第21話 諸刃の正義

 コツンコツンと、二人の男の靴が軽い音を鳴らしていた。地下牢へと続く岩で作られた細い階段という環境もあってか、やけにその音は響く。それがかえって俺の目の前を歩く男ーージルさんとの静寂を引き立たせていた。


 壁のロウソクの心細い炎とランタンの光を頼りにどんどん下へと進んでいく。少しいくと階段は終わり、金属の扉が現れた。地下牢への扉ということもあって、この扉は人一人じゃどうにもならないくらいに頑丈なはずだが、そんなの関係なしにこの黒い金属の板は轟々と重苦しい雰囲気を放っている。

 ジルさんは俺にランタンを渡し、腰にぶら下げていた鍵の束の中の一つで扉の鍵を開けようとした。その横顔を盗み見たが、いつもと変わらない気だるげな表情が照らされて余計にはっきり見えるだけだった。何を考えているか、その真意は相変わらずわからない。


 ガチャンと重い金属音。それに続いてギギィィィと金属同士がこすれるような音がそれらしい雰囲気を充満させていく。

 開いた扉からズカズカと歩いていくジルさんに俺も続いた。


 普通の人が地下牢と聞いて思い浮かぶのはきっと気持ちのいいものではないだろう。だいたいそこら中の壁に血が付いているとか、拷問器具とか、骨が散らばっているだとか、そんなあたり。もちろんそんな地下牢もどこかにあるかもしれないか、少なくともうちは違う。うちの地下牢は文字通りただの地下にある牢屋、それだけだ。人に知られてはいけなかったり、異様に危険だったり、そんな普通の牢屋じゃ無理な輩のための牢屋。それがここだ。


 そんなに汚くないし、血なんてもってのほか。陽の光が少ないことと、外より空気が悪いことを除けばそこまで居心地も悪くはない場所だと思う。


 だというのに、一本の道に沿うように立ち並ぶ牢の一つにいる女性の機嫌が悪くなることは、とどまるところを知らなかった。



「こんにちはサラさん。気分はどうですか?」

「……」


 軽く口にして、やってしまったと後悔した。こちらは単純に心配しているだけなのに、これだと皮肉に聞こえるのではないか。


「最悪です」


 そう吐き捨てるようにいった彼女は、きつく俺たちを睨みつけていた。昨日までの弱々しい彼女はいない。親の仇を見るような眼差しを正面からぶつけてくる彼女は、あの虚ろな目で虚空を眺めていた女性と同一人物とは思えなかった。


「おい、これのどこが意気消沈だ。俺たちむちゃくちゃ睨みつけられてるんだが」


 サラさんに聞こえないよう、小さな声で話しかけてくる。といってもある程度予想していたのか、そこまで驚いている様子はなかった。

 確かにあれから一日経ってるし、いくらか考える時間もあっただろう。だから少しばかり態度が変わっていてもなんら不思議なことはないと思っていたのだが、これは少しばかり変わりすぎじゃないだろうか。


「いや昨日は確かに落ち込んでいたんですが……まあ、何か思うところがあーー」


「それで、隣のおっさんは誰?」


 二人でこそこそ話しているのが気に入らないのか、サラさんは少し大きめの声量で俺たちの会話を遮るように言葉を滑らせた。床に座って壁にもたれかかり顔は横を向いているが、目だけはきちんとこちらを向いている。気だるげに見せながらも、きちんとこちらは警戒している証拠だ。小さな村の女性にしては、なかなか肝が座っているとは思う。

 といっても、サラさんには失礼かもしれないが、そんな彼女が余計に小さく見えて少し笑いそうになった。一生懸命威嚇する小さな子供に見えて。


「サラさん、だったか? お初にお目にかかる。悪鬼隊で隊長をやっているジルだ。以後よろしく」


 一歩下がり胸に手をやって、深々と頭を下げる。台詞も動きも、からかっているとしか思えないほどに芝居がかっていた。いや、実際からかっているのだろう。というより、おっさんと呼ばれたことに対するちょっとした仕返しだろうか。どちらにしろ、大人気ない。


 それを受けたサラさんは露骨に顔をしかめさせた。それから一つ舌打ちをして今度こそ目をそらす。それを見てジルさんはニヤニヤと口角を上げた。嫌な大人だ。この人自身結構楽しんでいるところがあるからタチが悪い。


 それよりも、思ったより気の強い女性だというのが素直な感想だった。昨日の弱々しい彼女は恐怖ゆえであって、むしろこっちが素なのかもしれない。


「ユルトくんも大変だね、こんなやる気のなさそうなおっさんが隊長で。どうせ仕事押し付けられたりして大変でしょう?」

「まったくでーーいえ、意外とすごいんですよ? ジルさんも」

「まったくです、だって? 言ってくれるねぇ、ユルト?」


 ちがうんです。少し口が滑っただけで。

 こちらに向けてきた薄い笑みから逃げるように顔をそらした。

 そんな俺たちに満足したのか、サラさんの表情もすこし緩んだ気がする。


「……メアちゃんはどうしたの?」


 一旦会話が途切れ、どう切り出したものかと思案していたところで、彼女はそうぼそりと呟いた。

 いや、素直に驚いた。知らないうちにメアちゃんなんて呼ばれるほどに、メアはサラさんと仲良くなっていたのか。

 もしかしたら、唯一の味方のようなものだからかもしれない。命をかけて助け出したのはメアで、最後の最後までサラさんを労っていたのもメアだった。俺はといえば、彼女の必死の願いを跳ね飛ばしただけ。


「残念だがあいつはこれない。この件に関わるなと俺が言ったからな」

「……そう、残念ね。もう一度会ってお礼を言いたかったけど」


 愁いの色が現れた彼女に対して、ちょっとした罪悪感が胸に浮かんだ。

 やっぱり連れてきても良かったんじゃないだろうか。本人がこう言ってる事だし、少しくらい会わせてやってもいいんじゃないか。


 そんな意味を込めジルさんを見るも、こちらを一瞥もしない。どうせ気づいてる。言葉にはしないが、明らかな拒絶だ。昨日のあれは、もう覆らないらしい。自分の不甲斐なさに心の中で舌打ちをした。


「それで、何かご用?」


 閑話休題。そんな調子でサラさんは話し始めた。もうそこには突き刺さるような威嚇の視線はなくて。

 どちらかといえば……諦念だろうか。

 

「おや、もう睨みつけるのはやめたのか? キャンキャン吠える子犬みたいで可愛かったぞ?」

「……ジルさん。あまり絡むようなことしないでください」

「ユルトくんの言う通りだよ隊長さん。それに……無駄だってわかったからね。ならもう受け入れたほうが楽じゃない?」


 そうでしょ? と、首を傾げて同意を求めてくる。どう答えたものかいまいち見当たらず、とりあえず苦笑いで返すほかなかった。

 何か彼女の中で変化があったのだろうか。いや、文字通り死地を切り抜けてきたのだから、少しくらい変化があってもおかしくはない。と言ってもこの変化はいい変化か悪い変化かはっきりとはいえないが。

 変な諦め癖がついてしまったらしい彼女は、昨日のビクビクした態度とは大違い。まるで我が家のようにくつろぎ始めた。


「……話が逸れちゃった。それで、何の用?」

「特に用はないな。ま、強いて言うなら顔見せとか、挨拶ってところか」

「顔見せ?」

「俺とジルさんがあなたの監視……いや、言い方はなんでもいいですね。とにかく、担当になるんです」

「ああ……蝕鬼病にかかっているかどうかの」


 吐き捨てるようにつぶやく彼女は、完全に諦めてしまっているように見えた。投げやりになっているようにしか見えなかった。


 これは良くない兆候だった。

 絶対とはいえないが、蝕鬼病は基本体を変化させる病だが、精神にも大きく作用する。だから弱気でいると感染しやすくなるというのは否定できない。


 なんにしろ、ここまで卑屈になるのはいいことなわけがないわけで。なんとか言ってやろうと口を開けると、ジルさんに片手で制された。

 俺に任せろということらしい。不安はあるが、渋々俺も一歩さがった。


「……一つ言っておくが、必ず感染するわけじゃない。俺もグールから傷を負ったやつを何十人も見てきたが、蝕鬼病に感染したのは一人もいない。むしろ感染しない確率の方が高い」


 ーーそれに、と彼は誇らしげに続ける。


「もし一週間見て感染しなかったら、必ず解放する。サラさんには俺たちが悪人に見えるかもしれないが、俺たちは公平フェアだ。あなたが感染し悪になったら必ず殺すしーー感染しなか正義のままだったら何が何でも助けてやる」


 これが彼だ。彼は自分が正義と信じるものには絶対の誇りを持ち、悪には無慈悲な殺意を向ける。


 こんななりだが、彼の絶対的な自信に皆心を打たれついていく。

 そんな天性のカリスマを持った男だった。


「そう……」


 そんなそっけない返事をしながらも、彼女の顔にはありありと安堵が現れていた。生への諦念が拭い去られ、希望が新たに湧き始めた。

 絶望の中にいた彼女が、彼の正義に手を引かれ始めていた。


 そんなところがジルさんの尊敬するところだった。俺にとって、羨ましいところだった。


「……そうなれば、いいのですが」


 誰にも聞こえないように、そう呟いた。誰にも聞こえないが、言わなければならない気がした。


 サラさん。あなたは気をつけた方がいい。その正義にしがみつかない方がいい。

 それはあなたがすこしでも悪とわかると、いっそ清々しいくらいに手のひらを返す。

 あなたを引っ張っていたその正義は消え失せる。むしろあなたを攻撃し始めてしまう。



 確かに今は顔に希望を浮かべている。

 それでも俺は知っている。この目で見たことがある。


 その希望が絶望に染まる瞬間を。

 せっかく引き上げられたのに叩きつけられた瞬間を。


 それを知っているといないでは、目の前の光景の捉え方がかなり変わってくる。かわいそうな女性に手を差し伸べる強い男。そんな物語じみた光景。


 もし三年前までの俺なら、ジルさんに敬意を抱きつつ、いい話だなぁなんてのんきに考えるのだろう。

 だが今となっては滑稽にしか思えない。茶番としか考えられない。


 それはジルさんとある程度一緒にいたからわかる事。メアですらまだ片足を突っ込みかけている状況だ。だから、今日初めて会ったばかりのサラさんにそんなことわかるはずもない。


(そんな風に気楽に希望を抱けるのも今のうちだけだ)


 そんな悪役じみた事を考えた。できるならこのまま口に出してやりたいが、この空気を壊すのは良くない。ジルさんから変な目で見られるかもしれない。


 結局、俺も悪鬼隊の一員なんて言っておきながら、自分の身が可愛いのだ。

 だからこそ茶番とわかっていながらもジルさんのことが羨ましく感じてしまう。


 ジルさんはその父のような力強い腕を彼女に差し伸べていた。サラさんは手を取ろうと、牢屋の鉄格子の隙間から腕を伸ばす。

 本当に物語の一幕のようなその光景を、一歩さがった場所から俺は眺めていた。

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