マリーさんはもういない。
第7話「物語と司書」
~~~トワコさん~~~
学校帰り、晩御飯の買い物に近所のスーパーを訪れていた。
「にんじんと……じゃがいもはあったっけ……。新の好きな豚バラブロックを入れてカレーにしようかしら……それともシチューかな」
買い物かごを肘にかけ、晩御飯のメニューを考えながら歩いていた。
「最近お疲れみたいだものねえ……。何か精のつくものがいいんだけど……」
なんて。
ふふ……ふふふ……っ。
「作者の体調やメンタル面まで考えられるわたしって、まさに物語の鏡よね。ふふふふふ……」
尽くす女。
銃後の守り。
これぞまさに、ヒロインのあるべき姿。
ほら目を閉じれば、新の感謝の声が聞こえてくる。
──ありがとうトワコさんっ。
──俺の食べたいものがわかるなんてさすがだねっ。
──まさに以伝心。トワコさんの物語を描いて、本当によかったなあっ。
「ああ……わたしもよ、新っ。わたしも新に創ってもらえてよかったわっ」
想像の中の新に、わたしはハグをする。
「公衆の面前で妄想全開とは……たまげたのう……」
ちょっと引いたような声が後ろでした。
「……誰よあなた」
せっかく盛り上がってることろを邪魔されたわたしは、いらっとしながら振り返った。
まず目についたのは、輝かんばかりの金髪だ。
小学校低学年くらいの、西洋人の女の子がそこにいた。
陶器のように白い肌。豪奢な縦巻きロール。きらきら透き通る瑠璃色の瞳。
服装は黒が基調。フリルの多いゴスロリ風。
東北の片田舎のスーパーには、ちょっと似つかわしくない。
にも関わらず、周りは誰も騒いでいない。
彼女へ奇異な目を向けることすらしない。
カートや買い物カゴを持つ買い物客たちは、ギリギリぶつかる寸前のところを行き来している。
まるで彼女だけが別の空間に存在しているかのように。
そんなフレーズを思い出した。
「ふうん、あなた……司書ね?」
「ほう、よくわかったのう」
女の子は腕を組み、ふふんと尊大にうなずいた。
物語を管理する者。
あれやこれやの心得を教え、導く者。
世界図書館の職員。
それが司書だ。
「この地にめんどうな物語がおると聞いてな。数多の司書の中でもとりわけ優秀で多忙なこのわらわが派遣されたというわけよ。いと貴きわらわの名は、マリー・テントワール・ド・リジャン。フランス革命の最中、暴徒に
わたしはとっとと買い物を済ませると、スーパーをあとにした。
「説明どころか名乗りすらも終わっておらんのだぞ⁉ ちょ……こら! こらって! ちょっと立ち止まって、わらわの話を聞け!」
速足で歩くわたしに、小走りでついて来るマリー・テント……えっと……マリーさん。
「いいのよ別に。わたし、あなたの設定になんて興味ないから」
「ちょっとぐらい聞いてくれてもいいではないか! ひ……ひさしぶりの仕事でウキウキしとったのに! 話も聞いてくれんのはあんまりじゃないか!」
「優秀で
わたしが冷たい目で指摘すると。
「あ……いや、それは……じゃなあ……っ」
マリーさんはもごもごと言葉を濁した。
口とは裏腹、問題の多い司書というところか。
その程度の存在を派遣しとけばいいと思われたということか。
いらっとしながらも、わたしは笑顔を取り繕った。
ぱむ、と胸の前で両手を合わせた。
「ねえマリーさん。提案があるの。わたしたちがふたりとも幸せになれる提案」
意識的に声を弾ませた。
ねえ聞いて聞いて? そんな風に。
「提案?」
マリーさんはきょとんと不思議そうに首をかしげた。
「あなたもう、帰っていいわ。わたし、問題のない優等生だから。司書にしてもらうことなんてまったくないから。それじゃ上への報告に困るって言うんなら、適当言ってくれていいから。トワコさんは大人しく静かにやってますって。すべて順調ですって。大丈夫、滞りなく口裏を合わせるから。あなたは町中ぶらぶらしてりゃいいのよ。物語だった頃を思い出してて、ひさかたぶりの自由を満喫してりゃいいのよ。ね? いい話でしょ?」
じゃあねと手を上げて立ち去るわたしの袖を、マリーさんが引いた。
「……問題のない優等生、司書にしてもらうことなんて何もない……か。ふん、最初はみんなそう言うんじゃよ」
どこか小馬鹿にするような笑い方だった。
「自分は上手くやれる。自分は問題ない。一人歩きできる理想的な物語じゃ。そう思うんじゃよ。じゃけどすぐに気づくんじゃ。理想と現実の差にな」
「……何よそれ」
不遜な言い方が気に障る。
「知っておるじゃろう? 物語は、愛されなくては生きていけない」
「……知ってるわよそれくらい。だけど問題ないでしょ? わたしは今まさに愛されてるんだから。幸せの絶頂にあるんだから」
マリーさんはにやりと笑った。
「ほう? 今が頂きか。ではあとは下るだけか?」
「あのねえ、わたしは言葉遊びがしたいわけじゃ……」
「──遊びで言ってるわけではない」
マリーさんは細く引き絞った瞳でわたしを見た。
「作者は歳をとる。そなたが変わらなくても、社会的立場が変わっていく。そなたが若いままなのに、向こうは延々と歳をとり続ける。どうするのじゃ。高校を卒業して、大学を卒業して、社会人になって。さすがに世間がほうっておかないじゃろうよ。いつまでもいつまでも、16歳のままの姿のそなたが傍にいるのをな」
「……ふん」
わたしはそっぽを向いた。
マリーさんの言っていることは事実だ。
物語は、創造された時の外見で固定される。
歳をとることも老いることもない。
生身である作者と比較して、あまりにアンバランスだ。
だけどなんだ。
だからどうした。
「別にわたしは、そんなこと気にしないわ」
「
ずっと独り身の新。
苦労を重ねて白髪になり、腰が曲がり、やがて死に至る新。
「幸せよ。決まってるじゃない。だって新の隣には、いつもわたしがいるんだもの。世界で一番新を愛してるわたしがいるんだもの。他の人なんていらないわ。新には、わたしだけがいればいい」
物語の死蔵には、ふたつのパターンがある。
作者の死亡による未完。
作者の愛の喪失。
前者がいわゆる円満な別れだ。
新が生を全うするまで看取る。
物語の幸せとして、これ以上のものはない。
後者は破局だ。
愛の力によって生み出された物語。
ならば当然、愛を失えば消えるしかない。
──もうやめた。
──打ち切りにしよう。
──おまえなんか嫌いだ。
──創らなきゃよかった。
作者のたった一言で、物語の生は終わる。
否定の言葉が、わたしたちの存在を粉々に打ち砕く。
だからこそ、物語は輝こうとする。
作者を愛しているから。
作者に愛されないと生きていけないから。
お願いだからわたしを書いて、お願いだからわたしを綴って。
それが作者と物語の摂理だ。
「のうトワコさんよ。悪いことは言わぬ。わらわの教えを聞くがよい。数多の死蔵した物語たちの声を聞くがよい」
マリーさんは、司書らしい慈愛に満ちた声で、わたしに語りかける。
「どうすればいいって言うのよ……」
「近づきすぎるな。心を向けすぎるな。そなたの愛は熱く重い。あくまで世間との関わりの中で生きていかなければならない作者を、燃やし押し潰してしまうことじゃろう」
「距離を置けってこと……? わたしに新から離れろっていうの……?」
カチリ、わたしの中の何かのスイッチが入った音がした。
「6年間待ちに待って……ようやく会えたのに……これから幸せな生活が始まるところなのに……」
「あ、いやその……そこまで遠くなくても……」
わずかに動揺したマリーさんの
「……わかるのよ? 上手いこと言ってわたしから新を離して……。奪おうって言うのよね? わたしの新を横取りしようっていうのよね……? 新があんまり魅力的だから……欲しくなったのよね……? この……泥棒猫っ」
ぶつぶつと、呪いの言葉が口から漏れる。
マリーさんの顔色が変わった。
跳び退って両手を振った。
「……ま、待てっ。そこまでは言っておらん。ただわらわはじゃなあ……」
「せっかく会えたのに……っ。新を……わたしの……新をっ。あなたなんかに……っ」
ゴウッと。
炎のように熱いものが、胸の中心で燃え盛った。
──トワコさんは、新堂新を愛している。
──トワコさんは、ふたりの時間を邪魔されるのを嫌う。
──トワコさんは、容赦を知らない。
設定が、パズルのピースのように
ひと塊に集合し、力を持つ。
「あなた……なんかに……っ!」
──そうだ。
わたしは新に愛してもらうのだ。
末永く傍に置いてもらうのだ。
邪魔をする者は、全力で排除しなければならない。
司書?
知ったことか。
大人の事情も、世間体も、世界図書館の干渉も。
「……一切合切を、わたしは跳ね除ける」
余計な修飾を省くように。
無駄な文節を取り除くように。
物語に必要なのは、ただただ、純粋な骨子のみ──。
「……ことごとくを、排除する」
ぎりっと奥歯を噛み締めた。
めきりと音を立て、拳を握った。
目に鮮紅色の輝きが宿った。
「去りなさい。
乱暴な言葉が口をついた。
「……なんじゃと?」
マリーさんの声のトーンが変わった。
「貴様……いまなんと言った? 誰が失敗作じゃと……?」
明らかに低くなった。
「自明の理でしょ。司書は死蔵した物語の中から選ばれる。金髪ゴスロリ幼女なんて、どう考えたって昨今の若者の発想でしょ? ならばあなたの作者が死亡しているとは考えにくい。つまりあなたは、円満な別れを迎えられなかった。一度失敗してるのよ。不本意なピリオドを打たれてるのよ。作者に嫌われた? 飽きられた? せいぜいそんなところでしょうけど」
わたしは口元を歪めて笑った。
「そんなあなたがわたしに何を教えるつもりなの? どう導くつもりなの? 自分の失敗談を反面教師にしろって? 自分みたいには絶対なるなよって? 面白いこと言うじゃない。みじめすぎて笑っちゃうわ。あ、もしかして。もともとあなたの物語がそうだったのかしら? 書籍カードを見せてごらんなさいよ。程度の低い作者に綴られた、その悪質なコメディーの」
悪意が奔流となって口をつく。
「……おい」
わたしの罵倒を受け、マリーさんの雰囲気が変化した。
ゆらぁり……と、オーラのようなものが全身から立ち上った。
「そこまで言うならわかっておるじゃろうな? 人様の物語に踏み込んで、踏みにじって、こき下ろして。その結果、相手がどう思うかもわかっておるのじゃろうな? この世には、決して許されぬことがある。物語の作者を悪しざまに罵る。それだけは絶対に、たとえ天地がさかしまになろうとも、許されることではない──」
「……じゃあどうするって言うの?」
「知れたことよ……」
わたしたちはどちらからともなくうなずき合った。
「
「
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