第12話 彼はまだ見ぬ敵に恐怖した

 一歩踏み出すと、パキリと枝の折れる音がした。それだけのことなのに、俺は過剰に反応してしまう。といっても周りから見てもわからないだろうし、自分の中でもほんの少し警戒の色が濃くなるだけだ。

 俺は森が少し苦手だ。いや、というよりも苦手になった。どうにも注意深くなってしまう。あの茂みから、木の上から何かが襲いかかってくるんじゃないかなんて。

 今は時間的には夕方で、だんだんの夕闇に染まり始める。それが森だと顕著に現れる。

 真っ暗ではないが、薄暗い。怖いというより、薄気味悪い。どこからともなく聞こえてくる何かの鳴き声が、追い討ちをかけるようにジワジワと侵食してくる。

 そんな中、怖いものなど何もないと言わんばかりの態度でズカズカと先を進むメアは、ある意味心強いのかもしれない。


 俺たちはもうすでに例の村がある森に到着している。ここまではいつも通り馬車できた。

 どの森にもある薄気味悪さはあるが、村一つ壊滅した付近にしては穏やかな雰囲気だ。

 そんな森の中、俺たちはある程度整えられたーーといっても木がない程度だがーーを歩いていた。


 ねえユルト先輩、と俺の名を口にし、少し前を歩いていたメアは速度を落とし俺の隣に並んだ。


「これ確実に今日中には帰れないっスよね?」

「原因自体はすぐ分かるだろうが、帰りを考えると……まあそうなるだろうな」


 前線の村が潰れる理由なんて限られている。それを調べるだけなら、一時間かからないだろう。


「なら今夜は……」

「野宿だな」

「はぁ……予想はしてたっスけど」


 顔に浮かんだ諦念を吐き出すようにメアはため息をついた。

 「くそ、隊長め……」なんて忌々しげに悪態をついている。


 そこで俺たちの会話は終わった。その後も俺たちは、会話もなしに淡々と歩き続けた。

 この森はそこまで広くない。例の村に到着するのに、そこまで時間はかからないだろう。




「……」

「これは……ひどいっスね」


 その村、というか集落に着いた時、その凄惨さに俺は思わず顔をしかめ、メアはそんなことを口にした。

 それでも横目でメアを見ると、相変わらずの無表情。本当にそう思っているのか、分かるはずもなかった。


 今まで何度か潰れた村を見たことはある。それは賊が襲ってきたりだとか、魔物が一斉に押し寄せてきただとか、まだ危険も多く治安も悪い前線付近では珍しくもない理由だった。その村は当たり前だが大概死体が多い。


 この村は防衛はしっかりしようとしていたようだ。太く長い木を何本も連ねて地面に刺してできた、人一人ではどうにもできなさそうな塀で村全体を囲み、ちらほら物見やぐらのようなものも見える。

 入り口は俺たちが今通ってきた一つだけ。そこから扇型に広がるように、木造の家々が立ち並んでいた。といっても、そのいくつかは崩れてしまっているが。


「前線ってことでかなり固そうっスけど……入り口が一つってのはどうなんスかねぇ……」

「籠城には良さそうだが、一旦入られるとキツそうだな。多分逃げられずにこういう風になる」


 そういって俺は足元の死体を指差した。

 俺の方向ーー出口の方向に手を伸ばした格好で、うつ伏せに倒れている。背には斬られたというよりも、抉られたような傷。顔は見えないが、その表情は絶望で染まっていると容易に想像できた。

 似たような死体が、いくつか転がっていた。


「それじゃ、やりましょうか。めんどくさいっスけど」

「めんどくさいとか言うな。ーーそうそう、死体は回収して一箇所に集めておけよ」


 死体を見つけたら燃やすと言うのが、衛兵内の常識だ。伝染病の発生を抑えるためという理由もあるが、それ以上に大きな理由がある。グールが集まってくるのを防ぐためだ。

 奴らの主な食べ物は人肉。昔ほど食べることができなくなって今の奴らくらいに小さくはなったが、それは変わらない。きちんとした栄養が取れるようになると、奴らはハンニバルほどに成長する。

 だからこそ、肉片一つ残してはいけない。


「りょーかいっス。ユルト先輩、サボっちゃだめっスよ」


 そういってメアは、俺に言い返す暇すら与えずに歩いていった。


「むしろよくサボるのはお前だろうが」


 メアに聞こえるはずもない反論をとりあえずこぼし、俺も村内を歩くことにした。



「これは……魔物の仕業かもな」


 そこらに転がる無数の死体の一つを見て、俺はそう呟いた。

 明らかに人間がつける傷じゃない。一つ一つが深い。にしても、ここを襲ったやつは相当な大物らしい。


「っていうか、こんなの人じゃできねえよ」


 崩れた家の上に、木があるのだ。切られたものじゃない。抜かれたもの。

 丸々一本抜かれた木が、家に突き刺さるように横たわっている。その時まだ人が中にいたのだろう。死体は見えないが、家の中から流れて出てきた血は見えた。


 一つ不可解なことはといえば、この村の戦える奴らはどうしたのか、ということだ。

前線は危険だ。だからこそ村には十人単位くらいの戦える奴らがいるはずだ。

 そいつらは、すぐに見つかった。決してそれが幸いなことになんて思わないが。


「全滅……か」


 ーーまあ予想はしていたが。


 口の中でそう付け加えた。

 固そうな甲冑を身に纏い、如何にもといった風貌の男たちが二十人近く。剣やら槍やらも地面に突き刺さっている。

 まるで戦場のような風景だ。あながち間違ってはいないが。

 決して弱くはないはずだ。ここらはまだまだ危険な奴らは多い。俺たちの街あたりずっと。そんな奴らが揃いも揃って殺された。

 その事実が嫌という程、自分に死が近づいていると感じさせる。


「先輩」

「……メアか」


 後ろから声をかけられた。彼女の鉄仮面は相変わらず。


「何かわかったか?」

「目新しいものはないっスね。ここと似たようなものっスよ。見渡しても死体、死体、死体。こっちが精神的に死にそうっス」


 女性の口から漏れる物騒な言葉の連続に、違和感を感じ得ない。死体ばかり見るこの仕事を何年もすればこうなるのかもしれない。

 考えてみれば、最初からこんなんだった気がしなくもないが。


「で、ユルト先輩。なんの魔物かわかりますか?」

「残念だが、そこまではな。無茶苦茶強いやつってくらいしかわからん」

「でしょうね。ーーうわ……ユルト先輩。これ見てくださいよ」


 そう言ってメアは、無数の兵士の死体の一つを指差した。


「甲冑って鉄っスよね? 防御力高いはずっスよね? なんでこんな紙みたいにグシャグシャになってるんスか」


 メアは驚きを通り越して、呆れたような声色だった。

 それほど衝撃的なのだ。

 甲冑はいうまでもなく防御に特化した、硬い防具。力の強い魔物に攻撃されても、大抵は甲冑に大きな傷は付かず、せいぜい吹っ飛ばされる程度。

 でもこれらは爪か何かで引き裂かれている。メアの言う通り、紙のように。中には握りつぶされたのだろう。ヘルムは見るも無残に歪な形の金属の玉と化していた。本来あそこにあったものがどうなったのか、想像もしたくない。


 ーー木を丸ごと抜くほどの力。


 ーー鉄が紙同然に引き裂かれるほど鋭い爪。


 そんな力があるやつなんて限られてくる。


「……いや、まさかな」


 一瞬頭をよぎった小さな可能性を否定した。

 まあどちらにしろ、俺らにとって優しくない依頼なのは間違いがない。


 (ジルさん、あなたとんでもない依頼受けましたよ)


 ここにいたであろう魔物を想像し、冷や汗が背中を伝った。



 気がつけば、藍色の膜のような深い空が広がっていた。

 平和な場所だろうが、こんな地獄絵図のようなところだろうが、そこから見える月は平等に綺麗で、憎らしい。


「じゃ、寝る場所探すか」

「……本当に野宿っスか。私、地べたで寝たくないっス」


 此の期に及んでそんなわがままを言うとは……


「別にこの村なら潰れてない家にベッドくらいありそうだが……」


 そう言うとわかりやすくメアは苦り切った表情を見せた。


「俺としては勘弁なんだが、まあメアが言うなら。死体たくさん、匂いは最悪なここで一晩過ごすか?」

「卑怯っスよ先輩。……はぁ」


 メアは諦めたように息を吐き、苦虫を噛み潰したような表情で、首を横に振った。

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