第14話 イケメンからもらった力を糧に私は今日彼から卒業する

 お昼休み、久々に外ランチしようと、志保と一緒に会社近くのカフェに出掛けた。

 混んでいたのでカウンターに通された私達。

 メニューを選んでいたら、後ろから聞き覚えのある声が聞こえて来た。


「いいなぁ。お前、麗奈姫と結婚かよ。すげぇ、羨ましい」

「そう?」


 ビクリと一瞬体が硬直。メニューで顔を隠すようにして後ろを振り向けば、渚君と間宮が斜め後ろのテーブルに座っているじゃないか。


「そう? じゃねーよ。うちの大手取引先の社長令嬢だぜ。これでお前の出世も間違いないじゃん。しかもすげぇ美人だし」

「どうだろうね」

「あ、そういや、山田がお前の婚約の話聞いて、すっげー真っ青な顔してたぞ。お前あいつとはどうなっているの? ってかなんでお前、山田と付き合おうと思ったわけ?」


 あぁ、間宮! もう、どうしてお前はいつも余計なことばかり。


「なんでって、うーん。ほっぺがぷにぷにしてて可愛かったからかな。胸も大きかったし」

「いくら胸が大きくてもな、くびれがないと」


 ケラケラと間宮が笑った。

 殺す。絶対殺す。間宮殺す。


「えー、ぷに子は、くびれなんかなくたっていいんだよ」

「スタイル抜群の麗奈姫に鞍替えしておきながら、何言ってんだよ」

「うっるせーなぁ。ぷに子にはぷに子のいいところがあるんだよっ」


 渚君は体を起こして、真面目な顔をして、間宮を見つめた。

 渚君……。


「なんだよ。怒るところか、そこ」

「お前には分からないだろ、ぷに子のよさが」


 眉をひそめた間宮を見据えたまま、渚君は再び口を開く。


「言っとくけど、ぷに子とのエッチはめっちゃ気持ちいいんだからな」


 はぁぅっ。

 彼の言葉に、私は硬直した。

 痛い。痛すぎる……。 


 私は気付いてしまった。いや、薄々気付いてはいた。


 渚君は、私のことが好きなんじゃなくて、私の体が好きなのではなかろうか……。


「大丈夫?」


 志保が気の毒そうに私を見ている。


「ごめん。食欲なくなったから、先戻る」


 私はお昼も取らず、ふらふらと、その場を立ち去った。



◇◆◇


 その日、私は残った仕事を全部、間宮に押し付けて、17時のチャイムと共に、即行で退社した。

 駅前のコンビニでビールを5本買って、家に帰って飲もうかと思ったけれど、彼との思い出が詰まった家に帰ることも出来ず、駅近くの公園に向かう。

 公園のベンチで、グビグビ、ビールを飲んでいたら、3本目に入ったところで、

「なんか、あったの?」

 と突然声をかけられた。


「一条さん……どうしたんですか? こんなところで」

「どうしたは、こっちの台詞だよ。ジムに行く途中に不審人物がいたから声かけただけ」

「いいでしょ。ヤケ酒くらいしたって」


 ふんと横を向いて、再びビールを飲む。


「公園で一人ヤケ酒? 寂しい女だな。俺が慰めてやろっか。身も心も」


 隣に座った一条さんが私の肩に腕を回したので、私は彼から顔を背けるようにベンチの端に移動した。


「結構です」

「何、お前。まだ、あの元彼に操立ててんの?」


 馬鹿にしたように言って、一条さんは笑った。


「……元彼じゃないです。今は、私の……彼です」


 私だけのじゃないけど……。


「じゃぁ、なんで、さっきからそんなしけた面してんだよ」


 ため息交じりに、彼がつぶやく。


「そんなこと、一条さんには関係ないじゃないですか」

「お前見ているとイライラするんだよ。男の一言一言で一喜一憂しやがって。どうせ二股なんだろ? だったら、お前も楽しくやれよ」


 どう考えたって、余計なお世話なのに、なんだか一条さんの顔から小馬鹿にした笑みが消えて、真面目な顔になったから、言い返すのが一瞬遅くなった。


「操なんか立てたら、つらくなるぞ」


 そう言って、彼は私の顔を覗き込んだ。

 あぁ、これだけカッコいいと、女の人の扱いにも慣れているんだな。きっと、こうして女を落とすんだな。なんて、心の中で思いながら、彼の顔を見つめる。


 切れ長の三白眼。王者のような自信を湛えたその瞳に、どれだけの女性がひれ伏したのだろう。


「何だよ。言いたいことがあるなら言えよ」


 じっと見ていた私に、一条さんが首を傾げた。


「一条さんって、付き合った女性の数覚えています?」

「は? ……俺は、過去は振り返らない男だ」


 絶対覚えていないなこいつ……。


「私は、ひとりです。だから、私の中でその人は絶対で、彼の一言一言に翻弄されるのは当たり前で、バカだと思っていても、彼に抗うことなんてできません。他に女性がいるからって、そんなに簡単じゃないんです」


 驚いた顔をする彼に、私はさらに続けた。


「付き合った人の数さえ覚えていない、一条さんには分からないと思いますが」


 そう言うと、一条さんは何だか苦笑いをして、ベンチの背に腕を置き、頬杖をついた。


「あぁ、俺には分からないから教えて。お前の今の気持ちを」


 その言い方がすごく優しかったから、私は驚いて彼を見上げた。


「聞いてやるから、言ってみろよ。あの男と何があったの?」

「え……いっいいですよ。大丈夫です」


 心配そうに見つめられて、動揺してしまう。

 こんなシチュエーションなんて慣れていない。


「なんだよ、泣きそうな顔しているくせに、強がってないで、素直に甘えたらどうなの?」

「だって……」


 口にしようか迷いながら、昔、よく母に言われた言葉を思い出した。


『花ちゃんは、お姉ちゃんだから、我慢できるよね』


 長女の私は常に我慢することを必要とされていた。

 小学低学年の頃は、それを理不尽だって感じていたけれど、3人目が生まれ、4人目が双子だと聞かされた頃には、それが私の運命だと諦めた。


『花がいつも聞き分けいいから、ママ助かるわ』


 そう言う母の笑顔を見ると、自分の役割を果たせたような気がした。

 だから、甘えるのは苦手だ。


「別に、大丈夫ですから。一条さん、時間いいんですか? 今からジム行くんでしょ?」

「可愛くねーな」


 一条さんはため息を落として、私のビールを取り上げた。


「こんな時間に公園のベンチで一人ヤケ酒している女を置いていけるかよ。お前もジム行って一緒に汗流したら? ビールなんか飲むよりスッキリするぞ」

「私、痩せたら困るんで」


 そう、彼が痩せるなって言ったから。


「彼は私がぷにぷになところが好きなんで」


 こんな私を可愛いって言ってくれたのは彼が初めてだったから。


「痩せたら、彼に振られちゃうんで」

 

 私、彼を失いたくないんです。


 涙が出そうになって、私は慌ててうつむいた。


「お前って、ホント、バカだな」


 ため息交じりの声。


「言われなくても分かっています」

「じゃぁ、俺がそいつに抗う力を授けてやるよ」

「え……?」


 顔を上げた私のことを、一条さんは真っ直ぐに見つめて、真面目な顔でこう言った。


「お前は痩せていたって、太っていたって、すげーいい女だ」

「一条……さん」

「だから自信持て」


 ポンと頭の上に手をのせられて、涙が零れ落ちた。

 だから……イケメンの頭ポンは刺激が強すぎるのだって。


◇◆◇


「どうしたの、ぷに子? こんなところに呼び出して。寒いから、お家行こう」


 一条さんに、やることができたからと彼をジムに送り出し、私は渚君を公園に呼び出した。


「ごめんね。仕事、大丈夫だった?」

「うん。ちょうど、そろそろあがろうと思っていたところだったし。何かあったの?」

「ちょっと、話をしたくて。あっち、行こうか」


 遅い時間とは言え、まだパラパラと人のいる公園の中央から、私は人気のない裏側へと渚君を連れて行った。


「なに、なに、もしかして、外でしたくなっちゃったとか?」


 変な勘違いをして、嬉しそうに笑う渚君。


 「……人がいるところじゃ、ゆっくり話せないから」


 ため息交じりに答えると、私の様子に何かを感じ取ったのか、彼は黙ったまま次の言葉を待った。


「ねぇ、渚君。麗奈さんとはいつ別れるの?」


 言った途端、彼の瞳が大きく揺らいで、驚いた顔で私を見た。


「なんでそんな顔するの?」

「あ、いや、ごめん。ぷに子が、そういうこと言うの意外だったから……」


『花ちゃんは、お姉ちゃんだから、我慢できるよね』


 母の声が聞こえる。


「私なら、何も言わず、いつまでも我慢して待っていると思っていた?」

「そういう訳じゃないけど……ほら、相手が相手だし。なかなか話が進まなくて。もう少し、待っていてくれないかな? ぷに子なら分かってくれるだろ?」


『花がいつも聞き分けいいから、ママ助かるわ』


 母の笑顔が浮かぶ。


「今すぐに、別れ……られないの? 私は、今すぐ、別れてほしい」


 母の声に耳を閉ざし、母の笑顔をかき消し、私は今の気持ちを正直に伝えた。


「ぷに子……そう言うなよ」

「彼女と別れられないなら、私と別れた方がいいんじゃない?」

「どうしたの? 今日のぷに子はおかしいよ。別れるなんて、絶対やだよ。僕はぷに子のことが好きなんだ。ずっとこれからも一緒にいたい」

「でも、どちらかとは別れなくちゃ。両方は無理だよ」

「無理じゃないよ、ぷに子。僕はぷに子を放さない、絶対にっ」


 そう言って、渚君は私を抱きしめた。


「こういうの、やっ」

「嫌がられると興奮する。ここでしよう、ぷに子」


 押しのけようとする私を押さえつけ、彼は、無理矢理、唇を奪った。


 渚君……。

 もう……これ以上……。


 全てを諦め力を失った私に、渚君は自分を受け入れたと思ったのか、私の胸までもを蹂躙し始めた。


「……もう、やめて……」

「なんでだよ、俺たち体の相性も最高だろ?」

「渚君……そこに立って。目閉じて」


 ニコリと笑った私に渚君は嬉しそうにうなずいて、目を閉じた。

 私は彼から少しだけ遠ざかって、それから、すぅと息を吸い込んだ。


「変態クソ野郎! こんなものモゲて腐ってしまえっ!」


 叫びながら、私は渾身の力を込めて、渚君の股間に蹴りを一発お見舞いした。

 ぐおっと、喉の奥から呻き声を上げた渚君が、前かがみに倒れる。


「私はお前の性欲処理班じゃない!」


 うずくまる渚君に向かって私は怒鳴りつけた。


「本当に私が好きなら、会社やめるくらいの覚悟で、麗奈さんと別れてみろっ。私のことが本当に大切なら、エッチなこと考える前に、今、私がどんな思いでいるのか、少しは気付けっ。お前なんか、お前なんか、もううんざりだっ!」

「は……な……?」


 あまりの迫力に、痛みを忘れたのか、渚君は呆然と私のことを見上げた。


「ご、ごめん、外でしようとしたのは謝る。麗奈とのことも、なるべく早く別れるよう努力する。だから、落ち着いて、花」

「もういいよ、渚君……もう、別れよう」

「いやだよっ。言っただろ! 俺は花のことが好きなんだ。絶対に放さないっ」

「渚君。渚君が好きなのは、私じゃないよ。私じゃなくて、私の体だ」

「花……」


 そして私が好きなのも、渚君じゃない。私が好きなのは、コンプレックスの塊で、自分に自信を持てなかった私を好きだと言ってくれた初めての彼氏だ。そんなもの、もうどこにもいないのに。

 いつまでも過去にしがみついて、可愛いと言ってくれた彼を手放せず、みっともなくすがっていただけ。


 あぁ、ようやく、手放すことができる。

 ばいばい。私の初めての人。


 私は、言葉なく佇む彼を置いて、新しい一歩を踏み出した。

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