第8話「ビブリオバトル、開演!」

 ~~~トワコさん~~~




 ビブリオバトルというのは和製英語だ。

 互いに持ち寄った本をプレゼンし、評価し合う。 

 日本の大学から広まった催しだ。

 その響きの良さと取っつきやすさから、瞬く間に世界中に広まった。


 それは創り物であるわたしたちの間でも例外じゃない。

 いやむしろ、わたしたちにだからこそ快く受け入れられた。  


 とかくわたしたちは自意識が高い。

 由来が由来なだけにしかたないのだが、些細な侮蔑侮辱が我慢ならない。

 言葉の応酬では済まず、暴力をもってぶつかり合うこともしばしば。

 持てる力のすさまじさ故に、被害の大きさも尋常ではない。

 だからビブリオバトルは、物語同士の無軌道な衝突を防ぐ方便として使われる。  


 ルールその1

 決闘は5分間。

 ルールその2

 決して殺さない。

 ルールその3

 決して人間を巻き込まない。

 ルールその4

 決して他者を巻き込まない。

 ルールその5

 互いの領分を守って戦い、終戦後は互いの素晴らしさを称え合う。


 5箇条のルールに則って行われる、紳士淑女の決闘。

 そこに命のやり取りはない。

 欠損するものは何もない。

 ただひとつ、おのが誇りを除いては──



 わたしたちは人目につかないところを探し、場所を移した。


 山際の、忘れ去られたような小さな公園。

 錆び付いたブランコが風に揺れていた。


 外灯の明かりがパッパッと点滅し、ほの明るい光の輪を地面に落とした。

 どちらからともなく、そこへ書籍カードを並べ合った。

 

 所蔵:日本別館

 分類:日本文学

 題名:ヤンデレ彼女が離してくれない。

 作者名:新堂新

 主人公名:三条永遠子

 CN:トワコさん

 NO:00303052056


 わたしのカードの隣に、マリーさんのカードが並べられた。


 所蔵:本館2階閉架書庫

 分類:フランス文学

 題名:ゴスロリ幼女は亡国の夢を見る。

 作者名:

 主人公名:マリー・テントワール・ド・リジャン

 CN:マリーさん

 NO:00303030029


 マリーさんのカードは、材質こそわたしのものと同じ特製の厚紙だが、墨でも塗ったように黒かった。代わりに文字部分が白抜きされていた。

 作者名には何も書かれていなかった。


「さあどうぞ、まずはご立派なあなたの作品から。最初からずっと、名乗りたくて名乗りたくてしかたがなかったんでしょ?」


 挑発したが、マリーさんは乗ってこなかった。


「まあ急かすな」


 鼻で笑うと、何もない空間から手品のようにパッと日傘を取り出してみせた。


 アンティークな薄ピンクの日傘。

 白いフリルの飾りがたくさんついている。


「ゆっくりじっくり、時に華麗にターンを決めて。戦いはやはりこう、エレガントにいかなくてはのう……」


 開いた日傘をくるくる回転させながら、マリーさんは余裕ぶって口笛など吹いている。


「土を蹴立ててドタバタなんていうのは、美しくない。およそ美意識が足りない」


 誰のことを言っているつもりなのか、小馬鹿にするような目でわたしを見た。


「……なんだっていうのよ。もったいぶらずにとっとと始めなさいよ……っ」


 わたしの言葉を遮るように、マリーさんは片手を突き出した。


「──民草たみぐさよ聞け!」


 かっと大きく目を見開き、朗々たる声を張り上げた。


「文化爛熟したフランスの、最も美しい時代! 彼女はいと貴き血筋に生まれ落ちた! 黄金の巻き髪! エーゲ海を思わせる瑠璃の瞳! そう、彼女は美しかった! 人の目を惹きつけてやまぬ! ひざまずかせて顔も上げさせぬ! 人間じんかんに落ちた太陽のような女の子! 人呼んで太陽姫たいようき!」


 片手を胸にあて、歌劇の台詞のようなものを語り始めた。


「だけど彼女には悪癖があった! 勝気でお転婆で! 詩歌よりも戦いが好き! 殿方の求愛よりもその剣捌きに、足運びのほうに興味があった! 思いはただまっすぐに! 彼女は剣の道を極めた! すべての作法を納め、師範さえも飛び超えた! だが滅びの暗雲は血の革命の形をとって、すぐそこまで迫っていた……!」


 ──語りだ。

 物語が自らを物語り、作品世界と同調してコンセントレーションを高める行為。

 決闘の作法。


「武装蜂起した市民たちが、炎に彩られし宮殿に押し寄せる! 剣を片手に下げた姫はホールの中央に立ちはだかり、市民に向かってこう叫んだ! いざや聞け! 数を頼みの恥知らずの下郎ども! わらわはマリー! マリー・テントワール・ド・リジャン! 偉大なる王の娘にして、剣そのもの! 典雅な作法でなく、ただ武威のみをその身に納めし女! さらば、容易く突き崩せると思うなよ⁉ ハチドリが羽ばたくごとく舞い躱し、鋭き嘴をもって報いてくれようぞ! 華麗なるつるぎの舞いを、この地に現出してくれようぞ!」


 語り終えると同時に、マリーさんは日傘を閉じた。

 柄の部分をくるり捻って引き抜くと、仕込みの造り。

 中には細身の両刃が納められていた。


 ひゅんひゅんと風切るように振り回したあと、マリーさんは日傘を……いや細剣を、眼前に垂直に立てた。

 双眸の瑠璃色を、燃えるような鮮紅色が覆い隠した。


「ふん……なかなか聞かせるじゃない」


 先ほどまでとはまるで違う。

 マリーさんの小さな体が、万倍にも大きくなったように見える。


「どうした小娘、雛鳥のように震えおって。さきほどまでの威勢はどこへいった。わらわの剣を前に恐れを成したか? ビビったか? まあ無理もあるまい。東の果ての小さな島国の野卑やひが、おそれ多くも太陽姫に手向かう愚を知ったのであろう」 


「はっ……! 言ってなさい!」


 負けじとわたしは叫んだ。

 拳を握り、両足を強く踏ん張った。


「──わたしは愛から生じた! 最初はただの文章だった! ノートの片隅に書かれたちょっとした一言だった! だけどそこから始まった! 1冊の絵日記になり、それはすぐさま束を成した! 短編になり、掌編になり、やがて止まない大長編となった! イラストが描かれた! いくつものポーズをとった! 様々な衣装を着た! やがてこの形に定まった! セーラー服と赤いマフラー!」


 わたしは語った。


「類まれなる身体能力を誇る! 誰より速く、誰より強い! 得意技は古流武術! 様々な国から伝来し、この地の風土で醸成された、古き理合いの集大成! 血肉削ぎ合う闘争の中より生じた、どこまでもリアルな技術体系!」


 まだ小さかった頃の新の顔を思い浮かべた。

 メガネをかけた、か弱い男の子。

 彼と交わした無数の言葉を反芻した。

 彼の与えてくれたもの──力と技、それをこの身に顕現けんげんさせるために。


「その脚に追いつけぬものはない! その手に掴めぬものはない! 矢玉銃弾やだまじゅうだん、雷すらもとりことできる! すべては新のため! 愛するの人を守るため! 名誉を守るため! わたしは……負けない!」


 ──ドクン。 

 心臓がひときわ大きな鼓動を上げた。


「わたしは……戦う!」


 走馬灯のように、様々なシーンの様々な新の姿が脳裏をよぎった。


 日々絵日記に向かいペンを取る新。

 抜き打ちの荷物検査をくらい、ランドセルの内に絵日記を隠したまま、そわそわとしている新。

 家の者が寝静まったあと、わずかなスタンドの灯りで机に向かう新。


 いつだって、彼はわたしのことを考えてくれていた。

 ただわたしのことを想像してくれていた。

 その健気を思った。


 歩法。

 身のこなし。

 拳の握り方。


 彼が教えてくれたこと、そのすべてを想起した。 


 ──ドクッ、ドクッ、ドクッ……ドクン!


 血が沸く。燃えたぎる。

 身の内から、奔流のように力が湧いてきた。


 眼光に宿った光が輝きを増す。

 すべてを熱し燃やし尽くす、鮮紅色の炎が踊る──

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