第29話 7月21日(土)




「さて、私の犯行はこんなもんですけど、何か言いたい事はありますか、りょーたん」


 陽香は、いつもの口調で話しかけてくる。


「…………文芸部に行ったあの日、瑠々島さんには陽香が見えていたんだな」

「ええ、そうです。あの日、斑鳩さんがこう聞きました、小説の中身を誰かに話したかと。瑠々島ちゃんはこう答えました、この中にいる人以外には話していないと。つまりそれは、私には話していたという事です。私は部室の中にいましたから」


 あの時、瑠々島さんは僕に、陽香の事を聞いていた。あれは陽香を心配していたのではなく、僕を心配していたのかも知れない。

 なにせ、自分のために人を殺している幽霊が、僕の傍にいるのだ、僕が次に死ぬと思ったのだろう。だから僕に陽香が死ぬ理由を聞いたのだ。それは、犯人を問い詰める探偵のような構図でもあったのだろう。非常に間接的でまどろっこしくて、まわりぐどいやり方だけど。

 そして二回目にあったときは、見えていなかったのだろう。だから、落ち着いて陽香の事、事件の事を聞けたんだ。


「…………なんで、斑鳩さんを殺したんだ」

「理由は二つ。まず一つは、やっぱり斑鳩さんが探偵だからです。あの人を生かしている理由もないですしね、これ以上調査されてもしょうがないですし。二つ目は、りょーたんに色目を使ったからです」

「…………色目?」

「ええ、生意気に涼汰なんて言っちゃって、何様なんでしょうね、ほんと。むかつくのです」


 それは、つまり。

 僕の所為でもあるという事か。

 いや、違う。そうじゃない。輿水が死んだのも、陽香が自殺したのも、水無月先輩や高峰先輩や加佐見先輩が死んだのも、瑠々島さんが死んだのも、斑鳩さんが死んだのも。

 すべて陽香がやったことで、そしてすべて僕に原因があった。

 陽香の罪で、僕の罪だ。



「……………………なんだよ、それ……………………!」



 陽香の話を理解できない。

 自分の幼馴染を殺した陽香を理解できない。愛情の末、自殺した陽香を理解できない。あんなにも人を殺したのに、平然としている陽香を理解できない。友達のために人を殺して、その友達を殺した陽香を理解できない。平気な顔をして、自分の事件の捜査を協力してた陽香を理解できない。事件を隠蔽したいなんて言っておきながら、結局僕にすべて告白している陽香を理解できない。そして、それでも平然として、笑っている陽香を理解できない。


 理解できなくて、理解できなくて、理解できなくて、理解できなくて、理解できなくて、理解できなくて、理解できないくて、理解できなくて、理解できなくて、理解できなくて、理解できなくて、理解できなくて、理解できなくて、理解できなくて、理解できなくて、理解できなくて、理解できなくて、理解できなくて、理解できなくて、理解できなくて、理解できなくて、理解できなくて、理解できなくて、理解できなくて、理解できなかった。


「…………なんで、僕にその事を言ったんだ」


 自分が一体何を言っているのか、自分が一体どこに立っているのかが、自分でも理解できなくなる。

 ぼやけていく体の感覚の中で、頭痛の痛みだけが鋭く僕の脳みそをえぐっていく。脳みそをかき混ぜるような痛みで、眼も霞んでいく。

 いや、これは、涙か。


「…………黙っていればよかったじゃないか。せっかく隠し通せたんなら、こうやって離さないで、誰にも言わなければよかったじゃないか。僕にだって、隠せばよかったじゃないか」


 僕にだって、隠してほしかった。知りたくなかった、こんな真実。

 このままいろんな人の死を悲しんで、陽香に慰めてもらって、しばらくすればまた歩き出せて、そうやって日常に帰る。

 そんな未来。

 それを望む事は、たぶん僕には許されないんだろう。でもそれでも、ただそれを望んでいる僕がいた。


「りょーたんに話したのは、りょーたんになら知られてもいいかなって思ったからです」


 陽香の声が、近くて遠い。僕の耳元で聞こえているようで、あるいは空の高い所から響いているようで。

 

「だってりょーたん、とっても凄い顔しているのです。とっても追い詰められて、とっても絶望してる。その顔を見れて、私も嬉しいのです」

「…………は?」

「だって、りょーたんはもうこれで、私の事を一生忘れないのです。りょーたんの眼には、私の事がずっと浮かんでいるのです。それがどうしようもない程、たまらない程嬉しいのです」

「……………………だから、なんだよそれ……………………!!」


 なんでこうなったんだろう。輿水への気持ちをもっと早く自覚していれば、あるいは陽香はあきらめなかったのか? それとも、陽香の気持ちに気づいて、それを受け入れればよかったのか? 高校で三人が出会ったときに、昔の事を忘れて他人になればよかったのか? それとも、陽香がいじめられてたのを気づいたあの日、陽香に別の事を言えばよかったのか? そもそも、陽香を助ければよかったのか?

 分からない、理解できない。気持ちがぐるぐる堂々巡りをしている。


「さて、りょーたん。これで事件は終わり。解決編はこれで終了なのです。あとはもう一つ、やるべき事を済ませなくてはいけないのです」

「……………………やるべき事……………………?」


 なんだよそれ。こんなにも散々いろんなことをやっておいて、まだ何かやる気でいるのかよ。


「……………………僕でも殺すのか……………………?」


 その事実は、受け入れがたいものではなかったし、むしろすんなりと腑に落ちるものでもあった。

 きっと自分でも、僕が死ぬべきなんだろうと思っているのだろう。

 陽香は人を殺した。あまりにも多くの人間を殺した。その罪は陽香だけのものでは無い。

 ただ怠惰に過ごし、誰かの気持ちを本当に知ろうともせず、生きる事だけに執着した。

 そんな僕の罪は、死ぬことで許されるのかもしれない。


「むしろその逆です」


 そう言って、陽香は僕に近づく。いつの間にかフェンスに寄りかかっていた僕は、たやすく陽香に、屋上の角まで追い詰められてしまう。

 そして陽香は、できるだけ僕に近づいてこう言った。


「私を殺してほしいのです」


 殺す? 僕が、陽香を?

 殺されるんじゃなくて、殺す?


「……………………何言って……………………」

「正直、私も苦しいのです。どうせ幽霊で、もう既に死んでいる身です。こんなにも人を殺しておいて、私ものんきに幽霊ライフを満喫しようとは思わないのです」


 そこで陽香は言いよどむ。


「…………もう疲れたのです。このまま、りょーたんに殺してもらえば、もう未練はないのです」


 そう言って、陽香は上を向いて眼を閉じる。そうすると、陽香の綺麗な白い首があらわになった。

 首を絞めて、殺してくれ。そう言わんばかりの行動だった。


「……………………僕に、お前を殺せっていうのか」

「そうですよ? りょーたんに殺してほしいのです」


 りょーたんだって、殺したい程憎いでしょ?

 凛ちゃんを、斑鳩さんを殺した私が憎いでしょ?

 陽香は、眼を閉じたまま、そう言った。


「……………………………………………」


 陽香の事を、殺したい程憎いかと言われれば、そんなことはない。たとえ陽香が斑鳩さんや輿水、そしていろんな人を殺したとしても、憎みきれない僕がいた。

 いや、それは嘘か。僕は陽香が憎い。でもそれは、決して殺したい程ではない。弱い僕は、輿水や斑鳩さんの敵をとろうとは思えないんだ。

 でも、もう終わりにしなくてはいけない。僕が終わりにしなくてはいけない。

 陽香を殺して、この事件を終わりにしなくてはいけない。


「……………………………………………」


 僕は両手を伸ばして、陽香の首に手をかける。その首は、あまりにも細くて、あまりにも冷たかった。


「そうですりょーたん、その調子です。頑張ってです」


 僕は、両手に少しずつ力を入れる。陽香の冷たい体温が、僕の手に伝わってくる。そのつめたさは、死体に触っているようで、実際にそうなんだろう。

 そうだ、陽香はもう死んだんだ。

 そして、僕がもう一度殺す。


「陽香」

「はい?」

「死んでくれ」

「…………はい」


 僕は、両手の力をさらに増やす。陽香の首に僕の指が食い込んで、皮膚は今にもはりさけそうだった。

 手に力を入れる事に集中すると、自然と体が前に倒れてしまう。陽香は僕の動きに合わせるように後ろに倒れこんで、屋上に座り込む。


「ふふふふふふ」

 

 陽香は手を伸ばし、僕の頬に触れようとする。そしてそのまま、笑い出す。喉を絞められた陽香の笑い声は、まるで泣いているようだった。


「これで…………、りょーたんの心は…………私だけのものに…………。りょーたん…………は……………私の事を…………ずっと忘れない……………………。りょーたんは…………永遠に…………」


 ああ、そうか。

 これは、罰なんだ。

 陽香の気持ちに気づかず、事件の真相にも気づかず、多くの人を見殺し、最後は結局陽香を疑ってしまった。それが僕の罪で、だからこれは、僕への罰なんだ。

 いや、違う。それではまるで、陽香を殺すのが誰かの意思によるものみたいじゃないか。

 僕は、僕の意思で、陽香を殺す。

 だからこれはきっと、罰じゃなくて罪だ。

 この罪を、一生背負わなくてはいけないんだ。


「うううううううううううぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ」


 気が付くと、涙がこぼれていた。それでも僕は、両手に力をこめ続ける。もう陽香の声は言葉にならず、ただのうめき声になった。

 苦しそうで、でもそれでいてうれしそうな陽香の顔を、僕は直視する。眼を、背けたりはしなかった。


「うううううううううううぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ」


 どうして、どうしてこうなったんだ。

 僕は、僕たちは、普通の生活を送っていたじゃないか。何も変わったことなんてなかったじゃないか

 体の感覚が失われていく。心臓が脈打つ感覚と、強烈な頭痛、そしてひりひりとする掌だけが、僕のすべてだった。


「うううううううううううぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ」


 そして僕は、陽香の体が消えるまで。

 陽香が死ぬまで首を絞め続けて。

 こうして連続自殺事件は、本当の意味で終わりを迎えた。




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