第29話 こうして俺たちの関係は終わりを迎えた

 パトロールは衛兵の一番基本の仕事だ。日中、夜間と決められた当番の人が街を巡回する。そしてなにか不審なことがないか、見回るのだ。


 でもこういってはなんだが、実際は散歩しているようなものだ。そもそも『衛兵産出工場』と揶揄されるほどに衛兵が多いカーテディアの中で夜間はともかく、白昼堂々と犯罪を犯すものもいるはずがない。まあそれこそが白昼でもパトロールをしている成果なのだが。


 だからこそ形式上のものに成り下がったパトロールは、当番の人がいないときは暇な奴がやることが多い。とはいえ今までは、仮にもこの街の先鋭部隊の悪鬼隊をそんなことに使うのに誰もが遠慮していたのかそんなにオファーは多くなかったのだが、今回ジルさんが余計なことをしてくれたおかげで俺たちに白羽の矢が立った。

 だがそのおかげで例のこともなんとかなりそうであるのも事実なので、彼に向ける感情が全て負の感情であるとは言い難かった。



 さて、そのパトロール中の俺たちだが、カーテディアの中心部にいた。

 パトロール自体は問題ない。

 雲ひとつない澄み切った空のもと、いつもと変わらない平和な日常が綴られている。犯罪なんて起こりそうもないくらいにほのぼのとした、平和な今日のカーテディアだった。

 何か問題があるとすれば、どうにも気まずい空気を消せずにいる俺とメアだろう。二人でパトロールをしたことは幾度かはある。ほぼ散歩してるだけなので、そのときはある程度会話が弾んでいたのを覚えているが、今はその真逆だった。

 あくまでいつも通りを演じないといけない俺がメアに話を振り、それを彼女がたどたどしく返す。途切れ途切れになる会話の隙間を愛想笑いで埋めていく。その繰り返し。


「あの……ユルト先輩」

「なんだ?」

「あ、と……その……いえ、なんでもないっス」

「……そうか」


 メアの方でも色々と迷っているのだろう。パトロールを始めてから幾度となく繰り返すこのやり取りに彼女自身も苛立っているのか、苦虫を噛み潰したような顔になる。

 本来ならその質問をされたら困る俺ですら、いい加減焦れったくなるくらいだ。


 とはいえ、もうそろそろ彼女の中で心が決まってもおかしくはないのもまた事実だった。


(さて、もうそろそろ動くか)


「もうそろそろ他のところもいくか」

「え?」

「こんな人の多いところでなにも起こらないだろう。すこし中心部から外れた、人の少ないところに行くぞってことだ」

「え、と。別に、いいんじゃないっスかね。そっちに行かなくても……」


 メアは下手くそな愛想笑いを浮かべて、俺の提案を否定した。その言葉にいつもの鋭さはない。そんな力のない言葉じゃ断りきれないなんて、メア自身わかっているだろうに。

 迷いと警戒が入り混じった目で俺を見つめるメアはあまりにも弱々しい。人の少ない方へと体を向けている俺に対し、彼女は逆方向に向けていた。その姿勢からも、俺から逃げ出したいという感情がありありと伝わってくるようだった。


「こんなのでも一応形式上はパトロールだ。手を抜いて何かがあったらどうするんだ?」

「ですが……人が少ない場所だとできる犯罪もほとんどないっスよ? 襲おうにもその人がいないっスし……」

「人が少ないからできることもある。空き巣とかな」


 頑なに彼女は俺を否定する。もしかしたら連続殺人犯であるやつと人気のないところに行きたくないなんて思うのも、まあ分からなくはない。だが嫌だとキッパリ断れないのは、俺への恐怖もあるが、俺のいっていることがあながち間違っていないことと、メアの取ろうとしている行動が衛兵として間違っているからだ。


 だがその恐怖心から彼女は断り続けてしまう。


(ああもうめんどくさい)


 あたりの人々がチラチラとこちらを疑うような視線を向けているのに気づいた。ガヤガヤと賑やかなはずの中心部で、俺たちの周りだけポカリと音が少なくなったような、そんな感じ。俺とメアの口調の違いのせいかメアに同情の眼差しを向けているの人が大半だ。


 これじゃいつまでたっても解決しない。


「いいから、黙って、ついて来い」

「っ!」


 単語で区切ってメアに言い聞かせるように俺はいう。だがメアにしか気づけないような、修羅場を幾度となくくぐってきた彼女でないと気づけないような微弱な、しかしはっきりとした殺気を含ませて。

 効果は抜群だった。迷い、逃げ、恐怖、嫌悪感など、いろんな感情が渦巻いていた彼女の顔が、恐怖という単純明快な色に染まった。


「わかったな?」

「……はいっス」


 ならよしと頷いて俺は歩き出す。メアが後ろからついてくるのが雰囲気でわかった。解決したのかと、興味を失ったようにまた動き出す群衆の流れからはずれ、さらに静かな場所へと向かった。

 これならうまく行きそうだとほのかな安心感で胸を温めながら、振り返って彼女を見ることなく進んでいく。



 ふと、そこで疑問に思った。

 メアはここまで弱かっただろうか、と。

 俺と彼女にそこまでの経験の差はともかく、実力的には殺気だけで黙らせることができるほどの溝はないはずだ。いや、もちろん負けるつもりはないが。

 それに今は悪鬼隊の俺なのだ。悪の仮面を被った俺ならともかく、今の俺はメアは一応仲間だからすこしくらいは無意識に罪悪感で弱くなるはず。だというのに、彼女の行動を制御できている。


 何かが変わったとすればメアの方か、俺の方か。


(いや……今はいい。目の前のことを済ませよう)


 疑問を無理やり意識の底に沈め、俺は歩き続けた。




 コツコツと二つの足音だけがこの場に響いていた。中心部のような多くの人の暖かな空気はそこにはなく、閑散とした路地裏の無機質でひんやりと雰囲気だけが流れていた。

 誰かがポイ捨てでもしたのか、細い道に転がるゴミを跨ぎながらどんどん先に進んでいく。

 ここらは家が多く集まる住宅街。その迷路のように入り組んだ路地裏を俺たちはどんどん進んでいた。

 人がいるわけもないこんな場所を歩いている時点でさっき俺が根拠としてあげたパトロールなんて、もはや意味をなしていない。パトロールの意味はないから帰りましょうなんて言われたら何の反論もできなくなるが、幸いというべきかメアは俺の後ろを黙ってただひたすらについてくるだけだった。街の中心部からずっと俺の後ろを歩いているので表情は分からない。その間一言も喋ることはなかった。

 あまりにもそれが不気味で、すこしやりすぎたかとちょっとした不安が頭をよぎる。


(といってもやることは変わらないんだがな……)


 もうここまできたら引き返せないのだ。



「なあ、メア」


 俺は今まで動き続けてきた足を止めた。それに続くように背後でなっていた足音も消える。「何っスか」と、いつも以上に感情のこもっていない声が飛んできた。


「朝、ジルさんから話があっただろ。また例の殺人があったって」

「……ええ、ありましたね」


 投げやりにも聞こえるそんな当て障りのない返事に、俺は違和感を感じた。まさかの俺がその話をし始めたというのに、すこしの動揺もないのだ。少しくらいうろたえても不思議ではないが、そんなは様子全くなかった。

まあいいかと、違和感を意識の底に沈めてしまう。


「で、だ」


 ゆっくりと回れ右をして振り返った。中心部から連れ出してから初めてメアの顔を正面からしっかりと見る。


(……ああなるほど。そうなっていたのか)


 彼女を見て、全て分かった。メアに関して抱いていた違和感に、すんなりと納得がいった。

 そこにあるのはいつも以上の鉄仮面。だが、その双眸に光は宿っていない。俺の方を向いていながら、俺のことは見ていなかった。意識をここ現実世界じゃない別のどこかに飛ばしてしまっているような、そんな感覚を覚える顔色だ。

 きっと何も考えずについてきていたのだろう。彼女の中でいろんな感情が暴れまわって、ついに思考を放棄したのかもしれない。それが彼女にとって、この非情な現実からの防衛手段だったのかもしれない。


「メアは、どんなやつが犯人だと思う?」

「ッ!」


 だがそんな逃げるなんて許さない。俺はメアが逃げ続けていた疑問をぶつけ、意識をこちらに引きずり戻した。

 思惑通り鉄仮面はこわれ、そこにいるのはただの悲痛な少女だ。


「な、なにを……」


 今日はメアの表情がよく変わる珍しい日だ。光の戻ったメアの瞳に映るのは、明らかな戸惑い。それも当たり前だ。その事件の犯人である俺が、事件の犯人が誰なのか尋ねてきたのだから。


「ん? 聞こえなかったか。あの殺人の犯人はどんなやつだとーーいや、誰だと思う?」


 俺はさりげなく腰に手を当てた。その近くにあるのは腰につけてある剣の柄。それを見てメアはわかりやすく顔を歪ませた。

 どうやら、メアも気づいたようだ。


 そう、これは脅しだ。『お前は知っているのか? もしそうなら殺す』という脅迫だ。俺自身もここで「ユルト先輩っスよね?」なんて言われたら、躊躇わずに斬りかかるつもりだった。というよりも、それ以外に選択肢はないのだ。

 メアは察しの悪いやつじゃない。むしろ鋭いとさえ言える。この脅迫の意味がわからないなんてことはありえないのだ。


「せ、先輩は、どう思うっスか?」

「いや俺のことはいいんだ。お前の正直な意見を聞きたいんだよ」


 『正直な』を強調して、念押しをするように俺はそういった。

 逃げるなんてさせるわけがない。俺からしてみても、もう余裕はないんだ。メアを見逃すか殺すか、今ここで決めるつもりでいる。


 メアの中では激しい葛藤が起こっているに違いなかった。目線は落ち着きなく、口も何かを言おうと開いたり、そのまま閉じたりを繰り返し、とにかく忙しない。こころなしか彼女の息づかいもどんどん荒くなっている気がした。


「わ、私は……」

「私は?」


 ついにメアの口から言葉が漏れる。はぁはぁと何かと戦っているような荒い息づかいで、何かに耐えるようにギュッと目と口を閉じた。そしてすぐに目を開けて、弱々しく震える口で彼女の答えを紡ぐ。


「わかんない……っスね。皆目見当もつかないっス……」


 彼女にしては珍しい、しかしそれでいていろんな感情で歪みに歪んでしまっている笑顔で、彼女はそういった。

 これが、彼女が犯罪を黙殺するといった瞬間だった。


「……そうか」


 彼女はわからないといった。要するに、「誰にも言わない。私は何も見ていないし、知らない」と、そう答えたのだ。


 思わず息が漏れる。隠そうとしても隠しきれない安堵が口から漏れ出した。

 俺だって別に殺したいわけじゃない。誰が好き好んで可愛い後輩を殺したがるのだろうか。悪鬼隊の俺は、そこまで道を外しているつもりはない。


「ならいいが、気をつけろよ。まだ犯人の顔すらわかってないんだ。知ってるやつがいたら殺しに来てもおかしくはない。だからもし仮に犯人が誰か知ってしまって、犯人側もそれを知っているのだとしたらーー」


 ーー存分に、殺されないように気をつけろ。


 俺は地から這い上がるような声でそういった。

 一応確認は取れたとしても、見逃すとはっきり言ったわけじゃない。少しの不安はある。だからこういう形で脅すことになった。

 メアは、はいと、燃え尽きたような、それこそ意気消沈した声で返した。


 俺は行くぞとメアに視線を向け歩き出す。足音が背後で響き、ついて来ているのがわかった。

 俺たちは再び迷いそうな裏路地を歩き出した。


 はぁ……と思わず溜息が漏れる。大きな仕事を終えた後のような疲労感がどっと背中にのしかかった。


 もう俺とメアは以前の普通の先輩後輩の関係には決して戻れないだろう。衛兵と犯罪者。そんな歪な関係から必死に目をそらしながら生きていくしかないのだ。


 だが後悔しているかといわれれば、答えはノーだ。後悔も不満も存在しない。するわけがない。


 だって俺はーー


 ーーアイラさえ守れれば、それで十分なのだから。

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