──先生っ」


 ぱあっと、視界に光が射した。

 いや、光に見えたのはひとりの女の子だった。

 肩のところで外にはねた金髪。空の色を映したような瞳。

 フランス人と日本人のハーフの女の子、高屋敷真理たかやしきまりが立っていた。


「もうっ、こんなところにいたんですか? 探しましたよー」


 ぷうっと頬を膨らませながら、真理は断りもなく俺の隣に座った。

 幅寄せされて脇へずれる羽目になった女子は明らかにムッとした顔になり、男子陣は真理の肉感的な胸や尻や太ももに釘付けになった。


「せっかく先生のためにお弁当作ってきたのに、昼休みになったら速攻いなくなっちゃうんだからぁ……。もうっ、待っててくださいって言ったじゃないですかー」


「あ……あれ、そうだっけ?」


「そうですよぉー。ひとり暮らしで栄養足りてなさそうな先生のためにぃ、早起きして作ったんだから楽しみにしておいてくださいねって言ったじゃないですかぁー」


「ご、ごめん……先生忘れてたよ」


「もおー」

 

 脇の下に冷や汗をかいていた。


 実は覚えていたのだ。 

 トワコさんを避け、同時に真理にも捕まらないように移動していたら、最終的に屋上に行き着いたのだ。


「で……でも悪いんだけどさ、この通り俺はもうパンを食べちゃってて……」


「ダメでーす、食べるまでは許しませーん」


 媚態を作り、真理がしなだれかかってくる。

 日本人離れした女の子の、あれやこれやと柔らかいものが体にみっちり押しつけられる。

 ああ……こういうボリューム感は、トワコさんからは得られない部分だよなあ……って違う。そうじゃない。


『……』


 懸念通り、すでに周りの生徒たちの目が冷たい。

 白昼堂々女生徒といちゃいちゃする最低教師。

 生徒に手を出すゴミクズ変態。

 ひとりで屋上にいたのは待ち合わせのためだったんでしょ?

 そんなレッテルの貼り付けられる音がする。


「う……うーん。あのなあ、真理……。先生、真理の気持ちは嬉しいんだけど、やっぱり受け取れないよ。だって先生は先生で、真理は生徒だからさ。生徒にそこまでしてもらうのはちょっと……え? 武のは食べてただろうって? それはほら、おすそ分け程度のものだし、武は男子だから……」


『……』


 これはまずい。

 こんな衆人環視の中で、手作り弁当。しかもまるまる1個分。

 なおかつ相手があの高屋敷真理だ。

 

 スタイル抜群、容姿端麗。

 勉強にも運動にも隙の無い完璧超人。

 良くも悪くも目立つ生徒であり、自身の容貌や能力を鼻にかけたような言動のせいで敵も多い。


 そんな彼女が俺に執着するにのはどういった意味があるのかわからないが、受け入れてしまうのはいかにもまずい。

 弁当を作ってもらうだなんて悪い冗談だ。


「ウソウソ。早起きしたなんて冗談です。ママがドジで、出張でいないパパの分まで作っちゃったんですよー。余らせるのはあれだから、だったら普段から栄養とってなさそうな先生にあげようかなと思って持って来たんです。ママは料理上手だから、自分で作ったって見栄張っちゃった」


 真理はペロリと舌を出した。


「じゃ……じゃあ、真理が作ったものじゃないのか?」


「あー、いまちょっと安心したでしょー、ひっどーい」


 真理は俺の背をバシバシ叩きながら、周りには聞こえないような声でこそこそ囁いた。


「ね……そういうていなら、いいですよね?」


「……っ!」

 

 ──ゾクリ。

 俺は思わず背筋を震わせた。


 真理は俺の反応を楽しむように目を細めた。


「ねっ先生、そういうことなら食べてくれますよね? ママのお手製ってだけの話ですから。ご近所からのおすそ分けだと思えば、ね?」

 

 にこにこにこにこ。

 真理は満面に笑顔を浮かべているのだが……。

 何を考えているのかまったくわからず、俺はひたすら恐怖を覚えた。


 


「……新堂先生?」


 ひび割れたような声が聞こえた。

  

 ぎくりとして振り向くと、そこにはトワコさんが立っていた。


「三条……さん?」


「やばい……トワコさんだ……っ」


「血の雨が降るぞ……っ」


 ざわめきが広がった。


「担架呼んどいたほうがよくない⁉」


「AEDも忘れんな!」


「その程度で済むならいいんだけどな……」


 生徒たちが口々に囁き交わす中を、トワコさんは静々と近づいてきた。


 言い知れぬ迫力にビビったのか、俺の隣にいた女子が脇にどけた。その隣もその隣も、誰も文句を言わずにひとり分脇へずれた。


 トワコさんはにっこり微笑むと、俺の隣に腰を降ろした。

 誰にも見えない位置でこっそりと、俺のわき腹の肉をぎゅーっとつまんだ。 


「あら新堂先生、真理さんにお弁当作ってもらったんですか? 良かったですねえー」


 笑っているようで笑っていない。

 場の空気ごと凍り付かせるような、凄みのある笑顔。


「……でも当然、食べるわけないですよねー? なにせわたしが作ったお弁当だって、食べるの断ったんですからねー?」


 ……げえっ。


 俺は心中でうめいた。

 そうだった。

 いつだったか、トワコさんが作ってきたお弁当を食べるのを拒否したことがあった。

 

 あれはたしかまだ4月の半ば頃で、クラスのみんなとも打ち解ける前の話で、だからこそ、変に目立ったり勘ぐられたりするのは避けたかったんだ。

 ただそれだけの話で、まったく他意はなかったんだけど……。


 でも──

 トワコさんは浮気を許さない。

 トワコさんは容赦を知らない。


 俺の創った設定どおりに、彼女は俺をき責め立てる。


「え……どゆこと?」


「トワコさんの手作り弁当を……断った?」


「それって……」


 生徒たちが顔を見合わせる。


「へえー……」


 真理が低い声でひとりごちた。


「先生はトワコさんのを断ったんだ……。じゃあ私のを食べさせれば完全勝利……? ふうーん……」


 真理はガシッと俺の肘を抱えこんだ。

 豊満な胸で、俺の肘をサンドした。


「さあ食べましょ先生! 約束通り! 私が作ったお弁当を!」


「え? 真理が作った?」


「私のママが作った、の言い間違えです!」


 ガシッ、反対側の肘をトワコさんに抱えこまれた。


「……新堂先生、真理さんと約束したんですか?」


「してないよ! それも真理の言い間違えで! なあ真理⁉」


「……」


「そっぽ向くんじゃねえよー!」


 トワコさんの指に、ぎりぎりと力が入る。


「──痛たたたたた!」 


「新堂先生は、わたしのお弁当は断っておきながら、そこの金色のお弁当に箸をつけようって言うんですか? ……その意味、わかって言ってます?」


「もちろんわかってます! だから食べる気はまったくなくて……! これには色々誤解があって……!」


 ドン、真理がトワコさんを手で押した。


「……ちょっと、誰が金色よ。きちんと名前で呼びなさいよ。私には高屋敷真理っていう立派な名前が……」


「……うるさいわよ金色。ぎゃーぎゃーぴーぴーさわぐ金色猿が、呼び名ぐらいでいちいち騒いでるんじゃないわよ」


「はああっ⁉」


「なによ!」


 腕まくりをしてにらみ合うふたりの美少女。

 あわあわと狼狽する俺。

 わくわくと対岸の火事を楽しむ生徒たち。


 それが最近の俺の日常であり、大きな不安要素だった。

 だってそれは、ラブコメでしか許されない文法だから。

 俺はあくまで先生であり、トワコさんの作者であるから。

 

 そしてその不安は当たっていた。

 火種は静かにくすぶり、爆発の機会を窺っていたのだ。

 

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