第6話「トワコさんの未来予想図」
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1年1組の正担任、
身長180後半。190ある俺よりは低いが、厚みは倍近くある。
若い頃は学生プロレスでならしたガチムチのおっさんだ。
顎ヒゲが凄いので、あだ名はヒゲさん。
「いやー、まっさか新堂と組むことになるとはなー」
HRを終え職員室に戻ると、ヒゲさんはしみじみと言った。
ちなみにヒゲさんは、俺が学生の時の担任だった人でもある。
「そりゃお互いさまですよ。まさかヒゲさんと組むことになるとは思わなかった。まだこの学校にいたんで……」
「誰がヒゲさんか! ずっと言ってるだろうが! ミッチーと呼べミッチーと!」
「痛だだだだだ……! やめて! ヘッドロックしないで! 顎をぐりぐりしないで! ふたつに割れるぅ!」
「トラボルタみたいでいいじゃねえか!」
「ミィッヂィィィィィ……ッ」
こんなやりとりが出来るぐらいには気安い、先輩後輩の関係。
じゃあ仕事上で余裕があるかといえば、そんなことはまったくなかった。
なにせ新任教師は多忙だ。
生徒たちの顔や名前を覚えたり、学内学外で教育関係の勉強会や研修に参加したり、毎日の授業の予習をしたりと、することが山積み。
しかもヒゲさんは「体で覚えろ」派の体育会系教師なので、ことあるごとに俺を矢面に立たせてくる。
まごついてるとプロレス技をかけてくる。
「ぬぐうぅぅぅぅっ!」
俺は全力でヒゲさんの肘を押し上げ、後方に首を抜いた。
自力でヘッドロックから抜け出した俺に、ヒゲさんは驚いたような顔を向けた。
「……おおー、成長したなあおまえ」
「ふっふっふ……男子三日会わざれば刮目して見よ、ですよ」
「生意気言いやがって……。まあでも、ちょっとびっくりしたぜ。まるでサブミッションの特訓でも積んだみたいだ」
「はっはっは、何を言ってるんですか、やだなーもう」
乱れたネクタイを直しながら、俺は平静を装った。
毎日毎夜かけられてますから、とは言えない。
「しかし新堂よう」
職員室の椅子にどっかと座ったヒゲさんは、俺に向かってしみじみと言った。
「おまえ……あれ、やばくねえ?」
「えっと……なんのことでしょう」
「とぼけんじゃねよ。目ぇ泳いでんじゃねえか。三条だよ三条。三条永遠子」
「ああー……」
「さすがに鈍感なおまえでも気づいてんだろ? まあ気づかねえわけねえよな。あんな露骨な好き好きアピール」
朝教室に入った瞬間から帰りのHRが終わって教室を出るまで、トワコさんは隙あらば俺に話しかけてくる。
授業中もハイハイと真っ先に手を挙げ、本気で他の生徒に答える隙すら与えない。
休み時間だってその攻勢が緩むことはない。
LIME(ライム)を連打し、常に俺の居場所を探って来る。
おっしゃ時間ありとなれば、誘導ミサイルのようにどこへだって会いにくる。
「年上の男に憧れる生徒ってのは多いし、おまえも優柔不断つーか、女の子にきびしく出来ないタイプだし。そういう意味ではわかるんだが……」
ヒゲさんは、怪談話でもするように声のトーンを落とした。
「オレが怖いのはさ、あの目だよ。本気でずっと、おまえを見てる。教室入った瞬間から出るとこまで、糸でも引くように。あげくおまえがちょっとでも他の女の子に目を向けようもんなら……」
──目だけが笑っていない、本気で寒気のするような笑顔を、その女の子に向ける。
「まあ正直見た目はいいし、素直だし愛想もいい。他の教師への受けも抜群。あの独特な目つきさえなけりゃあって話だが……なんかおまえ、心当たりないのか?」
「ないです」
「……ふーん」
ヒゲさんはじっと俺を見つめた後、緊張をほぐすように肩を竦めた。
「ま、いいか。なんかあったらオレにいいな。金のこと意外なら相談に乗ってやるから」
「ありがとうございます」
俺はぺこりと頭を下げ、職員室を後にした。
帰るわけじゃない。
気分転換したくて、ひとり廊下をさまよい歩いた。
「……わかるかー、わかっちゃうかー。そりゃそうだよなー。あんなに露骨だとなー」
胃を痛めていると、後ろから背中を叩かれた。
振り向くと、笑顔のトワコさんが立っていた。
「ほら新、背を丸めて歩いてないで、しゃきっとなさい」
ニコニコ、ニコニコ。
あなたが大好きですって書いてある、満面の笑顔。
「これだもんなあ……」
「トワコさんは楽しそうでいいねえ……」
うらめしい気持ちでつぶやくと。
「そりゃそうよ。長い間探していた作者に巡り会うことが出来て、一緒に暮らして。なおかつその作者の授業を受けられるんですもの。物語として、これ以上の喜びは他にないわ」
トワコさんは自らを抱きしめるようにしながら、幸せを語った。
「ああうん……まあ、きみが幸せならそれでいいんだけども……。その……」
俺は辺りを見回した。
誰にも見られてないことを確認すると、そっとトワコさんに耳打ちした。
「頼むから、俺との過度なスキンシップは避けてくれないか。ガン見も禁止。普通の生徒と同じように接してくれないか」
「ええー、なんでよー」
ぷうっと頬を膨らますトワコさん。
「ふたりだけにしかわからない会話も厳禁。変に勘繰られたくないからね」
「やだもー」
子供のようにいやいやするトワコさん。
はいはい可愛いですねー。
可愛いですけどもー。
俺はため息をついた。
「新任教師が教え子と……なんて洒落にもならないでしょ。今さっきもヒゲさんに怪しまれてたとこだよ。てことはいずれ、他の生徒にも気づかれるってことだ」
「むうぅ~……」
「はいにらまないにらまなーい。……いや冗談でなくさ、俺らの関係が発覚したら即座に懲戒、最悪解雇だってありうるよ」
「……そんなの、世界図書館が守ってくれるわよ」
「人の口に戸は立てられないだろ? 世界図書館とやらが見逃してくれても、あるいは口止めしてくれても、噂や事実はひとり歩きし続ける。生徒に手を出した教師なんて、誰が信用するもんか。遅かれ早かれ、俺は無職になっちゃうよ」
「……いいじゃない。無職になったって」
「いやダメでしょ。寒空の下、ふたりまとめて路頭に迷うことになるんだぜ?」
「そんなの平気よ」
トワコさんはきっぱりはっきり断言した。
「過酷な社会に打ちのめされてしまった新。その後彼は人目を避け、外へ出るのも恐れるようになり、ついにはハローワーク通いすらしなくなる。わずかな貯金を食いつぶし、アパートを追い出される寸前のところを助けてくれたのがトワコだった──」
胸に手を当て、演技がかった口調で語り始めた。
「なんか始まったぞおい……」
「どんと胸を叩くトワコ──『大丈夫よ新、わたしがなんとかしてあげる』
泣き腫らした目をトワコに向ける新──『トワコさん……でもっ』
震える新の手を、トワコは両手で温かく包み込んだ──『安心して新、わたしが働いてあげる。一生あなたを養ってあげる』
新の頬を涙が伝う──『トワコさん……きみは……きみはこんなダメな俺を養ってくれるのかい?』『そうよ。あなたは家にいればいい、家でわたしの帰りを待っていればいい。だけどこれだけは約束して。わたしが帰る時、いつでもあなたはここにいて。腕を広げて待っていて。疲れたわたしを抱きしめて。耳元で囁いて。あの時みたいに。トワコさん、愛してるよって──』『ああ……トワコさんっ、愛してるよ!』燃えるようなトワコの愛が、新の冷え切った心を融かした瞬間であった。
『新!』『トワコさん!』 ──ふたりは抱き合い、幸せなキスをするのでした」
「はいストーップ」
「あ痛っ」
チョップして小芝居を止めると、トワコさんは涙目になった。
「なんでぶつのよー。いいじゃない、新とわたしの物語よ? ダメな新を世話するわたし、麗しい未来予想図だと思わない?」
「そいつはありがたいお話だけどもね。も少し俺にもマシなとこがあったっていいんじゃない? 何もかもきみに全任せのニートとか、さすがに情けない気分になるんだけど……」
「何言ってるの新。それがいいんじゃない。むしろダメなほうが萌えるじゃない。ダメな新だからこそ、わたしがなんとかしてあげようって気になるんじゃない」
トワコさんはぐぐうっと拳を握って力説する。
「だからね? いいのよ新。もっとわたしを頼っても。全力で体重を預けても。わたしとしてはそのほうが嬉しいんだから。もっともっと、ダメな新でいいんだからね?」
キラキラキラキラ。
輝く瞳には一点の曇りもない。
これから先何が起ころうと、俺がどんなひどい悪さをしようと、間違いなく彼女は俺を愛し続けるだろう。
全身で、全霊で。
俺の設定のせいで。
それを知ってるからこそ逆に、辛いんだよなあ……。
俺はハアとため息ひとつ。
文句を言う気力も失って、肩を落とした。
「新⁉ どうしたのため息なんかついちゃって⁉ あ、わかった! 仕事疲れね! 新任教師っていろいろ大変だものね! オッケーわかった! 今日は腕によりかけて美味しい晩御飯を作るからね⁉ お風呂も入れて、背中も流して、マッサージだってしてあげる! ねえ新! 他に何か、わたしにしてほしいことはない⁉ お酒でも買っとく⁉」
トワコさんのテンションは、どこまでも上がっていく。
「いくらでも言って! どんなわがままだってかなえてあげる! なんたってわたしのすべては、毛先1本に至るまで、すべてあなたのモノなんだから!」
「ちょ……ちょっとトワコさん、声のボリュームが……っ」
他の生徒や先生に聞かれていやしないかと不安になって、俺はあたりをキョロキョロした。
ふたりきりで話し込んでいるところを見られるだけでも誤解を受けるかもしれないのに、話の内容がこれでは……。
「なんでよ。いいじゃない。聞かれたら聞かれたで。新がクビになったらわたしが新を養って……」
「はいストーップ」
「あ痛っ」
どこまでも登り詰めていくトワコさんを止めるたびに、俺は再びチョップした。
彼女は再び涙ぐんでぶうたれて……新しい学園生活の始まりだってのに、俺たちはずっと、そんなことを繰り返していた。
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