後編ーやくそく
あたしは、ずっと、こんな日が来るのを、心のどこかで
待っていたのかも知れない。
階段を駆け上がりながら、あたしはさっきから、このことばかり考えている。
永遠に終わりの見えない、当たり前の日常。
あたしはそんな日常が、大キライだった。
毎日毎日、誰とも判らぬ人から酷い目に遭わされ、あたしが気づいたころには、
全てが終わっている。自分には・・・・・・どうすることもできない。
一体いつから、こうなってしまったのだろう。
いつからあたしは、こんなにも、臆病者になって、しまったのだろう。
昔はあたしだって、不器用ながらにも、コツコツと努力し、他人と接してきた
つもりだった。友達だって、少なからずだがいて、仲良くしてきた。
だけどいつからか、あたしは、転校しても、それが何時もと同じなのに、
誰かと関わるのが、『怖い』と感じるようになった。
それは、急にではなく、ジワジワと、地面から少しずつ湧き出る水みたいに、
だんだん強くなっていった。
そしてあたしは、そんな気持ちを抱えたまま、『導凪小学校』に転校してきた。
その頃には、あたしは友達作りを止めていた。
でもあたしには、それではダメだと、前に進めないと判っていた。
だから、この学校に来たら、前みたいに友達を作って、一生忘れられないような想い出を、たくさん残そうと、強く、心に決めていた。
あたしは・・・・・・・・・・・嬉しかった。
初めて登校した“あの日”、担任の先生は、突然転校してきたあたしを優しく、
自分たちの教室に迎え入れてくれた。
あたしは本当に嬉しかった。
次の日は、クラスの女の子に、声をかけられた。
あたしが忘れ物を取りに教室に戻ると、そこに、まだ名前も知らなかったが、
同じく向こうも、あたしの名前なんて判らないはずなのに、あたしに
優しく、声をかけてくれた。
ショートカットの黒髪の、紺色のチェックの
ボタンTシャツに、淡い青のジーパンをはいていて、少し大人びた感じの
漂う女の子。
その子は、あたしが想像も出来ないことを、あたしにしてくれた。
自分の友達をあたしに・・・・・・紹介してくれた。
すごく嬉しくて、あたしは泣きそうにさえなった。
気が付くとあたしは、もう屋上の入口の前まで来ていた。
灰色の鉄の分厚い扉が、あたしと屋上を隔てるように存在
する。つい三日前に掃除で来てばかりなのに、なんだかあの日が
すごく遠い昔に感じられた。
それは、森宮先生から、かつてここで、何があって、何が生まれたのか
聞いたから、かもしれない。ここで誰かが死んだ。
この学校に、怪談が誕生した。
そしてあたしは、その怪談をこの目で見た。
あたしはゆっくりと、躊躇しながらドアノブに手をかけてゆく。
もしこのまま中に入れば、とんでもなく恐ろしいモノに遭遇する!
誰かも知れない声が、あたしにそう警告する。
それでもあたしは、冷たいドアノブを回し、重い扉を引いた。
それはギィーッと、甲高い音を響かせながら開いていく。
隙間からオレンジ色の夕焼けの光が筋を作って差し込んでくる。
その瞬間、扉が急に軽くなった。
あたしは、その時向こうから風が吹いていると思ったが、それは
違うとすぐに分かった。
誰かが向こう側から、あたしが扉を引くのと同時に、扉を押している。
まさかと思って顔を上げると、目の前の擦りガラスの窓に人影が、
ユラユラと動いている。
驚いてドアノブから手を離しても、扉は閉まることなく、逆に
どんどん開いていく。あたしはそれを、ただ茫然と見守っていた。
やがて扉は完全に開き、目の前に立っていた相手が姿を現した。
その人物は、嬉しそうにニコニコ笑いながら、
「あぁ~~マナ来たぁ!」
と、あたしに声を掛けてきた。
「ひッ、日影さん?」
「ほら何してるのッ、早く中に入って!」
彼女はあたしの手を掴むと、強引に中に招き入れた。
「ボクずぅーッと待ってたんだから、待ちくたびれちゃったよ」
「ご、ごめんなさい・・・・・・」
腕を引っ張られながら、あたしは謝った。
「もぉ~、主役が遅れたらダメじゃない!ささッ、早く早く!」
そう言われるままに、あたしは、屋上の真ん中に連れていかれた。
辺りは静かで、グランドで練習する野球部の掛け声も、
家路につこうと下校する、生徒の話声も聞こえて来ない。
彼女はあたしの前に立つと、向かいにいるあたしに向かって言った。
「どうしたの?」
「な、なにが?」
「さっきから、ボクと全然目を合わせないけど」
「べべッ、別に何もないよ!」
あたしは笑顔で彼女にそう言ったが、これは、ウソだ。
あたしはさっきから、ものすごく怖い。
目の前に立ち、笑顔を絶やさないこの少女が。
森宮先生の話が本当なら、この少女は、人間じゃない。
願いを言われると、その願いを叶えると、この学校に伝わる、
怪談のそのものだ。でもあたしは、それだけで恐怖しているのではない。
このひとはここで、人を・・・・・・・。
「ウソ・・・・・」
突然彼女が口を開き、あたしは驚き肩を震わせた。
「うッ、ウソなんか・・・・!」
「いいやッ、マナウソついてる!」
その時、あたしは思い出した。
日影さんは、人の心が読める・・・・・・!
この前も、あたしの心を見事読み、何を考えているのか当てた。
「うんッ!ボクわかるよ。マナがなにを考えているのか」
やっぱり、このひとは、あたしが何を考えているのか、
何に怯えているのか、手に取るように分かっている。
「ご、ごめんなさい!」
あたしは、謝ることしか出来なかった。でも・・・・・
「どぉして謝るの?」
えッ・・・・・?
「どうしてって・・・・・それは、あたしが・・・・・」
あたしは震える声で、謝罪の理由を述べようとした。
どうせ日影さんはそれが解っているのだと思うが。
しかし彼女は微笑んで、
「別に謝る必要なんか無いよッ」
「どうして?・・・・・・だって・・・」
「だってボク、ウソつくときのマナの顔好きなんだもん!」
一瞬、彼女が何を言っているのか解らずキョトンとしたが、
すぐに理解した。
どうやら彼女は、あたしが彼女にウソをついたことを謝って
いると思っているらしい。
「あたし、ウソつくと、ヘンな顔している?」
「ううん、そぉーじゃなくて、マナ、自分が悪いことしているって
思ってウソつくでしょぉ?」
「そう、かなぁ・・・・・?」
すると日影さんは、何だか悲しそうに俯いて、
「他のみんなは、悪いことしてるって、自覚が無いままウソを平気
でつくから・・・・・嫌い。でもマナは違う。マナは何時だって、
相手が自分のウソで傷つくのを恐れている。その罪悪感が全面に
出てくるから、好き」
褒められている、のだろうか。あたしはやっぱり解らない。
日影さんが何を考えているかなんて。
「でもねマナ、今日からはウソをつかなくてもいいんだよ!」
日影さんはあたしの手を取り、大きく上下に揺らして言った。
「なッ、なんでかな?」
「だって今日、マナのお願いが叶うんだよ!もう誰からも、
虐められなくなるんだよ!」
その言葉で、あたしはハッとした。
「あッ、あのね、日影、さん」
「日影でイイよ!」
「じゃあ・・・・・日影、ちゃん・・・・あたし・・・・」
言いかけた直後、背後で扉のあく音がして、あたしは咄嗟に日影ちゃんの
腕を掴むと、入口と柵との間にできた四角に隠れた。
すると誰かが、靴音を響かせて、中に入ってきた。
コツ・・・・コツ・・・・・パタ・・・・コツ・・・・パタ・・・・
交互に聞こえてくるそれぞれ違う靴音から、入ってきたのは二人だと
解る。しかもそれは、生徒と恐らく、先生だと。
「突然こんなところに呼び出してすみません」
「いいのよ。たまにはこうして、屋上でお話するのも
悪くないよ」
掠れるような会話声が、微だが聞こえてきた。
「・・・の・・・・せい・・・・・つは・・・・」
「・・・・・に・・・・・・わ・・・さん・・・・」
後ろで日影ちゃんがモゾモゾ動くのが気になって、上手く
二人のやり取りが聞き取れない。
「ごめん日影ちゃん、もうちょっとじっと・・・・」
振り返ると、そこにいる筈の日影ちゃんが、いなくなっていた。
!!!
「日影ちゃん・・・・?・・・・・日影ちゃんッ・・・!」
「あたし、もう我慢できません!」
背後から突然声が響いてビックリして、中央にいる二人の様子を、
そっと陰から伺うと、
一人の女子生徒が、先生に向かって、半狂乱になりながら、何か
喚き散らしている。
「もう嫌です!先生の言いなりになるの。今までずっと先生の言われたこと
を、あたしは言われたとおりにやったけど・・・・・もう、耐えられません。
こんな毎日・・・・・」
目を凝らして顔を確認すると、それは、クセのある茶髪をツインテールに
束ねて肩に垂らし、とても小学生には見えない、まるでアイドルかと
思ってしまうような可愛らしい顔の女の子だった。しかもあたしは、
その子を、知っていた。
鈴沢・・・・・さん・・・・・?
その生徒は、あたしと同じクラスの『鈴沢美知佳』だった。
しかし、その態度は、あたしの知っている鈴沢さんでは無かった。
いつもあたしが教室で見る鈴沢さんは、もっとこう、仲のいい子には
楽しそうに接して、自分の気に入らない相手には容赦なく、嫌がらせを
したり、その人の陰口を言い振り回したりするような、一言でいえば、
女王様のような生徒だ。実際彼女はいつだって周りに沢山の取り巻きを
引きつれて歩いている。しかもそれを、誇るかのような顔色で。
しかし今、あたしの目の前に鈴沢さんは、主人にビクビク怯え、
しでかしたことを必死に詫びる、下女か何かにしか見えない。
「落ち着いて、鈴沢さん」
「いやッ・・・・もう我慢できない。お願いですセンセぇ、あたしを開放してください!」
「わかったから、とりあえず落ち着いて」
焦った口調で鈴沢さんを宥める先生の言うことを聞かず、鈴沢さんは
泣きながら必死に訴えている。
「どうしてもあたしに、まだこのまま続けろって言うなら・・・・・
あたし、保健の森宮先生に、全部話します。でも、それで困るのは、
あなただと思いますが・・・・・波川センセぇ・・・・」
薄っすらと笑みを浮かべながら、鈴沢さんは呟いた・・・・・・
・・・・・今、鈴沢さん・・・・・誰って言った?
鈴沢さんの目の前に立つ先生の顔を見ると、それは灰色の生地にピンクの
ラインの入ったジャージを着た・・・・・・・あたしのクラス担任の、
波川先生だった。
「あらッ、どうしてここで、森宮先生が出てくるの?」
穏やかに微笑みながら、センセは鈴沢さんに問うた。でも、
・・・・何か・・・・・おかしい・・・・
波川センセの顔を見たとき、あたしはそう直感した。
「森宮先生、実は、森宮真奈果の叔母、なんです。
幾らセンセがガッコーで人気でも、その裏でとんでもないことを
森宮にしているって聞いたら・・・流石に、信じてくれるでしょう?」
鈴沢さんが不敵に笑いながら、波川センセに向かって言った。
あたしは訳が解らず、ただ混乱した。
二人は一体・・・・・なにを、話しているの?
「ふぅ~ん、そう来たか。ちょっと残念、かな」
「何がッ、ですか?」
鈴沢さんが睨みつけても、センセはそれを、まるで無視しているように
続ける。
「鈴沢さん、もっと頭のいい子だと思ってた。まぁ、私の作るテストは
毎回ひどい点だったけど。でもそれは勉強だけじゃなくて、こっちの
方でもなんだね」
それは、何時も生徒から、他の先生からも慕われている波川先生から
飛び出す言葉じゃなかった。
「森宮先生に言いたきゃ言ってイイよ。どうせ私、あの人潰そうと
思えば、何時だって学校から追い出せるし。それはあなたも一緒だよ、
鈴沢さん」
「どういう、意味ですか・・・・・?」
「私ね、あなた達のこと、これっぽっちも信頼していないの。
そんな私が、本気であなたに協力してくれって頼むと思う?
他のみんなと比べて、特別扱いして成績上げたり、周りからの評判
高くしようと、みんなにあなたのこと良く言うと、本気で思ってたの?
今まで私と一緒にいて気づかなかった?
逆よ、ギャアクッ!私は私を途中で裏切ったら何時でもこの学校での
立場を失くせることが出来る子を選んだだぁけッ!私知ってるよ、
鈴沢さん、前の学校では、今と正反対の扱い、みんなから受けてたそうねぇ?
それこそ、今の森宮さんみたいな。しかもそれが原因で、学校行くの嫌で
家に引きこもっていたことも。辛かったんだよねぇ?だから必死で自分の
性格変えて、今みたいに無理、しているんでしょ?何なら私がみんなに
言って、楽にしてあげてほしい?鈴沢美知佳の素顔は誰とも馴染むことが
出来ずに友達が一人もいなくなって性格を頑張って捻じ曲げてお姫様
もどきになった可哀そうな子だって!」
止めてぇ!!!!!!!
もう、あたしは我慢が出来なかった。
それでもあたしには、ここを飛び出して波川先生を止めれるほどの勇気は、
どうしても抱くことが出来なかった。自分は心底情けない人間だと、
あたしはあたし自信を呪った。
「それは、センセも同じだと思い、ますよ・・・・」
鈴沢さんが俯きながら、地面を見つめながら呟いた。
「わたしのどこが、鈴沢さんと同じなの?」
「実はあたし、もう一つ、知ってるんですよ・・・・・波川センセ、
あなたのこと・・・・・・」
「あらッ、何かなぁ??」
波川先生は相変わらず穏やかに笑いながら、毅然としていると感じで
そこに立っている。
でもあたしにはもう、それが悪意に満ちているとしか、感じられなかった。
「ホントはセンセ、あたしたちのこと嫌い、でしょ?」
「あれッ、さっきそー言ったと思うんだけど?」
キョトンとした表情で、先生が聞きなおす。それでも、鈴沢さんは続けた。
「それ、みんなも同じですよ。誰も先生の事なんか好きじゃ、ないですよ。
あたし知っているんですよ。センセぇ、このガッコーでホントは肩身の狭い
扱い受けてるいるんでしょ。勉強を教えるのもヘタクソ、他の先生と仲良くする
のもヘタクソ、そして、クラスのみんなと信頼関係を作るのもヘタクソ。
それでも必死に勉強して・・・・ずっと憧れていた教師になったのに、いざ
蓋を開けてみると、そこに、センセが子供の頃に、大好きだった・・・・・・・優しくて、カッコよくて、自分の初恋の相手にだってなった、母校の先生がいたであろう世界は、言うことをろくに聞かない生意気な生徒に、“どー考えても
そっちの教育が悪いだろッ!“ってツッコミたくなるような馬鹿で理不尽な
親の苦情、めんどくさい事務手続きを押し付けて、それを指摘すると
“これだから最近のコは”と嫌味を垂れてくる未だに年功序列に依存する
年寄り先輩・・・・・・そんなゴミ溜めみたいな所だった。違う?」
「あらあら・・・・随分わたしのこと、知っているみたいな口を聞くのねぇ」
呆れたようにため息をつきながら、先生が呟いた。でもその顔はもう、笑って
いなかった。
「そりゃあ知ってるよ。あたし、先生のウンメイキョードータイなんだから」
しかし、鈴沢さんは先生を上目遣いに睨んでほくそ笑みながら、
「あたしは、ちっぽけなセンセの引き立て役。先生の言われるままに、森宮の
上履きを窓から放り投げたり、体操服をビチャビチャにしたり、今日なんか、
隣で走っている森宮に足を引っかけて豪快に転ばした。センセの言われる
まんまに!その後センセは、笑顔であたしを、みんなの前で諫めて、
『問題ばかり抱えるクラスを懸命に何とかしようとしている先生』・・・・・
そーやってほかの先生からの信頼も得て、いじめっ子にも親身になって
向き合う、優しい優しいセンセぇって、みんなからも慕われて、本人は
笑顔が上手なだけで、中身は空っぽな只の大人なのにね・・・・・・!」
え・・・・・・・え・・・・・・え・・・・・・
その瞬間、あたしには全部・・・・・解った気がした。
あたしも鈴沢さんと、おんなじだった。
頭の中に、真剣な顔であたしの相談に乗る先生の顔がフラッシュバックした。
時折頷き、“先生と一緒に頑張ろう”とあたしの肩をさすってくれる
波川センセ・・・・・・・。
でもこれは、全部ウソ、だった。
あたしはずっと、先生に利用されていた。先生の評判を、底上げするために。
そしてその為に、鈴沢さんはあたしに・・・・・酷いことをたくさんしてきた。
もしかしたら、あたし、ずっとこんな日が来るのを、心のどこかで望んでいたの
かもしれない。自分は誰に、どうして虐められるのか、ずっと知りたかったの
かもしれない。そしたらきっと・・・・・あたしは楽になれるんじゃないかって
思って・・・・・・・でも、今のあたしは、全然楽じゃなかった。
真実を全部知って、あたしは全身の力が一気に抜けていくのを感じた。
もう、この場にしゃがんでいることさえも困難になって、あたしはヘナヘナと、
尻餅をついた。
「言いたいことはそれだけ?・・・・・・鈴沢さん」
「最後に一つだけ、どうして森宮の前で、あたしを叱らなかったんですか?
何時も別室に連れて行って・・・・・みんなには、森宮を傷つけたくない
からって口止めまでして」
あぁ・・・・・・あたしが教室にいないとき、みんなそんな話してたんだ・・・・
心の中で、あたしは力なく囁いた。
先生は、まさかあたしがすぐそこに潜んでいて、話を聞いているとは思って
いないのだろう。彼女は、フゥ・・・・とため息をついて、
「だって、森宮さんが親とかに泣きつかれたりでもしたら、何かと面倒じゃない?わたしの出る幕だってなくなっちゃうし」
と、微笑みながらそう吐き捨てた。そして鈴沢さんを、まるで憐れむかのように
見下して、
「さってと、もう少しやりたかったけど、鈴沢さんが辞めたいって言うんなら
仕方ないか・・・・・じゃあ、オカタズケしないと、ね?」
先生が鈴沢さんの元へと駆け寄って、彼女のか細い両腕を掴むと、
グンッと、上に引っ張った。鈴沢さんのカラダが、糸で吊った操り人形の
ように持ち上がる。
「へッ・・・・・?」
動転しているのか、今自分の置かれている状況が理解できないと言った感じに、
鈴沢さんは声を漏らす。
「ごめんね。ホントは先生だって、こんな事したくないの。でも、鈴沢さんが
他所にさっきの話ペラペラしゃべられると、みんな悲しむと思うの・・・・」
「セッ、センセ?なに・・・・!」
冷ややかな先生の顔と、上に突き上げられた自分の腕を見比べながら、
鈴沢さんは焦りに満ちた表情に歪んだ。
「センセッ・・・・・・どうしたんですか・・・・!?」
「あら、今更とぼけるの?もう、遅いんだけど?」
「なによッ・・・・これ・・・・!?」
先生から離れようと必死にジタバタしたり、彼女の足を力いっぱい蹴る
鈴沢さんを無視して、先生はどんどん、屋上の端の方へと歩いていく。
あたしは項垂れながら、その光景を眺めていた。だが、心のどこかで、
言いしれない不安が募るのを感じてもいた。
あたしはゆっくり、さっきまで鈴沢さんの立っていた地面に目をやった。
そこには、誰もいないにも関わらず、小柄で、鈴沢さんとはまた別の形をした
少女の影が、まるでそこに誰かいるかのように、ユラユラと動いていた。
「・・・・・日カ・・・・げちゃん・・・・・?」
その時、ようやく自分の意識がハッキリと目が覚めた。
さっき、鈴沢さんが言ったことは全部、日影ちゃんが、鈴沢さんに
憑りついて、言わせていた・・・・なんのためかは、すぐにピンときた。
あたしに、真実を見せつけるため・・・・・!
もしそうなら、鈴沢さんは・・・・・・先ほどまで自分が何をしていたのか
・・・・・知らない・・・・・!
「センセッ、痛い・・・・! 離し・・・・ッ!!!?」
そう言いかけた鈴沢さんを、先生は思い切り、屋上の柵に叩きつけた。
塗装されて間もないキツイ茶色の柵が、ゴォーンと鈍い音を響かせる。
先生は、痛みで顔を引き攣らせグッタリする鈴沢さんを一層高く持ち上げると、
無理やり柵を超えさせ、彼女を向こう側に、立たせた。
柵に隔てながら向かい合う鈴沢さんと、波川先生。
夜の群青と、朱色の太陽に染まる二人の姿は、悍ましいくらい、神秘的に
映った。これから先生が何をするのか、間抜けなあたしにでも、手に取って
理解できた。それでもあたしは、今・・・・・迷っている。
鈴沢さんを、助ける?
先生は大人だ。身長も腕力も平均未満のあたしが彼女に挑んだところで、
勝算は皆無も同然で、だからあたしは、鈴沢さんを、助けられない。
そもそもあたしは、鈴沢さんを・・・・・・助けたい?
目の前で危険な目にあっている人を“助けたい“と願うのは、人間誰しも考える、
ごく当たり前のこと。先生だって、困っている人がいたら助けなさい・・・・・何時もそう、あたし達に言い聞かせている。でもそれは、あくまで
世間一般な意見、でしかない。鈴沢さんは曲がりなりにもあたしを虐めていた
張本人で、そう言い聞かせてきた先生が、彼女を殺そうとしている。
頭がどうにかなっちゃいそうな状況だった。
一体あたしは、なにをしたいん、だろう?
・・・・・・解らない・・・・・。
このままここにこうして隠れていたら、黙って目を瞑ってジッとしていたら、
全部終わるんじゃないの、だろうか?鈴沢さんがいなくなれば虐めは無くなる。
でもそれは、正しい選択?鈴沢さんがいなくなったところで、波川先生が
今の生活を終わらせるとは考えにくい・・・・・・いや、絶対にあり得ない。
すぐにでも別の生徒を抱き込んで、自分の手駒にするかもしれない。
そうなればあたしは、波川先生がこの学校にいる限り、誰かに虐められ
続ける運命にある・・・・・・。
あたしはどうしたらいいのか、どうしたいのか解らずに、両手を地面に
ついた。
じゃあどうしたらいいの⁉
あの日、日影ちゃんに怒鳴った、あたしの言葉がうるさく、頭に響いた。
そして・・・・・・・・・・・・・
苦しそうに唸り声を上げる鈴沢さんの顔を、先生は自分の口元に近づけ、
「大丈夫だよ。すぐに見つけてあげるからね・・・・・」
優しくそう囁くと、先生はゆっくりと手の力を抜き、掌を広げていった・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「へッ・・・・・?」
その時あたしが聞いたのは、拍子抜けしたように目を丸くした先生の
口から漏れる、驚愕の声だった。
驚くのも無理はない。あたしは今、先生の腰に、ガッシリとしがみ付いて
いるのだから・・・・・・・。
****
我に返っても、どうしてこんな行動をとったのか、自分でも不思議だった。
気が付いた時にはもう、あたしは今の今まで自分が隠れていた場所を
飛び出し、両腕を広げて、先生の腰目がけて飛び掛かっていた。
「モ、モリミヤサン・・・・?」
まるでとぼける様に、怯えるかのような声で呟く先生の顔には、明らかに焦りの
表情が浮かんでいた。当然だ。今日まで自分が何のために、どうやって
陥れ、自分の地位の向上に役立てたか、共犯者と散々に言ったその生贄の少女
が目の前で、彼女からは想像も出来ない凄まじい形相で、自分の腰に
しがみ付いているのだから。しかも彼女には、今まさに自分が用済みに
なった共犯者の生徒を、屋上から落とそうとするところを見られている。
「なッ・・・・なにしているの?」
先生は必死に笑顔を作り、動揺を隠そうとする。でも、おでこやほっぺから
脂汗が噴き出すのを、あたしはハッキリと彼女の顔を見上げて分かっていた。
「センセッ・・・・・やめてください!」
胸を張り裂けそうになりながら、あたしは先生と、彼女に掴まれて
宙に浮いている鈴沢さんの顔とを見比べて叫んだ。
「森宮さん違うの!これは・・・・・」
先生は、あたしをなんとか誤魔化そうとするが、途中で言葉が詰まった。
「あ、あたし、全部聞いてました。センセと鈴沢さんが話してた、こと・・・・」
恐怖と怒りが入り混じったように、先生が顔を引き攣らせるのが見えた。
「なんで・・・・・・」
横から、いや・・・・・横に拡がった地面から昇ってくるように声が響いてきて、
あたしが見下げると、灰色のコンクリートの床から日影ちゃんが、
半分顔を覗かせ、こっちを見ていた。微かに出た指先は落ちないように、
しっかりと地面に食い込み、カラダはドップリ地面に埋まっている。
驚いて息を漏らすあたしを、先生は血走った眼であたしと、あたしが
見つめるすぐ側の地面とを、オドオドしながら見比べていた。
どうやら彼女には日影ちゃんの姿が見えていないらしい。
すると日影ちゃんは、まるで水の張ったプールから湿った
プールサイドへと上がるみたいに、潜っている地面から這い出てきた。
「どうして・・・・・どうしてとめちゃうの⁉」
日影ちゃんは声を張り上げて、眼にうっすら、涙を浮かべて怒鳴った。
「だって・・・・鈴沢さんが・・・・・死んじゃう・・・・」
「でもマナはボクにお願いしたよ。虐めが無くなって、平穏に生活したいって!」
それでも顔を真っ赤にしながら怒鳴る日影ちゃんに、あたしは・・・・・
「ご、ごめんなさい!」
「え・・・・・」
「えッ・・・・・」
突然謝られ、困惑の表情を浮かべる日影ちゃん。と、波川先生。
「あたし、ずっと心の中で想ってた。どうして、あたしを虐めるの?
どうしてみんな、助けてくれないの?って。みんななんか、いなく
なればいいのに・・・・・みんなあたしの目の前から、
いなくなっちゃえばいいのに! ずっと・・・・・そう想ってた・・・・でも、
そんなの願っちゃいけなかった。だってあたし・・・・なにもしてないから、
誰にも相談してなかったから。何時も、誰かが解決してくれる。誰かが助けて
くれる・・・・・あたしは、いもしない“誰か”に縋って・・・・目の前の
現実から逃げて、た・・・・・他人と関わるのが恐くて、凄く、恐くて、だから
あたし・・・・センセや日影ちゃんに縋ってた、勝手に縋っちゃってた!
自分は何も行動せずに、ひとりで・・・ジッと耐えて・・・・・だけどそんな
の間違ってた・・・・現実がどんなに辛くても、周りがどんなに冷たくても、
自分から一歩前に踏み出さなきゃ何も変わらない!だからあたし、変わりたい。
ちゃんと鈴沢さんとセンセに、あたしがどれほど悲しんだか、どんなに残酷な
毎日だったか・・・・・あたし、自分の口から・・・・・ちゃんと伝えたい!
だけど、あたしも、先に謝らなくちゃ・・・・・・今まで頼ってしまっていて
・・・・・ごめん、なさい・・・・日影ちゃん・・・・センセ・・・・」
声を詰まらせながら告白している途中、あたしは気づけた。自分でちゃんと
気づけた。
・・・・・あたし・・・・・いま・・・・・・泣いてる・・・・
二人とも黙ったまま、何も言って来ない。すると、
「じゃあ、ボク・・・・マナのお願い・・・・叶えてあげられないのぉ?」
今にも泣きそうな顔で、日影ちゃんが尋ねてきた。
「ごめんなさい・・・・・」
あたしは、ただ謝ることしか出来なかった。
「・・・・・・だ」
何かをポツリと、日影ちゃんは呟いた。
「・・・・・・やだ」
また、呟いた。
「・・・・・いやだ」また。見ると波川先生がキョロキョロと確認している。
彼女にも、日影ちゃんの声が・・・・・・聞こえている。
イヤだいやだいやだいやだいやだいやだイヤだいやだいやだいやだいやだいやだいヤだいやだいやだいやだいやだいやだイやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ嫌だいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだイやいやダいやだいやだ~~~~~!!!
『ボクはゼッタイに許さない!美知佳ちゃんもセンセもいじめっ子のウソつきだ!マナを、ボク達を苦しめた・・・・・マナが許しても、ボク達は
ゼッ~~~~タイ許さないんだから!いじめっ子は・・・・・ウソつきは・・・・
みんなみんな真ぁ~~~~ッ赤になって・・・・キエチャエぇぇえぇぇえぇ!!!』
もうあたしは、センセは、日影ちゃんの突然の激昂に、言葉を失うしかなかった。
日影ちゃんは、両眼を血の色の様に赤く染まらせ、透き通った髪は酷く乱れ、
激しく飛び跳ね地団駄を踏みつけている。最早あたしは彼女を、『人』と認識
出来なくなっていた。すると、月明かりと夕陽で斜めに伸びた彼女の影が
集まってきて、瞬く間に、足元に大きな楕円形の影を作り上げた。
するとそこから、まるで轍のような、細く、先が鋭く尖った影が何本も
出てきて、鈴沢さんとセンセに構えた。日影ちゃんは、草陰から獲物
狙う肉食動物のように、二人を睨みつけている。
「日影ちゃん・・・・!」
『マナノオネガイ・・・ボク、ガ・・・カナエル・・・・イジメッコ・・・
ウソツ、キ・・・・キエ、テ・・・・ナクナ・・・レ・・・・』
顔から薄っすらと笑みを零しながら、日影ちゃんは二人に向かって、影の
轍を・・・・・飛ばした。
****
「日影ちゃん‼」
あたしが叫ぶと、日影ちゃんは、炎が燃えるような眼であたしを
睨んだ。彼女が二人目がけて飛ばした轍は、鈴沢さんと、先生の顔面
ギリギリの位置で静止していた。
『マナ・・・・ナァニィ??』
ニィと、笑みを作って日影ちゃんが尋ねる。あたしのカラダから汗の粒が
噴き出し、雫が背中を伝って流れ落ちていくのが分かった。それでも
あたしは、何とか恐怖を堪え、彼女に言った。
「二人をどうか・・・・・傷つけない、で・・・・・」
『ドォシテェ?』
日影ちゃんはキョトンと首を傾げ、あたしに聞き返す。
「それは・・・・・だから・・・・・」
あたしは、さっきと同じことを、もう一度彼女に伝えようとするが、言った
ところで、今の彼女が納得するとは、思えない。あたしがどうしようか迷って
いると、
『マナノオネガイダヨ。ダカラ、カナエナイト・・・・・』
日影ちゃんは再び二人を、敵意に満ちた瞳と笑みで睨みつけると、
轍達の先端が、ピクリと、動くのが見えた。
「わかった日影ちゃん!」
あたしが叫んでも、彼女は振り向かない。それでも・・・・・・・・
「あたし・・・・お願い・・・・変える・・・・」
あたしがそう言うと、日影ちゃんはあたしを見た。そして・・・・
「二人をどうか・・・・・助けて、ください・・・・」
日影ちゃんはしばらく黙りこくった後、
『ダァメェーーー‼』
あたしを嘲るかのような笑みをめいいっぱい作ってそう言った。
「どう、して・・・?」
『ダッテボク・・・・オソトニデタイカラ・・・・』
「お、お外・・・・?」
『ボク・・・・ズッ~~トココニイルカラ、スゴク、タイクツ、ダヨ・・・
・・・・・ダカラ・・・・ミチカチャントセンセェ・・・・・カゲ、タベテ・・・
・・・・カラダ・・・・オソト・・・・デタイ・・・・・・・』
つまり日影ちゃんは、外に出るためのカラダを得るために、二人を殺して、
カラダを奪おうとしている。彼女の本心が、解ったような、気がした。
あたしはタダの、口実だった。子供が、こうだからああしてもいいとか、
向こうがこんなことをしたから、自分もこうしていいというのと、一緒だ。
彼女は、鈴沢さんとセンセは、あたしを虐めている悪い奴だから、カラダを
奪ってもいいと・・・・・・自分を正当化している、のだと。なら・・・・
「わかった・・・・わかったから!・・・・・・・あたしじゃ、ダメ?」
日影ちゃんは、驚いた様子で眼を見開いた。
「あたしのカラダ・・・・日影ちゃんに・・・・あげる・・・・だから、
二人を、助けて・・・」
『マナサッキイッタヨネェ??ジブンノキモチ、チャントフタリニツタエタイッテ・・・・・ソンナコトシタラ、デキナクナッチャウヨ?』
挑発してくるように、日影ちゃんが聞いてくる。
「・・・・・うん・・・・でも、二人を死なせたくない。そんなの・・・・ゼッタイにイヤ・・・・・!だから・・・・・」
『ソレデモマナ・・・・・イイノォ?』
「ちょっと残念だけど・・・・・仕方ないよ」
テヘヘッと笑いながら、あたしは日影ちゃんにそう伝えた。
「マナ・・・・・また泣いてる」
憐れむように、日影ちゃんが囁く。あたしは聞こえないフリをして、黙って
俯いた。そして・・・・・
「イイよッ!」
その瞬間、何本もの轍が、あたしのカラダを貫き、今まで生きてきた中で、
最も強く、辛い、酷い痛みが、全身を駆け巡った。意識がゆったりと遠のいて
いき・・・・あたしは・・・・・ゆっくり・・・・眼を閉じた。
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