第10話 元カレの言動が訳が分からない

 ジムからの帰り道、一人歩いていた私は、若干スピードを上げて早歩きした。

 すると、すぐ後ろをついてくる人影もそのスピードを上げる。

 私は、さらにスピードを上げて、小走りで駆けだした。

 途端、後を追う人影も、同じように走り始めたではないか。


「もう! なんでついてくるの?!」


 とうとう耐え切れず、私は後ろを振り返った。

 叱られた子供みたいに拗ねた顔をする渚君。

 うぅっ。かわいい……。


「何か用?!」

「ねぇ、フィットネスクラブなんかに通って、痩せるつもり?」

「知らない」


 プイと顔を逸らして、私は再び歩き出した。


「ぷに子はそのままがいいんだから、痩せたりしたらダメだよ」

「私が太っていようが痩せていようが、もう、渚君には関係ないでしょ!」

「あのイケメンと付き合っているの? あいつに痩せろって言われた?」

「だから、そうだったとして、渚君には関係ないじゃない。もう私たちは赤の他人なんだし。っていうか、最初から渚君にとっては私なんて彼女でもなんでもなかったんだろうけど」


 そう言ったら、彼は私の腕を掴んで無理矢理自分の方を向かせた。


「なんだよそれ……」

「元カノじゃないって、言ったくせに」

「え?」

「麗奈さんに、元カノじゃないからって、否定したじゃない!」


 思わず声が震えてしまって、私は彼の視線から逃れるようにうつむいた。


「ごめん……。そういうつもりじゃなくて。僕の中でぷに子はまだ過去になんかなってないって、思ったから……」


 渚君は困ったようにため息をついて、視線を落とした。


「な、なにそれ」

「ぷに子は今でも大切な彼女だってこと」

「だ、だから、なに……それ……」

「ねぇ、あの男と付き合っているの?」

「渚君……」

「そんなのやだっ」


 怒った顔をして、渚君は私を引き寄せた。

 彼の胸の中にすっぽり覆われて、言葉が出ない。


「ぷに子は僕のぷに子だろ」


 切なげに彼はつぶやく。


「今更……何、言っているの? 別れようって言ったの、渚君じゃない」

「それはぷに子が悪いの」

「なんでよ!」

「可愛すぎるから」


 拗ねたように頬を膨らませて、眉をしかめる渚君。

 でた、お得意の甘えキャラ!

 上目遣いに見てくるその顔は、男のくせに、きっと私が同じ表情をするより何倍も可愛い。


「意味わからない」


 彼の上目遣いに騙されないよう横を向くと、渚君は私の顎を掴んで、突然唇を重ねた。


 う、そ……。


 呆然とする私に、舌まで滑り込ませてきて。


「ん……やっ」


 突き飛ばして、逃げ出そうとした私を、彼は易々と捕まえて、再び胸の中に抱きしめた。体を捩ってもビクともしない。こんなに可愛い顔をしているくせに、やっぱり男の人なんだって、実感する。


「花……」


 愛称ではなく、私の名前を彼は呼んだ。

 渚君……。

 キュゥと心臓が縮こまって、何も考えられなくなる。

 熱く濡れた瞳で私を見つめてくるから……。


「花……」

「お願い……離して……」


 うつむいて、彼の視線から逃れると、渚君はさらに腕に力を込めて私を抱きしめた。


「やだ。絶対離さない」

「渚君……」

「あぁ、花だ。すげぇ柔らかい」


 ため息をつくように言って、彼は私の首筋に顔を埋めた。


「渚君……もしかして彼女に振られちゃったとか?」

「え……麗奈のこと? 振られたわけじゃないけど」

「じゃぁ、渚君が振った?」

「いや、そういうわけでもない」


 う、うーん……。

 困惑しながら、私は彼を押しやって、その顔を見つめた。


「じゃぁ……なんでこんなことしているの?」

「ぷに子が好きだからに決まっているだろ」


 ニコリと微笑む彼の可愛い顔に、キュンとしてしまう自分が情けない。

 あぁ、ダメだ。何やっているんだろう、私。


「訳分からないよ、渚君」


 大きくため息をついた私を気にもせず、渚君は笑顔のまま首を傾げた。


「久しぶりのぷに子の唇、最高だった。柔らかくて、食べちゃいたい」

「な、なに言っているの!」

「だって、本当のことだもん」


 ダメだ。このままじゃ、取り込まれる。

 私は彼を無視して、再び家に向かって歩き出した。


「ねぇ、待ってよ」


 無視。ダメ。耳を貸すな、花!

 私は両耳を押さえて、家まで猛ダッシュ。


「ちょっと、ぷに子ってば!」


 追いかけて来る渚君。逃げる私。夜道で全速力で追いかけっこする二人。

 何をやっているんだ、私は……。


 結局、家の前までついてきた彼に、私はため息をついて振り返った。


「本当に、もうこういうことしないで。訳が分からないよ、渚君。だって、麗奈さんと付き合っているんでしょ? これって浮気じゃない……」

「うーん。付き合っているって言うか……あいつ他に男いるし」

「え?!」

「既婚者の上司と浮気してんだよ。本命はそっち。で、その男に構ってもらえなくて寂しい時に僕のところにくるの」

「えぇっ?!」


 驚いて言葉を無くす私を見ながら、渚君はなんてことなさそうに笑った。

 あぁ、そんなのって、ひどい。渚君、可哀想。


「あ。今、ぷに子、僕に同情したでしょ。相変わらず優しいね。自分のこと振った男をそんな風に心配するなんて。普通こういう時は、だからって私のところに戻って来るなんて最低! って怒るとこだよ」

「だって……。そんな人と、渚君は大丈夫なの?」

「どちらかというと、だから関係を持ったって言うか……お互い様だし。最初から知っていたから、あいつに男がいることは。僕もその方が、都合よかったし」

「……それって、いろんな女の人と、遊びたいってこと?」

「ぷに子はどうなの?」


 その質問には答えず、渚君は突然、私に話を向けた。


「どうって……」

「僕と別れたばかりなのに、もう彼氏作ってさ」

「か、彼じゃないもん」

「でも、体の関係あるだろ?」


 渚君の声がワントーン低くなった。

 先ほどまでの可愛らしい表情が消えて、責めるように私を見て来る。


「なに、それ……」

「イケメンだったから、簡単に落とされちゃった?」

「なんで、そんなこと、渚君に言われなくちゃならないの!」

「それとも、俺に振られてやけになった?」

「もうやめて!」

「見たよ、花がプールでキスされているところ」


 嘘……。

 あれを……見られて、いた?


 ドクンドクンと心臓が音を立てる。

 彼の瞳が仄暗い光を浮かべていて、その奥に押し込められた怒りを感じ取って、私は思わず後ずさりした。


「随分と、うっとりしていたね、花……」


 囁いた渚君が、すっと私の頬を撫でて、背筋がゾクリと震えた。


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