第13話 姫のお怒りは相当なようだ
「だ、大丈夫? 花ちゃん?」
「バカ間宮! 花ちゃん、単なる噂だから、気にしちゃダメよ?!」
口をパクパクさせる私に、みんなが必死にフォローする。
「ははっ。気にしてませんよー。私、ちょっとトイレに行ってこようかなぁ……はははっ」
私は引きつる顔に笑顔を無理矢理作って、その場を立ち去った。
トイレの個室に入った途端、即行で、渚君に電話する。
「もしもし? 渚君?」
『ごめん。ぷに子。あの噂だよね。俺も今電話しようと思っていたところ』
「う、嘘だよね?」
『当たり前だろ。ちょっと、麗奈と揉めて……』
「揉めてって?」
『うん……こないだ、話した時は、あいつ、別れるも何も俺とは付き合っていたわけじゃないからって、普通に言っていたんだけど』
渚君は電話口で深いため息をついた。
「何で、婚約なんてことになっちゃったの?」
『何を思ったのか、社長に俺と結婚することになったから、結婚式での主賓挨拶をお願いしたいって、頼んだらしくて。あ、ごめん、ぷに子。後で詳しく話す。今、その件で、いろいろ関係者に誤解を解いて回らなくちゃいけないから』
切れて通話音になった電話を耳にあてたまま、私は、麗奈姫の恐ろしい顔を思い出していた。
◇◆◇
数日ほど前――
「ふざけないでよっ!」
バシンと大きな音があたりに響き渡った。
あぁ、あまりに強い力で殴られると、痛いんじゃなくて熱いって感じるんだな……なんて、私は頬に感じるジンジンとした熱に、そんなことを思っていた。
目の前で、いつも美しくて完璧な麗奈姫が、髪を振り乱して般若のような顔をしている。
こんな顔をさせてしまうくらい、彼女は渚君が好きだったんだと、呆然としながら私は感じていた。
会社で彼女に呼び出されたのは、渚君とよりを戻そうと決めてから三日後のこと。
渚君から、麗奈姫と話し合ってくると聞いていたから、彼女から内線がかかってきたとき、すぐその件だと思った。
ロッカールームで、仁王立ちした彼女はひどく憎しみを滲ませた顔で私を待っていた。
その顔を見た瞬間、渚君からは、浮気している上司のことが本命で、構ってもらえない時だけ、自分のところにくるだけだって聞いていたけれど、もしかしたら、本命は渚君の方だったのかもしれないと、そう思った。
「祐司に何を言ったのよ!?」
私が何も反応しないものだから、彼女は余計に苛立ちを募らせたのか、親の仇を見るような目で睨みつけながら、甲高い声を上げた。
あぁ、渚君のこと名前で呼んでいるんだ。いいな……。
なんて、そんな場合じゃないのに、ちょっと嫉妬したりして。
「何とか言いなさいよ!」
「ごめん、なさい……」
「あなた、こないだ男と一緒にいたじゃない! 二人も手を出したりして。尻軽女!」
いやいや、あなたも上司と浮気していたのでしょって、心の中で突っ込んだけど、それはさすがに言えない。
結局のところ、彼女が渚君を本気で好きだったのなら、彼を奪うことには変わりないし。こうなったら、何を言われても、その怒りを受け取ろうと覚悟を決めた。
だけど……。
「あなたみたいなブスに、なんで私が負けないといけないのっ! 会社でどんな顔すればいいのよ!!」
と、続いた彼女の言葉に、私は驚いた。ブスと言われたことじゃなくて(いや、若干、傷つきましたけどね)、その後の言葉に。
麗奈さんは、渚君を奪われたことじゃなくて、奪った相手が私みたいな格下だったことに腹を立てている?
そう感じたから、彼女の言葉を、甘んじて受け取るわけにはいかなくなった。
「麗奈さん、渚君のこと本当に好きなんですか?」
「はぁっ?! 退屈しのぎに付き合ってやっただけよ! それなのに……。絶対に許さない。私を振って、あなたみたいな子のところに戻るなんて、絶対に許さないから!」
金切声を上げる麗奈姫に私は返す言葉を失った。
きっと、彼女は振られたことなんて初めてなのかもしれない。しかも、その原因が私みたいな格下の女だ。到底、受け入れることなどできないのだろう。
「麗奈さんが振ったことにしたら、いかがですか?」
「えっ?!」
「私、渚君とよりを戻したことは会社の中では誰にも言いません。だから……」
その時彼女は、すごく苛立った顔をして、だけどそれ以上は何も言わず、ロッカールームから去って行った。
だから、これで終わったと思っていた。彼女のメンツが保たれれば、問題ないだろうと。
その時は、そう、思っていた。
◇◆◇
営業部のエースと秘書課の麗しの姫との婚約が社内を沸かせたその日の夜、
「ごめん、花」
遅くに私の家に帰って来た渚君はそう言って、酷く疲れた顔でため息をついた。
「あいつ、いろいろ、なんだか頭に血が上っていて……別れるなら、父親に言って、うちとの取引をやめてもらうって」
「え?」
麗奈姫の父親がうちの会社のお得意様だと言うことは知っていた。
「上の連中から、婚約破棄なんて許さないって、周り固められて。だから、少し待ってくれないか? あいつを説得するから。それまでの間……」
「大丈夫、なの?」
「ちょっと時間かかりそうだけど、ちゃんと別れるから、安心して」
その時、私は気付いた。
麗奈さん、本気だったんだ……。プライドが邪魔して、私の前ではあんな風に言っていたけど、きっと、渚君のことが本当に好きなんだ。
そうでなくちゃ、さすがに自分の結婚を腹いせのためだけに利用したりしない。
なんだか、今後の展開に暗雲が立ち込めていて、ため息が漏れた。
あぁ、悪い予感しかしない。
◇◆◇
「ふぅん。それで、いまだに二股状態を許していると?」
「そ、そんな目で見ないで……」
会社の中庭でお弁当を広げながら、私は黙っていられず、この一連の出来事を志保に報告した。その時の彼女のシラッとした目ったら……。
「ザ・都合のいい女だな」
その目で私を見ながら、冷たく言い放つ。
うぅ……。
「でも、仕方ないよ。姫を怒らせたら、うちの会社が大打撃受けるってことは、周知の事実だし……もう、これは渚君一人の問題じゃなくなってきているから」
「どうだか。二人の女を都合よく楽しもうって魂胆かもよ。いや、違うな。あいつの場合、いずれ、3P乱交パーティーに持ち込もうって腹積もりかもね」
「や、やめて。若干、否めない自分がつらい……」
3Pどころか4Pになりそうだよ。
はぁ、と大きなため息をついた私に、志保は肩をすくめた。
「じゃぁ、なんで、そんな男に呆気なく股開いてんだよ」
「そ、そんな直接的に言わないでよ」
「ホント、花って自分から痛いこと背負い込むよね」
だって、渚君は私にとって、初めてできた彼で、初めてのキスをした人で、初めてをあげた人で……。いろいろあったけど、彼との思い出は私に取って大切なものばかりだ。彼を諦めることなんて私にはできない。
「2号さんで甘んじるなら止めはしないけどさ。耐えられるの? いつまでかかんのか分かんないけど、大好きな渚君を独り占めにはできないんだよ?」
「でも本命は花だって……」
「渚はそう思っていても、あいつと麗しの姫は、今や社内で公認のカップルなんだから、結局、我慢するのはあんたなんだよ? っていうか、最終的に渚を手に入れたところで、下手すりゃあんた会社にいられなくなるよ?」
本当のことをオブラートに包まず言ってくれる志保はありがたい。ちゃんと心配してくれているのが伝わってくる。
「それでもいい……」
本当に自分はバカだと思うけど、渚君の隣で目覚めた朝は凄く嬉しくて、もうそれを手放すことなどできなかった。だから私ができることは渚君のことを信じて待つだけだ。
「バカだね、あんたは」
志保は呆れた顔で言いながらも、それ以上、止めることはせず、「まぁ、あんたのここ最近の肌艶見れば、何も言えないけど」と肩をすくめた。
「じゃぁさ、この際、花もイケメントレーナーとよろしくやっちゃえば?」
「えぇ?! 何言ってるの?!」
もうそれこそスワッピングワールドへようこそだ。
まさか、渚君もそれを望んでいるなんて、さすがに志保にも言えない。
「だって、イケメンで、スポーツマンで、実業家のドSなんでしょ? そんな逸材なかなかいないじゃん」
「ドSって……」
苦笑いする私の前で、「痛いことを背負い込むドMのあんたにはピッタリ」と志保は真面目な顔で頷いた。
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