第2話 死の淵から目覚める


 ヴィクターは適度な温もりの部屋で目を覚ました。


「・・・・・・あれ?」


 見るからに安全な場所だった。

 眠っていたのは窓辺のベッドらしく、傍の窓から見える風景と重力を感じさせないスプリングの効果で宙に浮いた錯覚を受ける。


 全身が超音波でズタズタになった・・・・・・はずなのに痛みを感じるはずの全身はちっとも痛くない。何とか動く右腕を動かす布に巻かれた感触がする。


 どうやら誰かに手当されたらしい。

 眼球の動きだけで周囲を確認する。右側には大きな窓に夕日のように赤いカーテンが掛かっている。

左側には誰もいない部屋。左の手の届く丸テーブルの上に水差しと炎が揺れる蝋燭立て。光明石もガスも使わずに蝋燭立てとはこの部屋の主はアンティークな趣味があるらしい。


(火は本物か、逃げるなら持っていくか?)


 しかし逃げる以前にここはどこなのだ?


 ゆっくりと瞬きを繰り返し、記憶を巡らせる。北の荒野、スカイクロウのダメージ、巨大なコウモリ……あの真紅の吸血鬼。


「あいつはどこだ・・・・・・そうか、確か俺は血を」

「気が付いたのか、ヴィクター」

「・・・・・・吸血鬼の女王!?」


 ほんの十秒前誰もいないと確認したはずなのに、当たり前のようにベッドには女が座っていた。女というより少女、ヴィクターとほど変わらない年齢に見える(吸血鬼なので見えるだけだろうが)。肖像画と通り人ではあり得ない美しさと紅い髪の色は間違いない。


「……なぜ俺の名を知っている?」

「近隣の王族の名前くらい覚えるさ。私はフロリゲン、北の山の城の主人だ。まあ一部では吸血鬼の女王などと呼ばれているらしいが」

「お前が俺を助けたのか?」

「おやおや、あまり派手に動いてはいかんぞ。君は二日も目を覚まさなかったのだ」


 フロリゲンは初対面よりずいぶん寛いだ服装になっていた。白いブラウスに赤いハイウェストのスカートが髪と違った赤色で髪の色を一層引き立てていた。初対面の派手な服は外出用らしい。


「まさか手当をしたのはお前か? 何が目的だ」

「君は拾った子犬がけがをしていたら助ける理由をいちいち探すのかい?」


 思い出してきた……確かスカイクロウを巨大コウモリに破壊された後、この吸血鬼が現れたのだ。ヴィクターは腰に手を伸ばしたが、短剣はない。胸のベルトに手をやるがナイフもない。


 というか、服が違う。旅装から寝巻きになってる。着替えた記憶はない、つまりは。


「ふ、ふふふ服が!? ……ま、まさかお前が!?」

「ああ、ぐったりしていたからな。私の手で全身くまなく脱がせて、新しい寝巻きに替えた。……下着までな」

「こ、ここ、こんのセクハラ女っ!」


 負けるとわかっていてもやられっぱなしというのは出来なかった。せめて胸ぐらをつかんでやろうと・・・・・・。


 むに。


「え、なにこれ?」

「・・・・・・君、なんだねこれは?」


 手元が首から下に狂った。触れたのは手に収まるちょうどいいサイズの乳房。吸血鬼が相手とはいえ流石に恥ずかしくて、手を離す・・・・・・はずが、その手をガシィと女王の手がつかむ。


 おかげで胸から手が放せない。


「君はまさか私に一目惚れでもしたのか? いや自惚れるつもりではないのだが、私の容姿を作った人間は芸術家でな」

「離せよ、離せ離せ! こ、このままじゃ」

「私の外見年齢で一番美しい吸血鬼の少女を作るために、全世界からありとあらゆる少女の肖像画を集めたらしい。それはいいのだが私の肖像画を大量に作成して各地にばらまくのは勘弁してほしかったな。君も見ただろう私の量産肖像画を」

「勘違いするな、俺はお前に興味なんかない! だからこの手を離せ!」

「では一つ尋ねよう。君は色情狂か?」

「はあ!?」


 離せ、離せ。もう一分以上これ以上掴まないように後ろへ後退しているんだ。


「異性に対する劣情を持て余し日々過ごしているのか。ほら、瀕死からようやく目を覚ましたのにこんな事するし、私が人間など一ひねり必殺の吸血鬼の女王と知っているはずなのに・・・・・・死を厭わない色情狂か?」

「違う! い、いいから手を離せ」


 胸から手が離せないだろうが! しかし女王、フロリゲンはずいっと身を寄せる。おかげで彼女の澄んだ碧の瞳に胸を掴んだままのヴィクターが映っているのがいやでも見える。

白状しろ白状しろと迫ってくるフロリゲンを遠ざけるために後ろへ引く。しかしすぐに壁が!


「質問がある、君はいつもそうなのか? 異性であればその全裸にしか興味がないとでも、自分の年頃なら仕方ないと供述し続けるのか? 君は年齢か? 十代二十代三十代とその言い訳を続ける気かい? 君自身には個性がないと?」

「異性への興味なんてどうでもいい! 王になることしか興味はないから手を離せ! なんでもいいから手を離せ! セクハラになったのは事故だ、このままじゃ」


 弾みで揉んでしまうかも、とは言えないのがヴィクターの最後の純情さだった。


「ふむ、君は異性であれば幼女でも老女でも吸血鬼でも胸部に異様な執着を示して、無差別に揉む・掴む・触れる・ストーキングする色情狂ではないと・・・・・・?」

「本気で失礼な吸血鬼だな!」

「ではなぜ三分も私の胸から手を離さない?」

「お前が俺の手を掴んで離さないからだろうがこの怪力! 三秒で離すとこが三分は経過しちまっただろーが! 実はお前が色情狂なんじゃないか!?」

「あ、本当だ。忘れてた」


 ようやくフロリゲンは手を離した。そしてブチィッという不快な音ともにヴィクターの右腕はもがれて転がった。


 ちぎれた自分の腕に目が点になる。


「・・・・・・俺の腕が」

「あ、すまない。私は異性との接触は少なくてな。らしくない動揺をしてしまったようだ。すまない、腕がとれてしまった」

「・・・・・・・痛くない?」

「ふむ、今くっつけながら説明する」


 フロリゲンは恐ろしいことに懐から針と糸を取り出し、転がっているヴィクターの腕をとった。・・・・・・ありえないことに、その腕の断面は血も肉もなく黒い闇が液体のように少しこぼれているだけだった。


「とりあえず、君は吸血鬼になったんだ」


 さらりととんでもないことを言いつつ、針に糸を通した。




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