旅の終わりと暮らしの始まり。

第2話「トワコさんは容赦を知らない」

 ~~~新堂新しんどうあらた~~~




 ボクシング、空手、柔道、相撲、レスリング、サンボ、テコンドー、シラット、カポエラ、中国拳法……古今東西、世界中に争いごとの種はあり、その分だけ格闘技というものは存在する。

 トワコさんは日本の古流武術を習得していた。

 古流武術──武器術、水泳術、手裏剣術、当て身、逆技、投げ技など、戦場で戦うことに特化した総合武術だ。

 無類の身体能力と、古伝の秘術。

 その強さはグリーンベレーの一個小隊を手玉にとるほどであり、伝説の剣豪、格闘家をも凌駕する──そんな風に設定した。実際の喧嘩は怖いから嫌いだけど、格闘技や戦争映画の好きだった当時の俺は、そりゃあもうウッキウキで設定した。


 当然、チンピラなんて相手にもならない。

 

 油断しきっているトラの懐へ、トワコさんはいきなり踏み込んだ。


「……うおうっ?」


 電光石火だ。

 踏み込んだ足で、そのままトラの足の甲を踏み砕いた。


「あ……ぐうっ?」


 トワコさんは前のめりになったトラの顎へ、体ごとぶつけるような掌底をぶち上げた。


 トラの顔が跳ね上がった。ぶちぶちと首の筋肉をねじ切らんばかりの、物凄い一撃だった。

 普通なら後ろへぶっ飛ぶところだろうが、足を踏まれているのでそれすらもかなわない。

 逃げ場のない衝撃が一気に頸部にかかり、トラは一瞬で意識を断たれた。

 トワコさんが足をどかすと、仰向けに地面に倒れて動かなくなった。

 

「トラ……くっ……てめえ!」


 相棒のやられ方を見て、タツは顔色を変えた。

 両足を肩幅に開き、半身に構えた。前足を少し内へ絞り、両拳を顎の前で構えた。 

 キック……じゃないな。あのスタンスの取り方は、ボクシング経験者だ。


「今の動き……ただ者じゃねえな?」


 タツの三白眼が、鋭く引き絞られた。

 左右へ軽くステップを踏み、慎重にトワコさんの動きを窺っている。


「そうね。さしずめ愛の戦士ってところかしら」


 トワコさんはにこやかに宣言すると、両手をすとんと下ろし、半身に構えた。

 力の抜けた、自然体の構えだ。


「抜かせ!」


 タツが2発3発とリードジャブを打ち込んでいくが、すべて躱した。

 といって、大きく飛び退いたりのけぞったりするのではない。幅にして3センチもない程度の、極短距離での見切りだ。最低限の足捌きと身のこなしだけで、ことごとく攻撃を躱している。

 古流武術でいうところの一寸の見切りだ。トワコさんの動きには、一切の無駄が無い。


「こいつ……?」


 予想以上のトワコさんの実力に驚いたタツは、腕を引くと同時に足元の石を蹴り上げた。

 さすがにケンカ慣れしている。石はまっすぐにトワコさんの顔面に飛んだ。


 成人男性のつま先程度の大きさの、断面が尖った石。

 スピードはさほどでもないが、顔面に当たれば必ずどこかが切れるだろう──だがトワコさんは避けなかった。

 むしろそうなることを予期していたかのように、タツの蹴り足に合わせて飛び込んだ。


「モーションが大きすぎるのよ! バレバレじゃない!」


「ぬおうっ?」


 いきなり懐に飛び込まれたタツは慌てた。

 見当もつけずフックを振り回したが、体勢が崩れているので無駄な足掻きにしかならなかった。

 振り回した腕をトワコさんに掴まれ、逆にピンチを招いた。


「てめえ離しやがれ……!」


 腕力で引き剥がそうと暴れたが、それは果たせなかった。

 トワコさんが一瞬腕を持ち上げるような動作をし、捻りながら手前に引き落とすと、タツの体はぐるんと大きく宙を舞った。 

 ゴッと鈍い音がした。後頭部から地面に落とした。

 タツは一瞬驚愕の表情を浮かべた後、ぐったりと力を失い、失神した。


 普通に考えれば勝負あり。完全決着。

 だが終わらなかった。


 ──トワコさんは容赦を知らない。


 設定が彼女を駆り立てる。バトルマシーンと化した彼女は、満足いくまで攻撃の手を緩めない。


 目を閉じたタツの顔面へ容赦なく足を踏み下ろしかけたところへ、俺はレフェリーみたいに慌てて止めに入った。


「ちょちょちょちょちょ……トワコさん! もうダメだよ! それ以上は死んじゃうよ! 終わり! おしまい! 試合終了! ノーサイド! 相手はもう失神してるから!」


「あらそう……まあ、新が言うなら……」


 トワコさんはタツをちらちら見下ろした。

 おもいきり心残りがありそうな顔をしてる。


「でもこいつら……新を脅したのよ?」


「そりゃそうだけど……」


「わたしの新を脅した。心を傷つけた。万死に値するわ」


 ちょっと過激ではあるけれど、彼女なりのやり方で俺を気づかってくれている。


「トワコさんの気持ちは嬉しいけどさ……って違う。そうじゃない」


 俺は慌ててかぶりを振った。


「君は本当にその……あのトワコさんなのかい?」


「あら新、わたし以外のトワコを知ってるの?」


「や、そうじゃなくてさ……あまりにも突然すぎて理解が追いつかないというか……。実はまだ酔っぱらってて、夢でも見てるんじゃないかって思っちゃって……」 


「ほおー……う? これだけ見てもなお半信半疑だと?」

 

 するとトワコさんは、楽しそうに目を細めた。


「『トワコさんはスキンシップが大好きで、隙あらば肌と肌を密着させてくる』、『トワコさんは新の匂いが大好きで、新がいない時はこっそり枕に顔を埋めている』、『トワコさんは家庭的で、最高の手料理を最高の笑顔であーんさせてくれる』」


「え、ちょ……っ?」


 トワコさんは指折り数えるように、俺しか知らないはずの『設定』を語っていく。

 しかもわざわざ、人には聞かせられないような際どいものばかりを選んで……。


「まだまだ行くわよー? 『トワコさんは手先が器用で……』」


「ちょちょちょ、ちょっと待ってちょっと待って!」


 これ以上続けられては堪らない、俺は慌てて止めた。


「わかった! もうわかったから! 君がトワコさんだって信じるから! だからお願いやめて!」


「えー? もうー? まだまだいくらでも上げられるんだけど……」


「お願い! お願いだから!」


「えーっと、じゃあ最後にとびっきりのを。『トワコさんは新とお風呂に入るのが大好き、しかも体を擦りつけるようにして体を洗ってくれる』」


「そ……そんなことまで書いたの俺!?」


「まあそれは嘘だけど」


「嘘かよおおおー!」


 頭を抱えて絶叫する俺を見て、トワコさんは弾けるように笑った。


「あっはははは……おかしいね」


 笑って、笑って──そしてふっと、優しい顔になった。


「大丈夫よ新。これからゆっくり説明してあげるから。わたしがわたしであることを。ね、どうせ時間はたっぷりあるんだから」

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