第18話 結局あの時と何も変わっていない
「先輩……すいませんでした」
メアは落ち着いてすぐにそう俺に頭を下げ謝ってきた。失礼かもしれないが、あのメアが頭を下げるのかと開いた口が塞がらない。
「何がだ?」
「その腕……私をかばって……」
メアは俺の左腕を見て申し訳なさそうに俯いた。
「いや、お前に何もなくてよかった。それに応急処置もしてくれたし、これでチャラだ」
今俺の左腕には簡易的なギプスのようなものがある。その辺で折ってきた枝に腕を固定し、服の袖を破って首から下げれるようにしてある。それをしてくれたのが、他でもないメアだった。
「……その原因が私っスから、それくらいは当たり前っスよ」
メアはそう自嘲気味に言う。俺はそれがなんだか拗ねているように見えてきて、微笑ましく感じた。
俺は優しく、メアの頭に右手を乗せる。
「あっ……」
「後輩を助けるなんて先輩にとって当たり前だ。先輩冥利に尽きる。俺は謝られるより、お礼を言われたい」
「はい……ありがとう、ございました」
乗せた右手をゆっくりと動かした。メアの綺麗な黒髪を撫でてやった。労わるように、妹にいつもやっているように。
メアは俯いてしまい、その表情はよく見えない。黒髪からチラリと見える彼女の耳が、ほんのりと赤みを帯びているのが印象的だった。
「ありがとう……ございました」
そう言って助けた女性ーーサラというらしいーーは血色が悪い顔のまま深々と頭を下げた。まだ血が通っていないような弱々しい声で。まだ恐怖は抜けきっていないのだろう。よくよく見てみるとまだ水をかけられたみたいに小刻みに震えていた。
今俺たちがいるのはカーテディアの入り口の門から少し離れたところだ。馬車の商人はもう行ってしまった。ひどい目にあったと俺に怒鳴りつけていたが、メアが視界に入った瞬間いえいえと姿勢が低くなったというのは記憶に新しい。メア、お前は一体何をしたんだ。
改めてサラさんを見てみる。
若い女性だ。メアと歳は同じくらいじゃないだろうか。腰辺りまで垂れている髪は、とても年頃の女性のものと思えないほどにひどい状態だった。髪だけじゃない。服だってボロボロだ。逃げている時に転んだり枝に引っ掛けたりしたのだろう。破れている部分が多く見えた。
そして、傷も多い。顔、腕、足と見ていて傷が見当たらないところはなかった。見ていて痛々しい傷や、擦り傷、そしてーー
ーー引っ掻かれたような傷。
街まで来たというのに入らないのはそういうことだ。メアは俯いている。俺たちはこれから彼女をどん底に突き落とすかもしれなかった。
「……他の生存者達は? 生きているのか?」
残酷な質問だった。ほぼ全滅というのはわかっていることなのに。だがこれは聞かなければならないものなのだ。
サラさんは俺の質問にピクリと反応しだだけで何も話さなかった。答えたくないのだろう。人が少ないといえど、一つの社会。それなりに親しい者だっていたに違いない。もしかして将来を誓い合った人もいたかもしれない。
だから彼女は答えるのを躊躇うのだ。答えてしまったら彼らの死を認めることだから。
だがしばらくして、彼女はついに絞り出すように声を漏らした。
「……他のみんなは、死にました。みんな……あいつに……うっ」
彼女は当時の状況を思い出したのだろう。もともと悪かった顔色を最悪なものにして嘔吐き、口に手を当てた。
たまらずメアは彼女のもとに駆け寄り、背中をさすってやっていた。大丈夫、大丈夫と声をかけながら。
「村が襲われてから数日はたっていたはずだ。どうやって生き残っていた?」
遠慮なしに質問を続ける俺を、メアはキッと睨んだ。
(……そんな睨むな。お前だってこの質問をしないといけないとわかっているだろう)
俺はメアにそう言外に語りかけた。彼女は察したのか、完全に納得はしていないようだが睨みつけるのはやめていた。
「……あいつは、私たちを数人閉じ込めたんです。そして、ある程度時間が経ってから一人……また一人と殺していく。……私が最後の一人でした」
「そう……ですか」
その答えは少なからず俺たちに驚きをもたらした。
ハンニバルが元人間だとはいえ、知性を残しているとはいえ、そこまで人間のような事をするとは思わなかったのだ。
これについては後日隊長に話そう。そう自分の中で結論づけた。
さて、これで質問の時間は終わりだ。俺の気分がドッと沈む。俺は今からサラさんを絶望のどん底に突き落とさなければならない。
ああ、憂鬱だ。
「それで……あなたに伝えなければならないことがある」
俺はなるべく感情を殺して、あくまで事務的にそういった。ついに来たのかと、彼女の横にいたメアも表情を暗くする。
「やむを得ない事情があって、サラさんにはちょっとの間私達と一緒にいてもらわないといけなくなる可能性があるんスよ」
「えっ……と、つまり?」
俺が言おうとする前に、メアがそういった。それに対しサラさんはよくわからないと首をかしげた。
メア……それじゃダメだ。サラさんにははっきりというべきなんだ。傷つけたくないというのはわかるが、これは彼女自身のこと。だからこそーー彼女は知らなければならない。
「つまりこういうことです。あなたはハンニバルに襲われた。そして傷を負った。なのでーー」
ーー蝕鬼病感染の可能性故に私達の監視下に置かせていただきます。
「…………え?」
彼女は静かに瞠目し、訳がわからないといった様子でそれだけを口にした。本当に訳がわからないと人は笑ってしまうらしい。彼女の口には、ひきつらせるような笑みが浮かんでいた。メアはもう見ていられないと、背を背けてしまっている。ここにサラさんの味方はいなかった。
「私が……蝕鬼病? それって……感染したらどうなるんですか?」
サラさんの口から力のない言葉が漏れた。認めたくないと力のない抵抗をするように。頭に浮かぶ可能性を拒むように。
「症状のことは知っているでしょう。まあそれはいいとして、感染者の処遇ですがーーこちらで殺させていただく他ありません」
だが俺はそれを打ち砕いた。一片のかけらを残すことなく。むしろより深くまで押し込む形で。
目の前の男から発せられた殺す宣言。俺の予想以上にそれは彼女にとって大きな矛だったようで、残り少なかった希望の色が顔から蒸発していった。
「そんな……嘘ですよね? 私、なんともないですよ! ほら!」
サラさんは自分はなんの問題もないと、監視される必要はないと示すように両手を広げ、俺たちに体全体を見せるように回転してみせた。
もし傷が擦り傷とかだけなら、全て転んで出来た傷だと免れる可能性が出て来たのかもしれない。だが引っ掻かれたような傷があれば……言い逃れはできない。
俺たちはなんの反応もしなかった。俺たちだって好き好んでこんなこと言っているわけじゃない。だがそうしないといけないのだ。もし発症してしまったら、まさにあの村の二の舞だ。
俺よりもなんとかしてあげたいであろうメアも、それがわかっているから何も言わない。
「なんとか……なんとかできないんですか!? ねえ! あなたたちはーー悪鬼隊は、正義の味方じゃないんですか!?」
サラさんは地に膝をついて、俺の服を掴んで縋り付いた。醜く顔も歪め、涙も垂れ流し、取り繕うことなく、死に物狂いで。もうなりふり構わない。そんな様子だった。
それに何も思わない俺じゃない。でも、何もできないんだ。
俺はなにかで閉ざされたように硬い口を、重々しく開く。
「確かに私達の部隊は、世間的にはそのような位置づけです。でも、勘違いしないでいただきたい。私達はーー」
ーー
ーーだれか個人に都合がいい存在じゃない。
予想以上にそんな言葉がすんなりと口から出た。
俺は、どこぞの物語の主人公のように困った人を見境なく助けようとするやつじゃない。
もっと汚い、もっとひどい存在だ。
小より大を。低より高をとる。
「先輩……」
メアはなんともいえない、複雑な表情でこちらを見ていた。その瞳は迷いで揺れているように見える。メアもきっと迷っているのだ。あの時の俺のように。必死に、醜く、アイラの治療法を探していた時の俺のように。
だがなメア。その先に待っているのは血塗られた未来だけだ。
少なくとも、みんな幸せのハッピーエンドなんてありえない。これは経験則だ。俺自身が身を以て実感したことだ。
「ということで、あなたを蝕鬼病感染の危険性があるので、拘束させていただきます」
もうサラさんに何か言い返す、反論する余裕があるようには見えなかった。
生気をなくした目で地面を見つめていた。意気消沈。そんな言葉がまさにぴったりだった。
「……あくまで危険性があるだけです。もし五日間見て感染していなかったら、無事解放されます」
そんな慰めなんの意味もない。サラさんは依然俯いたままだ。
「蝕鬼病の感染確率は低い。絶対感染するわけじゃない。だから……きっと、大丈夫です」
「……ありがとう、ございます」
俺は、あの日アイラにかけたものと同じ慰めを彼女にもした。そんなの、なんの意味もないとあの時の味わったのに。
虚ろな目をしたサラさんの口から出た無機質な返答は、やけに俺の心を傷つける。
もう空は藍色に染まり始めた。風も強くなってくる。
あの時と同じだ。
ガサガサと、風が木の葉を揺らす音がやけに大きく聞こえた。
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