第28話 俺はもう迷わない

 一度起こったことは変えられない。子供でも知っていることだ。いくら祈ろうが、いくら後悔しようが、昨日起こったことをなかったことにはできない。だから俺の中で後悔はもう朝になることには消えていた。いや、消さずにはいられなかった。俺の頭にあるのは、これをどう解決するかということのみ。

 といってもほとんど策は出ているのだ。ただ俺がそれをする勇気がないだけで。


 今のところでている策は二つだ。


 一つ目はメアを殺すこと。手っ取り早い方法ではあるが、リスクも高い。昨夜と違って今は日中だ。目撃される可能性も高くなるし、状況証拠から俺がやったとバレるかもしれないからだ。


 二つ目はメアを脅すこと。一つ目と比べると、まだ平和的かなと思う。だがこれは一つ目よりさらに大きなリスクが伴う。黙らせることができるほどメアに恐怖を抱かせることができるのか、微妙なところなのだ。それにこのことを知られた時点で俺は終わりで、俺のいないところでバラしてしまえばメアは勝ちなのだ。そう考えると、とても最適な案とは言えなかった。


 リスクから見ても、効率から見ても前者の方がいいんだとは思う。だがどうしてもできる気がしないのだ。できるなら昨夜の時点でもうやっている。


 アイラとメア、どちらが大事かと言われれば考える必要もなくアイラなんだが、他の奴らでは全く痛まなかった良心が、彼女にはこれでもかと俺を止めにかかる。

 つくづくどっちつかずの人間だと、自己嫌悪した。


「お兄ちゃんどうしたの? 手、止まってるよ?」

「……ああ。いや、なんでもない」


 アイラの声が思考の湖の中に沈んでいた俺の意識を引っ張り上げる。アイラは柔らかい朝日に照らされながらコテンと首を傾げ、赤と黒の瞳で俺を見つめていた。

 思ったよりも熟考して朝の食事が進んでいなかったようだ。少し固めの黒パンも、アイラが作った野菜スープも、コップに入った水もほとんど量が減っていなかった。


「そう? ならいいや。早く食べないと遅れちゃうよ」


 アイラは木製のスプーンでスープを啜った。アイラの朝食はもともと量が少ないのもあるが、俺の半分くらいになっている。なんとなく急がないといけない気がして、慌てて黒パンにかぶりついた。


 アイラは当たり前のように食事をしているが実を言うと彼女、というより蝕鬼病感染者は人間の食事を摂る必要がない。グール、ハンニバル、そして感染者はヒトを少し喰らうだけでかなりの栄養を摂取でき、逆に人間の食べ物からはあまり得られない。だから言ってみれば、アイラが今していることは全く意味のない行動ということになる。味を楽しむということなら話は別だが、反応からして人肉に勝るとも思えない。

 以前、なぜ前のように食事をするのか聞いたことがある。その時アイラはこう言ったのだ。

『そんなの決まってるじゃん。お兄ちゃんと二人でご飯食べるの好きだし、なんて言うのかな……幸せなんだ』

 その言葉に軽く泣きそうになったのを今も覚えている。


 閑話休題。


「ごちそうさま」

「はい。おそまつさまでした」


 アイラはそう言って俺に軽く笑いかけ、綺麗に空になった皿を洗い場へと運んでいく。カチャンとサラが重なる音に続き、水の流れる音が静かな家の中でよく響いている。


「今日もうまかった」

「そう? そう言ってくれると作る甲斐があるよ」


 そういう彼女の声色は弾んでとても軽い。本心から嬉しそうで、こちらまでなんだか幸せになってしまうような、そんな感覚がした。


「じゃ、もうそろそろ行ってくる」


 もう時間だ。剣やらなんやらを持って玄関に向かった。ドアを開ける直前に、なんとなく後ろを振り返った。


「いってらっしゃい」


 そこにはアイラが半分が天使のような微笑みを浮かべて、手を振っていた。


 俺はこれだけで頑張れる。そんな気がした。

 妹の笑顔が見たいから。それだけで理由としては十分じゃないか。何を今までの俺は悩んでいたんだろうか。

 少し前まで悩んでいたことが急にバカバカしくなった。自分にとって何が一番大切か本当に落ちるところまで落ちた今だからこそわかる。


(もう、俺は迷わない)


「ああ、いってきます」


 それだけ言って俺も軽く手を振って、家から出た。








「おはようございます」

「おはようさん……」


 いつもと別物のように感じる扉を開け、悪鬼隊の執務室に入る。二人はもう来ていた。ジルさんはいつも通りだるそうにあくびをしながら何かの書類を読んでいた。問題のメアはといえば、こちらを見て、これでもかというくらいに目を見開いている。やはり昨夜のことでバレてしまっているらしい。もしかしたら俺のことがよく見えていなかったら、なんで期待がなかったわけではない。最後と砦が崩れたような危機感が俺の頭をチクチクと刺激した。


「ん? どうした? メアちゃん」

「ーーッッ! いえ……なんでもないっス。おはようございます、ユルト先輩」


 ジルさんに声をかけられ、メアは慌てて表情を戻し俺に頭を下げる。明らかになんでもないわけがなかった。


「ん、おはよう」


 あくまでいつも通りに挨拶を返し、自分の椅子に腰を下ろす。

 この様子だとメアはジルさんに言ってないようだ。ジルさんが知っていて普段通りを演じている可能性もなくはないが、まあ考えなくていいだろう。そんなことをする理由もない。

 メアにとってまだ確証がないからなのか、自分でも信じられないからなのか。それのどちらかは分からないが、いずれにせよ俺にとって嬉しい誤算であることに変わりはなかった。


 いつもと変わらない空気が流れている。少し違うとすれば、メアにやたらと落ち着きがないところだろうか。

 いつもならお茶なりなんなりを飲みながら本でも落ち着いて読んでいる彼女が、背筋をピンと伸ばし両手を膝に置いたような硬い姿勢で、机のただ一点を睨みつけている。そしてちょうど正面に座っている俺に、チラチラと伺うような視線を向けてくるのだ。昨夜のことで動揺しているのは火を見るよりも明らかだった。



「ああそうそう。お前ら、今日暇か?」


 観察されるような視線に不快感を感じ始めた頃、今ちょうど思い出したというふうにジルさんは突然そう言った。


「まあ、暇ですかね」

「……私もっス」

「そうか。じゃあお前ら今から巡廻行ってこい」

「巡廻……パトロールですか? それは俺らの仕事じゃないでしょう」

「なんか今日当番のやつが高熱で寝込んだらしくてな。どうせ暇だろうと思って代わりを引き受けた。別にいいだろ? ユルトの腕も治ったことだし」

「ジルさんはまたそうやって……」


 確かにとくに任務もなく暇ではあるし、骨折も治ってそんな気を使う必要もなくなってはいる。だが、彼の横暴ともとれるような態度に呆れを感じるのを禁じ得ない。なんの悪びれもなくそうのたまったジルさんは書類に目を向けたまま、こちらを見ることさえしなかった。


「どうせまたジルさんは行かないんでしょう」

「どうせってなんだ。俺はちゃんとした用があるんだよ。……昨夜またあいつによる殺人が起きた」

「ッッ!!」

「また……ですか……」


あいつ連続殺人犯による殺人』


 俺はいつも通りの反応をしたが、机をにらめつけ俯き気味だったメアの肩がその言葉を聞いた途端小さく震えるのを、俺は見逃さなかった。


「ああ。だから俺は対策室に顔を出さんといかんのだ。……対策室なんていっても名ばかりだがな」


 ジルさんはイライラしげに重く息を吐いた。

 俺の対策室は殺人を始めてから一年くらいしてできたのを覚えている。提唱者はジルさん。対策室といっても何をしているのか俺は知らない。が、実際に結果は出ていないし、特に脅威にはならないと判断して、俺は無視していた。


「まあ、そういうことなら仕方ないですね。それで、いつから行けば?」

「今」

「今ですか……」


 何度俺にため息をつかせれば気がすむのだろうかこの人は。いつまでたっても普段の彼は見習いたくないという評価は変わりそうにない。


「まあいいか。それでは、行ってきます。……行くぞ、メア」

「……はいっス」


 ではと俺、続いてメアがジルさんに軽く会釈をし、執務室から出た。メアのその表情は暗い、というよりも変わっていく状況について行けない、対応できないというような、メアにしては珍しく動揺で満ち溢れていた。


(……今しかない)


 突如として舞い込んだメアと二人になるチャンス。ここで動くしかないと、そんな確固たる決意が俺の腹の底で渦巻いていた。


 申し訳ないが、メアには俺とアイラのために少しばかり協力してもらおう。

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