24章の1
国道6号線の富岡町の標識に寄ってから竜田駅までは3キロぐらい、あと30〜40分ぐらいでこの旅が終わりを迎えることになる。残りの水分は、朝に駅前のコンビニで買って温まった500mlのミネラルウォーターと東京で買った経口補水液とハイドレーションに入っている残量不明のミネラルウォーターだけだった。それでもゴールが見えると現金なもので、残量を気にすることなくハイドレーションの吸い口を思いっきり吸い込んだ。昨晩ホテルの冷凍庫で凍らせていたからかまだ冷たさが少しだけ残るミネラルウォーターの喉越しは思いのほか心地よく、あっという間にハイドレーションの残量は無くなったけど残りの水分は十分すぎるぐらいにあるし、逆にバックパックの重さを感じ始めている正平は、もう少し水分を体に移すために経口補水液を取り出してみた。人生の中で、まだ飲んだことがないものを飲んでみよう、そんな気持ちの余裕も生まれていた。人生で初めて飲む経口補水液は、バックパックの中で完全に体温と同じぐらいになっていたから、手に持った瞬間から美味しくはなかった。それは、口に入れた瞬間も同じだった。甘みのないスポーツドリンク、それも体温と同じぐらいに温められた水分は、舌先から扁桃腺あたりまでの口の中全体で不味いと感じたけど、貴重な水分だから吐き出すのはもったいないということで、体が拒絶反応を起こさないようにと慎重に喉の奥へと送り込んだ。そして、その液体が喉ボトケを通過した瞬間、食道から胃に液体が落ちる感覚がないままに体内に吸収され、その体内の細胞集団が美味しいからもっと飲みたいと言っているような、そんな自分では全く予期することができなかった感覚に襲われて、正平は驚いた。もしかしたら、相当に危ない状態だったのかも知れないとも思ったけど、それを考えると変な汗で無駄に水分を失いそうでもったいないのから、その考えを頭の中から捨てて思いっきり経口補水液で水分補給をしながら歩くことにした。
国道6号線の富岡町の標識にも行く手を阻むものはなに一つとしてなかったけど、たった1枚の行政文書が正平の行く手を遮っていた。行こうと思えば行けなくなはないけど、そこは我慢して引き返すしか今はできなかった。気温の上昇が遅かったからか思いのほか早く到着してしまったので、次の次の竜田駅発の列車でも間に合うように「いわき号」を予約していた正平は時間が余り過ぎてしまったので、近くのコンビニでいろいろと食料を買い入れて、さっき見かけた小さい神社で一休みすることにした。
ここから先は進むことができない、だから先のことを考える必要が今はない。この旅で初めて包まれた気がするゆったりまったりとした時間の中で、正平はこの旅の疲労感を味わっていた。先ほどまではなにも感じなかったけど、ここまで来たという達成感とここから先には進めないという絶望感がぷくーっと風船のように膨らんでいった。やがて達成感と絶望感の風船の中に、思い出が注ぎ込まれていった。日本橋の装飾、葛西臨海公園の大観覧車、ディズニーランドのホテル、木更津のゆうちゃん、富津岬の富士山、鋸山の大仏、内房の狭いトンネル、美味しすぎたふのりラーメンとハマグリチャーハン、九十九里浜を歩いていた馬、銚子電鉄とぬれせんべい、神之池の出初式、厳粛で荘厳な鹿島神宮、歩道がなくなる大洗のバイパス、桃の花がきれいな偕楽園、平磯海岸のくじらの大ちゃん、北茨城のゆうちゃん、見せてくれなかった六角堂、小名浜のアクアマリンやマリンタワー、一人一人が輝いていたいわきおどり、水をくれた復興戦士おばあちゃん、サッカーのできないJビレッジ、一枚の行政文書の重さを感じる富岡町の標識、さまざまな思い出が一気に注ぎ込まれて風船がその重さをどんどんと増していった。重さを増し続けていく思い出の風船に、正平のこころは圧迫されて息がつまりそうだった。この状況から抜け出すためには富岡町の標識を越えてしまえばいいだけだけど、今は出来ないことでもあった。息苦しいまでに混沌とした逃げ場のない正平の目の前にある砂浜を、楽しそうに測量しながら伊能忠敬さんが歩いていった。行けそうだけど行かないという悶々としてやり場のない正平の背後にある山の中を、悩みながらも楽しそうに俳句を謳いながら松尾芭蕉さんが歩いていった。自分が歩いて来た道は、今は先に進めないという人間が作り出した未来への罪の重さを、なにも知らないで恵みを享受し続けてきた正平はその罪をここで受け止めることしかできなかった。やり場のないその息苦しさに耐えながら、正平は少し泣いていたのかもしれない。自分では、はっきりとはわからなかった。
突然、フワッと額に温もりを感じた。その温もりはゆったりと額を下りてきてまぶたを明るく照らした。まぶたを照らした温もりは、一気に脳内の血液を温めてくれた。その温められた血液が頭から心臓の方にスーッと落ちていった感じがしたとたんに、ドクンという大きな鼓動が鳴り響いて全身に温かさが駆け巡っていった。その直後に、身体の前面に優しい温もりを感じた。とても気持ちよかった……本当に気持ちのいい温もりだった。なんだろう……水平線から人影が登って来た。体の中心からまぶしく暖かい光を放っている。それは正平に温もりをくれて息苦しさから解放してくれた光だと思う。その光でこのあたり一帯を照らしている。もしかしたら、あれが薬師如来さまだろうか? 薬壺から希望の光を放っているのだろうか? その温かく優しい光の心地よさに、正平はいつまでも包まれていたかった。
しかし心地よい時間は、そう長くは続かなかった。周囲には木々があるのだろうか? そこら中から鳥の鳴き声が聞こえた。朝? そう正平が思うのと同時に、あたり一面から鳥がいっせいに飛び立ち、木々の葉についた朝つゆをスコールのように正平の体に落としていった。幻想の世界から現実の世界へと引き戻されながら、朝になったことや一晩をここで過ごしていたことを認識した正平は、ゆっくりと目を開けた。とんでもない格好で寝ていた。そりゃあ息苦しい夢を見るのも仕方がないと思いつつ、自分の体の状態や荷物の状況を確認した。スマホのバッテリーも予備のバッテリーがあれば十分な量だった。帰りの時間を調べようとしたけど、それはやめることにした。今日はゆっくりと帰ろうと、そう決めて昨日買い出しにいったコンビニで朝食を摂った。昨日と同じように、陸前浜街道の朝は早かった。これから復興工事に向かうのだろうか? 作業服姿の人や、立入禁止区域だけ常磐道を使うのだろうか? 駐車場には大きめのトラックが目立ち、正平の姿は浮いていた。空腹を満たしながら、昨日の予約だった「いわき号」の料金は返ってこないだろうけど、薬師如来さまに抱かれたような時間の心地よさはお金では買えないものでなんともいえない満ち足りた気持ちがあったことを思い出しながら、竜田駅に向かった。
道中では、意外なほどにパトカーを見かけた。あまりにも浮いていた正平の姿を誰かが通報したのだろうかとも思ったけど、おそらく夜間は誰も居なくなってしまう町の防犯のためというのが本当の理由だろう。他県警のパトカーも走っているあたりにこの町の今の現実の一つを見せつけられた気がして、自分になにができたのか? これからなにができるのか? 答えが何一つとして見つけられないままに旅が終わることの情けなさを、郷愁で包み込んで誤魔化しながら竜田駅に着いた。
2016年8月10日、常磐線は竜田駅が終着駅だった。駅舎側のホームは一本の線路を向こうの島式のホームは二本の線路を備えていて、屋根付きの跨線橋が掛かっていたけど今は使用禁止になっていて、代わりに二本の段差のない懸け橋で二つのホームを結んでいた。正平が育ったところは23区でも田舎的の雰囲気があり、最寄駅から3両編成の列車に乗ると国鉄に乗り換えることができる駅は行き止まりになっている終着駅しかなかった。その終着駅の雰囲気がある竜田駅の行き止まり感を妙に懐かしく感じながら列車を待っていた。幼い頃の習性は大人になっても忘れないものらしく、列車の到着のアナウンスが聞こえると他の人に倣って島式のホームに行き、そして行き止まりになっているホームに入線してくるものだと思い込んで正平は列車を待っていた。すると背後に勢いよく列車が滑り込んできた。驚いて振り返った列車が入線した一番奥にある線路は、まだまだ北へと延びていた。それは竜田駅で唯一なんの邪魔もなく北へと進める線路だった。それなのにここで折り返さなければならない常磐線が今の自分と似ている気がして親近感が湧いてきたころ、発車のベルが鳴りコッという静かな衝撃とともに列車が動き出した。その瞬間に、正平はこの旅の答えを見た気がした。まだ旅は終わっていない。終わっていない旅に答えなどあるはずもなく、答えが見つからないのはあたりまえのことなのかもしれない。それが答えだった。わかってみれば簡単すぎる答えに笑いをこらえながら、次に来る時はあの跨線橋を渡るのだろうか? それとも駅舎に横づけになるのだろうか? 今は行き止まりだけど、富岡町の標識や竜田駅は過去と現在と未来の交差点でもある気がする。いつか、必ずこの交差点をあたりまえのように通り過ぎる日が来る。振り返っても見えない竜田駅に再び来る日は、それを遮る出来事が出来事なだけに今日明日というわけにはいかないのだろうけど、今を必死に戦っている人が多いことをこの旅で見てきた正平には、そんなに遠い日でもないような気がしながら、そしてあたらしい宿題も抱えながら常磐線に揺られていた。
東日本大震災を忘れないようにすることを目的とした旅。それは旅の続きをただ待つだけでは、中途半端なままになってしまう気がする。これから、なにができるのか? なにをするべきなのか? 大きな宿題を与えられた気がしながら時折見える海を車窓から見ていたら、昨日、海に行けるかと思って渡ったけど、あまりにも道の状況が不透明なので引き返してきた踏切がフッと車窓を通り過ぎていった。この旅を通して、過去の数多の災害で誰かが被災地を歩いていたことは体で感じていたことではないか……その結果をあらゆる手段で未来へと伝えようとしていたこともいたるところに刻まれていたのではないか……それを今に生かしながら未来へと伝えていこうとしている人たちも見てきたのではないか……もしかしたら、自分が誰かに経験を伝えようとすることによって、誰かが新しいなにかが生み出す可能性も0ではないのかもしれない……そう感じたときに、やらない理由は探さないことにしたのだからやれるだけのことはやってみようと決めたとき、正平は宿題の答えを見つけた気がした。どんな方法で誰に伝えるのか? そこには考えるべきこともたくさんあるけど、ただ歩くのとは別の大変さがありそうな旅の準備を漠然と考えながら「いわき号」に乗った。やがて東京駅に着いた正平は、新しい旅へ向かう挨拶をするためだろうか、真っ先に日本橋へと向かっていた。
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