第3話 吸血女王が倒せない



 ちくちくちくちく。侍女がやるには見慣れた光景だが対象が人体(しかも自分)というのは異様だった。


「俺が一度死んだ?」

「そもそもヴィクターは先代様の使い魔の攻撃で生き絶える寸前だった。覚えているかあのコウモリだ。かわいいデザインだったな」


 どこがだと睨みたいが、それよりも目の前の裁縫に目が離せない。痛みはないのに針が通り糸に締め付けられる不快感は消えない。


「あれに攻撃されてヴィクターは九割以上死んでいた。そのままにしては死んでしまうのでしまうので、人間の血液をすべて抜き我が体液を与え下級の吸血鬼とした。・・・・・・仕方がなかったのだぞ、あのままでは死ぬしかなかったのだから」

「・・・・・・」

「今はようやく目が覚めたが、あと一週間は使い魔でいてもらう。蘇生には成功したが健康体になるまでにはそれくらいはかかる。それまではこの北の宮で客人になってもらう。その頃にはちゃんと人間に戻してやる」

「・・・・・・どうして?」

「助けた理由? さっき言っただろう。助けることに理由なんかない。ただ困っていたから出来ることをしただけだ」


 玉結びを終えて裁縫用のはさみで糸を切ると腕はきれいに戻った。


(一度死んで、吸血鬼として生き返った・・・・・・?)


 いいニュースと悪いニュースだ。一つは死なずにすんだ。もう一つは吸血鬼では王にはなれない。


「俺は王族なのに・・・・・・吸血鬼なんて最悪だ」

「ふむ? やはり吸血鬼は世界の嫌われ者か」

「人間が食料なんだから当然だろ」

「むう・・・・・・私たちなりに人殺しをしないようにちょっとしか吸わなくてもか?」

「そんなことしてんのかよ、変な吸血鬼」

「血液パックの血は味気なくても我慢しているのに・・・・・・人間は人間同士殺しあうのにお互いを嫌わない。なのに吸血鬼ばっかりは恐れるのか。あー、理不尽だ理不尽」

「人間に好かれたいのか?」


 ふふふ、とフロリゲンは少女といって差し支えない顔に冷静な女性の笑みを浮かべた。


「バカな奴・・・・・・な、今度は何するやめろ!」

「命の恩人に向かって失礼な男だな、ほら熱を図らせろ」


 問答無用で額に手が当てられ、熱が上がる。滑らかな腕の陰から美しい少女が見える。がーっと熱が上がり、すぐに覚ました。落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け。


 ぽかり。せっかく落ち着いてきたのに女王はよけいなことをした。


「しかし、王子よ! そなた命をなんだと心得る!? 北の荒野は人間が足を踏み入れれば死んでしまう場所だと知らなかったわけではあるまい」

「は? 心配でもするのか、変な吸血鬼」

「今は君も吸血鬼だ! 命はたった一つしかないかけがいのないものなのはよく知っているだろう!?」

「知らねえよ、てかなんで王子とか知ってんだ。ストーカーかよ」

「ストーカーなら我が配下の使い魔におるが?」

「本家かよ……」


 話が上手く噛み合わないまま、女王はずずぃっとにじり寄った。彼女は鮮血のように美しかった。頬は白く、髪は夕日のように赤い。高まる拍動にヴィクターは仰け反った。


「話をちゃんと聞け! 命は両親の献身の賜物で、全ての愛の象徴の一つで……」


 美しい少女が指をさして綺麗事を説教する。


(そんな普通の可愛い女の子みたいな姿を見せるな、殺しにくい)


 そのまま十分も説教を聞き流す羽目になる。ヴィクターの性格からするとあり得ない忍耐だ。


なんだこれは。この女を殺せば王になれるという話が嘘じみている。だって助けてくれて、死んではいけないと諭してくれる。


 これが本当に極悪非道の北の山の主、吸血鬼の女王フロリゲン・フランケンシュタインなのだろうか。


「・・・・・・」

「・・・・・・というわけで命というものは何より大切にしなければならないのだ! わかったか?」


 この女は命の恩人だ。

 この女は今会ったばかりのヴィクターを心配している。

 きっと優しいんだろう。


「・・・・・・」

「わかってくれないのか、ヴィクター。君は危ないところだったんだ。危険な場所に近づいてはいけない、これからは自分を大切にしてくれ。約束してくれるか?」


(この女を殺せば、王になれる?)


 命の恩人を殺す? 父だって自棄になっただけのあの言葉をわざわざアテにして? ・・・・・・命を大事してくれと約束を迫ってくる女の子を自分は殺せるのか?


「約束してくれないのか、ヴィクター?」

「・・・・・・わかった」

「えっ」

「約束する、これからは自分の命を大切にする。命を危険にさらすようなまねはしないよ」

「本当か!?」


 フロリゲンが椅子から立ち上がる。その拍子に丸テーブルの大きな蝋燭立ての火が揺らめいて、彼女の赤い巻き毛をきらきらと瞬かせた。


「説教を終わらせるための適当な方便でも嬉しいぞ! 言葉には力がある、君がそう言ってくれればきっといつか本当にそう思ってくれる。私はそう信じる」

「なんだそれ、人を嘘つきみたいに。俺だって死にかけたんだ。人生観くらい変わるさ」

「死の経験が君を変えたんだな、理由はちょっといただけないがそれでも嬉しいぞ。そうか、死をもってして生きる意味を知る。書物にもよくある記述だな。よかったよかった・・・・・・ああ、とても嬉しい。

 そうだ、喉が渇いたろう。この喜びの礼に私が茶を淹れよう」


 そう言って扉に向かって振り返るフロリゲン。三歩歩いた瞬間ヴィクターはベッドから飛び起きた。


(こんなチャンスもうないかもしれない!)


 バカな女。こんなアンティーク燭台なんか使っているから殺されるのだ!


「……ヴィクター?」


 ヴィクターはフロリゲンを床に押し倒した。そして傍らの燭台から蝋燭を振り落とし、鋭い刃の部分を剥き出しにする。

その切っ先をフロリゲンの首筋に突き刺した。


「死ね」


 助けれくれた優しい女だから、王になるのを諦める? 馬鹿馬鹿しい。


 どんな生物であれ首を串刺しにされてダメージを負わないはずはない! 一撃で無理なら何度でも・・・・・・。


「なんだい、これは?」

「嘘だろ!?」


 燭台は正確に彼女の首筋に突き立てられている。人間ならば動脈をやられてショック死か出血多量だ。


それが金属の刃先の方が欠けた。

 フロリゲンの雪の肌は赤子に触れられた程度にしか感じなかった。生き物に尖った金属を突きつけているのにぶ厚い氷のような手応え。


 面倒そうなため息が蝋燭の燃えかすの火を消した。


「覚えておけ、少年。吸血鬼の女王を傷つけることは誰にも出来ない。一部の例外をのぞいてな」


 燭台を手放そうとするが手が動かない。イビルアイの類に真っ直ぐ見られた。フロリゲンの魔の瞳に見つめられて、ヴィクターの肉体の支配権は彼女の手に落ちた。


「・・・・・・やっぱりさっきの言葉は嘘だったんだな。確かに言葉だけでも嬉しかった。しかしこういう目的のためだとすると私は悲しい」


 呼吸ができなくなり、もがくが女王は見つめるのをやめない。二分ほど呼吸を許されないままとなり、やっと動けるようになったヴィクターは荒い息を繰り返すしかない。肺に酸素を送る以外何も考えられなかった。


「けれど・・・・・・ヴィクターは思い切りがいいな、そういう性格嫌いではないぞ」

「こ、この、ばけ、もの……!」

「ちなみに君が持っていた刃物や銃、あのスカイクロウという大戦の遺物に轢かれても、私には傷はつけられない」


 聞き捨てならない。それならどうやってこの女を殺せばいい。


「吸血鬼とはそういうものだ……いやそれはさすがに冗談だ。私くらいだよ、スカイクロウに轢かれても機械の方が壊れてしまうのは」


 ハンカチを拾うような仕草でフロリゲンはヴィクターを持ち上げ、ベッドへ放り投げた。


「君は私を殺して名を上げに来たのかい?」

「……そうだ、吸血鬼の女王を殺せば後継者に指名すると父上は約束した」


フロリゲンはうーんと首をひねってじっとヴィクターを見たので心臓が跳ねる。


「私を生け贄にしても、別にかまわない。これでも人間として五十年の人生を一度は全うしていてな。今更意味のある死を避ける理由はない」 

「は?」


 まさかの本人承諾?


「しかし、事情がある。そういうわけにはいかないのだ。私は一週間後に世界を救わねばならないのだ。……だから今はヴィクターの手にかかるわけにはいかないのだよ」


 それ以降なら構わないとフロリゲンは優しく微笑むとヴィクターの頬を撫でた。


「ところで君を全裸にして下着まで取り替えて、生まれたままの姿をあまつなく見た件だが」

「ごふっ!?」


 突然思い出してヴィクターは酸素を吐き出した。


「おいそっちこそ色情狂だろ! 女王なんだからそれくらい誰かに・・・・・・」

「本当は従者にやらせた、ちゃんと男だぞ? 私なりのジョークだったのだ。許せ」


 従者らしき男が入ってくると彼女はまた来ると部屋を出て行った。


「ようこそ、ヴィクター。吸血鬼の世界へ」


 去るフロリゲンの声はやけに響いた。



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