第26話 それはいつになっても消えてくれない
『ユルト。お前はもう帰れ。後片付けは俺がやっておく』
あの後、ジルさんは刀についた血を拭き取りながら俺に向かってそう言った。それが俺を気遣ってか、ただ単に邪魔だからか、どちらかは分からない。でもそれを変な意地で無下にできるほど俺に余裕はなかった。
『……お疲れ様でした』
それだけなんとか絞り出し、重い足取りで兵舎から出たのだ。
そして今。俺は行くあてもなく街を歩き回っていた。理由は特にない。当然ながら目的地もない。俺の中で渦巻くものは数え切れないほどあったが、今一番存在感を放っているのは絶望でも、自己嫌悪でもなく、疲労だろう。まるで燃え尽きたようだった。何も考えることができない、というか頭が働かないのだ。働かないというのに、なぜか足だけは前へ前へと動き続ける。特に向かわなければならないところはないというのに。
歩くに連れて移り変わる景色も、俺を通り過ぎたりすれ違う人々の表情も、彼らの賑やかな話し声も、確かに聞こえているし見えているはずなのに、頭がうまく認識してくれない。
なんとなく立ち止まり、少し空を見上げた。ギラギラとした太陽が真上から俺を見下ろしている。その光に思わず目を細めてしまう。
「……もう昼なのか」
思った以上に歩いていたようだ。周りを見渡せば、人が増えた気がする。適当に歩いていたせいか、街の中心部に近いところまで来ていたようだ。
店も増え、人も増える。彼らは俺を目に入れない。彼らの世界と隅にいる俺は、当たり前だが彼らの意識に引っかかることはない。
あれだけ濃い時間を過ごしたとしてもまだ一日の半分なのだ。その事実に思わずげんなりしそうになる。
あまりにも一人だけ空気が違う。周りはいつもの賑やかな雰囲気だというのに、俺の周囲だけがどんよりとしていた。
(俺は……何をやっているんだ)
そんなことを考える俺に対し、思わずため息をつきそうになるほどの呆れが、頭の中で暴れまわる。
罪を背負うなんて言って、その結果こんなにも憔悴してしまって。
あまりにも情けない。あまりにも不甲斐ない。乾いた笑いが口を薄く開けた隙間から漏れ出てしまいそうだった。
(こんなの、アイラには情けなくて見せられないな)
自嘲気味にそう思った、ちょうどその時だった。
「ーーあれ? ユルト先輩っスか?」
不意に背後からそう声をかけられた。もう確認するまでもない。棒読みのような感情の乏しさ、しかし高くもなく低くもない聞いていて心地いい声、さらにこの話し方。メアだ。
だが一応、確認のために振り返る。
「……メアか」
「やっぱり先輩っスね。どうしたんスか? ひどい顔してますよ?」
そこにいたのはやはりメアだった。
悪鬼隊は服装に決まりはない。だというのに彼女は毎日変わらず黒を基調としたブレザーやズボンを着てきていた。だが今の彼女はカーディガンにズボンだった。黒というところは変わりないが。いつもの服じゃないメアも新鮮だな、なんてぼんやりと頭に浮かんできた。
私服でいるというところを見ると、本当に偶然出会った、というところだろう。俺を見つめたまま首を傾げていた。
「先輩。ちょっと……話さないっスか?」
彼女は首を傾げたままそう尋ねた。
正直、今彼女と話せるような状態じゃない。
「すまんが、今はちょっーー」
「いいっスよね。じゃ、ちょうどいい場所があるのでついてきてくださいっス」
一方的にそうまくし立てて、彼女は先へと歩いていく。俺は断ろうとしたのだが、そんなの関係ない、聞いていないとばかりにズンズン進んでいく。相変わらずの変な強引さに、思わずため息が漏れた。
なんとなくこのまま無視して帰ってしまうのも良心がいたんで、結局彼女についていくことにしてしまった。
「メアならいいってわけじゃないんだがな……」
そんな俺のつぶやきは誰の耳に入ることもなく、周りのざわめきにかき消されてしまった。
「ここら辺でいいっスかね」
先の場所からそれほど離れていない場所で彼女は立ち止まった。静かなところに行きたかったのだろう。歩いた距離はそれほどないとはいえ、この場所はさっきよりも穏やかな空気が流れているのは事実だった。たしかに何かを話すにしては、あそこは騒がしすぎる。
メアはちょうどそこにあったベンチに座り、俺を真っ直ぐ見つめ自分の隣をポンポンと叩く。隣に座れということらしい。特に断る理由もない。黙って俺も座った。意外と作られて時間が経って古くなっているのか、座った時頼りなさげに木がきしむ音がした。
「……で、話ってなんだ?」
「話といっても、大したものじゃないっスよ? ちょっとした世間話でもしましょうっていうお誘いっス」
「世間話ねぇ……俺がそんな気分に見えるか?」
俺は彼女の方を向き、自分自身を見せつけるように両手を広げ、皮肉げに笑ってみせた。
メアは確かに見えないっスねと、軽く笑うだけだった。
ならなぜ誘ったのだと問い詰めたいところだったが、一応メアが言うにはひどい顔をしていた俺を気遣ってかもしれないと、無理やり納得することにした。
「お前は……元気そうだな」
「今の先輩がそれいっても皮肉にしか聞こえないっスね。まあ、確かにそこそこには元気ですけど」
「ならよかった。最後があんなんだったから、落ち込んでいるんじゃないかって少し心配だったんだよ」
「最後……ああ、あれっスか……」
メアは困ったように頭をかいて笑った。普段あまり感情を表に出さない彼女にとって、あれは恥ずかしく感じる出来事だったらしい。
あの時はすいませんでしたと、立ち上がって俺に頭を下げた。
一応彼女は礼儀はなっているほうなのだ。頭をあげると再びベンチに腰掛けた。
「あの後は確かにジルさんに対して怒ってたっスよ? でもよくよく考えてみたら……あれも私のことを思っていったんじゃないか、なんて」
「……そうかもな」
正面を見つめまま、俺は彼女のその考えに賛成も、反対もできない。俺はジルさんの考えなんてわからないから。
だから、そんな中途半端な、投げやりにも聞こえる返答になってしまう。
そこまで話して、俺たちの間の会話は途切れた。もともと俺もメアもよく喋る方ではない。ゆっくりと流れる沈黙の中、二人でどことなく眺めながら過ごすのは今まででもよくあったことだ。普段ならこの空気になんの違和感を感じることなく浸っていただろう。
だが今日だけは、どうしても彼女に対して疑問が頭にこべりついて剥がれてくれない。
「……何も、聞かないんだな」
穏やかな水面に落とされた雫のように、その言葉は俺たちの間の沈黙を揺らした。
そう、何も聞かないのだ。あれだけサラさんのことを気にかけていたメアが。サラさんの様子はどうだとか、何も聞く様子がない。それに俺は違和感を感じずにはいられない。
どんな表情をしているのかと、横目で彼女を見た。
「……聞いて欲しいっスか?」
表面上は特にいつもと変わっていないように見える。だがその黒曜石のような瞳が、わずかに憂いを帯びているように感じるのは、俺の気のせいだろうか。俺の考えすぎなのだろうか。
もちろん俺としても聞いて欲しいわけじゃない。メアに伝えるには凄惨すぎる内容だし、俺としてもあまり口にしたくないから。それに、もし彼女が聞いて俺が教えたとして、メアが悲しむのは目に見えていたからだ。
(……なら、なんで俺は聞いたんだ)
本当に何も考えていない自分に笑いそうになる。
何も答えない俺を見越してか、彼女は自分から口を開いた。
「別に聞く必要がないだけっスよ。ユルト先輩の顔見れば大体察します。……死んだんスよね?」
「……ああ」
「そうっスか……やっぱり死んじゃったっスか……」
そう呟くメアは、思ったよりも悲しんでいないように見える。だが何か思うことがあるのは確かなのだろう。無機質な光を目に宿しながらため息をつき、空を見上げていた。
「思ったよりもないんだな。反応が」
「意外っスか? なんて言うんスかね……自分の手が届かない場所に行った途端に、サラさんのことがどこか遠い世界の出来事のように感じてしまって」
彼女は悲しく笑っていた。
「死んだんだろうなってわかったときも、『あ、死んだんスね』くらいにしか思えなくて。……ひどい話っスよね。仮にも一度関わった人の死っていうのに。自分でもなんだか怖くなるっス。こんなに私って死に対して淡白でしたっスかね?」
「……まあ、仕方ないさ。俺たちは普通の人たちよりも死に関わることが多いからな。淡白になっても……仕方ない」
「そういうもんっスかね……」
一般人なら例え身内じゃなくても死んだ人のことのことを聞いたら少しくらいはかわいそうなんてことを思うはずだ。『死=悲しいこと』と認識しているからそんなふうに思う。
だから死に関して何も思わないというのは、人としての感情が一つ消えることであり、決して喜ばしいことなんかじゃない。
だから一度それに気づくと、今のメアみたいにどこか自分の一部が無くなったような、そんな虚しさのような感覚を覚えるのだ。
はぁ……とメアは一つため息をついて項垂れた。
「まだ……そこまではいってないと思ってたんスけどねぇ……」
「そんなもんだ。俺だって気付いた時は呆然としたさ」
あれはメアが入隊する前だった。賊に襲われた小さくはない街。そこの調査に悪鬼隊ーーといっても当時は二人だけだがーー含めた二十人ほどで向かった。その死体が積み重なった場所を見て俺は顔色ひとつ変わることがなかった。いや、変えることすらできなかった。だが周りのやつは青ざめたり、吐いてしまっていたり。それを見て俺は気がついてしまった。もう他とは違ってしまっていると。
ここ三年やっている殺人だってそうだ。悪の仮面が剥がれると、もちろん心は痛む。だがそれは殺してしまったことに対してで、人が死んだことについては何も思わないのだ。
それほどまでに俺も、メアも、ジルさんも壊れてしまっている。多くを救うために多くを殺し、その罪を一人の人間という小さな器に全て背負いこんで。その重さが人として大切なものをどんどんと押しつぶしていくのだ。
「それでも……そんなことを気にしていては何もできない」
「……そんなこと?」
(ああしまった。今のは失言だった)
先ほどまで前を眺めていたメアは俺のほうを向き、怒りを孕んで眼差しを向けた。
わかっている。今のは俺が完全に悪いなんて。
「先輩、死が気にならなくなることを『そんなこと』なんて言うのはさすがにダ……ッ!」
突然喉を塞がれたように、メアの言葉が途切れる。何事だ? と、メアの方を向くとどういうことだろうか、信じられないものを見たかのように目を軽く見開いていた。
「メア?」
「……っ! いえ、なんでもないっス。…………そんな顔されたら何も言えないじゃないっスか」
「すまん、後半なんて言っているのか聞こえないんだが」
「別にいいんスよ。大したことじゃないっス。気にしないでください」
やけに早口でそう綴り、これ以上何も聞くなとばかりに彼女はふいと顔をそらした。その態度のとおり、何を聞いてもきっと答えることはないだろう。
逸らす前にちらっと見えた苦虫を噛み潰したような表情が、やけに俺の脳裏に焼き付いた。
(……なんなんだ)
ひとつため息をついて、頭に残るモヤモヤを消し去った。
それからまた会話は無くなった。
「……じゃあ、私はもう行くっス」
少ししてメアは突然立ち上がった。先のような表情はもう消えている。彼女の中ではもう消化できたらしい。
「ああ、じゃあな」
「ええ……またあの執務室で」
メアは軽く会釈して、歩いて行った。その背中は凜としている。俺はそれを見えなくなるまで見続けていた。
「はぁぁ……」
彼女が見えなくなり、自然とため息が漏れた。最近ため息が多くていやになる。
(これで……終わったな)
そう、これでサラさんに関することは全て終わったのだ。
ハンニバルに滅ぼされた村を探索し、サラさんを助け出し、そしてまた殺し。表面だけ見れば満点の結果だ。最初に殺された村人たちは仕方ないとしても、新しい蝕鬼病によるハンニバルへの変異、そしてそいつによる二次災害を見事に防ぐことができた。彼女の死一つで全てが丸く収まった。
(満点の……はずなんだけどな)
なぜだか素直に喜べない。それに、何かスッキリしない。
今回の件はことごとく俺のトラウマを刺激するものだった。だからこんなにも気分が沈む。沈んで、さらに沈んで、光が見えなくなる。
それにせっかく頭の奥に追いやった疑問も、サラさんは表面に引っ張り出してくれた。
『妹のためなんて言っても、結局それはあなたのエゴよ』
あの夜彼女に言われた一言が俺の心をかき乱す。前のように納得しようとしても、この言葉は消えることなくグチャグチャにかき回し続ける。
(サラさん……あなたは本当にやってくれた)
何度も何度も消そうとしても、まったく消えてくれない。人に言われただけでこうも違うものなのだろうか。
結局しばらくの間、そのベンチから立ち上がることなく流れる時間に身を任せ、朝と変わらず快晴の空を眺めていた。
二ヶ月たっても、その言葉は色あせることなく俺の頭の中で巣食っていた。
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