第1話 ーー全然笑えてないっスよ、先輩

「いやぁ、平和だなあ……」


 そんな言葉が口を突いて出た。体をぐーっと伸ばすと、ポキポキと関節が鳴る。それがなんだか気持ちいい。

 もう太陽は傾き始め暑さも和らいだ。そんな心地いい気温の中、くぁとあくびを一つ。

 と同時に、この部屋の机の木の香りや、積み重なって埃までかぶっている紙の匂いが、重なり合って鼻の中に飛び込んでくる。

 俺は衛兵なんて危険が伴う職業についている身だ。それに、俺の所属する部隊は、他のところよりも忙しい。こんな日中にのんびりするなんて、珍しいことなのだ。


 だから、すこしくらい満喫しても、具体的に言うなら、昼寝してもバチは当たるまい。


 そう思い俺は、早速昼寝の体制に入る。

 暇とか言ったが、思ったより俺は疲れていたらしい。すんなりとまぶたが落ちて、だんだんと意識が闇に沈んでいく感じがした。



「ユルト先輩」

「……なんだ後輩」

「暇っス構ってください」

「……」


 もう直ぐ途切れそうだった意識は、俺の後輩ーーメアの呼びかけによって、再び繋ぎとめられてしまった。

 何を言っているんだこいつは。


 肩で切りそろえられた綺麗な黒色の髪を揺らしながら、メアは真顔でそう言ってきた。

 彼女の肌は氷のように真っ白で、綺麗だ。それとは対象的に、髪の色と同じ、陽の光ですら吸い込んでしまいそうなほど黒色の双眸に見つめられ、なんとなく身構えた気持ちになる。

 おかしい。俺の方が先輩なのに。蛇に睨まれたカエルとはこんな気持ちなのだろうか。

 隣に座っているところを体ごとこちらに向け、真顔で俺を呼ぶものだからなにか大事なことでも言うのかと思っていた。

 でもそんなことを言われると、バカにしたというか、アホを見るようなというか、そんな目線を向けずにはいられない。


「なんですか? その目は」

「いや、別に。いい年したやつが構ってなんて言って恥ずかしくないのかね」

「いい年したってなんですか? 私まだそんなこと言われるほどの歳じゃないっスよ?」

「はいはい、わかったわかった」

「ちょっとなんですかユルト先輩。その反応は」


 雑な反応が気に障ったのだろうか。俺といるときは感情をあまり顔に出さないーーと言ってもよく見れば結構出てるものだがーーメアだが、なんとなく怒っている気がする。ああだこうだ言いながら俺に詰め寄ってくるメアを、俺は片手で押し返した。

 こいつはこんな口調だし、性格もどちらかというと男寄り。それでも一応女子なのだ。さらに容姿も整っているときた。詰め寄られた時にふわっと感じた、女の子特有の香りのせいで、顔に熱がこもるのを感じた。


「なんっスか? 顔を赤らめて。きもいっスよ?」

「がはっ!」


 いつもこうだ。俺は先輩なのに、こういう風に遠慮なく毒を吐く。別に先輩ということを鼻にかけてどうこう言うつもりはないが、俺は先輩だぞとか、やっぱりそういう風に思ってしまう。

 ああもう、本当にうちの後輩はめんどくさい。

 めんどくさいがーー


「はぁ……。しょうがないな」


 俺はため息を吐きながら腰を上げた。

 めんどくさいが、どうにも嫌いにはなれないらしい。なんだかんだ言いながら、こいつには嫌われてはいない。むしろ、好感は持たれていると……思う。これが勘違いだったら家で一人で悶えることになりそうだが。

 可愛い後輩のわがままを叶えてやれる、何かはないかと周りを見渡した。


 大したものはない。この部屋にあるのは、ちょっとしたことで崩れそうな、乱雑に積まれた書類の山々くらいだ。

 書類の整理でもしたら?

 なんてことを言おうと思ったが、まあやらないだろう。あいつは基本真面目だが、やらなくていい仕事を進んで受けるようなやつじゃない。俺もだが。


 ふと窓の方を見ると、緋色に染まり出した日光が、カーテンの閉められていない窓からゆらゆらと差し込んでいて、塵が舞っているのが見えた。


 もう夕方なのか。

 そんなことを思い、大した理由なんてないが、なんとなく窓へと歩いていく。

 いつのまにかメアも椅子から立ち上がって俺の横に来ていた。


 俺とメアが所属する悪鬼隊には、特別に執務室のようなものが与えられている。そしてそれは訓練などに使われるグラウンドを、ちょうど見下ろせるところに位置している。だから、訓練している様子を見ることができることが多い。


 毎度毎度思うことだが、この隊の名前はどうにかならないものだろうか。思いっきり悪役の名前だ。

 隊長曰く、


『悪を滅する鬼となれ』


 という意味でつけたらしいのだが……まあどうせ適当につけたのだろう。

 おかげで隊の名前を言うたびに盗賊やらと間違われ、誤解を解くのに無駄な手間がかかるようになってしまった。



 まあ、それはともかく、訓練の様子は今日も例に漏れず、見ることができた。

 夕陽の橙色の光に照らされながら、怪物の咆哮にも劣らなさそうな教官の怒号が響き、それに応えて若い兵士たちの声が行き交う。 グルグルとグラウンドを走っている者、筋トレをする者、剣で模擬戦をしてる者。誰もが辛そうな顔をしているが、その眼差しは皆強い。


「懐かしいな……」

「ユルト先輩もあんな風にしてたんスか?」


 誰に向けて言ったわけでもなかったが、俺の独り言に答えるように、メアは俺に問いかけてきた。


「ああ。憲兵に入ったのが他のやつより若い時だったからな。むちゃくちゃ辛かった覚えがある」

「へぇ」


 興味なさそうに返事をする彼女は、少しだが驚いているような表情をしていた。


 憲兵に入るには訓練兵から始まり、正式に入隊、というのが一般だ。しかしごく少数だが組織内の上の連中が、強い者、見どころのある者をスカウトすることもある。と言っても、正式ではなく、ほとんど権力にものを言わせるようなものだが。

 自分で言うことでもないし、こいつにも言えることだけど、俺は憲兵にしては若い方だと思う。だからこいつは、俺がスカウトのようなもので入っていて、訓練期間はなかったと思っていたんだろう。


「お前はやったことあるのか?」

「ないっスよ? 私は隊長からのスカウトっスから」

「なら、せっかくだし参加してみたらどうだ? 暇なんだろ?」

「あー……」


 メアは改めて外を見た。

 先ほどと変わらず、彼らは切磋琢磨している。泥と汗でぐちゃぐちゃになりながら、走り回っている。メアはそんな彼らを引き気味に見ていた。

 まあ、言いたいことはわかる。仮にもメアは年頃の女の子。あんな風に汗を流したり、泥だらけになったりするのが嫌なんだろう。


「……か弱い乙女にあんなことさせるんスか? 先輩、鬼畜っスね」


 彼女は一歩後ずさり、自分の体を抱き寄せるように、俺のことを軽蔑するような仕草を見せる。だが彼女の態度とは裏腹に、すこし楽しそうに見えるのは、俺の気のせいだろうか。

 というか、その視線をやめてほしい。本気で軽蔑してるわけじゃないとわかっていても、すこし傷ついてしまう。でもまあ、彼女とはある程度の時間関わってきているから、慣れもすこしはあるわけで。それにそんなことを言っても、それをネタにまた毒を吐かれるのは火を見るよりも明らかだから、黙っておくが。


「なにがか弱いだ。お前あいつらより強いじゃないか。よく聞くぞ? 女より弱いだなんて、立つ瀬がないって嘆いてるの」


 実際、俺らみたいに戦闘が主な職に就いてると、女性にアピールできることなんて強さしかなく、守ってかっこいいところを見せたいわけで。なのにそこも負けていては何も言えなくなるのだ。


「にしても、女なのに訓練せずにその強さって……化け物だな」

「女子に向かって化け物とは失礼じゃないっスか?」

「そう言われても仕方ないってことだよ。まったく、なんでそんなに強いんだろうね」

「……まあ、いろいろあるんですよ。乙女の秘密を探ろうとすると、モテないっスよ?」


 そういう彼女の口調こそ、いつもの俺を小馬鹿にするようなものだった。だけど、どこか陰のある表情をしていて、瞳の黒がより一層深くなった気がした。


 うっすらと匂わされた拒絶によって、話の流れが止まってしまう。彼女も何も話さない。


 いつまでも続くかと思われた沈黙は、午後6時を知らせる鐘によって破られた。


「……じゃあ、俺はもう帰るわ」

「あ、りょーかいっス」


 俺は自分の机に戻り、いそいそと、自分の荷物をまとめ、帰りの支度を始めた。とは言ってもまあ、大したものはないんだが。


「ユルト先輩はいいですよね、早く帰れて。私、これから見回りっスよ?」

「きちんと仕事してるようだな。えらいえらい」

「あ、ありがとうございます……って違うっス!」


 褒めて欲しいのかと思って頭を撫でてやったんだが、どうやら違ったようだ。

 彼女にしては珍しく顔を朱に染め、こちらを刺すように睨みつけてくる。そこまで怖くもないのは、彼女自身そんなに強く怒っているわけではないからだろう。なんだ、可愛いところもあるじゃないか。


「別に早く帰るのだって理由があるし、隊長に許可はもらってる」

「それはそうなんですけどー……」


 彼女は机に腰を置き、ブラブラと足を揺らしながら、拗ねたようにそういった。

 まあ、なんだかんだ賢いこいつのことだ。そのあたりもきちんと理解しているだろうし、こいつ自身、ただ愚痴りたかっただけとか、話題が欲しかったとかの理由で言い出したんだろう。

 となると、次にこいつが聞いてきそうなのはーー


「ユルト先輩が早く帰る理由って……妹さん、でしたっけ」


 予想通り。正直そんな暇つぶしみたいなものでプライベートな部分に踏み込むのは、如何なものかと思うが、まあ置いておこう。


「ああ。妹が2年前くらいから病気なんだよ。結構珍しい病気らしくてな。俺が面倒を見てやらないと……」


 そんな質問に俺は、当たり障りのない、あらかじめ用意していた返答をした。

 用意ていた、なんていっても別にこれが嘘というわけでもないが、説明不足ではある。


 俺の返答になんの疑いを持つことなく、そうでしたっスねと頷くメアを見て、黒いモヤモヤが俺の胸をすこし覆った。


 気を使わせるようなことを話したせいか、この場がなんとなく気まずい空気になってしまった。ちょうど帰りの支度も終わったので、やけに重く感じる荷物を肩に担ぎ、気まずげな空気と背後からの視線を無視して、部屋から出ようとした。


 正直自分でも、この空気の中何も言わずに立ち去るのはどうかと思う。だが正直、この空気をなんとかできるような気の利いたことは言うことはできない。それに何より早くこの場から立ち去りたかった。今はメアの顔を見たくない。一緒の空間にいたくなかった。

 そんな気持ちを背負ってドアノブに手をかけた。


 でもそんなこと、彼女は許してくれなかった。


「あの……私、お見舞いに行ってもいいっスか? ユルト先輩にはお世話になってますし、ご挨拶くらいはーー」

「だめだ!」


 しまった。

 やってしまった。

 思わず叫んでしまったのは、ほとんど反射に近いものだった。


 彼女はどんな顔をしているだろうか。

 恐る恐る振り返る。すると彼女の顔には驚きと、すこしの怯えが混じったような表情が浮かんでいた。予想外だ。

 そのあとすぐに彼女ははっとして、無表情の仮面をかぶった。だが彼女は気づいているのだろうか。動揺を隠しきれずに、視線が忙しなく動いていることを。


「……すまん、驚かせる気は無かった。でもやっぱり、珍しい病気だから、何があるかわからないんだよ。お前まで感染したら大変だろ?」

「確かにそうですが……」

「それに、俺のせいでお前がなにか変な病気にかかってみろ? お前は顔だけはいいんだから、お前を気に入っている男共に半殺しにされかねんからな」


 そう俺はさっきの失態を誤魔化そうと、普段と変わらないように、笑った。少なくとも、俺はそう笑ったつもりだった。

 彼女の方も、確かにそうっスね、なんて軽く笑って見せた。


「じゃ、俺はもう行くから」

「……はい。お疲れ様っス」

「ああ。お前も頑張れよ」


 扉を開け、一歩外にでた。

 そこでなんとなく、肩越しに後ろを向くと、それに気づいたメアが、珍しく微笑みながら顔の横で手を振っていた。夕日をバックに微笑む彼女は、想像以上にきれいで、不本意ながら見惚れてしまった。

 慌てて俺も軽く手を振り返して、後手にドアを閉め、家に向かって歩き出した。






「……全然笑えてないっスよ、ユルト先輩」

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