第3話 6月20日(水)
帰宅して買ってきた漫画を読んでから、少し横になれば時刻はもう六時過ぎだった。
「あー、しまった。もうこんな時間になってしまった」
傍らに置いてあったスマホで、時間を確認する。
「…………ん?」
スマホのホーム画面を見ると、陽香からメッセージが届いていたのが分かった。
“用事があるの 今すぐ私の部屋に来て”
メッセージは、そんな内容だった。
「用事?」
メッセージが来たのはついさっき。一、二分前の事らしい。
よくわからないが、用事があるなら行くしかないだろう。もう夕飯前だし、あまり面倒くさい用事でなければいいのだけれど。
部屋着であるスウェットから制服に着替えて、手早く身支度をする。放課後にもう一度制服を着るというのも不思議な感覚だが、しかし私服をいちいち用意するのも面倒だ。陽香なら、そこまで気を遣わなくてもいいだろうし。
「ちょっと、陽香の家に行ってくるー」
僕は、夕飯の用意をしている母親にそう言って玄関に向かう。
「はいよー、いってらっしゃーい。珍しいわね、あんたが陽香ちゃんの家に行くの」
「そうだね、高校生になってからは行ってないんじゃないかな」
「昔はお互いの家によく行ってたのにねー。夕飯だって、家で食べてたのに」
「小学校の話じゃん、それ」
陽香の家は、両親がとても忙しい。何でも父親が大企業勤めで、母親がジャーナリストらしい。そのおかげで裕福な家庭ではあるのだが、そのせいで陽香は昔から家で独りぼっちだったのだ。それを見かねたうちの親が、小学校は時々うちの夕飯に呼んでいたのだ。中学校になってからは、陽香が自炊を覚えたので、さすがに家には来ていないが。
……………それに、互い違う中学校だったし、思春期だったしな。
「まあとにかく、行ってくるよ」
「遅くなるようだったら電話頂戴ねー」
「はーい」
玄関を出て、陽香の家に向かう。陽香の家はかなり近所なので、歩き出せばすぐに到着した。
玄関のチャイムを鳴らす。
ピンポーンと音がなるが、応答はない。陽香が出てくることもなければ、何も音がしない。
「?」
さすがに、自分で呼び出しておいて誰も出てこないのはいかがなものか。もう一度チャイムを鳴らすが、相も変わらず無音のままだった。
「おーい、陽香さーん?」
玄関のドアをドンドンと叩きまくりながら、家の中に呼びかける。陽香の両親が帰ってきてないのは、車が止まっていない事からも確認できたし、遠慮なく大声を出す。
「おーい、陽香ー? おーい、聞こえてますかー?」
……………………さすがに妙だ。ここまでして返事がないのもそうけど、何よりもまず、嫌な予感がする。
静かすぎる。まるで誰も家の中にいないかのような静けさがそこにはあった。
「……………………」
頭痛がする。いやな予感が頭を支配して、まるで頭の中をノックしているような感覚に囚われる。
ゆっくりと手を、玄関ドアに伸ばす。とってに手をかけ、下におろすと、驚くほどあっさり扉は開いた。
「……………………」
おいおい不用心だな、鍵もかけないでだなんて、悠長なことを考えているような状況ではないように思う。
だって、応答のない家に鍵のかかってない扉だなんて。ミステリーやホラーの定番じゃないか―――――。
「…………落ち着け、きっとたまたま鍵がかかってなかったってだけだ。きっと陽香は部屋でのんきに寝ているんだ」
階段を上って陽香の部屋まで、向かう。
足がやけに軽い。というか、体中の感覚がふわふわしているようで落ち着かない。しびれていくような体の中で、頭痛のひどい頭と、早鐘のような心臓の感覚だけが強調されているように思えた。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
呼吸が荒くなる。緊張しているのだろうか。
何に? ただ、幼馴染の部屋に向かうだけじゃないか。
やばい、引き返せと、そんな風に聞こえた気がした。いや違う、聞こえたんじゃなくて、自分の心の声だ。心が、引き返せと警鐘を鳴らしている。
そして、陽香の部屋の前にたどりつく。
こんこんと、控えめなノックの音を響かせる。
「陽香? いるんだろ? 出てきてくれよ。なあ陽香。おい!」
だんだんとノックの音は強くなり、それに合わせて僕の声も荒くなる。
「陽香、開けるぞ」
そして僕は、意を決して陽香の部屋の扉を開ける。
はっきり言って、嫌な予感しかしていなかった。部屋からかすかに漂う異臭は、間違いなく何かがある証拠だった。
でも、たとえ何があったとしても、何かがあるからこそ、扉をあけなくちゃいけない。
僕はそう思った。愚かにも、そう思ってしまった。
そして僕は、扉を開けて――――――――。
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