第11話 三年後、俺は何も変わっていない

「ぐぁぁああああ!!!」


 喉が潰れるくらいの男の叫び声が、無意味に漆黒の空に響き渡る。

 無意味に響き渡る叫び声を残して、その男は倒れ込んだ。その場所からだんだんと赤い水たまりが広がり始める。


「た……たすけ……」

「ん……殺し損ねたか」


 男は俺から逃れようと、痛みで動かない体をズルズルと引きずった。カタツムリが通った後のように、赤い道が出来上がる。

 だが、助けは来ない。そういう場所を選んでいるのだから当然だが。


「一生懸命生きようとしているところすまないが、俺らのために死んでくれ」

「ガッ……」


 生にしがみつく彼の背中に、無慈悲に剣を突き立てる。

 今度こそ男は死んだだろう。力なく倒れ、そこから動くことはなかった。


 それを俺は剣についた血を拭き取りながら、冷めた目で見下ろしていた。


「相変わらず慣れないな」


 あとでひどいことになるのだが、今この時だけは、これに対して何も思わないでいられる。でも何も思わないだけ。

 人を殺した後の、心の中の何かがポッカリと抜けたような虚無感は、何度経験しても慣れそうになかった。

 悪として殺した人数はゆうに二桁を超えている。衛兵内でも結構話題にもなっている。俺を捕まえるためだけの隊というか、団体が出来たと聞いた。


「これはバレるのも時間の問題かもな……」


 あの日からーー悪となった日から、二年の月日が流れていた。





「おはよう」

「おはようございますっス」


 俺が執務室に入った時、メアは椅子に座って、やけにしっかりとした姿勢で何か本を読んでいた。いつもと変わらない挨拶を、メアは本から目を一切離さずに返して来た。一応俺は先輩のはずなんだが。朝から少し気分が沈むのを感じながら、自分の机に座った。


 俺もメアもあまり話さない。時折するメアのページをめくる音だけが、この場のほとんど唯一の音だった。俺はぼーっとしてなにもしていない。最近はいつもこんな感じだ。


 あまり大きな任務もないし、朝の爽やかな日差し、空気の中、落ち着いた雰囲気の空間で過ごすのは嫌いじゃない。


 何となく窓の方に目をやると、人の身長ほどもある刀が立てかけてあるのが見えた。


「今日隊長来てるのか?」


 今まで何度も見て来た。あれは隊長の刀だ。あんな長いものを使う奴は、そうそういない。というか見たことがない。

 メアにとってあまり嬉しいことではないのだろう。本に向けたまま、わかりやすく顔をげんなりとさせる。


「まあはい、来てるっスよ……残念なことに」

「漏れてるぞ、心の声」

「漏らしてるんスよ」

「だろうな」


 そんなに嫌なのだろうか。メアは本を閉じ、うんざりとした調子で話し始めた。


「あの人は何というか……そこらのエロオヤジみたいなというか、もちろんそこまで酷くはないっスけどそんな雰囲気がするんスよね。それがちょっと」

「まあ、言わんとしてることはわかる」


 なにも知らされていない状態であの人を見て、すごい人なんてわかるやつはそうそういない。実際俺も初めて声をかけられた時は、ただの胡散臭いおっさんだと思った。


「でもその隊長のスカウトを受けたんだろ?」

「悪鬼隊は有名っスからね。貰える給料も多いし、それに……まあいろいろと都合が良かったんスよ」

「金ってお前……なかなか現金なやつだな」

「うるさいっスよ」


 否定しないところがなんだかこいつらしくて、少し笑ってしまった。

 メアはそれが気にくわないらしく、俺をきつく睨む。嫌なことを思い出すように黒い目を一層深くしながら、続けた。


「あんなのでも関わってみれば意外と見直すかも、なんて思ってたっスよ。ええ、でもそのままでしたっスね」

「おいメア……」

「基本的に尊敬できるところがないっスよ、あの人は。本当になんであの人が隊長やってるかわかんないっス」

「何がわからないって?」

「……」


 そこに立っていたのは悪鬼隊の隊長ーージルさんだった。

 着崩しているのに加え、相当着続けたのかかなりボロボロになっている服装。頭も寝起きみたいにボサボサで整っているとは言い難い。

 とても先鋭部隊の隊長とは思えない。


 隊長は笑いながらメアの頭を鷲掴みにしていた。ただし目は笑っていないし、額に青筋が見える気がする。


「隊長、痛いっス。離してください」

「そういうことは痛そうな顔してから言ってくれ」


 メアは無表情ーーなんとなく嫌そうな顔をしている気がしなくもないがーーで隊長の手を掴み、引き剥がそうとした。が、隊長は男だし、仮にもこの隊の隊長。ビクともしない。

 それでもメアは諦めず引き剥がそうとするも、結局動かない。

 意外と子供っぽくて、頑固なところもあるのだ。


 少しすると隊長は呆れたような溜息を吐き、子供を撫でるようにがさつに手を動かした。


 「あ、ちょ……」なんてメアは漏らすが、知らん顔して窓際にある、少し大きめの自分の椅子に腰かけた。そんな隊長をメアは恨めしそうに睨みつけていた。

 もうこのやり取りも終わりだろうか。

そう判断し、だらしない座り方で、やれやれと一息ついている隊長に声をかけた。


「隊長、何か用があったんですか?」

「ああ、ちょっと面倒な依頼がーーていうかユルト。その隊長っていうのはやめてくれないか?」


 隊長は少し照れ臭そうに、乱れた灰色の髪をボリボリと掻きむしる。


「ですがあなたは隊長で、俺は部下です」

「いやまたそうなんだが……だいたい会った最初の頃はそんな呼び方じゃなかっただろう」

「あの頃はまだ隊長ではありませんでしたから」


 俺は衛兵にはスカウトではないが、悪鬼隊にはスカウトで入った。そのスカウトをしたのがこの目の前の男なのだが、出会ってからすぐされたわけではない。その間の時のことを言っているのだろう。


「とにかく、隊長呼びはやめろ。違和感があって仕方ない。これは隊長命令だ」

「はぁ……わかりました、隊ちょ……ジルさん」


 ジルさんはよしと満足そうに頷いた。別に呼び方なんてなんでもいいだろうに。基本的に適当な彼だが、たまに変なところをこだわったりする。


 ふと横を見ると、いつのまにかメアが立っていて、そんなジルさんを呆れた眼差しで見ていた。目上の人を見る目ではない。大方、こんな時だけ隊長らしくするところが好かないとか、そんなところだろう。


「で? 何か依頼があったんじゃないっスか?」

「そう言えばそうでしたね。どんな依頼ですか? 面倒とか言ってましたが」

「ああ、それがな……」


 明らかに嫌そうな顔をして、ジルさんは一枚の紙を俺たちに渡した。これを見ろ、ということらしい。


「……前線付近の壊滅した村の調査ですか」

「めんどう、というよりはめんどくさいっスね」

「ああそうだ。普通ならうちに回ってくる依頼じゃないんだけどな。ったく……戦闘がメインのうちに調査とか……配役おかしいだろう」


 開拓の拠点などのために作られた村、というか集落が、賊や魔物によって壊滅するというのは特に珍しいことではない。

 その場合、大抵近くの大きな都市から調査団が派遣される。こんな小さい町の、しかも戦闘職の俺たちに、そんな依頼普通来ない。


「壊滅したのは一昨日だ。生き残りが一人逃げ込んできたらしい。かなり錯乱していて、話は聞けなかった。今回は、他の生存者の捜索も兼ねてる。まだそんなに日にちが経ったいないから、もしかしたら襲った奴らも近くにいるかもな」


 ジルさんはめんどくさそうに、片手で紙を弄びながらそう続けた。

 要するに、遭遇したら殺せということなんだろう。

 その予想はすんなりと頭の中に浮かんだ。しかもそれを当たり前のように承諾している自分に嫌悪した。正義の後ろ盾があった瞬間これか。理由を得た瞬間にこれか。

 横目でメアを見た。もちろんメアもそういう命令だと気づいているはずだ。

 メアの表情はなんの変化もない。なんだかんだ言いながら、黒曜石のような瞳を真剣にジルさんに向けている。


「もしかして情報なしっスか? 一人でのこのこ逃げてきて、何も話さないっスか?」

「ま、そうなるな」

「面倒くさいっスね。頑張ってください、隊長」

「ん? 俺は行かないぞ。行くのはユルトとメアちゃん二人だ」


当たり前のようにいうジルさんに、メアははぁ? と納得のいかないという調子で声を出した。


「いや普通そうだろ……」


 俺としても、呆れてそんな言葉しか口から出ない。メアは心外だとばかりの態度だった。


「隊長が受けたんスよ? なら、隊長が行くべきっス」

「はぁ……いいか、大事なことを言うぞ。俺、隊長。お前ら、部下。わかる?」


 ジルさん、俺らと順に指をさしそう言って、ドヤ顔で首を傾げている様は、思わずぶん殴りたくなるほどにムカつくものだった。現にメアは見えないところで代わりに俺を殴っている。


「ま、冗談は置いといて、俺としてはメアちゃんと二人きりで行けるのなら、かなりの葛藤が生じるわけだがーー」

「死んでもごめんっス」

「……本当のところは、俺も少し用事があってな。というかお前ら二人でも大丈夫だろ。俺はもう行く」


 そう言ってジルさんは、重い腰をあげるようにゆっくりと立ち上がり、執務室から出ていった。


 俺の横を通り過ぎる時にちらりと見えたあの横顔が、やけに印象的だった。いつもの適当でお気楽な彼に不似合いな、遠くの敵を睨みつけるような険しい表情。

 その全てを斬りつけるような視線の先にあるのは、どれほどのことなのか。


 彼は空気のような人だ。普段はふわふわと浮いていて、いざ掴もうとしても指の隙間からするりと抜ける。


 それに加え、やはり鋭い。そして何より、強い。先鋭部隊の隊長をやっているだけのことはある。何度か手合わせしたが、勝てたことはない。

 だからこそ、俺が一番警戒している人だ。アイラのことがバレるなら、必ずあの人から。


 あの視線の先にあるのは、もしかしてアイラ……?


 疑心暗鬼にも捉えられる、根拠のない疑いが頭に浮かんだ。

 ……いや、やめよう。確信はない。いちいち疑っていたら、ただでさえ消耗している精神が擦り切れる。


「……じゃあ、行くか」

「そうっスね」


 とりあえず今は、目の前のことに集中しよう。与えられた任務を片付けよう。考えるのはその後だ。


 明らかに乗り気じゃないメアを引き連れ、例の村へ向かった。

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