第2話 6月20日(水)



 放課後になって、一人で帰宅中。

 いくら家が近所でも、さすがに陽香と一緒に帰る訳もない。そもそも、陽香は合唱部とバトミントン部を掛け持ちするという驚異の忙しさなので、帰宅部であるところの僕と一緒の帰宅時間になる事はまずない。


「そうでもなくても、この歳の男女が二人っきりっていうのも、なあ」


 周囲に思いっきり誤解を受ける。そもそも、クラスの中では僕と陽香は付き合っていることになっているらしいのだが。

 幼馴染ってだけで、付き合ってるって単純すぎるでしょ、と僕は思っている。

 それはさておいて。

 僕は、近所の大型書店に立ち寄っていた。雑誌に封がされていないので、漫画雑誌が読み放題なのだ。

 しばらく雑誌を立ち読みし、漫画を数冊買って書店を出る。


「あれ、雨だ」


 梅雨の時期なので当然といえば当然なのだが、外は生憎の雨模様だった。こんなことなら本屋になんてよるべきじゃなかったかもしれない。そう思いつつ、僕は折り畳み傘を開こうとする。

 するとその時。


「ちょっといいかい、君。鳴海高校の人だろう。話を聞きたいんだが」


 横から、女の子に声をかけられた。

 歳は、僕よりも若く見える。まさに烏の濡れ羽色と表現するに相応しいその綺麗な黒髪は、地面に届くんじゃないかってくらい真っすぐ伸ばされていた。まるで日本人形のようだなと、僕はなんとなく思った。

 黒い傘をさしているので顔はよく見えないが、服装はよくわかる。真っ黒なその服は、ゴスロリとも違う、なんというか、一言で表すなら。


 探偵のような服をしていた。


「……………………」


 はっきり言って異常に怪しい。だいたい、僕より若いのに言葉遣いがやけに偉そうだ。


「そう身構えないでくれたまえ。私は決して、怪しい人間ではない」


 そう言うと、目の前の女の子はポケットから一冊の黒い手帳を取り出した。そして開いて僕に見せてくる。

 二つ折になっていたその手帳の中は、上の方に顔写真があって、下の方には金色の豪勢な記章が彫られていた。逆三角形で、「POLICE」と書いてある。つまりこれは警察手帳な訳で。


「刑事さん…………ですか…………」

「いや、少し違う。というのも、私自身その呼ばれ方は好きではないし、それに何よりも他の警察諸君とは事情も違う。故に私の事を呼ぶときは、こう言ってくれ」



だと」



 これが、僕と自称探偵、斑鳩いかるがあいとの出会いだった。


「探偵…………?」


 何を言っているんだろうか、この女の子は。だいたい、探偵? 警察手帳を見せているのに? わけがわからない。


「それで、本題なんだけれど。君の学校の、自殺事件について聞き込みを行っていてね。探偵の本業は推理であって、本当はこんな風に聞き込みなんてあまりしたいとも思わないんだけど、僕は不本意ながら、聞き込みだとか尋問だとかが得意な方でね。それでしょうがなくやらされているんだ。本来ならば、家の暖炉の前でゆったりとした椅子に座り、知人が経験した不思議なミステリーを、話を聞くだけで解決してしまうような探偵稼業がしたかったよ。

 ただ、人には与えられた才能があるからね。それを生かさない手はない。私のこの地道な作業が事件の解決に結びつくなら、そんなに嬉しい事はない。上司に命令されているという事情も、確かに存在するんだが。そんな事情で、私はこうやって、雨の中地道に聞き込みをしているのさ。

 それで、君の学校の自殺事件だけど、知っているよね。話を聞かせてもらっていいかな」


 急にすらすらと、立て板に水どころかバケツをひっくり返したような勢いで話しかけられて、脳みそがパンクしそうになる。かろうじて最初と最後の方の、自殺事件への聞き込みという事だけはわかった。

 兎に角、この自称探偵は、輿水の件を調べているんだ。


「……………聞き込みって、あれは自殺事件ですよね? 聞き込みなんて、要らないと思うんですけど」

「そうでもないさ、あの事件はただの自殺ではない。君だってそう思うだろ?」

「………………………………」


 彼女の問いかけに、僕は無言を貫く。

 頭の中で、輿水の死について考える。噂では、輿水の腹部には包丁が刺さっていた。確かにそれだけ聞けば、輿水の死を自殺と考える方が難しいのかもしれない。


「……………………申し訳ないですけど」


 気まずい沈黙の後、僕は意を決して口を開く。真っすぐ彼女の眼を見ようと思ったけれど、なんとなくそれは憚れた。なにせ、これから僕は嘘をつくのだから。


「あなたの期待に応えられるようなことは言えないと思います。僕はその、自殺事件についてそんなに詳しい訳ではないですし。誰が自殺したかとかも、よく知らないんですよ。すみません」


 今僕に聞き込みを行っているのが、例えばいかにもなベテラン刑事のような人だったら、僕も答えられるだけの情報を教えただろう。

 ただ、目の前の彼女を、そう簡単に信じるのは難しかった。警察手帳は確かに、身分を証明するのには最適なものだろうし、普通の大人が見せてくれたら信じるだろう。

 だけど、彼女については違う。歳なんて僕より下に見えるし、恰好だってコスプレみたいだ。はっきり言って、怪しい。

 なのでここは、とりあえずの様子見で嘘をつくことにした。


「……………………!」


 嘘を言って、そこで初めて彼女の眼を見て、肩が震えた。

 シャープな印象の彼女の眼は、じっとこちらをにらみつけていて、それはまるでこちらの事を疑うかのような眼だった。そして彼女はこう言った。


「君は嘘をついているね。本当は、誰が自殺したのかも知っているんじゃないのかね」


 その言葉を聞いた瞬間、心臓が跳ね上がるような気がした。

 なんで、嘘だって気づいたんだ?

 勿論、事前に輿水の事を調べていて、僕が彼女のクラスメイトという事を知っていたのかもしてない。でも、彼女の言葉から感じた印象はそうではなく。今まさに、僕のついた嘘を見破られたような気がした。


「……………………」


 心臓が、バクンバクンと早鐘を打つ。緊張しているのがよくわかった。

 頭痛がひどい。ずきずきと、頭の中を針で刺されているような感覚がする。


「……………………どうやら、具合が悪いみたいだね。まあこの雨の中だ、無理もないか。私の同僚にも、雨の日には頭痛がする人間がいてね。なんでも、低気圧の影響でそうなるらしい。だから、この梅雨の時期には毎日頭痛薬を飲んでいるといっても過言じゃなくてね。大変そうだよ、傍から見ているとね。さて、それでは今日はここで帰るとするよ。邪魔をして悪かったね」


 それじゃあ。

 そういって、彼女は僕の返答を待たずに颯爽と行ってしまった。

 一体なんだったんだろうか。嵐のように現れて嵐のように去っていった。


「探偵か…………」


 また話を聞きにくると、彼女は言っていた。つまり彼女は、僕が何か事件について重要な情報も握っていると考えている訳だ。

 実際、僕が知っている情報なんてものは大したものではない。輿水とは幼馴染だし、その方面の情報は持っているが、肝心要の事件当日の様子だとか、遺体の状態だとかはさっぱりなのだ。

 そして、彼女の職業だ。

 探偵、と彼女は言った。しかし見せてくれた手帳は確かに警察手帳だったし、間違いなく警察関係者だろう。

 しかし、警察関係者はあんなに幼い人間にも務まるものだったか?


「まあ、いいか。考えるのもめんどくさい」


 この時、もっと深く考えていれば、この後の展開はまた違ったものになっただろう。

 だなんて回想はまったく無意味なんだと、僕はやがて思い知らされる。子供だと思っていた彼女。しかし彼女からすれば僕の方が子供で、そして取るに足らない相手だったのだろう。



 人の嘘を見抜く、彼女にとっては。

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