第11話 浅はかで、愚かで、なのになんだか可愛い
「俺さ、お前といると、制御できなくなっちゃうんだよ。あぁ、自分は変態なんだなぁって、花といると実感する」
私の頬を撫でながら、彼は淡々と語りだした。
その幾分冷たくなった表情と同じように、彼の言葉遣いがいつもの可愛さを脱ぎ捨てていたから、きっとこれは本心を剥きだしにした言葉だ。
「前にさ、お前が風邪ひいた時、あっただろ。寒い中、俺のキャンペーンに一日中付き合わせて。俺のせいなのに、まだ病み上がりのお前を無理矢理抱いて……」
視線を私から外して、彼はため息をついた。
「しかも、結局、風邪がうつった俺を、お前は文句ひとつ言わず、看病していたからさ。その時、俺にはもったいない女だなって。俺じゃ、ぷに子には相応しくないって痛感した」
「渚君……」
「ぷに子は優しいから、ダメなんだ。俺はどんどんお前に甘えて、自分の欲望を押し付けて、きっと、これ以上一緒にいたら、いつかお前の事、絶対傷つけるって思って、それで、恐くなって逃げ出した」
え……。何、その話……。
あ、頭が混乱して、うまく整理できない。
「だって、他に好きな人ができたって……。麗奈さんと付き合うために私を振ったんでしょ?」
「違うよ。麗奈とはたまたまって言うか……お前と別れた後のことだし……」
「どういう、こと?」
「俺、お前と別れた後、会社の飲み会で飲み過ぎて……。そん時、あいつに、好きだけど一緒にいられない奴がいてつらいって愚痴ったんだよ。そしたら、寂しい者同士、慰め合おうって」
なにそれ。
「あいつも上司と浮気して悩んでいから、そのまま流れでホテル行って。お互い、誰かにすがらないとやっていられなかったし、麗奈は俺のタイプとは違っていたから、その方がお前の時みたいに暴走しなくていいんじゃないかって」
私は何も言えず、うつむいた。
もう、本当に、訳分かんないよ。渚君。
なんで、そういう結論になるんだよ……。
「だけど、こないだ、お前が男と手をつないで去って行く姿見て、もうどうしようもなくなって。それで、しばらく、俺、お前の事つけていたんだ」
暗い瞳のまま、じっと彼は私を見つめて、ポケットから何かを取り出した。
「それ……」
彼の狂気を感じ取って、冷や汗が流れる。
その手には、フィットネスクラブの会員が身に着けるシリコン製のブレスレットが握られていた。
体重やトレーニングの記録から、入退館のチェックにロッカーのキーまで、全てを管理するツールだ。
「そう。俺も会員になったの」
ニコリと不自然なほどに可愛らしく、渚君は笑った。
「なんて顔しているの、花。俺が恐い? ストーカーみたい?」
「渚、君……」
後ずさりした私に、彼はその距離をゆっくりと縮めた。
「お前、閉館時間になっても、なかなか帰らないからさ。退館した振りして、身を潜めていたんだよ。そしたら、プールであの男に……」
体中が羞恥で火傷したみたいに熱い。
あんな姿を、渚君に見られていた。
「俺がこんなに我慢して身を引いたってのに、なんで他の男に弄ばれてんだよって、俺すげー腹が立って。だから、もう自分の気持ちを抑えるのやめにした」
彼が私の顎をぐっと掴んだ。
「いた……い。渚……君」
「いいよね? だって、花は俺よりも変態だから。プールですごく淫らな顔をしていたよ」
「渚君、やめて……」
「だから、今から、もっとすごいこと、花にするからね。恥ずかしいこといっぱい花にして、もっと淫らな顔にしてあげる」
囁くように言って、彼は無理矢理、唇を重ねた。
「んん……やっ……やめてっ」
彼を押しやった私の両腕を掴み、フェンスに押し付けて、彼は怒りを滲ませた瞳で私を見つめた。
「どうして? あの男に惚れてんの?」
「違うっ……そうじゃなくて……」
「じゃぁ、なんでだよっ! 俺はいつだって、お前の事だけなのにっ」
渚君は苦しそうに叫んで、再び唇を奪った。
そのキスは、熱く、狂おしいほどの愛情が込められていて。
「ん……渚、君……少しだけ、待って……」
「待たない」
「話、聞いて……」
「花のこと、本当に好きなんだ……くそっ」
初めて見せる彼の燃えるような怒りと愛情。
逃げ出そうとする私の頭を押さえつけて、押し付けるように唇を奪う。
私は歯を噛みしめて、グッと体に力を入れた。
「だから……やめてって言ってんのっ!」
私は足を振り上げて、彼の鳩尾に蹴りを入れた。
後ろに倒れた渚君が尻餅をついて、呆然と私を見上げる。
荒くなった息を整えるために、私は大きく息をついて、目を閉じた。
「渚君……聞いて」
一旦、心を落ち着けた後、再び目を開き、まだ何が起きたか分からないといった顔をする彼の前に、しゃがみこんだ。
聞き分けのない弟たちを昔よく叱ったように、彼の前に正座して、その瞳を覗き込む。
「渚君、私のこと本当に好き?」
「え……うん。大好き」
「じゃぁ、我慢して」
「え?」
キョトンとした顔で、私を見返す渚君。
その顔にようやくいつもの彼らしい表情が戻って、私はホッと息をつきながら、話を続けた。
「私も渚君のことが好き。でも、こういうのは困る」
「ぷに子……」
「私のことを本当に好きなら、制御できると思う。だから、私とよりを戻したいなら、渚君もちゃんと誠意を見せて」
「誠意って。麗奈と別れろってこと?」
「うん」
「分かった」
ニコリと笑って私に抱き付こうとした渚君を片手で制して、私は静かに首を振った。
「それともう一つ」
「何?」
「私がいいと言うまで、エッチは禁止にする」
「えええええっ?!!!」
まるで地球が破滅すると宣言されたかのような彼の驚愕っぷりには苦笑いだったけど。
「私のことが本当に好きなら、我慢できるよね?」
「なっなに言ってんだよ。好きだから、抱きたいんだろ!」
「私に手を出したら、その場で、渚君とは別れる。それでもいいなら、いいよ。抱いても」
「ぷに子……」
ぐっと言葉を呑み込んだ渚君が、恨めしそうに私を見上げた。
「それって、いつまで?」
「無期限。私が渚君を信用できるようになるまで」
その言葉を聞いた彼は、大きくため息をついた。
「俺の愛情を試すの?」
「うん」
「そんなに俺は信用できない?」
「うん」
「だよね……」
もう一度深い深いため息をついた渚君は、頷いて私を見つめ返した。
「分かったよ。約束する。ぷに子がそうしたいなら、僕はそれに従うしかないから」
「ほんとに?」
「うん」
「ありがとう……渚君」
思わず彼に抱き付いたら、彼も同じようにギュッと抱きしめ返してくれた。
「ねぇ、ぷに子。エッチ禁止は明日からってことにして、今日だけ……」
「渚君……」
「冗談だよ」
ペロっと舌を出してニコニコ笑っている渚君。
とても冗談で言ったとは思えない彼に、本当に大丈夫だろうかと不安になりつつ、私は、目の前の浅はかで、愚かで、なのになんだか可愛いこの元カレくんと、もう一度やり直すことにした。
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