第6話 その風邪は彼との思い出までも連れてやって来た
「くしゅん!」
うっ。寒気がする。
昨日、きついトレーニングに疲れ果てて、いつの間にかコタツで寝ちゃったからだ。
こんなに分厚いお肉で覆われているのに、なぜか私は昔から風邪をひきやすい。
「あぁ、気を付けなくちゃ」
とりあえず、薬を飲んで、マスクをして会社に向かったのだけど、その道すがら、
「ぷに子、風邪ひいたの?」
と、突然、懐かしい声に呼び止められた。
「大丈夫?」
心配そうに顔を覗き込んでくる渚君。
私はパッと目を逸らして、そのまま足早に立ち去ろうとした。
「ねぇ、ちゃんと薬飲んだの? 病院行った? ぷに子は風邪ひきやすいんだから用心しないと」
それでも、彼はついてきて、話しかけて来る。
「ねぇ、待ってよ。ぷに子ってば」
「ぷに子って呼ばないで!」
私は堪え切れず、大きな声で彼の言葉を遮った。
「もう渚君に……心配される理由はないでしょ……」
声が震えて、涙声になってしまう。
「花……」
渚君はなんだかすごく傷ついた顔をして、私を見た。
なんで、そんな顔するのよ。
自分で私のこと振ったくせに。
私とは全然違う女性を選んだくせに!
「もう二度と、話しかけないで」
私は黙り込んだ彼を残して、その場を駆け足で立ち去った。
どうして私を心配するの?
別れた後も友達でいたいってこと?
そんなの虫が良すぎるよ。
友達になんて、絶対なれない……。
その日は、精神的に大ダメージを受けた上、体が熱っぽくてしんどかったので、会社のトラブルで帰れなくなったと嘘をついて、一条さんからジムのお休みを取り付けた。
電話での私の声があまりに深刻さを帯びていたからか、彼は予想外に何も言わず、お休みすることを許してくれた。
家でひとり、今朝の光景を思い浮かべる。
『ぷに子、風邪ひいたの?』
渚君、心配そうに私を見ていた。
久々に交わした彼の声に、胸がギュゥッと押さえつけられたように切なくなる。
「渚君……」
涙が出てきて、布団の中にうずくまっていると、部屋のインターホンが鳴った。だるい体を起こして画面を見たけれど、そこには誰もいない。
ん?
ドア越しから、様子を窺おうとしたら、ドアのすぐ近くでゴソゴソと音がして、それからその場を立ち去る足音がした。
何かの勧誘かな。
粗品でも置いていったのかと、チェーンをかけたまま、そっと扉を開けてみたら、ドア下でガサリと音がした。
「あれ?」
ドアノブに大きなビニール袋が吊るされている。
確認すると、そこには、栄養ドリンクやら風邪薬やらリンゴやらヨーグルトやら、それと共に山ほどのプリンが入っていた。
「渚君……」
ジワリと涙が滲んだ。
以前、私が風邪をひいた時、こうして彼は山ほどのプリンを持ってきた。
数週間ほど前のこと――
「大丈夫、ぷに子?! ごめんね。僕が、寒空の下で無理させたからだね……」
泣きそうな顔で、ベッドに横たわる私を覗き込む渚君。
ひどく落ち込んだ顔でごめんねとつぶやいた。
渚君が担当する新商品のキャンペーンで、休日を返上して営業部のイベントを手伝ったその翌日、私は熱を出したのだ。
「違うよ。私、昔からよく風邪ひくの。大丈夫だから、あまり近づかないで。うつっちゃうよ」
「いいよ、うつして。僕にうつして、早く元気になって」
心底心配そうな顔をして、私の頭を撫でる彼に、愛されているんだなって、すごく感じた。
彼は付きっ切りで看病してくれて、夜も寝ずに、私の氷枕を取り換えたり、汗を拭ってくれたりした。
明け方目を覚まして、ベッドの横で眠っている彼の顔を見た時、あぁ、私、この人のこと、本当に好きだって思った。この人のお嫁さんになって、ずっと一緒にいられたらいいな、なんて、そんなこと思ったっけ。
「えぇ! ぷに子、お風呂入ったの? ダメだよ、まだそんな無茶しちゃ!」
寝ている間にシャワーを浴びた私を、目を覚ました彼はひどく怒った。
だって、渚君といるのに、汗臭かったら嫌だもん。
「大丈夫だよ。もう、熱も下がったし」
「いいから、すぐ寝て! もうっ。ぶり返したらどうするんだよ!」
彼が怒れば怒るほど、心配してくれているんだって感じて、嬉しかった。
「何か食べたいものある? ぷに子の好きなプリンもたくさんあるよ」
前に私が好きだと言ったプリンを10個も買ってきてあって、「そんなに食べられないよ」と苦笑いしたら、「僕はぷに子が美味しそうに食べている顔が好きなんだ」と渚君は笑った。
あぁ、きっとこの人以上に私のことを好きになってくれる人なんていないって思って、そしたら涙腺崩壊して……。
「どうした? ぷに子! 具合悪い?!」
「ううん。嬉しくて……」
「そんなにプリン嬉しかった? いくらでも買ってあげるよ」
ニコリと満足そうにうなずく彼に、
「渚君、大好き! ずっと一緒にいてね」
と思わず彼に抱き付いてしまった。
「ぷに子……」
「あ……ごめん、風邪うつったら大変だね」
「いいよ、うつして」
渚君は離れようとした私を引き寄せて、唇を重ねた。
「ん……ダメ。ホントに、風邪うつる」
「無理。ぷに子が可愛いこと言うから、抑えられない」
そのまま私を押し倒して、熱いキスをくれた彼に、愛情をたくさん注がれて幸せに浸されて、とろけてしまいそうだった。
その翌日、渚君は案の定というかなんというか、熱を出した。
「ごめんね、風邪うつしちゃって」
「無理矢理したの僕だから、いいよ。ぷに子が責任感じなくても」
私は、彼がしてくれたように、氷枕を取り換えて、汗を拭って、おかゆを作って、ずっとそばにいた。
好きな人に何かをしてあげられるって、幸せだな、なんて感じながら。
熱のせいか赤い顔で少しだけ虚ろな瞳をした彼は、洗濯物をたたんでいた私のことをぼぉっと見ていた。
「どうしたの? 何か持ってこようか?」
そう聞くと、渚君は小さく笑って、首を振った。
「花は、きっといいお嫁さんになるね」
すごく嬉しい言葉をかけてもらったのに、何だか彼がとても寂しそうに、ポツリとつぶやいたから、その時のことは今でもすごく印象に残っている。
ねぇ、渚君。あの時、誰のお嫁さんのつもりで言っていたの?
私は、あなたのお嫁さんに……なりたかった。
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