第3話 過去

「休暇!? お兄ちゃん、仕事休みなの!?」


 仕事も終わり、食事も風呂も終わらせ、兄妹でのんびりしている時。なんとなく今日から休暇をもらったことを思い出してアイラに言うと、そう返してきた。その端正な顔は、褒めてあげたくなるほど純度100パーセントの歓喜で染まっていて、おもわず抱きしめたくなった。


「ああ。一週間くらいだけどな」


 こちらもつられて笑顔になりながら、そう返した。

 隊長曰く、最近俺の顔に疲れが見えてきたからーーということらしい。


「最近は新しく入ってきたやつの指導で忙しかったからな。それくらいの工面はしてもらわないと」

「確かに最近帰ってくるの遅かったし、休みも潰れたりしてたもんね。しかも帰ってきてもすぐ寝ちゃうしー」


 そう言ってアイラは、口を尖らせながらそっぽを向いた。もしかして、拗ねているのだろうか。俺は自分でシスコンだと自覚しているが、こいつもなかなかのブラコンなんじゃないだろうか。


 さすがに構ってもらえなかったなんて理由じゃないだろうけど、寂しい気持ちにさせたのは事実なわけで。

 申し訳なく思い、気がつくとアイラの頭に手を伸ばしていた。


「悪かったよ」


 そういって頭に乗せた手を動かしてやる。

 燃えるようで、それでいて透き通るような紅色の髪の流れに沿って、撫でてやる。


「そうやって誤魔化そうとしても、そうはいかないよ?」

「そういうことは、俺の手をどけてから言って欲しいな」


 ついでにそのほんのり染めた頬もな、なんて口に出そうになったがさすがに自重した。

 そんなアイラはといえば、こう俺が言ったのにもかかわらず、未だに手をどけようとせずにいた。


「うぅ……とにかく! 休みの日の間何日かは、私に使うべきだと思うのです!」


 アイラは、俺の顔をビシィ! と指差しながら、そう言った。でも撫でられながらだから、どうにも締まらない。

 おかしくてすこし頬が緩むと、もう! と今度こそ頭から手をどかした。


「あんまりからかわないで」

「はは、ごめんごめん。まあ、安心しろ。お前に言われなくても、そうするつもりだったからな。なんなら全部使っても構わないぞ?」

「べ、べつにそこまでしなくても……」

「俺が悪いって思ってるから、そうするんだよ。それに……」


 ーー俺自身、寂しいと思っていたのも事実だしな。


 そう付け加えるとアイラは、そっかそっかと満足そうに頷いた。





 翌日。

 俺とアイラは、町の店が集まる、商店街とも言える場所を二人で歩いていた。

 雲ひとつないく冴え渡った空の中、堂々と太陽が上空に鎮座している。それに見守られた通りには、多くの建物が林立し、活気ある人々の笑顔が咲いている。

 いい街になったと思う。最前線とまでは行かずとも、まだまだ開拓の前線に近い街だというのに、人は多いし、栄えている。「衛兵工場」と例えられ、他の街に派遣するほど衛兵が多いことからくる安心ゆえなのだろうか。

 この絵に描いたようないい街の光景を見るたびに、胸の中が明るくなる。


 そんな密かに上機嫌になっている俺以上に、アイラはご機嫌だった。今にも鼻歌を歌いだしそうなほどだ。


「いいのか? こんなので。休暇はいくらかあるから、すこしくらい遠出もできたぞ?」

「いいのいいの。こうやってお兄ちゃんとぶらぶら歩いているのがいいんだよ」


 俺の何気ない質問に、すこし前を歩いていたアイラは、わざわざ振り返ってそう答えた。


「お兄ちゃんは嫌?」

「そういうわけじゃない」

 ーーなら、いいじゃん。


 そういってアイラは満足そうに顔をほころばせると、再び歩き出した。

 別にそういう意味で聞いたわけじゃない。せっかく1週間もあるから、それくらい要求されてもおかしくなかったからだ。なのに言われたのは、休日の散歩。俺自身、どうせなら遠くの、普段行けないようなところに連れて行ってやろうかな、なんて考えた。

 疲れているだろうと俺に気を使ったんじゃないか、なんて心配していたのだが、そんなこともなく安心した。



 それからは、なんてことのない、特別なことなんて何もない、普通の散歩をした。

 ぶらぶらと歩いて、たまに休憩を挟みながら商店街を歩く。

 時折アイラが気になる店を見つけてはそこに寄ったり、美味しそうなものを見つけては買って、そこらにあるベンチに座って二人で食べたりした。


 アイラの顔には相変わらず笑顔が絶えない。

 その笑顔につられて、俺も、店の人も、そこらの通行人も、皆笑顔になっている気がする。気がするだけだが、いつもより笑顔が多いと感じるのは、気のせいじゃないだろう。


 俺がしていることは、言ってしまえばただ単に付いて行っているだけに近い。

 それでも、アイラは楽しんでくれている。

 アイラが幸せなら俺も幸せだ。

 そんな歯の浮くようなセリフだが、事実なんだからしょうがない。




「おうアイラちゃん! 今日は一段とご機嫌だねぇ!」


 ぶらぶらと歩いていると、アイラがよく通うらしい、八百屋のおじさんが声をかけてきた。相変わらず大きくてよく通る声だ。

 アイラは、こんにちはと言ってそちらの方へ歩いていく。

 俺は、その豪快な笑いに気圧されて、若干引き笑い気味になりながら、軽く会釈した。


「今日はユルトさんも一緒か! 今日は仕事はないんですかい?」

「ええ。1週間ほど、休暇をもらいまして」

「でも武器は持ってるじゃないか」


 そういっておじさんは俺の腰を指差した。

 そこには、いつも俺が使っている剣がかけてある。


「まあ、仕事柄の癖ですよ。いつなにが起こるかわかりませんからね」

「なるほど! さすがこの町の誇り、悪鬼隊の一員だ!」


 そういって彼は口を開けて笑いながら、俺の方をバシバシと叩いてくる。そのテンションについて行けず、俺は苦笑いをこぼすことしかできなかった。


「ねえおじさん? どこか、落ち着いて休憩できるところ知らない? 歩き疲れちゃって。静かなところで休憩したいんだけど……」


 そういってアイラはぐるりと辺りを見渡し、これじゃあねと肩をすくめた。

 確かに、時間もまだ昼頃。俺もすこしだが、疲れが見えてきた。

 辺りに人は多く、これが静かだなんて誰も言わないだろう。とてもじゃないが、落ち着いて休憩なんて出来そうもなかった。


「そうだな……街を出て、すこし行ったところに、綺麗な池がある。そこがオススメだ」

「えー……街を出るの?」


 それを聞いたアイラは、明らかにげんなりとした表情を見せた。


「まあ、そんな顔するな。たしかにすこし歩くことになるが、それだけの価値はあると保障するぜ!」

「だとさ、どうする?」


 うんうんと、疲労と好奇心の間で唸っているアイラに問いかける。


「……お兄ちゃんは?」

「俺か? 俺としては、そうだな……そこまで言うんだから、気になるかな」

「そっか……そうだね、それじゃ行こっか! ありがと! おじさん!」

「おう! 楽しんでこいよ!」


 アイラは手を振って、俺は軽く会釈して、その場を離れた。

 アイラは確実に疲れてきているはずだが、その足取りにはそんなこと微塵も感じられない。それほど、また上機嫌になっていた。

 そんなアイラの後ろを俺は追いかけるようについていく。


 そういえば。


 最近、グールを見かけたという報告があったことが、頭の隅でぷかりと浮かんできた。


 まあ、大丈夫だろう。そんなに街から離れるわけでもないし、俺もいる。剣も持っている。グールを殺したことは何度もある。


 だから、大丈夫だ。

 なにがあっても、俺が対処できる。





 そんな、なんの根拠もない、愚かな思い込みにまみれた選択。

 そして、後に俺の人生で最も後悔することになるだろう選択を、俺はこの時下した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る