第19話 その意図に俺はたどり着けない
「ただいま戻りましたっ……ス!」
「……ただいま戻りました」
かなりイラついているのだろう。メアは無表情のまま扉を叩きつけるように開けた。バンッ! と決して小さくない音が響く。扉が壊れそうな勢いだった。
イラつくのはわかるが、物に当たるのはやめてほしい。
ズカズカと怒りを体現するような足取りで、しかし冷たい表情で、メアは隊長の席で呑気にタバコをふかしているジルさんの方へ歩いていく。
俺は小さく息を吐き、メアに続いて部屋に入り後ろ手でドアを閉めた。
「おーお疲れさん」
ジルさんはヒラヒラと手を振りながら軽い調子でそう言った。
要するにいつものジルさんだが、それが気に食わなかったようだ。メアは隊長の机を両手で叩きつけた。
「うおっ! おいおいメアちゃん、どうした?」
「……隊長、あなたとんでもない任務を私たちにさせたっスね……」
「とんでもない任務? ーーああそうそう。それでどうだった?」
メアは相当お怒りのようだ。普段あまり聞かないくらいに低い声でそう言った。その言葉にジルさんは怪訝な顔をし、今思い出したように俺に任務の結果を尋ねた。メアに聞かなかったのはなんだかめんどくさそうだったからだろう。
「原因は魔物の発生でした。生存者は一名のみ。それで、その魔物がーー」
「ハンニバルっスよ! ハンニバル!」
俺の言葉に被せるようにメアは隊長に詰め寄った。まあ正直俺も思わないことがないといえば嘘となるが、ジルさんに落ち度はない。事前にわかるはずもないし、普通なら何事もなく完了できるような内容だ。
そういえば一人知らせにきた生存者がいたな……と、今更ながら思い出した。そいつから何が何でも情報を引き出すべきだったかもしれないと、遅すぎる後悔にため息をつきそうになる。
「……ハンニバルか。お前らよく生きて帰ってこれたな。……一人は怪我してるようだが」
なんとも不甲斐ない。ジルさんに視線を向けられ、苦笑いしながら左腕を軽くあげた。
ハンニバルの名を聞き、流石にジルさんの表情に真剣味が増す。それほどの相手なのだハンニバルは。ジルさんはタバコを灰皿に押し付け、火を消した。
俺自身生き残れたのはかなり運が良かったところもあると思っている。
メアはといえば、怪我の部分に触れられその後ろめたさからか苦い表情をしていた。
それをジルさんは一瞥し、どこか納得したような表情をしたあと、小さく息を吐く。
「とにかく、よく帰ってきてくれた。俺にも悪かったところはある。すまなかった」
そういってジルさんは立ち上がり、深々と頭を下げた。メアは目を見開いている。あのジルさんが真剣に、頭を下げて謝っているのが信じ難いのだろう。まあ気持ちはわかる。俺もそうだ。もっと軽く謝られると思っていた。
少ししてジルさんは頭を上げ、続けた。
「お前らには数日休暇をやる。ハンニバルはーー大部隊を編成。やつを討伐する」
そう宣言するジルさんは、普段からはあまり想像できない真剣な表情をしていた。その目に宿るのは戦意。何としてもやつを殺すという殺意、そして正義感だった。
「ジルさんも……参加を?」
「ああ、もちろんだ」
「……なら、私もっスか?」
彼に対する怒りは消え、その代わりに薄く恐怖を顔につけたメアは、そう恐る恐るジルさんに尋ねた。
もう立ち向かえない、戦えないというわけではないが、やはり怖いのだ。あの殺意、威圧感を間近で、正面から味わった恐怖はそうそう消えるものじゃない。
俺自身もそうだった。今もし怪我がなかったら、あいつに正面から立ち向かえるか。そう問われて堂々の首肯できる自信はない。
「……いや、お前はいい。ゆっくり休め」
すこし考えた末出された答えに、メアはホッとしたような、釈然としないような表情を浮かべていた。
俺もその気持ちは分からなくもない。ハンニバル討伐は、その強さ故に相当の戦力が必要になる。俺たちは悪鬼隊。一応この国の戦力を大きく担う衛兵たちの生産工場であるこの街の先鋭部隊。そのことに誇りもあるし、自分は強いという自負も少なからずある。
だから多大な戦力が必要なハンニバル討伐に参加できないというのは、お前は戦力外だと言われているように感じてしまう。
だがこれはしょうがない。おそらくバレているのだ。メアは恐怖を抱えていると。
「あと……大事なことが」
これ以上この話を引っ張ってもしょうがない。そう判断し俺はついにあの話題について口にした。メアの体がピクリと反応する。ここからではメアの背中しか見えない。どんな表情をしているかなんて、分かりかねない。 それをチラリと見ながら、気づかないふりをして続けた。
「先ほど話した見つけた生存者ですが……傷を負っていました。引っ掻かれたような傷を」
「……それで」
「今、この建物の地下牢に拘束しています」
「はぁぁ……」
ジルさんはめんどくさそうにため息をついた。
「で、様子は?」
「まさに意気消沈って感じですね」
地下牢といってもそこまで酷い環境じゃない。別に汚いわけでもないし、凶悪な奴がいるわけでもない。文字通りの地下にある牢、ただそれだけ。
連れていった時、彼女に力はほとんど残っていないようだった。軽く押せばそのまま倒れてしまいそうな、そんな弱々しい女性がそこにいた。
牢に彼女を入れ、俺たちが立ち去るときに向けられたあの目ーー失望の目線が俺に突き刺さり、未だにヂクヂクと痛みを与えてくる。
「そうか……それなら……」
ジルさんは顎に手を添え、何かを考え始めた。ブツブツと口が動く。
「……よし、俺はその件を片付ける。ハンニバルは他のやつに任せる」
「大丈夫なんですか?」
「ハンニバル討伐はそんな人が直接戦うようなものじゃない。どちらかというと燃やしたり、岩をぶつけたり、まあ兵器みたいな強力な武器でやるんだ。だから、俺が居ようが居まいが変わらん」
「じゃあ、よろしくお願いします。俺たちは……これで失礼します」
「じゃあ私も」
報告も済んだし、もうここに用はない。今日はもう俺たちに仕事はないし、何より早く休みたかった。精神的にも、肉体的にももう限界だ。これ以上何かあったらぶっ倒れる自信がある。
別れを言って、軽く頭を下げる。メアも俺に便乗して頭を下げた。
そのままここを出ようと振り返り、一歩踏み出そうとしたときだった。
「おいユルト。お前も俺と一緒にこの件に取りかかれ」
「は?」
思わずそんな言葉が漏れた。わけがわからない。休暇をもらえるんじゃなかったのか。これ以上、俺に心労をかけろと? もし本当に蝕鬼病にかかってみろ。俺は耐えられる気がしない。
疲れからか少々思考が乱暴なものになる。それを振り払うように頭を振って、改めて問いかけた。
「なぜ、俺なんですか? 休暇のはずじゃ……」
「いいから。わかったな?」
「なら……私もイイっスか?」
ここぞとばかりにメアを介入してきた。元々俺以上にこの件に関してなんとかしたいと思っていたメアだ。休暇を渡され、関与できないと思っていたのだろう。
その奥で消えかけていた炎が燃えているように、メアの瞳はランランと輝いていた。
「ダメだ」
だがその申し出は、ジルさんの一言ではっきりと断られた。
「な、なんでっスか?」
わかりやすくメアは狼狽える。目の奥の炎が小さくなり、弱々しく揺れた。
ジルさんはメアを見下ろしていた。この答えを変えることは絶対にないと、確固たる意志を含んだ視線をメアにぶつけていた。
「……ダメなんですか?」
いつになく弱々しく揺れる彼女の目に感化されたのか、気がつけばそんな言葉が口から漏れていた。
別にいいんじゃないだろうか。何か不都合な点なんてない。いるから有益というわけではないが、いるから有害というわけでもない。
それは俺にも言えることだ。だからいいんじゃないかと、ジルさんに問いかける。
だがジルさんの答えは変わらなかった。
「……今回メアちゃんはやけにそいつに肩入れしてるな。それは、女性だからか?」
「ッッ!!」
ジルさんの言葉にメアはその端正な顔を悲痛に歪めた。
どうやら俺があの夜に知ったことを既に知っているようだ。そういえばメアを連れてきたのはジルさんだったな、と気がついた。なら知っていてもおかしくない。
ジルさんは、『そういうことだ』というように肩をすくめる。
「監視対象にやけに肩入れしている奴がいるのは危ないんだよ。それが同情から来るならなおさらな」
「同情なんてーー」
「同情じゃなくても、それに近しいものだろう。だから、お前には関わらせない」
はっきりとジルさんはそう言った。確固たる意志を持って、言い切った。
そういえばジルさんはこういう人だった。
正義のためならなんでもする。悪を滅するためなら冷徹になる。例え悪が自分の身内だとしても。
そんな人だった。
メアは何も言わない。俯いて肩を小さく震わせていた。表情はよく見えない。怒りではないだろう。なら……悔しさ?
「……失礼するっス」
表情を見せずにそれだけ言って去っていくメアの背中を、俺は見ていることしかできないかった。
どちらかといえば俺はジルさん側なのだ。確かに可哀想ではある。別にいいんじゃないかとも思う。だがあの森で盲目になり自分の命を投げ出すような形で飛び出していった彼女は、確かに危ないかもしれないなんて思ってしまうのだ。
だが何も思わないというわけでもないわけでーー
「少し……言い過ぎなんじゃないですか?」
ついつい余計な口を挟んでしまう。
ジルさんはこっちを見ていた。さっきまでメアを見据えていた刺すような視線など霧散して、いつもの気だるげな目線で。
「……この件に関わっていてもあいつは悲しみしか背負わないだろうからな」
「え?」
一仕事終えた後みたいに、彼はだらしなく椅子に座って後ろにもたれかかった。情けなく、それこそそこらのオヤジのような声を漏らした。
「確かに蝕鬼病にかかる可能性は低いが、もし感染したらどうなる? 殺すしかない。何しろ、“治療法は存在しない”んだ」
なんでもない、当たり前のことを言う調子でジルさんはそう言った。
そう、当たり前のことなんだ。
『蝕鬼病に治療法は存在しない』
これが世界の常識であり、事実だ。
ずくりと、喉が疼いた。出てきてはいけない言葉を発そうと。
俺はそれを必死で押さえ込む。
ジルさんは、相変わらず俺を見据えていた。
「……殺したらメアちゃんは悲しむ。救えなかったってな。逃してもあいつには不幸しかない。指名手配されるだけだ。下手したら助け出したそいつ自身に殺されるかもしれない」
ジルさんの口からつらつらと事務的に言葉が溢れ出てきていた。
事務的で無機質ではあるが、その言葉には確かに暖かみがある。子供を、娘を見る親のような目でメアが去っていったドアを見つめるジルさんは何を思っているのだろうか。
新しく一本タバコをだしそこに火をつける彼の横顔は哀愁漂うものだった。再び灯されたタバコから出た煙は、ユラユラと所在無さげに揺れ、空気に溶け込んだ。
「なら、今のうちに離しておいたほうがいいだろ?」
な? と、同意を求めるように俺の方を向いた。困ったように笑うその表情から、真意は読み取れない。
こう見えてこの人はすごい人だ。俺ごときがその心の中を読み解くなど、出来るはずもない。
その言葉は
胸に浮かんだ疑問は口にすることなく頭の中に沈んでいく。
「……さあ、どうなんですかね」
なんとなくどちらと決め付けたくなくて。
なんとなくその答えを明かしたくなくて。
俺はどっちつかずの返事に落ち着いた。
俺たちは何も言わずにメアが出ていったドアを眺めていた。
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