第23話 無謀な一撃必殺

 俺の叫びが、振動が。威風となって狩谷を襲う。


 自分が掴もうとして手を伸ばし、どうしても届かなかった、「大切な人に支えられ、その人を支えるために生まれるヒーロー」としての姿。


 それは、彼女にとっては憧れ、そして自らの理想とする勇姿だったはずだ(俺個人が彼女の「憧れ」になるにはどうしようもなく役不足だが)。


 そのヒーローが、真っ向から自分に牙を剥いているのだと実感すれば、たじろがずにはいられない。


 ただ強い相手というだけならまだしも、相手は自分が理想としていた、「ヒーローになる未来」だからだ。


 自分の拠り所とする理想像に自身を否定されて、それでも自分を保てるほど、人の心は丈夫に出来てはいない。


 そして、「友達を支えるヒーローになりたい理想」と、「友達のためにヒーローになった野郎に立ち向かわれる現実」のギャップを見せ付けられた彼女が見せた隙を、俺は逃さない。


 彼女の強さは、「自信」に比例する能力。「ヒーローの名乗り」によってそれを崩された今が、好機チャンスだ。


「はあッ!」


 気合いと共に彼女に飛び掛かり、セイトサーベルの一閃。


「あうッ!」


 狩谷は直撃の一歩手前でそれを受け止めたが、防御に使った肘の刃はバキリとへし折れた。


「でぇぇああああッ!」


 反撃に成功したと一瞬安堵したせいか、今まで積み重なっていた体の痛みが振り返してくる。


 それを堪えるように、俺は体の芯から気力を搾り出すように叫び、細身の剣で狩谷の持つ刃を次々を打ち砕く。


 無理をすればどうなるか。

 今まではそれを考えないようにして戦ってきた。


 ……考えると、怖くなるから。


 だが、今はもう「無理をする」という概念すらなくなってしまっていた。

 狩谷に勝ち、舞帆を守る。それだけしか頭に残ってはいなかったから。


「くっ……そおお! アンタが――アンタ達さえいなければあっ!」


 激しい咆哮と共に、狩谷は指先に嵌められていた刃を放つ。

 しかし、それは俺とは全く違う場所を狙っていた。


「……まずいッ!」


 俺はセイトサーベルを捨て、一気に舞帆達3人に向かって駆けていく。

 狩谷が放つ得物は、3人の後ろにそびえ立つ校舎を破壊していたからだ!


 校舎が破壊されたのはほんの一部だが、元々他の学校よりでかい造りというだけあって、いざ壊されると瓦礫も大きい。


 桜田家の3人に直撃すれば圧殺は必至だろうが、下手をすれば遺体もろくに残らないかも知れない。


「きゃああああッ!」


 舞帆の悲鳴が聴覚を刺激し、俺を動揺させようとする。

 しかし、焦る必要はない。


 「無理をする」概念をなくせば、無理を無理と思わなくなるのだから。


「――待ってろよッ!」


 裏返っていたバックルの校章を元に戻すと、セイサイラーがひとりでに変形を開始し、生裁重装の鎧となって俺を包む。


 鎧は既にボロボロだが、それでも俺の支えになってくれている。


 生裁重装を含めたセイントカイダーの変身システムには、装着者の生命危機を感知すると、降伏の意味を以て装鎧を強制解除する機能がある。

 装着者の人命の保護を最優先するためだ。


 だが、それには欠陥が一つある。それは、装着者が代わると、強制解除をするか否かの判定基準となるダメージ計算が、「リセットされてしまう」ということだ。


 それは、装着者を舞帆に限定されていたセイントカイダーに俺が無理矢理に変身していたことによる、単なるバグに過ぎない。


 しかし、ダメージ計算がリセットされるということは、舞帆が負った分の損傷が計算から外されること意味する。


 つまり、実際の鎧自体のダメージはそのままに、計算上の「それ」だけがリセットされている俺からすれば、この人命優先のシステムは今、全く当てにならなくなっているのだ。


 例え、俺が今からこのヒビだらけの生裁重装の鎧を木っ端微塵にされた上で、生裁軽装になったところを刃物で細切れにされることがあっても、システムが俺のダメージが舞帆のそれを越えたものと認識しなければ、装鎧は解除されない。


 達城によればバッファルダとの2戦目でも、あの背中への一刺しでシステム全体がショートしていなければ、とっくに強制解除されていたはずだったらしい。


 「計算」が振り出しになっている俺には、舞帆のような「恩恵」は受けられない、というわけだ。


 そう、例え「死んでも」。


 俺は3人を庇うように彼らの傍に立つと、持てる力の全てを両足に込めて、大地を蹴る。


「炎馬君!? ――炎馬君ッ!」


 驚いたように舞帆が声を上げる。なにをするつもりかを察して、止めようする声色だ。

 だが、飛び立ってしまった今ではもはや無意味。


「らああああああッ!」


 目の前に迫る瓦礫は近付くにつれてみるみる大きくなっていき、気が付けば想像を遥かに越える巨大な隕石のようにも見えてきた。


 いつもなら、こんな馬鹿でかい破片とぶつかったら死ぬに決まってる、と思って回避するところだ。


 だが、今回だけは逃げるわけにはいかないし、逃げる気もない。


 今なら、できる。そう思うしか道はないからだ。


 そして、強固な鎧に身を固めた、セイントカイダーという名の迎撃ミサイルが、校舎の瓦礫という名の隕石を打ち砕く。


 体のどの部分から瓦礫にぶつかったのかは、俺自身にもよくわからなかった。

 そのくらい一瞬の出来事だったからだ。


 ただわかっていることは、粉々に飛び散る破片と一緒に空中に投げ出されている景色が見えていること。


 ……つまり、まだ俺は生きている。


 生裁重装の重厚な鎧は、表面から内側まで、あらゆる箇所がひび割れ、今にも崩れ落ちそうなほどの損害が現れていた。


 元々舞帆が装鎧していた時にコテンパンにされていたこともあるだろうが、今の激突で原形を保っていられるのは奇跡としか言いようがない。


 今度この状態で狩谷と対峙すれば、間違いなくこの巨大なプロテクターは粉々に破壊されてしまうだろう。


「炎馬君ッ! 死なないで、お願いだから!」


 滞空している俺を見上げ、舞帆が涙ながらに叫び散らす。


 ――大丈夫だ、舞帆。これ以上、不安になんかさせない!

 次の一撃で決めて見せるから!


 俺は再びバックルに手を伸ばし、校章を反転する。

 空中で生裁軽装に変身すると同時に、俺は生裁重装の鎧から変形したセイサイラーに乗り込んだ。


 そして着地する瞬間にアクセルを踏み込み、一気にスピードを爆発させる。


「おおおおおおッ!」


 雄叫びだけで自身を鼓舞し、俺は狩谷目掛けて突っ込んでいく。


「……ナメるなぁ! アタシは――アタシは、ヒーローになるんだああッ!」


 狩谷も必死に残された刃をぎらつかせ、俺を迎え撃たんとする。


 正直言って、もう体はほとんど動かない、さすがにそろそろ限界を超えすぎたらしい。

 だから、これが最後の攻撃になる。失敗すれば、俺の命もないだろう。


 だが、できないとは思わない。

 舞帆やみんなが、俺を信じて頼ってくれるなら。俺に、そこまでの価値があるとするならば!


「俺がヒーローだってんなら……! 応えなきゃ、ダメだろうがッ!」


 俺は腕に残る力を振り絞り、忍ばせていたセイトバスターを撃つ。

 その1発は、狩谷の得物に斬り払われ――彼女の刃が、俺の首を狙った。


「――ッ!」


 分かっていた。こんなものでは、彼女は破れない。

 だからこそ……この瞬間まで、最後の切り札ジョーカーを残していたんだ。


「とあぁッ!」

「なッ――!?」


 セイサイラーを走らせたまま、俺は上空に跳び上がる。

 乗り捨てられたサイドカーを、咄嗟に切り裂いて激突を避けた狩谷は――そこから来る一手には、反応しきれなかった。


 俺は腰に手を忍ばせ――ホルスターの裏にある、ベルトの隠しスイッチに触れる。


 全身に、これまで異常の負荷が掛かる。それを理由に、本当にどうしようもなくなる瞬間までは使うな、とメモに記されていた――セイントカイダーが持つ、第2の「必殺技」。


 そう。今が、そのどうしようもない時なのだ。だから俺は今、このスイッチを押す。


 ――キリングマシーンとしての「ソリッドキラー」を否定し、ヒーローとしての「セイントカイダー」を肯定するための。

 「抹殺キル」ではなく、「制圧サプレッション」の力を秘めた一撃を、放つべく。


「なァッ……!?」


 ――刹那。俺の右脚に、青白い電光が宿り。この全身に、この世のものではない激痛が迸る。

 だが、俺は止まらない。止まれない。この電光を帯びた右脚で、狩谷の延髄に飛び回し蹴りを喰らわせるまでは!


「――電圧閃光撃サプレッションストライクッ!」


 その一閃が決まる時。轟音と共に狩谷の身体が吹き飛び、俺も力なく地面に墜落した。

 ――もう、どちらにも力は微塵も残っていない。


 まさに、一瞬の決着。俺にとっても、きっと彼女にとっても。


 俺は、ヒーローに必要なのは……例え無謀だとしても、大切な誰かを守れる、ヒーローとしての「資質」だと思ってる。

 だから、こんな無茶苦茶な戦い方を選んだのかもしれない。


 そんな自覚はあっても、不思議と後悔の念はまったくなかった。


 結果として、舞帆達を守れたからだろうか?


 ふと、瓦礫を除けて倒れていた身を起こしてみれば、装鎧は既に解け、俺は元の炎馬勇呀の姿に戻っていた。


 セイントカイダーのシステムが、装着者の生命危機を感知したためだろう。今さらな気もするが。


 ◇


「狩谷っ……うッ!」


 同じく装鎧が解除されていた狩谷。彼女の安否を確かめようと身を起こした俺を、積み重ねられた激痛が襲う。


 俺はとうとうそれに打ち負かされ、瓦礫の山からゴロゴロと転げ落ちると、今度こそ全く身動きが取れなくなってしまった。


「うっ……うう」

「狩谷、生きてるか。よかった……」

「あんな殺す気満々な攻撃仕掛けといて、よく言うよ。まったく――いてて!」


 どうやら、反応を見る限りでは命に別状はないらしい。

 俺はつっけんどんでありながら、敵意を感じさせない彼女の態度に苦笑しつつも、ホッと胸を撫で下ろす。


 よく見れば、狩谷の体には外傷はほとんどないようだった。……電圧閃光撃サプレッションストライクは、相手の筋肉を電撃の蹴りで痙攣させて、一定時間動けなくする技だからな。


 それまでに俺が与えたダメージの多くは、ラーカッサの戦闘服が吸収していたらしい。セイントカイダーと同じ、桜田製装甲マッスルスーツの技術を使ってるだけのことはある。

 ただ、やはり電圧閃光撃サプレッションストライクの効果もあってか、彼女も俺と同じでろくに動けないみたいだ。


「負けたよ。アタシはやっぱり、ヒーローの器じゃなかったんだ」

「そうだな、今はそうだ。だったら今からはい上がりゃあいい。まだヒーローを諦めたくないならな」


 もし本当に「ヒーローになる」という未来に愛想を尽かしてるなら、わざわざスーツまで作ろうとはしまい。ニュータントの能力さえあれば十分のはずだ。


 ヒーロー用のスーツを悪事に使おうというアンチテーゼに拘るということは、それだけヒーローに未練があるとも言えるはずだ。


「はい上がる……か。厳しいこと言うわね、アンタ」

「厳しくもなるさ。未練を夢に、変えるとするなら」


 未練を、夢に変えられれば――彼女がもう一度チャンスを得られたなら、彼女が悪である必要もなくなるんじゃないか。


 そんな考えが脳裏を過ぎった時だった。


「間違えるな、炎馬勇呀。悪は悪、正義にはなれん!」


 厳格な口調で、憎悪で凝り固まった言葉を吐き出す者がいた。

 ――桜田寛毅だ!


「校長先生、どういうつもりだよ」

「ご苦労だったな。まさかソリッドキラーにあんな機能が搭載されていたとは思いもよらなかった。やはり朝香は舞帆より貴様を選んだのだな。愚かなことを……舞帆に任せておけば、我が桜田家の優秀さが実証され、我が家を去る必要もなかったろうに」

「あんたが娘を無理矢理戦いに引っ張り出そうとしなけりゃあ、円満な家庭を築けたろうにな。……そして、まともに試験をやろうとしてれば、こんな戦いも起きなかったはずだ!」

「一人前なのが力だけでは、単なる暴力と違わぬことを覚えておけ。いいか、貴様は桜田家がどれほど優れた家系であり、それを引き継いできたのかを知らんだろう。だからそんな腑抜けた口が利けるのだ」


 どうやら桜田家ってのは、代々続く優秀さを継いでいかなくちゃいけない、窮屈な家庭らしいな。

 彼にとってはそれは絶対であり、そのためには人を殺しかねないほどの不正もアリにしちまう。


 ――ふざけてんのかよ。

 いや、大まじめにそれをやってのけてる辺り、ふざけてるよりよほどタチが悪い。


「この女は私達の邪魔をした挙げ句、あろうことか舞帆を辱めた。どうやらこの女豹は、私が直々に討たねばならんらしい」


 そう吐き捨てると共に、校長の懐から――拳銃が現れた。


「……!」

「校長ッ! あんた、マジなのかよ!」


 一瞬怯えたように身を強張らせ、すぐに諦めの顔になった狩谷を一瞥し、俺は校長に食ってかかる。

 しかし、まったく聞く耳を持つ様子はない。


 ちくしょう……! 狩谷を殺して、それで解決なわけがないだろう。俺はバッドエンドってのが大嫌いなんだ!


 そんなの、望んでるのはあんただけだろうが。

 桜田は、舞帆はどうなるんだよ!


 今までの戦いの疲労、痛み、そして狩谷に勝ったことによる束の間の安心からくる脱力感のせいで、俺は動くどころか、叫ぶことすら思うようにいかなくなっていた。


 校長は狙いを狩谷の眉間に定め、引き金に指を掛ける。

 狩谷は抵抗もせず、ありのままの結果を受け入れようとしていた。


「か、狩谷!」

「……アンタ、炎馬勇呀って言うんだっけ? 覚えとくよ。アンタの名前」

「はぁ!? 今の状況わかってんのかよ! 俺のことなんてどうだっていいだろ!」


 俺に構わず、早く逃げろ。


 本当はそう言いたかったが、俺にそんな資格はなかった。

 彼女を逃げられなくしてしまったのは、俺だからだ。


 こんなことになるなら、狩谷が逃げる体力を残せるくらいまで技の威力を落としておくんだったと、今頃になって俺は後悔する。


 どうすればいいかわからず、右往左往していた俺に向かって、彼女はフッと笑う。


 嗜虐的でない狩谷の笑顔を見たのは、それが初めてだった。


「もっかいヒーローになれ――アタシの醜いところばっかり見たくせに、そんなこと言う奴がいるなんて、考えたこともなかったわよ。ありがとね……夢、見させてくれて」

「なに言ってんだ、そんな遺言染みたこと聞きたくないぞ!」

「……まったくよ。……どうせ殺されるんなら、アンタの手で――」


 カチャリ。


 そこで、校長の指が引き金を引こうと動き始めた。


「お喋りは終わりだ、庶民ども」


 ハッとする暇もなく、冷たい一言と共に、拳銃が火を噴いた。


 乾いた銃声。凍り付いた世界。


 そこから続く未来にある惨劇を恐れ、俺は目を閉じた。


 悪い夢なら覚めてほしい。できることなら、もう一度狩谷と戦うことになってでも、やり直したい。切実にそう思った時だった。


「――!?」


 だが、誰ひとりとして命を落とした者はいなかった。

 確かに、発砲音は聞こえたのに。


 悲劇を予想して閉じていた瞼を開くと、そこには発砲の瞬間、拳銃をたたき落とす桜田の姿があったのだ。


 予想外の展開に、俺も狩谷も目を見張った。


「寛矢……なんのつもりだ!」


 予想だにしなかった息子の反逆に、校長は激昂する。

 しかし、桜田には微塵の気後れもない。


 逆に、父親を越える体躯を活かし、最大限の力で悪事をさせじと威圧する。


「――『ヒーロー』として、当然の行いですよ、父さん」

「何だと!?」

「僕は今まで、父さんの教えを信じて、ヒーローとはこうあるべきだという思いで、学業を積み重ねてきました。でもそれは、僕の望んだヒーローなんかじゃない! 不当に他人を蹴落として掴んでいた身分証ライセンスを振りかざして、炎馬さんの前で得意になっていた僕が、今はなにより許せないんです!」

「寛矢! 朝香や舞帆に留まらず、お前までもが逆らうというのか!」

「それが、あなたが作り上げた『ラーベマン』ですッ!」


 一切の反論を許さない、誠意を以って放たれた一言。


 それは自身が理想とする、悪を正す1人の「ヒーロー」として、「ラーベマン」こと桜田寛矢が成すべき「ヒーローとしての活躍」そのものであった。


「お父さん、私もよ。私は、そんなことをする桜田家が優秀だなんて思わない。私は、炎馬君のような人が、なによりも大切なものを持っているって思うの。それは、お父さんには決してないものだから。――だから私は、炎馬君を選びます」


 次に現れた舞帆も、父の悪事を容赦なく糾弾する。

 俺にあって、校長にないもの――それがなにかは、俺にもよくわからなかったが、少なくとも俺を肯定してくれているのは間違いない……と、思う。


 そこはありがたく受け取っておこう。


「狩谷……うぐッ!」


 校長が桜田姉弟にやり込められているのをしばらく見守っていた俺は、転がり落ちてから少し安静にしていたためか、少しだけ動けるようになっていた。

 もちろん傷はまだまだ深いが、今までに比べればまだマシだ。


 俺は狩谷の所まで身を引きずり、彼女の傍で膝をついた。


「な、なに?」

「お前……まだ、ヒーローになりたいか?」


 もし彼女が、ヒーローになる夢を捨てきれていないなら、俺にもなにかできることがあるかもしれない。


 そう思っていた俺は、彼女に最後の確認を取った。


 挫折し、苦しんで、荒んでいるようで、心のどこかで救いを求めているような……そんな、どことなく俺に似たなにかを感じさせる彼女に、手を差し延べるように。


 ――かつて、舞帆が俺にそうしたように。


「……なりたいわよ。なれるもんなら、なりたい。なりたいよ」


 そこに、会った頃のような彼女――ラーカッサの姿はなかった。


 俺の目の前にいるのは、自分の罪深さを自覚して啜り泣く、狩谷鋭美という1人の少女でしかなかった。


 出会ってからほんの数十分しか経ってないはずの彼女が、こんな顔を見せた。


 そのくらい、この少女が抱えていた闇は重く、彼女自身も無理をしていたんだろう。


 少し内心に入り込まれるだけで、ここまで心の障壁が脆く崩れてしまうのだから。


 俺はそんな彼女の涙を指先で拭い、1枚のカードを差し出した。

 それを目にした狩谷は、「これをどうするつもりなのか」と不思議そうな顔をする。


「……俺の身分証ライセンスだ。罪を償ってまたいつかヒーローになったら、返しに来いよ」

「えええーっ!? ちょ、ちょっとアンタ、どういうことよそれっ!?」


 予想以上の驚きっぷりに俺は目を丸くしたが、彼女の反応はそれ以上だった。


 まあ、自分が喉から手が出るほど欲しがっていたものが、他人からあっさり渡されたことが衝撃的だったんだろう。


「俺は元々、舞帆を守るため――だから、お前らを止めるためだけに身分証ライセンスを取ったんだ。だから戦いが終わった今、ヒーローを続ける必要もなくなった……って、思ってたんだけどな」

「じゃ、じゃあなんでわざわざアタシに……? アタシは敵よ!? 敵にこんなの渡してどうすんのよ!」

「もう違うだろうが。俺はさ、お前見てると、なんか昔を思い出すんだよ」

「え?」


 意外そうな顔をする狩谷に苦笑いすると、俺は口角を上げて自分の恥ずかしい昔話をした。


「俺さ、昔は女の子のことでひどく荒んでて、母さんに迷惑かけたりケンカしたりで、もう最低のクズ野郎だったんだよ。でも、そんな俺の世話をかいがいしく焼いてくれる娘がいてな。その娘のおかげで、俺はちょっとは元通りになれたんだ」


 俺はそこで一旦言葉を切り、父親を叱りまくる舞帆に目を向ける。

 名前こそ出さなかったが、その世話焼きの娘が舞帆のことだというのは、狩谷も薄々察したようだった。


「こう言っちゃ悪いけどさ。お前のそういうグレたところ見てると、なんか昔の俺に似てるなあって思うんだよ。だから、俺の世話を焼いてくれた娘みたいに、お前のこと、ほっとけなくなっちまうんだ。俺、その娘のファンだからさ」


 彼女は、「自分の醜いところを見ているのに、励ますのが変」だと言ったが、それは違う。


 その「醜いところ」ってのが、俺のそれとどこか似ていたから、共感して、支えたくなったんだ。

 そして、救いたくなった。


「……それとアタシにコレ預けるのと、何の関係があるのよ?」

「お前、ヒーローになったら自分が育った孤児院の専属になるんだろ? 俺もそんなところでヒーローやりたいって思ってたからさ。2人で一緒に、孤児院専属のヒーローコンビってやつになってみないか?」


 俺の提案に、狩谷はさらに驚嘆の声を上げる。

 どういうわけか、その顔はほんのりと赤みを帯びている。


「ヒ、ヒ、ヒーローコンビ!? アンタとアタシで!?」

「おう。俺達、挫折からはい上がったヒーローコンビで、孤児院の子供達に勇気を与える。……かっこよくないか?」


 そう言い切る俺に呼応するように、狩谷は蕩けたような表情になって、俺が渡した身分証を豊満な胸でキュッと抱きしめる。くそ、身分証ちょっと俺と代われ。


 しばらくは夢心地で俺の話を聞いていた狩谷だったが、ハッとするといきなり俺の胸倉につかみ掛かってきた。


「約束だからね! 嘘ついたらハリセンボン!」


 ……言うことまで昔の俺にそっくりじゃないか。


 俺は苦笑混じりに「おう!」と力強く返事し、彼女も流されるように笑顔になった。


 ひかりを育てた、加室孤児院。

 狩谷もそこで育ち、そこのヒーローになろうとしていた。


 俺も、その場所を守ってみたい。俺に初恋を教えてくれた彼女が暮らしてきた、その世界を。


 ――罪を償って、恩を返して。いつか、2人でヒーローになろうな……狩谷。


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