第十話:海戦と決意

 

 海の魔物は一様に体が大きい。

 浮力により、自重でその体が潰れることなく維持できるためだ。


 クラーケンはその中でも巨大な部類に選別できる。胴体部分だけで十メートルはあり、濃い青色の体は光沢を放つ。

 八本の腕と二本の触腕で構成されるその十本の触手攻撃は、船を無造作に破壊する力を持っている。

 出くわしたが最後、大抵の船乗りは天を仰ぎ神に祈る。


 例に漏れず船長は空を見上げ、吸い込まれそうな澄んだ青を見つめながら今からそこに行くのだと自傷気味に笑っていた。


「クラーケン……!」


「おっきい……イカ!」


 ほぼ同時に二人は叫ぶ。

 バーンはすぐさまアリスを抱え、後方に向け駆け出した。

 その際、すれ違う乗船客に避難するよう声をかけていく。


「バーンさん!?」


「後ろにいろ! あれはやばい奴だ!」


 数人の冒険者がクラーケンに向かって走り出した。

 既に武器を取りやる気らしい、だがどう見ても実力が足りていない。


「ばっ……やめとけ!」


 バーンの制止も聞かず、先頭を走る戦士が船にまとわりつく触手に斬りかかる。

 ガッと鈍い音を立て、斧は弾かれた。


「うおっ!? くそっ! もう一丁!」


 柔らかそうに見える触手は筋肉が凝縮されているためその実堅く、生半可な攻撃は跳ね返されてしまう。

 戦士が斧を再び振りかぶるが、クラーケンの触手が戦士を一瞬で捉えそのまま締め付ける。


「あがああああああああ!」


 戦士の絶叫と共に、全身の骨を砕かれる嫌な音が船上に響く。

 触手の中で動かなくなってしまった戦士を救うべく、魔法使いが魔法で触手を切断にかかる。


「これでもくらいなっ……ヒュード!」


 風の刃がクラーケンの触手に当命中したが、全く効いている様子がない。

 明らかに実力不足であった。


「えっ? 全く効いてない!? ……きゃあっ!」


 背後から忍び寄った触手が、魔法使いを締め上げようとする刹那にバーンの巨剣が触手を斬り裂いた。

 甲板に打ち上げられたそれは、ぬるぬると不気味に動き続ける。

 力が弱まったところで、捉えられていた魔法使いは解放されすぐに逃げ出した。

 バーンはクラーケンを挑発する。


「よお、イカ野郎! あと……九本だな」


 ニヤリと笑うバーンの表情をクラーケンは理解はせずとも、触手を切断したこの人間を絞め殺すという意思はある。

 クラーケンの標的はバーンに集中し、まずは小手調べと言わんばかりに触手で掴んでいた戦士を投げつけてきた。

 バーンはくの字に曲がりながら飛んできた戦士を難なく片手で受け止め、勢いを殺さずにそのまま反転して後方に流した。


「アリス! 任した!」


 任せられたアリスは船上を駆け、戦士に近寄るとすぐさま回復魔法を繰り出した。


「ライフリー!」


 ポゥッと両手が光り、戦士の骨を治していく。

 腕や脚は後回しにし、胴体の回復に集中する。


 ギィィィィィィイーーーー!


 クラーケンが声にならない奇声を上げ、残り九本となった触手でバーンに襲い掛かかる。

 バーンが二本目の巨剣を抜く姿をアリスは初めて見たのだった。


(本当に……二本同時に振るんだ……)


 右手の巨剣を前に突き出し、左手の巨剣を上段に構える。

 その二つの切っ先は真っ直ぐクラーケンに向かっている。

 体は半身、人体の急所である中心線を相手の視界から外す。

 右脚を前に出し、膝を少し曲げ、爪先は少し内側へ向けられている。

 左脚の踵を上げ、全身のバネを最大限利用して、バーンは跳ねた。


「オォォラッ!」


 襲い来る触手を二本の巨剣が引き裂く。

 一本、また一本と振り下ろすたびにクラーケンの武器が奪われていく。

 左右同時から触手を振り下ろす。

 バーンは体を回転させて遠心力を使い、回りながらその全てを断ち切る。

 一本百五十キロはあるというその巨剣は、見ているものからは重さが感じられない。

 だが、戦士の斧を簡単に弾いたあの触手が、なんの抵抗もなく引き裂かれていく。

 バーンの振り抜く巨剣には、凄まじい威力があることを見るものに分からせるには十分過ぎた。


「す、すげぇ……」


「バケモンだ……動きがありえねぇ……」


 二本の巨剣に加え、鎧を着込んでいるバーンの駆ける速さは、それでも尚クラーケンの触手の動きを凌駕している。

 圧倒的な一撃に目を奪われるが、その人間離れした〝動き〟こそが、バーン最大の武器ともいえる。

 甲板を所狭しと駆け回り、クラーケンの動きを見極め、触手を切り落としていく。

 クラーケンの触手は、もう船にしがみ付く一本を残すのみとなった。


「はっ、終わりだな」


 バーンがクラーケンにそう呟くと、クラーケンは触手を離し、海に潜ろうと試みる。

 が、それはもう遅かった。

 バーンは船の先端から跳び、クラーケンの目玉の間に二本の巨剣を突き刺す。


 ギィィィィィィイイィィィィィ……!


 クラーケンは再び声にならない奇声を上げると、そのまま後ろに倒れた。

 波しぶきと共に、クラーケンとバーンの姿が戦場から消える。


「あっ! バーンさん!」


 バーンの安否を確認するため、既に胴体部分の治療を終えたアリスが船の先端に駆け寄る。

 ぷかぷかと浮かぶクラーケンの死骸の上にバーンが立っていた。


「よかった……」


「アリス、怪我はないか?」


「こっちのセリフですよ! ……もう」



 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 戦士の治療を終えたアリスはふぅっと一息つく。


「なんとか、バラバラになった骨を軽く繋げることはできました」


「お疲れ、アリス」


 戦士のパーティメンバーに何度もお礼を言われ、アリスはそれに笑顔で応えていた。

 先程まで半ば放心状態だった船長がバーン達に近づいてくる。


「あ、あんた凄まじいな……なげぇこと船に乗ってるが、一人で倒しちまったのは初めて見たよ」


「たまたまさ。俺より強い奴はいくらでもいるよ」


「いやいやいや……」


 他の冒険者達もバーンの戦い振りに驚きを隠せない様子だった。

 あちこちで称賛の声が上がり、アリスまで誇らしくなる。


(ふふん! 当たり前です! バーンさんは強いんです!)


 バーンの周りに人集りができてしまい、バーンは困っているようだった。

 アリスは少し離れた所からそれを見ていたが、別の冒険者がこちらに来る。


「あの、僧侶さん?」


「え? あ、いや、私はシスターなんです」


「えっ!? シスターなんですか! すごいですね!」


「いえいえいえ! 珍しいだけです!」


「そんな事ないです! あれだけ砕かれた骨を治すのは中々できる事じゃないです。よかったらコツを教えてくれませんか? 私僧侶なんです」


 アリスの眉間に皺が寄る。

 僧侶拒絶体質がそれをさせるのだ。


「ど、どうしました!?」


「はっ! いえ、なんでもないです! えー、コツですか……なんかこう、イメージを持って……」


 バーンはアリスが僧侶と話しているのを見てそのやりとりに頬が緩む。

 自分に自信のなかったシスターは、少しずつ成長していた。



 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー



「やっぱり少しずつだけど異変が増えてるな」


 再び進み出した船の上でバーンが呟く。

 船長曰く、このルートでクラーケンに遭遇したことはなかった。

 かなり遠回りをしているため、時間はかかるが安全なルートの筈であったのだ。


「……縄張りから追い出されたのかもしれないな」


「え、何にですか?」


「より強力な魔物に、だよ」


「ああ……なるほど」


 遠く、水平線の先にある巨大な岩の壁を見つめながらバーンは続けた。


「この、アトリオン付近だけじゃない。昨日宿に〝ウィード紙〟が置いてあったから読んでたんだが……」


「ああ、読んでましたね」


 ウィード紙は世界情報をまとめる日刊紙である。

 各国にも勿論その国の情報紙はあるが、ウィード紙の情報は幅広く、現在の世界情勢を知るならばそれを読んだ方が早い。

 世界各国、各都市に支部があり、その数は冒険者ギルドすら上回る。

 音声を伝えるリンク石を更に発展させた、情報を伝えるハイリンク石の開発により、以前より正確に世界中の情報を伝えることができている。


「ワイバーンが現れたらしい。アーヴァインに。」


「えっ……ワイバーンなんてかなり強力な魔物が町に来たんですか!?」


「ああ、今まではこんなことなかったよな。強力な魔物はヴァンデミオンの周りか、人里離れた山奥とか洞窟に住み着いたりしてるはずだ。これはつまり……」


「瘴気が……濃くなってる?」


「ああ、そうだ。魔王の力が強まっているのかもしれない」


 バーンは再び、水平線に浮かぶ巨大な岩を見る。

 目に見えても届かない大きな壁が其処にはあった。

 だが、絶対に届かない訳じゃない。


「絶対行きましょう」


「ああ……」



 船は進む。

 新たな冒険を後押しするかのように。

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