第1の事件
第1話 6月20日(水)
「おっはよーですーーー!! 今日も一日張り切ってまいるですーーーー!!!!」
鳴海高校の二年B組。六月のじめじめとした天気に打ち勝とうとしているかのように、
毎朝毎朝、陽香はこんな感じで僕に挨拶をしてくるのだ。セリフは少しずつ変わってはいるが、すべてのセリフに共通して言えるのは、とてつもなく声量が大きいという事だ。
教室に響くような大声を、僕の耳もとで発するもんだから、こっちはもう、いつか鼓膜が破裂してしまうんじゃないかと気が気でならなかった。
まあ、朝の眠気が吹っ飛ぶので、その点では感謝しているけれど。
この儀式は、二年間ずっと続いている。うちの学校は、三年間同じクラスになるので、必然的にこの儀式もあと一年以上は続く事になる。それは少し迷惑でもあるが、それ以上にうれしい事でもあった。
なんにせよ、いつもの日常が続くのは良い事だ。
「おーう、おっはよー、陽香。張り切ろー」
陽香の、はち切れんと言わんばかりのテンションと対照的に、僕のテンションは地の底で這いずり回るミミズのように低くて小さかった。
「およよ、どうしたです、りょーたん。テンション低いじゃないですか。さては寝不足と見たのです。」
「確かに僕が寝不足なのは当たってはいるけどさ。本当によく当ててくるな、陽香は」
陽香はそうやって、不思議と僕の行動を当ててくる。何かの能力じみているが、それはきっと小学校からの幼馴染特有のものだろう。
実際昨日は、眠れなかった。理由はなんとなくわかってはいるけれど。
「僕のテンションが低いのはいつもどおりだろ。ほら、早く机に座った方がいいぜ。もうすぐ本怜がなる時間だ」
「おっと、これはまずいのです。早く用意しなきゃ」
そういって、陽香は自分の席にそそくさと座る。座るやいなや、クラスの女子や男子が、陽香の方へ向かい話しかける。
いつもの日常だ。陽香が僕に話しかけ、その後クラスのみんなと話す。僕は、その会話には混ざらない。
クラスどころか、学年を問わず友達がいる陽香に比べて、僕には友達はほとんどいない。その事を悲しく思う日がない訳ではないけれど、それでも陽香が友達なのは少し誇らしくもあった。
…………幼馴染なだけなので、別に僕が特別どうこうって話でもないと思うけど。
「……………………」
しかし、いつも通りに見える教室も、少しだけ違うところがあった。
教室の前の方の机。
二週間前、彼女はこの学校で飛び降り自殺をした。
音楽室や部活の部屋、生徒会室のある特別棟。その屋上から飛び降りたのだ。
文化祭明けで興奮冷めやらぬ我が高校は、突然起きたその事件でしばらくパニック状態に陥った。
すぐに警察が立ち入り、現場の検証が行われた。
学校は自殺だと生徒に説明し、いじめ等の事件は存在しなかったと外部に説明した。
他のクラスはともかく、自分のクラスの事だ。いじめがないなんてことは知っていた。だからこそ、なんで彼女が自殺したのか。その理由がさっぱり不明だった。
「……………………」
「なーにしてるんですかー、りょーたん!」
ぼーっと机を見ていたら、陽香に後ろから飛びつかれた。そしてガクガク体を揺らされる。
「ちょちょちょ!! 陽香、ギブギブギブギブ!! 揺らされてるどころか何か締まってる!! やばいやばいやばい!! 天国、天国行っちゃうから!!」
やわらかい二の腕で、首を絞めてくる陽香。おっぱいが体に当たっていて天国のようだが、普通に苦しくて息ができない。このままでは普通に天国へ一直線、黄泉の旅路へレッツラゴーしてしまう!
「どうしたんですか、りょーたん。なんだか最近浮かない顔してるです」
陽香は、急に手を離して僕の前の席に座った。
そこ、別の人の席だけど、いいのかな……………。誰の席か知らんけど。
「…………校内で自殺騒ぎがあれば、こうなる人もいるってそりゃ」
勿論、そうならない人間もいる。他学年の生徒は、輿水凛の事を知らない人間だって多い。料理部に所属していた彼女は、そこまで校内で有名という訳でもなかったからだ。だから、彼女の事を知らない人間は、面白おかしく噂話をあたり構わず広げていく。
その事実が、とても悲しい。僕たちにとっては、輿水凛は大事なクラスメイトだった。友達がおらず、クラスでも浮いている僕だって、気持ちは一緒だ。
「…………凛ちゃん、どうして自殺なんて。昔から知ってるけど、そんなことする人じゃないのです」
「…………そうだよな。よく知ってるよ、輿水がそんな奴じゃないって」
輿水と僕、そして陽香は、同じ小学校だった。どころか家も近所で、だからこの三人は幼馴染という事になる。陽香とは違う中学校になってしまって、輿水とはなんだか疎遠になってしまったけれど。それでも、世間話くらいなら普通にするし、普通に友達だった。
…………どちらかといえば、陽香がかなり僕にべったりしているような気がする。距離感が小学校の時と変わらないんだろう。
「それに、凛ちゃんの変な噂、なんだかよく聞きますし」
「……………………」
変な噂。
輿水が発見されたとき、彼女の腹部には包丁が刺さっていたらしい。そして、屋上の一階下の音楽準備室から、屋上まで血痕が続いていた。つまり彼女は、音楽準備室で腹部を包丁で刺した後、屋上まで上がり、そこから飛び降りたと考えられる。
わざわざ飛び降り自殺をする人間が、自分で腹を刺すだろうか? そんなわけで、彼女の死についての噂は、色とりどりの尾ひれをつけて学校中を泳ぎ回っていた。
やれ呪いの仕業だとか、やれオカルト的儀式によるものだとか、そんな噂ばかりだ。
「…………ふざけるなって話だよ、本当。何が儀式だよ、そんな適当な噂で、輿水の死を侮辱するなんて」
「………………………………」
「なんだよ、じっと見て。なんかおかしい事言ったか、僕」
「…………りょーたんって、凛ちゃんの事好きですもんね」
「ぶほっ!!」
な、な、な、な、何をいきなり言っとるんですか、この子は!!
「結構バレバレでしたよ、私からすれば。勿論、他の人は知らなかったですけど」
僕の真正面にいる陽香は、なんだか悲しそうな顔をしながらそう言った。その顔を直視するのが、向き合うのがなんだか怖くなった僕は、窓の方を見る。
「…………正直な話、この気持ちが恋だなんて思いもしなかったよ。昔から仲良かったわけだから、どっちかっていえば家族に対する親愛のような感情だと思ってた」
高校に入って、そんなに話をする訳でもなかったけれど。
それでも、大事な幼馴染だった。
「…………死んでから、自分の気持ちに気づくなんてさ」
「………………………………」
「…………こんな話、教室でするもんでもないか。ほら、早く席戻りなよ、さすがにまずいって、時間」
「…………りょーたん。つらかったら、いつでも言ってね。待ってるから」
「うん、ありがと、陽香」
陽香が席に戻るのを横目で見た後、僕はさっきみたいに窓の方を見る。
「……………………」
僕の席が窓側の後ろでよかったと、この時は本当に心の底から思った。
泣きそうになっている顔を、陽香に見られなくて。
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