黒歴史な彼女から逃げられると思った? ──残念、死んでも離してくれません。

呑竜

プロローグ

第1話「プロローグ」

 ~~~新堂しんどうあらた~~~


 子供の頃、自分だけのヒーローやヒロインを想像した経験はないだろうか。

 喧嘩の弱い自分の代わりにいじめっ子をなぎ倒してくれる。

 異性にモテない自分のことを、全力で愛してくれる。

 ちょっと恥ずかしくて、とても人には言えないような心の相棒を創り出したことはないだろうか。


 俺にはある。


 文章を書いた。

 イラストを描いた。

 最初はノートや教科書の端っこにちょこちょこと。

 やがて絵日記を束で買ってがっつりと。

 小学校中学年から始め、高校3年まで続けた。

 それは100冊にもなった。

 1冊40日だから、実に4000日。

 1日で2ページ以上書くこともあったから厳密な数字ではないけれど、とにかく膨大な数だ。


 俺が創ったのは女の子だ。6つ年上の16歳。

 近所の高校に通う彼女の名前は三条さんじょう永遠子とわこ。呼び名はトワコさん。

 クラシカルなセーラー服とクラシカルな学生鞄、首もとの赤いマフラーがトレードマーク。

 足が長く腰が高いモデル体型で、肌は白くなめらかで、黒髪ロングがつややかで。

 とにかくとびきりの美少女だ。

 全校生徒の憧れのまとだが、話しかけづらい雰囲気らしく、学校では孤立している。

 だけど実際の彼女はちょっとした孤独にも耐えられないほど寂しがり屋で、車に轢かれた動物を見たら抱きしめて泣いてしまうくらい心根が優しい。

 クールな雰囲気は、彼女の不器用さの表れにすぎない。

 3サイズに服装、インナーの好み。体力測定の数値。

 本人も気づいていない小さな癖。

 あたりまえだけど、彼女のことならなんでも知ってた。


 やめたのは、俺が高校を卒業する年に家が火事にあったからだ。

 100冊の絵日記はすべて焼け、書く気力とともに消え失せた。


 トワコさんが修学旅行を終え、町に帰って来る。

 その話が最後だったはずだが、もう覚えていない。

 彼女との物語は、重ねた年月の向こう側に消えてしまった。


 こうして思い出すこと自体、実に実に久しぶりのことなのだ。

 

 どうして思い出したのかって?

 それはこういった理由からだ……。 




「おうおうおう、痛えじゃねえか、兄ちゃんよう!」

「おーだよ。タツの野郎が骨ぇ折っちまったじゃねえかっ。慰謝料よこしな慰謝料!」

 

 リーゼントに革ジャンがタツ。

 スキンヘッドにアルマーニがトラ。


 同窓会の帰りだった。

 したたかに酒に酔い、千鳥足で歩いていたところをチンピラふたりに絡まれた。

 軽く肩を掠めただけのはずなのに大げさに騒ぎ立てられ、気づいた時には路地裏に連れ込まれていた。

 嬉しくない壁ドンをされ、仁王様みたいな顔ですごまれて──俺は生まれて初めて、走馬灯というものを見た。


 懐かしい記憶が脳裏に蘇る──


 イノセントな小学生時代。

 中二病を患わせた中学時代。

 浮かれ騒いだ高校時代。

 灰色の浪人時代。

 大学入学、卒業、就職。

 故郷の母校に新任教師として配属されることの決まった今年3月──つまり今に至るまで。

 鮮明なものもあったし、そうでないものもあった。とにかくたくさんの、暴力的なほどに無数の、奔流のような記憶たち──その中に、仄かに光を放つものがある。


 それは彼女にまつわる物語だ。

 日々積み重なるガキの妄想によって形作られた、無敵のヒロイン。


 ──トワコさんは、ピンチに必ず駆けつける。


 そんなフレーズを思い出した。

 ピンチの時に助けを呼べば、彼女はどこにいたって駆けつけてくれる。

 ダンプカーに轢かれそうになっていれば抱えて跳んでくれるし、悪漢に殺されそうな時は古流武術で蹴散らしてくれる。寂しくしてたら抱き締めてくれる。


「……ははっ」


 あまりにもくだらなすぎて、思わず笑ってしまった。

 だけど他にやりようがなかった。

 高身長以外に取り柄のない俺には、度胸も腕っぷしも何もない俺には、他にすがれるものがなかった。


 だから俺はつぶやいたんだ。詮ないことだと知りながら。


「トワコさーん。たぁすけてー……」


 なんて。

 魔法の言葉をつぶやいたんだ。


「……何言ってんだ兄ちゃん?」

「……怖くて気が触れたか?」


 タツとトラが訝しげに顔を見合わせる中──


 ──突如として、それは起こった。


 何かが空から降って来た。

 至近距離に隕石でも落ちたかのような衝撃があった。

 耳をつんざくような爆音が轟いた。


 震動が足を震わせた。

 前髪を浮き上がらせた。

 小石や砂礫を吹き飛ばした。

 居酒屋の室外機をビリビリ震わせた。


「な、な、な、なんじゃーこりゃー?」

「い、隕石か? 落ちて来たんか?」


 タツとトラは、抱き合うように互いを庇い合っている。


 バチバチと空気が帯電している。

 金気かなけくさい臭いが鼻をつく。


 地面が丸く陥没し、小さなクレーターが出来ていた。

 未来から訪れたサイボーグのように、クレーターの中心に女の子が膝をついていた。

 衝撃の余波で路地裏に風が渦巻く。

 クラシカルなセーラー服が、つややかな黒髪が、赤いマフラーが激しくたなびいた。 


「ト……」


 女の子はゆっくりと身を起こした。セーラー服の乱れを整え、髪の毛を手で梳き、マフラーを巻き直した。


「…………………トワコさん?」


 女の子──トワコさんは切れ長の目で俺を見ると、口元をわずかに緩めた。


「女……か?」

「……宇宙人の間違いじゃないのか?」


 タツとトラが、揃って眉をひそめる。


「………………っ」


 紛れもない。トワコさんだ。

 何千回となく描いた、トワコさんその人だ。

 どうしてかはわからないけど、どういった原理でかはわからないけど、いまたしかに、彼女はここにいる。

 紙面から現実へ、過去から現在へ──膨大な距離を踏破して、俺の手の届く距離に現れた。


「………………やっと、見つけたわ」


 トワコさんはふるりと口もとを震わせた。目を細め、目元をほんのり赤く染めた。

 美しかった。天使か女神か妖精か、そういった、人間とは別種の生き物のように美しかった。


 羽根でも生えてるような軽い足取りで、彼女は俺に向かって走ってきた。

 タツとトラが、思わずといった感じで脇へどけた。


「──新!」


 全身で、全体重を乗せて、彼女は俺に抱き付いてきた。

 体重の総量でいったらさほど重くはない。スレンダーなモデル体型。俺の設定通りなら165センチ45キロ。

 だけど重く感じた。みっちりずっしり重かった。

 俺が彼女のことを書き綴った日々の重さ。今ここにいる事実の重さ。


 うなじから花の香りが立ち上る。

 ──トワコさんはいい匂いがする。 


 赤いマフラーの繊維が頬を刺す。

 ──トワコさんは俺のプレゼントであるマフラーを、365日手放さない。 


 頬を頬にぐりぐり擦りつけるようにしてきた。

 ──トワコさんはスキンシップが大好きだ。


「どうしてこんな……夢じゃないよな? 俺、けっこう呑んでるから……酔っ払ってんのかな?」


 とにかく距離を置こうと思って、トワコさんの肩を手で押しやった。


「……バカッ。夢じゃない……夢なんかなもんですかっ」


 トワコさんは潤んだ瞳で俺を見上げた。


「ずっと探してたのよ? あなた、いきなり行方をくらまして……」


 ぎゅっと、とがめるように強く、俺の二の腕を掴んだ。


「ああ……そうか……」 


 絵日記が焼けて以来だから、彼女とはもう、6年ぶりになるのだ。


「どこへ行ったかわからなくなって……すごく心配……したのに……」


 ぼろぼろと、トワコさんの目から涙が零れた。

 あとからあとからとめどなく、白い頬を伝って落ちた。


 ──トワコさんは涙を拭かない。


「トワコさん……」


 俺はハンカチを取り出してトワコさんの頬を拭った。


「兄ちゃんよう……ちょっとこっち、放置しすぎじゃねえか?」


 戸惑う俺に、横合いから声がかけられた。


「おーだよ。オレらのこと無視すんじゃねえよ。さっきから声かけてんのに、ふたりの世界に入りびたりやがって」

「女子高生泣かせちゃってよう。抱きしめちゃってよう。い~いご身分じゃねえか。派手な登場の仕方にはびっくりしたがな。よっく見りゃただの人間じゃねえか。さっきのはなんだありゃ、電気事故か何かか?」

「まあどっちでもいいやな。それよりなかなかハクいスケじゃねえか。せっかくだからオレたちにもおこぼれにあずからしてくれよ。そしたら少しは慰謝料まけてやるからよ」


「な……っ」


 反射的に、トワコさんを後ろに庇うと、タツとトラは「へえ」と意外そうに眉を上げた。


 自分でも驚いた。

 ひとりきりの時は竦んでるだけだったのに、なぜだか今は、すんなり盾になれた。


「……大丈夫よ、新」


 泣き止んだトワコさんが俺の腕を引いた。

 優美な孤を描く眉を、きりりと凛々しく跳ね上げた。


「あなたに仇なす者はわたしの敵。全部、すべて、綺麗に片付けてあげるから」


 少し背伸びして、口づけするように耳元で囁いてきた。


「……でもありがと、庇ってくれて……。──新、大好きよ? これからずっと、一生・ ・一緒にいてあげるからね?」


「……っ!」


 ぞくりと鳥肌が立った。

 それは嬉しさじゃなかった。晴れがましさでもなかった。

 呪いの装備を身につけた時のような、何か得体の知れない恐ろしさだった。


「あれ……? 痛い……」


 彼女に掴まれた二の腕が、ひりひりと指の形に痛んでいる。


 ──トワコさんは、新堂新を愛している。

 そうだ──これもまた、愛の形なのだ……。


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