第25話 処刑実行

 ひんやりとした空気に肌を浸しながら、俺達はどんどん下へと下っていっていた。ジルさんは先ほど語ってから、何も口に出さなくなり、ただただ淡々と階段を降りていく。

 俺はなんとなく視線の置き場が見つからなくて、一段一段降りるごとにピョコピョコ揺れるジルさんの寝癖を眺めていた。

 なんとなく、妙な雰囲気がするのだ。石製の階段も、それを照らす揺れる橙色の灯りも、そこを歩くジルさんもいつもと同じだ。最近毎日通っているし今までにも何度か来たことがあるこの階段も、その先の部屋にある目的故か、俺の気持ち故か、常とは全く違う何か恐ろしいもののように感じてしまう。


 それは今ちょうど目の前に現れた地下牢への扉も同じことで、轟々と黒い空気を放っているのだ。


 ついに俺の後悔は、そして現実は手の届くところまで迫って来ていた。


(今更……どんな顔して会えって言うんだ……)


 ―そこまでくると今まで隠してきたそんな考えが俺の中でより一層強く響くようになった。

 ただ助けようとして失敗したのならまだいい。だが彼女は知ってしまっている。俺が蝕鬼病感染者なんてグレーな悪よりももっと黒くてドロドロした悪だと知ってしまっているのだ。

 そんな俺が正義としてサラさんの目の前に現れた時、彼女はどう思うだろうか。それに……彼女はああ言っていたが、ジルさんに治療法のことを、俺のことをバラさないとは限らないのだ。

 だからこそ、俺の体は一つの鉄の塊のようになってしまう。


 当たり前のことだがジルさんはそんな俺の心中を、俺の葛藤を知るわけもない。俺とは違い迷いなど微塵もない彼は、手早く鍵を開け、なんのためらいもなく、勢いよく扉を開け放って堂々とこう言った。


「よおサラ。死ぬ覚悟はできたか?」


 正直俺の心の準備なりができるまで待っていて欲しかったものだが、入ってしまったのならしょうがない。俺も渋々彼に続いて中に入った。


 いつもと同じ、いやむしろただの牢から処刑場へと変貌してしまった分、いくらか禍々しさが増したような場所でサラさんは座り込んでいた。といっても初日や昨日のような弱々しさは微塵も感じない。前のような力なくへたり込んだようなものではなく、正座をして、背筋を伸ばし、凛とした姿勢で彼女はそこに存在していた。

 集中しているのか、視線は彼女のすこし前の床に向けられたまま動かない。別に床に何かあると言うわけではないのだろう。だが、それは何かを睨みつけるような、鋭い視線だった。端正ではあるがこんな環境のせいか薄汚れた彼女の顔には、昨日よりも広がってしまっているハンニバルの肌が、確かにあった。


 その姿を見てジルさんは「ほぉ……」と感心したように息を漏らす。もう死ぬ覚悟はできたと言わんばかりの空気を放つ彼女を称賛しているのだろう。それはジルさんだけじゃない。俺だって彼女に感心していた。


「あいつは……強いな」


 そう呟くジルさんの顔は面白そうに笑っている。そう、彼女は強かった。確かに狼狽えることもあったが、それを差し引いても心が強靭だ。特に芯が強い。言い換えれば、彼女は不動の覚悟を確かに持っていた。


(そうだ……迷ってばかりの俺よりも、ずっと強い)


 俺が変に苦しんで眠っている昨夜に、彼女は誰にも崩されない覚悟を自分自身で作り上げたのだろう。そう考えると、自然と拳に力が入るようだった。


「あ、隊長さん。それに……ユルト、君?」


 ジルさんの声に反応して、彼女は顔をゆっくりとあげる。そして、俺を見て静かに目を見開いた。


(そりゃ驚くに決まっている。俺自身、ここに来るか迷っていたんだから)


 そんなことを頭の片隅に浮かべながら、軽く会釈をする。ここまではよかった。だがそのあと、彼女は驚いた表情を引っ込め、あろうことか俺に笑いかけてきたのだ。


「っ!」


 俺は声にならない悲鳴をあげ、反射的に顔を逸らしてしまった。ジルさんは俺より前にいるはずだから、気づかれてはいないはずだ。

 その笑みにどんな意味があるのか、何故俺は顔を逸らしたのか、自分でもよくわからない。ただとんでもなく気まずくて、目を合わせたくないという気持ちが俺の中にあるのは確かだった。

 顔を横に向けたまま彼女を除くと、すこし曇らせた表情をもどし、視線はもうジルさんに向いていた。


「今日は……よろしくお願いします」

「ああ、まかせろ。死にたくないっていっても殺してやる」


 サラさんはある種の信頼を纏った視線をジルさんに投げかけ、彼はそれを受けて相手を安心させるような声色でそう返した。

 処刑者と受刑者にしては、あまりにも明るいやり取り。もし第三者がこの場面を見ても、そんな事情があるとはわかるものはいないだろう。


「じゃ、やるぞ」


 これから処刑をするにしては、あまりに軽い一言。言葉こそは軽いが、それには確かに命が関わることの重みを伴っていた。

 ジルさんは牢に入り、刀を抜いてサラさんのすこし後ろに立ち、上段で構える。その視線は彼女の首に突き刺さるようだった。首に一発で決めるつもりらしい。

 俺はそれを牢の外から見守っていた。

 サラさんはジルさんが位置についたことを確認すると、再び俯いた。


「……あんたは強い。もしこんな形じゃなかったら、悪鬼隊にスカウトしたかったんだがな」


 ジルさんの目線は相変わらず彼女の首を睨みつけたままだ。だが、その言葉ははっきりと彼の口から出てきた。

 ピクリと、それに反応するようにサラさんの肩が震えた。


「それは……光栄だね。でも私みたいに弱い奴が役に立てるとは思わないけど」

「力の強さじゃない。大事なのは心の強さだ」

「それはまた……痛いことを言うものですね……」

「俺も似合ってないとは思ってるよ」


 彼女の肩の震えは、どんどん大きくなっている。もう彼女の目から涙が流れていると、簡単に予想できた。やはり彼女も死ぬのは怖いのだ。耳をすませば、声を押し殺しきれずに口から漏れる荒い吐息が聞こえて来るようだ。それに争うようにジルさんに向かって返す皮肉も、声が震えていてどうにも痛々しかった。


 あまりにも悲痛で、見ていられなくて、俺は目を離そうと顔を逸らしーー




(また……逃げるのか?)


 そんな言葉が、頭の中に突然現れた。

 もう一人の俺が、自分に語りかけているような、そんな感覚が横に向きかけた俺の首を無理やり正面に戻す。


(彼女の言葉から逃げて、彼女の表情から逃げて……さらに彼女の死からも逃げるのか?)


 それはダメだと、俺は首を振る。

 ―逃げるわけにはいかないのだ。俺は彼女を助けようとした。そして……無残に失敗した。そんな俺が後のことは責任も負わずに放置なんてあってはいけないことなのだ。

 俺は彼女の死を見届ける必要がある。それは俺の権利であり、責任であり、義務である。

 自分の思考に夢中になり、サラさんとジルさんがなにかまだ話しているようだが、不思議とあまり耳に入ってこない。


(そうだ。だから目をそらすな。彼女の死に様を目にやきつけろ)


 話し終えたのか、ジルさんはもう一度刀をきちんと構え直す。来るのかと、思わず喉を飲み込んだ。



 不意にサラさんが俯かせたままだった顔を上げた。そしてはっきりと完全に俺を見た。彼女はやはり、予想通りと言うべきか泣いていた。いや、訂正しよう。彼女は涙を流していた。悪にしては綺麗すぎる透明色の涙を。その潤った瞳に俺を写していた。

 涙こそ流しているが泣いてはいない。彼女はまた笑っていたのだ。なぜ笑うのか、俺には全く理解ができないでいた。

 せっかく組み立てた覚悟を置いていくように、理解できないという感情が湧き上がる。なんだ? 彼女は、何を思っている? そんな疑問ばかりが頭を駆け巡るが、答えは見つからない。

 その答えは、彼女が教えてくれることになった。


 ゆっくりと、サラさんはその口を震えながら開いた。そして声こそ出さないが、確実に一文字、一文字と言葉を紡ぐ。読唇術が使えるわけではないが、なぜだか俺はそれがなんと言っているのか、はっきりと理解できた。


 ーーあ、り、が、と、う。


「サ、サラさーー」

「ーーふっ!」


 あまりにも非情だった。絞り出すようにその五文字を口にした瞬間、そんな声でもないただの吐息と共にジルさんの刀が振り下ろされる。

 バシッ! という音と共に彼の刀が彼女の首を通過した。彼女の顔がずれたと思えばそのまま、その透明な笑顔のまま落下してーー


 ーーゴトン……と。


 それについで、ドサリと何かが落ちたような音が小さく響いた。世界が一気に緋色に染まる。確認するまでもない。サラさんの首が落とされ、それに続いて体が倒れたのだ。

要するに、サラさんはーー死んでしまった。



「ッッッッ!!」


 あの五文字を見てすこし覚悟が頭を引っ込めた瞬間のこれだ。その衝撃は、油断した隙を狙うように、通常よりももっと強く俺にぶつかってくる。


 ギリギリと奥歯を削れるほど噛みしめる。

 拳だって食い込むほどに強く握りしめている。

 目をそらすなんてことはしない。むしろ目に焼き付けるように見開いていた。 今の彼女を目に、心に、魂に刻み付けるように。俺の罪を、俺の頭に掘るように。


 ああ辛い。逃げてしまいたい。頭も酷く痛む。胸も辛い。心臓をたくさんの人に一度に殴られているような感じだ。

 いつもの夜の食料調達の時のように悪の仮面を被れば、きっと俺は何も感じずに楽でいられるのだろうか。だがそんなことするつもりはなかった。

 これは悪鬼隊の俺の問題だ。だから殺人犯の俺に関係はない。

 今ここで苦しむことが、きっと俺の義務なんだ。

 俺はどれだけ辛くても目を話すものかと、どくどくと血を流し続ける彼女の体、そして頭を見つめていた。

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