第5話 ーーわ、私がグールに?化け物に?

「クソッ!」


 草むらから飛び出してきたのは、いつものあいつらだった。

 緑がった茶色の肌に、一メートルもない身長、気味の悪い、人間のような顔のつくり、簡単に折れてしまいそうなほど細い手足。悲しくなるほどに、いつものグールだった。


 そいつらが近くにいたアイラを見た途端、奴らの赤い目の色が濃くなった、気がした。

 アイラはいきなり出てきた奴らに驚いたのか、尻餅をついている。そんなこと御構い無しに、やつらはアイラに襲いかかった。ギィギィと嬉しそうな声をあげながら、アイラの体を覆い隠すようにまとわりついた。

 その姿はさながら餌に群がる野獣のようだった。


 だが悲しいことに、それは事実なのだ。


「いやっ! やめて!」


 アイラの叫び声が焦りを募らせ、足の回転を早くする。

 少し離れた俺の位置からは、アイラとグール達がゴソゴソと蠢く一つの生き物のように見えた。


「はやく。はやくっ!」


 ついつい焦りからそんな言葉が漏れる。

俺自身足が遅いわけでもないし、アイラの元まで距離があるわけでもない。到着するまで一分もかからないだろう。あいつらも力はかなり弱い。俺がたどり着くまでに殺される、なんてことは万一にもない。

 だがやつらはグール。それだけでここまで焦る理由には十分すぎた。傷一つで死より恐ろしい結果になるからだ。

 だからこそ、彼女の悲鳴一つでここまで頭が熱くなる。


 不幸中の幸いか、やつらはたった五匹。通常グールはその弱さ故か十匹単位の群れで行動する。だから五匹というのは、かなり珍しい数字なのだ。

 グールは恐ろしく弱い。だから死に物狂いでジタバタ暴れてくれれば、アイラを傷なしで助けることもできる。

 だが、それも確実じゃない。


 奴らの姿が一匹一匹はっきりと見えるくらいに近づいた時には、俺の焦りは頂点に達していた。


「ぎいっ!」


 そんな情けない声を出しながら、グールの一匹がこちらに飛んできた。あのグールの蠢くなかに、アイラの足が見えた。おそらくアイラに蹴飛ばされたのだろう。それで飛んでしまうほど、グールは軽い。

 だがそんなことはどうでもいい。こちらに飛んできたのなら好都合。

 俺はそいつを躊躇いもなく薙ぎ払った。


 グールは不快なかん高い叫び声をあげ、人間なものとは違う、真っ黒な血があたりの緑を禍々しく染めた。ぶわっと不快な臭いが広がる。ベチャッと顔についた返り血を、走りながら袖で拭った。

 確認するまでもない。あいつはもう死んだ。


「あと、4匹」


 スピードを緩めることなく走りながら、そんな言葉が小さく、冷たく溢れた。

 奴らを殺すことだけが頭を支配して、思考がやけにすっきりしていた。


 そうだ、大したことじゃない。アイラに、俺たちに害をなすゴミを片付けるだけ。あいにまとわりついているものを取ってやるだけだ。


 俺は本能のままにグール共へと斬りかかった。

 奴らを殺す。それだけを考えて。




 気が付いた時には全てが終わっていた。


 どれくらい時間が経っただろうか。いや、そんなにかかってないはずだ。何しろ相手はグール五匹。それなら、殺すのに一分もかからない。


 さっきまでそこにあったはずの鮮やかな緑の草木や、その心地いい香り、穏やかな雰囲気はもうそこにはなかった。

 草木の緑は黒く染められ、あたりには血の匂い。穏やかな雰囲気なんてあるわけがなかった。命が消えたあとに感じる、虚しさのような感覚だけが漂っていた。


「お、おに……ちゃん」


 全てが終わり、静寂が支配していたこの空間では、それはやけにはっきり聞こえた。

今すぐにでも消えてしまいそうな、小さく細い声。

 アイラは腰を抜かしてしまったのか、地面に座ったままこちらを見ていた。

 その顔にあったのは、恐怖ただ一色だけだった。大きな瞳には涙を目一杯ためて、泣くのをこらえているのか表情は悲痛に歪んでいた。

 いつもの紅の髪も、自慢の白い肌も、黒い返り血で汚されていた。


 そんな状態でこちらを見るアイラを見て、胸が締め付けられるようだった。


 ああ、すまないアイラ。そんな表情をさせてしまった。こんなにも恐ろしいことを味あわせてしまった。


 今まで感じたこともないくらいに大きな罪悪感。それが俺の心の中をこれでもかというほど荒らしている。


 だが、それだけでは終わらなかった。


「アイラお前……傷が」

「……え?」


 俺の言葉を聞いた途端に、アイラの顔がわかりやすく絶望で染まった。


 右頬と右腕に一つずつ。純白の中に赤い筋が浮かび上がっていた。パッと見たところそこまで深い傷ではない。たぶん、ひっかかれたのだろう。かすり傷と言ってもいいくらいのものだった。


 蝕鬼病はグールによって感染する病気だ。グールは普通、俺のような職についていない限り、そうそう目にすることはない。だが、蝕鬼病はその恐ろしさ故に、一般人にもよく知られている。

 要するにアイラは知っていたのだ。その症状も。もちろん、その感染経路も。

 だからアイラの反応も当然といえば、当然のものだった。


「わ、私が……グールに?化け物に?」


 アイラは焦点の合わない目を見開いて、虚空を見つめながらブツブツと言い始めた。ついに溢れた涙が、頬に一つなや筋を残す。顔色も悪くなった。いつもの白を通り越して、青白くなっていた。

 それが俺の罪悪感をさらに膨らませる。


 気が付いた時には、俺はアイラを抱きしめていた。

 どこかにそのままアイラが消えてしまいそうで。それがとてつもなく不安で。

 アイラをここに留めておくように、存在を確かめるように強く抱きしめた。


 アイラは震えていた。カタカタとした振動が、俺にも伝わってきた。

 それはこれからを思ってだろうか。それともグールに襲われたから? 命が消える瞬間を初めて見たから?

 もしかしたら、グール共を虐殺する俺に対してかもしれない。


「大丈夫だ。傷を負ったからって、絶対に感染するわけじゃない。確率も、相当低い。だから、大丈夫」


 俺はアイラに語りかけるように、悟らせるようにそういった。

 いや違う。ただ俺が安心したいだけだ。そう思いたいのは、他でもない俺だった。

 なんでもないかすり傷のように、1週間もすれば治るはず。そして、そのまま何にもなかったかのように生活していけるはず。そんな淡い希望を抱きたかった。


「……本当に?」


 風が吹けば消えてしまいそうな声で、アイラは言った。縋り付くようだった。俺の言葉に、なんの根拠もない慰めに。

 その震えた声が、俺の顔を歪ませる。


「ああ、本当だ。きっと大丈夫。だから、早く帰ろう」

「……ぐすっ……えぐっ……うぁぁぁあああ」


 俺の言葉に安心したのか、アイラはそのまま泣き出した。その不安を、恐怖を吐き出すかのように、声をあげて泣いた。

 その泣き声一つ一つが、俺の罪悪感を膨らませるようだった。心臓をえぐっているようだった。


「怖かった……私、すごい怖くて……」

「ああ、ごめん。俺が悪かった……」


 俺は抱きしめたまま、アイラの頭を撫で、背中をさすってやった。大丈夫、大丈夫と、幾度となく囁き続けた。ごめん、ごめんと、何度も心の中で謝った。


 この場所に来る前の俺を、殺してやりたい。

 何が大丈夫だ。何が対処できるだ。

 根拠のない思い込みと、それによる油断。それらがこの惨劇を生み出した。

 穏やかな雰囲気に流されて、ここが街の外だということを一時忘れていた。

 その事実が俺を苛立たせる。



 結局それは、アイラが泣き疲れて寝てしまうまで続いた。その頃になると、俺自身もかなり憔悴していた。どうやって家まで帰ったかなんて覚えていない。気が付いたら家のベッドの上で次の日の朝を迎えていた。


 ザワザワと、風が木の葉を揺らす音がやけに大きく聞こえた。

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