第10話 ーーすまないが、俺らのために死んでくれ

「おはようございますっス、ユルト先輩」

「……ああ、おはよう」


 休暇が終われば仕事は始まる。それは当たり前のことだ。まだ疲れていようが、休みの気分が抜けてなかろうが、身内が重大な病気にかかっていようが。

 その例に漏れず昨日で休暇が終わった俺は今日から仕事だ。

 ああ、家で留守番しているアイラが心配でたまらない。この仕事は嫌いじゃないが、ここまではやく帰りたいと思ったのは初めてかもしれない。

 そんなことを考えながら一週間ぶりの執務室に入ると、メアが書類の整理をしていたのか、書類の束を持ったまま挨拶をしてきた。朝からご苦労なことだ。


「久しぶり……ってほどでもないか」

「そうっスね、一週間ぶりくらいっスかね。どうでした? 一週間、私が必死こいて働いている間、楽しめたっスか?」

「なんだ。嫌味な言い方だな」

「まあ嫌味っスからね。私を放っておいて一週間休んでいたんスから、それくらい黙って聞いてください」


 それはお前のせいで俺の休みが潰れていたからだろうが……

 そう言う代わりに俺はため息を吐き、自分の机に座った。基本的に毎日見ていたこの机からの風景も、一週間ぶりと言うだけで懐かしく感じる。

 メアは相変わらず書類や本を持ってあっちこっち移動していた。


「と言うかメア」

「何っスか?」


 そう言いながらメアはよいしょと少し大きめで重そうな箱を持ち上げた。手伝ってやろうか、なんて考えたがどうせ拒否されるだろうから黙っておいた。


「そんなに働いたのか? もしそうなら普通に申し訳ないんだが……そんなに忙しかったのか?」


 俺たちは暇ということはないが、忙殺されるほど忙しいわけでもない。戦闘職の俺たちが忙しいの言うときは、だいたい命の危険が伴う任務があるときなのだ。

 もしあったとしたら、俺は招集されてないからそこまで大きな任務でもないと思うが、やはり申し訳ない。


「んーそうっスね……」


 メアはまたよいしょと言ってさっきから少し離れたところに箱を置いた。ふぅと小さく息を吐き、メアの背後の位置にいる俺を流し目で見た。

 いつも通りの無表情だが、メアの光を吸い込みそうなほど黒い瞳はさっきより真剣味を帯びている気がして、目を離せない。ゴクリと無意識に唾を飲んだ。

 メアは俺を焦らすかのようにゆっくりと口を開け、こう言った。


「全然っス」

「おい」


 さっきまでの真面目な雰囲気なんてもう空の彼方。呆れた調子でメアは話し始めた。


「そんな危険な任務がポンポンあるわけないじゃないっスか。それじゃ、私たちがもたないっス。それくらい察してください」

「お前なぁ……」


 そうだ。こいつはこういうやつだった。こいつが俺からかうときは、こいつの言うことをまともにとらないほうが得策なのだ。

 と言ってもからかうときと普段でまったく表情は変わらないし、唐突にくるから判別のしようがないのだが。


 メアは書類の整理が終わったのか、メアの机ーーちょうど俺の正面ーーに座った。もともと置いてあったのだろう、やけにこいつに不似合いな、ピンクの女の子らしいコップに入ったお茶を飲んでいる。


「お前、なんかいいことあったのか?」

「……はあ?」


 俺はふと頭に浮かんだ疑問を投げかけた。 こいつ自身気づいてるか知らないし、そもそもそれが合っているのかもわからないが、メアのテンションの高さとからかいの数は比例する、と言うのが俺の中での事実だった。

 そう考えると、今日のと言うか今のメアはやけにテンションが高いのだ。


「いえ、特にないっスけど……なんでっスか?」

「そうか。いや、今日はなんだかテンションが高い気がしてな」

「え!? ……いや、まさかそんな……そんなわけ……」


 もしかして自分で気がついてなかったのだろうか。珍しいことにメアは予想外、とも言わんとばかりに目を見開いた。

 そして少し俯き、何か考えるように顎に手をやってブツブツと話している。


「なあ、もう少しハッキリ話してくれないか」

「ッ! 気にしないでください。そ、そういえばこの一週間ですこし気になることがあったっスよ」


 本当に大丈夫だろうか。心配だ。

 いつもより挙動不審だし、話題の転換がわざとらしい。普段ならもうすこし逸らしたい話題からもうまく逸らすのに。

 まあ、わざわざ踏み込む必要もない。

 特にすごく気になることでもなかったから、このことは頭の隅に置いておくことにした。


「何かあったのか?」

「街からすこし離れた池で、グールの死体が見つかったんですよ」


 その瞬間ぎくりと、心臓に釘を何本も打たれたように思った。


「……よくあることだろ。あいつらは弱いから、そこらの獣にも普通に殺される」

「それだけなら別に気にもしないっスよ。傷口が剣での切り傷でした。実際に見てきましたっスから。しかも報告されていない。だから気になることって言ってるんスよ?」


 この街では、人、狼、グールなど何かを殺したら報告書を書くことになっている。特にグールでは徹底されている。いつ、どこで、何匹殺したのか。全滅させたのか、それとも何匹かに逃げられたのか。そんなことを書いて提出する。

 だから報告がないのはおかしいのだ。


「でもたかが五匹だろ? それくらいなら、ここの衛兵じゃなくても殺せる可能性は出てくる」

「……そうっスね。でも蝕鬼病のせいで普通の人は近づくことすら怖がってできないっスよ」


 ああ言えばこう言う。俺は動揺を弱い反論で覆い、メアの言葉がそれを壊そうと俺に迫ってくる。

 内心、かなり動揺している。別に自分が殺したことは言ってもなんとかなるかもしれない。でもなんだかここからアイラのことまでバレそうで怖かった。


「……」

「どうした?」


 メアの観察するような目線が俺に突き刺さり、動揺を隠す仮面をゴリゴリ削っていく。メアの鋭い目に見つめられ、心の内まで見透かされているような気分になる。

 その視線に耐えきれなくて、アイラから目をそらした。


「ユルト先輩、なんで嘘つくっスか?」


 ああ、やっぱりバレてる。


「……別に嘘はついてない」

「変に誤魔化さないでほしいっス。私はグールの数なんて言ってないっスよ? なんで知ってるんスか?」

「……」

「隠し事をするにしても、こんなミスするなんて先輩らしくないっスね。休日気分が抜けきってないんじゃないっすか?」

「……なかなか棘のある言い方じゃないか?」

「私嘘とか好きじゃないっスから」

「ついさっきお前嘘ついてただろう……はぁ」


 俺の嘘を看破して嬉しいのか、心なしドヤ顔をしているように見える。これはもう隠すのは無理かと思うと、いっそのことすべて話して見たい気分になった。もちろん、我慢して話さないが。


「そうだ、殺したのは俺だよ。散歩してたら見かけてな。せっかくの休日なのに、ここに来たくなくてな。もう別にいいかな、みたいな感じでーー悪かったって、そんな睨むな」


 付き合いがこれといって長いわけじゃないがわかる。これは本当にムカついた時の顔だ。メアは無表情が多いが、別に表情を作れないわけじゃない。よくからかうために本心とは違う表情をしているが、これはそれとは違って本当に怒っていた。


 多分誰が殺したか調べるために、いろんなところに走り回ったんだろう。聞き込みもたくさんしたんだろう。

 それらが俺のせいなんだから怒りが湧いてもしょうがない。


「私の仕事が増えた原因は先輩の怠惰っスか……今度なんか奢ってもらうっスよ」

「ああ、わかってる」


 それでこいつの機嫌が直るとは思わないが……まあ、少しは良くなるだろう。


「じゃ、報告書、書いてください」

「ん」


 メアは立ち上がり、俺の後ろにある棚に向かった。報告書があるのはこの棚だ。どうやら取ってくれるらしい。珍しいことがあるものだ。


「あ」

「ん?」


 でもその時だった。メアが手元を狂わせたのか、棚にあった本が落ちて来たのだ。それはメアの手から滑り落ち、棚の段に当たって跳ねーー


「ーーーーッッッッ!!!!」


 俺の肩の傷口に落ちた。


 痛みが一瞬で頭を支配する。傷口に刺されたような痛みが走り、それが波となって全身を駆け巡る。

 俺はガンッ! と思いっきり机に頭を打ち付けた。狂ったわけじゃない痛みを耐えようとしたあまりの行動だった。

 おかげで叫び声をあげることはなかった。

 だが、平静を保つことはできなかった。

 情けなくうずくまりながら、荒い呼吸をするしかできなかった。


「あ、すいませ……大丈夫っスか? 先輩」

「あぁ……だ、いじょうぶ、だ……」

「すいません、本当に大丈夫っスか?」


 自分でも思う。こんな反応しているやつ明らかに大丈夫じゃない。メアは訳がわからないといという表情だ。


「ユルト先輩、医務室行くっスよ。ついて行きますから」


 メアは俺の手を掴み、医務室に連れて行こうとする。その無表情な顔からは何を考えているのかわからない。でも心配はしてくれているのだろう。


「いや、だいじょうぶだ……一人で行ける」

「そういうのはその辛そうな顔引っ込めてから言ってくださいっス」

「いや、ほんと、大丈夫だから……」

「あ……」


 俺はメアの手を振りほどいた。心配してくれるのは嬉しいが、さすがに一緒に行くのは、というか医務室に行くのすら無理なのだ。だからもちろんこの後も医務室にはいかない。


「じゃ、行ってくる」

「あ、はいっス……」


 心配そうな声色と視線を背中に受けながら、ドアを閉めた。



 俺は確信した。これは無理だ。痛みはまだ俺が我慢すればなんとかなる。でも隠せるかと言われたら速攻で首を横に振らざるを得ない。

 傷口がまた食べさせるまでに直るとは到底思えないし、これからどんどん増えていくんだろう。考えるだけで気分が沈む。


「これは……やるしかないかな」


 そんなことを呟きながら、しばらくどこで時間を潰そうか頭を巡らせた。




「寒い……」


 一歩一歩歩くたびに、夜の冷たい空気が俺を包み込むようだった。憎くも今日は満月。綺麗な円の月が真上から俺を見下ろしている。騒がしかったアイラと歩いたこの通りも、真夜中という時間もあってとても同じ場所とは思えない。

 そんな中、目の前の男はフラフラと千鳥足で歩き、見ていて危なっかしい。あっちへ行き、こっちへ行き、時々倒れそうになったりして。

 そんな様子を俺は男の少し後ろから見ていた。所謂、尾行だ。


「もう後戻りできないよな……」


 少し前を歩く男に聞こえないようにそう呟き、なんとなく腰の剣に手を添えた。

 もう今日の仕事は終わった。あの後メアを誤魔化すのに苦労したが、何とかなった。

 本来なら剣は持つ必要はない。でも夜の警備中というていだから仕方がなかった。


 目の前の男は特に犯罪者というわけでも、危険人物というわけではない。ただのおじさん。ついさっきまで酒を飲んでいた、ただのおじさんだ。今はその帰りで、おそらく家に向かっているのだろう。


「もうそろそろか」


 もう結構歩き、夜でも賑やかな、居酒屋などが立ち並ぶあたりからかなり離れた。この時間にここにいる人はいないだろう。

 俺は彼に声をかけるべく、小走りで近づいた。


「すみません」

「あぁ? ……おお! 悪鬼隊の兄ちゃんか!」


 彼はこんな夜中に声をかけてくる俺を警戒しながらも、それが俺とわかると一気に打ち解けた調子になった。つくづく俺たちは街の人に信頼されていると思う。思わずそう感じてしまうほど、目の前の男は上機嫌なのだ。


「兄ちゃんはパトロールか何かか?」

「ええまあ、そんなところです」

「さすがだなぁ! この街が平和なのも、兄ちゃん達が頑張ってくれてるからだもんな!」


 大きく口を開けガハハと笑いながら俺の肩を叩いてくる。酒のせいか、変なテンションの高さに俺は苦笑いしか漏れない。


「で、何か用か?」


 来た。


「ええ、少し手伝って欲しいことがあって。こっちに来てくれませんか?」


 男は少しも疑うことなくわかったと頷き、歩き出した俺の後ろをついて来た。その足取りは危うくはあるけれど、俺、というか悪鬼隊の助けになれるのが嬉しいのか、とても軽い。

 ああ、心底自分が嫌になる。俺をーーこれから自分を殺す男をこれほど信用していることを、都合がいいなんて思っている自分が。


 しばらく歩き、街の端についた。この街は広い森の中にある円形の街だ。しかもそれが未だに広がり続けている。ここは、その作業場だ。木を切ったり、壁を作ったり。

 当たり前だが人はいない。まだまだ危険ということで、あたりに家すらない。

 さすがに変に思ったのか、男は声には出さないが不安そうに辺りを見回していた。


「……なあ兄ちゃん。本当にここか?」

「はい。それで、手伝って欲しいことですが……」

「兄ちゃん、どうした?」


 急に止まった俺を不思議に思ったのか、男は声をかけてくる。


 なぜか、そこから言葉が出なかった。

 頭がひどく痛む。ガンガンと何かに殴られているように痛い。

 警告のようだった。まだ間に合う、今なら引き返せると言われているようだった。

 わかってる。これが最後のチャンスだと。今まで人を殺したことはある。でもそいつらは賊や悪党で、悪鬼隊の名の下に、正義という大義名分があった。

 でも今回は違う。完全に私的な理由で、自分勝手に、理不尽に殺そうとしている。そこらの殺人鬼と同じくらいまで堕ちようとしている。


 探せば……他に方法があるかもしれない。人を殺さずに済むかもしれない。

 でもーー


「ーー時間がないんだよ……」


 ぼそりと、そうこぼした。男には聞こえなかったようだ。


 もうこれ以上に方法がない。

 なら、悪になってやる。どこまでも堕ちてやる。

 自覚しよう。俺は悪だ。

 人殺しは悪か? そんなこと疑う余地もない。なら、悪である俺がやるのは当たり前であり、なにもおかしなことはない。


 そう考えた途端頭の痛みが嘘のように消えた。あれだけ躊躇していた殺人も、今なら何の躊躇いもなくやれそうだった。


 普通、ここまで変わるだろうか。もしかしたら、暗示みたいに一時的なものなのかもしれない。


 でも今殺せれば十分だ。


 気持ちを落ち着かせるため、息を小さく吐く。


「すいません。大丈夫です」

「本当か?」

「ええ、そうです。あなたには頼みたいことがあるんですよ」


 普段と何ら変わらない笑みを浮かべながら、見せつけるようにゆっくりと剣を抜いた。


「……おい、兄ちゃん?」


 剣を見て男は怪訝な顔色を見せる。

 そして、切っ先を男に向けると、今度こそ驚愕に染まった。

 そんな表情を見ても、なにも感じない。むしろ頭の中がスッキリしていて、悪い気分ではない。もちろんいい気分でもないが。


「これが頼みたいことです」


 そう言って俺は剣を上段に構え、無情に、無慈悲に、こう言った。


「すまないがーー」


 ーー俺らのために死んでくれ。


 今度こそ逃げ出した男の背中に向かって、俺は剣を振り下ろした。


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