第九話:温もりと出航

 

「あぁーもう食べれません……」


「……まじか」


 バーンは驚愕する。

 アリスの凄まじい食べっぷりに。

 バーンも最初は、すごい、すごいと笑っていた。

 だが、時が経つにつれてその表情が曇りだす。


 ムシャッ……ガブッ……モグモグモグ……あむあむ……ングッ……ゴクゴク……ぷはぁ!……モグモグモグ……


(…………まじか)


 止まらない手。

 机の上に所狭しと並べられた料理が次々に消えていく。

 バーンは黙ってそれを見ていることしかできなかった。


「えーっと、五万ゴールドになります……」


「………………まじか」


 結局アリスが選んだ店は大衆食堂で「色んな料理が食べられる素晴らしい所です!」と、熱く語っていたことを思い出す。


(大衆食堂で……五万ゴールドだと……)


「あー満足です! バーンさんごちそうさまでした!ありがとうございますっ!」


「あ、ああ……喜んでくれてよかった。俺も満足だ……」


「どうしました? あ、ひょっとしてお金ありませんでした……?」


 アリスは小首を傾げてこちらを見る。

 そういった問題ではないが一応答えておく。


「いや、それなりにあるが……ま、まぁ満足したなら良かったよ。そろそろ行くぞ」


「はいっ!」


 二人は港町に向かうために乗り合いの馬車に乗る。

 王都アトリオンから港町までは道が整備されており、乗り合いの馬車が定期的に走っていて、安全に物流が行えるようになっていた。


 暫く馬車に揺られていると、やがて海が近づいてきた。

 夕陽を反射した波が、オレンジ色の光を煌めかせている。

 風に乗った潮の香りがツンと鼻をくすぐると、アリスがポツリと呟いた。


 「潮のいい匂いがしますね……」


 金色に輝く髪が風に揺られていた。

 その髪を抑え、海を見る横顔にバーンは少しドキッとしてしまう。

 

(……なんか、いいなぁ)


 港町に着く頃には夕陽が水平線に沈み、今日の日の終わりを告げようとしていた。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 二人は宿を借りて部屋に入った。

 今後のことを考えると一部屋で過ごすべきだと判断したが、互いに慣れていない事もあり俯きがちで二人は荷物を整理し始めた。


「……やっぱり一部屋ですよね」


 アリスの照れくさそうな独り言を聞いて、バーンも変に意識してしまう。

 気持ちがフワフワと宙に浮くのを押さえつけ、なんとか平静を保とうとしていた。


「節約してかないとな……アリスはベッドを使え。俺はソファーで大丈夫だ」


 節約という言葉で誤魔化し、アリスにベッドを譲ろうとするが、お互いに譲らない。

 業を煮やしたバーンが一喝する。


「いいから! ……風呂先入れ」


「……えっち」


「なんでだよ!」


 そんなやり取りにドキドキしていた。

 なんとか話をつけて、アリスに先に入ってもらう。

 アリスが入っている風呂のことは意識しないようにして、バーンは日課である武具の手入れを始めた。


(ちゃんとやらねーと、おっさんに怒られるからな)


 アリスの母親との会話を思い出した。

 やはり、クインと同じように自分を心配してくれているのだろうか。


(手紙書くか……そのうち)



ーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 アリスが風呂から上がると、温まり火照っているその身体はほんのり赤みを帯びていた。

 金色の綺麗な髪は少しウェーブしており、歩くたびにふわふわと揺れる長い髪は腰の辺りまで伸びている。

 石鹸の香りがバーンの鼻を刺激し、そのシャツ一枚の姿にドキッとさせられる。


「お先にいただきました! バーンさんもどうぞ!」


「お、おう、もう終わる」


 鎧を磨いているバーンをしゃがみ込んで見つめていた時に、アリスはふと思った疑問を口にする。


「なんで……真っ黒なんですか?」


 バーンの装備は頭から爪先まで真っ黒だ。

 巨剣の刀身まで黒く光っている。

 

「ん? ああ、これか? これの素材は珍しい鋼でな、出来が良いとこうやって黒く光るんだ」


 巨剣を近くでよく見るとキラキラ光っていた。

 不意にアリスの顔が近づく。

 石鹸のいい香りがバーンの心を乱そうとしていたが、説明に逃げ込んだ。


「……俺を育ててくれたおっさんが作ってくれたんだよ。腕のいい鍛冶屋でもあるからな」


「でも作る時ってまだバーンさん適正審査受けてないですよね? 他の職業だったらどうするつもりだったんですか?」


「おっさんには分かってたみたいだな。なんでかは知らないけど」


「ふぅん……名前なんて言うんですか?この国の出身ですか?」


「そうだよ。名前はジークだ」


「えっ……それってもしかして、八代目勇者のパーティの!? あのジークさんですか!?」


 爆砕の戦士ジーク。

 それが八代目勇者を支えた戦士の二つ名である。

 二メートル近い身長。

 筋骨隆々で見るものを圧倒するその姿は、魔物さえ恐れをなした。

 頭には鋼の額当てをいつも着けており、眉は隠れ、より一層相手に威圧感を与える。

 彫りが深く、金髪を後ろに流したその姿は戦場でよく映えたという。

 その豪腕から繰り出される一撃は魔物を断ち切り尚も勢いが死なず、大地に大穴を開ける。

 その様から、まるで着弾し、獲物諸共大地を抉る大砲のようだと恐れられ、この二つ名が付いた。


「勝てるまでかなり時間がかかったよ。まぁお互い本気じゃないからどっちが強いとかないけどな」


「……バーンさんが強い訳が分かった気がします」


 アリスが遠い目をしてそう呟く。

 それにしてもどうして彼はジークに育てらたのだろうとアリスが疑問に思っていると、察したバーンがそれに答える。


「……俺を預けて両親はヴァンデミオンに行ったらしい……二人とも冒険者だったんだと。それで巻き込まれちまった」


「そう……だったんですね」


 気にするなといいバーンも風呂へ入るのだった。



 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 

 ランプの灯りがゆらゆらと揺れる。

 バーンはソファーに横になり、天井を見つめていた。

 ベッドに視線を移すと、アリスと目が合う。

 お互いにドキッとしたようだ。

 少し照れながらアリスが小さい声で話し出す。


「なんだか眠れなくて……最近色々ありすぎてまだ現実味がないんですよね」


 確かに濃い一日が多かった。

 バーンにとってもこの数日はアリスのおかげで一人の時より遥かに充実していた。


「バーンさんが助けてくれなかったら今頃……」


「やめとけ」


 アリスの言葉を遮る。

 これで二回目だ。

 しかし、アリスは続ける。

 その声は震えていた。


「でも……たまに思い出しちゃうんです……暗いと……」


 バーンはソファーから起き上がり、アリスの元へ行く。

 そして、アリスの前に座ると手を差し出した。

 アリスは戸惑いながらも差し出された手を握る。

 大きくて強い手がアリスの手を包み込み、アリスは吐息を静かに漏らした。

 その手はやはり、少し震えていた。


「バーンさん……」


「安心しろ、アリス……二度とお前をあんな目にはあわせない」


 強く優しい声が、アリスの心からあの夜の嫌な記憶だけを取り除く。

 何度脳裏から消そうとしても離れなかったあの出来事を、再びバーンに救われたアリスの手はもう震えていなかった。

 アリスは意を決してバーンに問い掛ける。


「い、一緒に居てくれますか?」


「ああ、ずっと一緒だ」


 アリスの目から涙が溢れる。

 今までのクビになってきた数ヶ月を振り返り、決して無駄ではなかったと感じた。

 諦めなかったからこうしてバーンと出会えたのだから。


「ありがとう……ございます」


「泣いてばっかだな。お前は」


「あはは……」


「んじゃ、寝るか」


「あ、あの! 手を……離したくありません!」


「えっ?」


「い、今は離したく……ないです」


「分かった……」


 ベッドに二人横になる。

 手からも身体からも温もりを感じ、心すらも温められているようだった。


「おやすみ、アリス」


「おやすみなさい、バーンさん」


 そうして二人は静かに眠りにつくのだった。



 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 アトリオンに別れを告げ、新たな大陸を目指す。

 大陸の名はウーナディア。

 二人を乗せた船は海の上を疾走する。


「わー! 海の上を走ってます! バーンさん! 走ってます!」


「分かった分かった」


 甲板ではしゃぐアリスをバーンが落ち着かせる。

 出航してから数時間、船は問題なく航海を続けていた。


「はっはっは! 元気なお嬢さんだ!」


 でかい声で船長が笑う。

 中型の帆船が、向かい風を受けて速度を上げていく。

 アリスも負けじと声を張り上げる。


「船長さん! 風が気持ちいいです!」


「そうだろう、そうだろう! はっはっは!」


 船長の笑い声が、耳に当たる風の音を物ともせず響いていた。


「この辺は魔物もいないから安心してはしゃいでくれたまえ」


「あと、どれくらいかな?」


「そうさな……二、三時間といったところかな」


 アリスは柵から身を乗り出し海面を覗き込む。

 波が太陽の光を反射してキラキラと光っていた。

 他の乗船客も安全な今のうちにと景色を眺めている。

 中には冒険者もいるようだ。


「あれ? なんだろ?」


 アリスが何かに気付き、それを凝視する。

 黒い影がみるみる大きくなっていった。


「ーーっ! アリス下がれっ!」


 声に反応し、アリスがバーンの元へ駆け寄る。

 バーンはアリスの前に立ち、巨剣の柄を握りしめた。

 突如水が炸裂し船が揺れ、大量の海水が甲板に流れ込み黒い影はその姿を現す。


「きゃあっ!」


「掴まってろアリス」



 目の前に、巨大な魔物が現れていた。

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