第9話「ビブリオバトル、終演!」
~~~トワコさん~~~
「あんたらの想いは聞ぃき届けたああああー!」
小っちゃな男の子みたいなキンキン声がした。
振り向くと、先ほどまでは何もなかったはずのベンチの上に、手の平サイズの天秤が出現していた。
大航海時代に使われたアンティーク調の天秤を真っ赤な血で塗りたくったらこうなるかといったような禍々しい色彩をしている。
支柱の真ん中には使用途のわからぬ小窓と、ぎょろつく目玉のような意匠が──いや、実際ぎょろつくので本物なのかもしれない──ともあれ悪魔的な品だ。
「……ふん、血の眼か」
マリーさんのつぶやきで、ようやくわたしはそれがなんなのかに思い当たった。
天秤──「死を測る血の眼は世界を
病床の作者の代わりに世界中の戦いを見聞する指命を帯びている。
自由に世界中を移動出来る能力や、指命との兼ね合いの都合の良さから、自らビブリオバトルの立会人を買って出た変わり種だ。
実際見るのは初めてだった。
わたしとマリーさんのカードを左右の受け皿に載せると、血の眼は目をかっと見開きわめき立てた。
「さあお姉さんたち! オイラが見届け人だ! あんたらの恨み辛み妬み嫉みを存っ分にぶつけ合うがいい! なぁに心配はいらないさ! 邪魔は絶対いれさせないし、卑怯者にはオイラが直々に鉄槌を下してやる! ほら安心だろ⁉ さあ心置きなく戦うんだ! オイラとオイラのご主人様のために、至上の決闘を見せてくれ! それではビブリオバトル! レディ……ファイーッ!」
小窓に5:00の数字が表示され、制限時間5分のカウントダウンを始めた。
「あなたが血の眼? 初めて見たけど……なんていうか……」
「どうした姉ちゃん感動したかい⁉ オイラの格好よさに失禁寸前かい⁉」
「……しょぼい」
「おいあんた言葉に気ぃつけろよ⁉」
血の眼は涙目になって叫んだ。
「もっと格好いいのを想像してたのに……なんかがっかり……」
「おいこら! ゴスロリ幼女の前にオイラとやるか⁉ 勝負するかい⁉ 言っとくけど、オイラにかかりゃあんたなんか一瞬だかんね⁉ これでもウチのシマじゃあ一番の……っ」
ぴょんぴょん跳ねて怒りを表す血の眼を見ていると、どうにも気が抜けてしまう。
「おいおい小娘……」
マリーさんは忌々しげに目を細めた。
「もう戦いは始まっているんじゃぞ? いいかげんこちらを向かんか……」
言うなり、地を這うように駆けてきた。
「わらわを差し置いて、天秤ごときに構ってる暇などないはずじゃろうが!」
細剣を横薙ぎにしてわたしの足を狙う……と思いきや、いきなり軌道を変えて顔面に突き込んできた。
「……⁉」
頭を倒して、ぎりぎりのところで突きを避けた。
避けきれた……と思ったか、一瞬遅れて頬にチクリと痛みが走った。
血が一筋、頬を伝った。
新の創ってくれた体に傷が……!
「よくもやってくれたわね……っ⁉」
「ほう……今のを躱すかよ……」
マリーさんの攻撃はなおも続く。
突き込んだ細剣を斜め後方へ削ぎ切るように戻した。
直線上に、わたしの顔があった。
身を沈めてこれを躱すと、マリーさんの手元を狙って足甲を跳ね上げた──だがすでに、マリーさんはそこにいなかった。
……速い!
マリーさんは一瞬の足捌きで間合いの外に退いていた。
身構え、こちらを窺っている。
細剣術の基本、中段の構えだ。
左足を後ろに引き横へ開く。右足は前。まっすぐ対手に向ける。
背は前後に傾けず、バルーンで吊られたようにまっすぐに立てる。
細剣の根本は右足の少し先、左手はバランスをとるように腰の後ろに当てる。
基本技である突きは、前足の膝から動く。
前足の踵で着地し、爪先への重心移動を突きの威力に上乗せする。その動作が伸びを生む。
後退時は爪先で蹴るように飛び退る。
鎧兜で身を固めない剣術だけに、とにかく身軽に、敵の間合いにとどまらぬことを是としている。
マリーさんは教科書通りの攻めを繰り出してきた。
突いては退き、突いては退くヒット・アンド・アウェイ。
持ち前の敏捷性に加え、小さい体のおかげでマト自体も小さく、おまけに武器分のリーチ差まであるため、わたしの反撃はまったく届かない。
追いかければ追いかけた分だけ逃げられる。
かと言って座して待てば、いいように突かれまくる。
「──制限時間残り4:00だよ!」
血の眼が大声で時間を告げる。
「どうしたどうした! 足元がお留守じゃぞ⁉」
マリーさんの狙いは足ばかり。
相手にとってはもっとも近い位置。
わたしからはもっとも遠い位置。
動き出しの起点である膝頭を、集中的に突いてくる。
「ほれほれ、あんよが上手!」
「く……っ⁉」
鋭い突きを、飛び退くようにして避けた。
バタバタとみっともない足運びになった。
断っておくが、古流武術に下段の受けがないわけではない。
だがそれは、あくまで武器ありきのものなのだ。
わたしは素手。
しかも相手は素早さを極めた細剣術。
となれば、小手先の技ではどうにもならない。
全体の動きの中で回避するしかない。
「……あなたなんかに使うのは正直もったいない技なんだけどね。これはほとんど、奥義みたいなものだから……」
「……ほーう?」
わたしは両脚を前後に軽く開き、両腕をすとんと自然に垂らした。
「それがどうした? さきほどまでと何が違う」
再びマリーさんが突いてくるが──
わたしは後ろ足を引いてぐるんと
突きの勢いに逆らわず、水に流れるようにいなした。
「むう⁉」
突きをすかされたマリーさんは、慌てて横に飛びのいた。
「なんじゃいまのは……?」
暖簾に腕押しするような感触の無さに戸惑い、眉をひそめた。
「……
わたしは短く答えた。
寝ぼけた者のするように目をぼうと見開く。
体や武器の一部を注視せず、対手の全体を見る。
対手がどこにいるか、どんな勢いか。
それだけを判断し、右後方へ左後方へ、大きく旋回するように回避する。
決して受けようとしない。
決して攻めようとしない。
流れる水を捉えることは、何者にも出来ない。
「……ちっ」
マリーさんは舌打ちした。
「受けに徹するか。さてもつまらぬ判断をするものよ。……のう、わかっておるのか? ビブリオバトルじゃぞ? 互いの誇りを賭けた決闘に、専守防衛なぞと眠たいことを……」
「──あら、流水の動きが専守防衛だけの技だなんて、誰が言ったの?」
「なんじゃと……?」
「──制限時間残り2:30!」
「水の流れは一定ならぬ。岸の形、水底の岩、わずかな変化で向きを変える…」
わたしは右へ左へ、蛇行するように
「時に逆流す。さかしまに流れすべてを呑みこむ──
頭を上下に動かさず、下半身の動きだけで体を送る。
ゆるゆると滑る様な足運びで、マリーさんとの距離を詰めていく。
体のぶれがないことで、対手は戸惑いを覚える。
動いていないという情報と動いているという情報が錯綜し、それが混乱を生む。
その動きは、決して現代格闘技にはないものだ。
西洋剣術にだって存在しない。
騙しの歩法。
古伝の秘奥。
「おのれ面妖な……」
マリーさんの目つきが険しくなった。
わたしの動きを捉えられないまま、遮二無二つっかけようとして失敗した。
──束の間、足並みが乱れた。
そこへわたしは襲い掛かった。
右の逆突きで脇腹を突く──と見せかけて、右の足払いを繰り出した。
マリーさんは細剣を持っていないほうの左手で脇腹をガードした。その動き自体がブラインドとなり、彼女は迫りくる右脚にまったく気が付かない。
膝の裏を蹴り払うと、マリーさんはなすすべなく地面に尻もちをついた。
「な……なにがいったいっ⁉」
「驚いてる暇はないわよ!」
驚愕に目を見開くマリーさんへ、さらに追撃。
サッカーボールキックの要領で思い切り蹴り込んだ。
「ぐ……うっ⁉」
マリーさんはやはり左腕でガードすると、蹴りの勢いを殺すために思い切り後方へ跳んだ。
「──制限時間残り2:00!」
「おのれ……おのれ……!」
距離をとることには成功したが、威力自体は殺しきれなかったのだろう。
マリーさんは左腕をだらりと垂らして悔しげな表情を浮かべている。
だが幸いというべきか、細剣は片手剣だ。
左腕を垂らしたまま、マリーさんは気力を振り絞って反撃に転じてきた。
2発、3発。
膝頭への刺突を繰り返してくる。
4発、5発。
愚直に同じ場所を狙い続ける。
鋭い刺突には違いないのだが、先ほどのローで足に、サッカーボールキックで腕にダメージを負っているマリーさんの動きは、とても本調子のものとは言い難かった。
余裕を得たわたしは、じっくりとマリーさんの動きを観察した。
──どうして膝ばかり狙うのか?
わたしはふと、そんな疑問を抱いた。
最短距離なのはわかる。
躱しづらいのもわかる。
だがこうも一辺倒の攻撃では、読まれるに決まってる。
フェイントのひとつも加えなくては、当たるものも当たるまい。
そして気づいた。
マリーさんが時折、口をすぼめるような動作をしていることに。
──呼吸を整えている?
突きながら、退きながら、マリーさんは細かく呼吸を繰り返している。
攻防の動作の中で、かき集めるように酸素を溜めている。
溜めている……なんのために?
自明だ。
本命の攻撃が待っているのだ。
生半可な攻撃では流水の動きを崩せないと悟り、囮の攻めを繰り返して罠を張っているのだ。
つまり本命は足元ではない。
「なるほどね……」
ビブリオバトルにおいて、勝敗の帰趨は血の眼の審判にゆだねられる。
戦闘不能か、目に見えてダメージを負ったほうが敗者、というのがおおまかな基準だ。
この有り様を考えれば、まあわたしの勝ちだろう。
あとは時間切れまで逃げ回っていればいい。
「だけどそれじゃあ、面白くないわよね……」
相手の最大攻撃を引き出し、それを上から叩き潰す。
戦士同士の戦いの、プライドを賭けた決闘の、それが醍醐味というものだろう。
わたしは内心舌なめずりしながら、その瞬間を待ち構えた。
「──制限時間残り1:00! ほらほらどうしたんだい⁉ もうすぐ時間だってのに、なにモタモタしてるんだよ! あんたらの作者への愛はそんなものなのかい⁉」
「黙って見てなさいっての……」
左へ右へ身を躱しながら、マリーさんの呼吸を盗んだ。
吸う、吸う、吐く。
吸う、吸う、吐く。
吸う、吸う……。
制限時間が残り30秒になったと同時──
わたしは故意に足並みを乱した。
地面に引っかかったふりをした。
弾かれたように、マリーさんが仕掛けてきた。
初動は前足から、小さな歩幅で素早く速く。
──タ……タッ、ターンッ!
前足の接地と同時に、鋭い刺突を足元へ飛ばしてきた。
待ち構えていたわたしは、マリーさんの踏み込みに合わせてよどみなく後方へ退いた。
「……しっ!」
マリーさんは小刻みにステップを踏んだ。
前足に後ろ足を引きつけ、また前足を送り出した。
一連の攻防の中で初めてとなる、追撃を加えてきた。
1発、2発。
どれも足元への突き。
3発目。
マリーさんは切り裂くように息を吐き出した。
……ここだ!
「──もらったぞ小娘!」
果たして最後の一撃は、地面すれすれで軌道を変えた。
刃を立て、垂直に跳ね上がった。
だけどそれは……
「計算ずくよ!」
突きの出に合わせて、わたしは斜め前方へ踏み込んでいた。
わたしの体のすぐ脇を、刃がむなしく通り過ぎていく。
直後、わたしの蹴りが同じ空間を切り裂いた。
細剣の軌道に干渉しないよう、意識的にタイミングをずらした蹴りだ。
溜めに溜めた後ろ足で、思い切り蹴り込んだ。
目標は胴。
──このタイミングなら……躱せない!
反射神経のいいマリーさんも、今度ばかりは防げなかった。
さきほどのキックのダメージが抜けておらず左腕は麻痺したまま、なおかつ攻撃直後の完全に体が硬直した瞬間では、ただ身に迫りくる蹴りを見つめることしか出来ず──
ドンッ、と。
足甲に、肉を打つ手ごたえがあった。
マリーさんの体は毬のように地面を跳ね、ごろごろと何度も転がり、立ち木に当たってようやく止まった。
「あ……ぐ……うっ⁉」
蹴りの威力と、背を木に打ちつけた衝撃。
マリーさんは倒れ込み、背を丸めてうずくまった。
「か……あ……っ⁉」
息を詰まらせ、苦し気にうめきながら身を震わせている。
「……気を失わない根性だけは褒めてあげるわ」
わたしはマリーさんに近づきながら、地面に落ちていた細剣を遠くへ蹴飛ばした。
油断する気はない。
なにせ腐っても司書だ。
細剣がらみのどんな特殊能力があるか知れたものじゃない。
とはいえ──
わたしは血の眼を見やった。
天秤はもう、完全にわたしの側に傾いている。
カウントも0:00。
「もう終わり、みたいだけどね」
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