中編ーまっかなおばけ
さて、なにを撮ろーかなー
ニマニマしながら女子生徒が一人、廊下を歩いていた。
彼女の手には、カメラが握りられている。黒くて、大きくて、彼女の
小さく可愛らしい両手の上に乗っけても、収まりきらないくらいに
・・・・・迫力のあるカメラ。
それは一家に一台は存在する家庭用のビデオカメラのそれとはまるで桁が違う。
なぜそんな代物を、一端の小学生が持っているのかって?
答えはすごくシンプル。これは・・・・・この生徒の父親の私物、だ。
彼女の父は、森の野鳥や野花を撮るのが趣味で、休みの日を見つけては、
漫画で出てくるみたいな双眼鏡や、大砲と見間違えるくらいにゴツい望遠鏡を
軽の自家用車に詰め、目的地に着くや否や、宝物を探す子供の様に目を輝かせ、
飛ぶ鳥や咲く花々を、観察したり、写真に収めていく。
でもこの趣味は以前からではなく、つい最近になって現れたものだ。
父は元々、何か一つのことに没頭するのが好きで、ボトルシップを作ったり、
パズルと睨めっこしたり・・・その趣味の種類をノートに記すだけで、一ページ
二ページは下らない。
ところが彼は、しばらくすると次の趣味にはまり出し、以前のに全く関心
を示さなくなる。
お陰で彼の部屋は、まるで博物館の一室一室をくり抜き、一つの部屋に凝縮
したような、なんとも猛猛しい雰囲気を醸し出していた。
そして一週間と少し前、彼のマイブームに新たに加わったのがこれだ。
彼のコロコロ変わる趣味に妻は呆れ、部屋を掃除するたびに、
重いため息を漏らしていた。
ところが娘は、これに反発するどころか、むしろ気に入っていた。
内容はどうであれ、父親の、マニアックと言っても過言ではない
趣味の数々は、八歳かそこらの小学生の興味をそそるには、十二分だった。
話を戻そう。じゃあなぜそんな父の変わった趣味の産物を、彼女が学校に
持って来ているのか・・・・・。
話は二週間前に遡る。
その日、女子生徒のクラスで、担任はこう提案した。
今度の遠足では、自然公園で観たもの聞いたものを観察して、
学校で発表してもらいます。ですからみなさん、何でもいいので、
なにか観察できる道具を持って来てください!
みんなの反応は、女子生徒には判っていた。
えぇ~~~‼
案の定の反応。そのあと口々に、彼らは不満を垂れた。
ヤダよ、めんどくさい。
フツーに見て周るだけじゃダメなのかよぉ~。
気づけば生徒の半数以上が、先生の発言にブーイングを投げていた。
でもそれは、先生の一括一つで、かき消される煙のように、徐々に小さくなっていった。
それからみんなは次の日から、これはいいか、あれはどうかと
意見を投げあっていた。
その大半は女子で、男子はブーブー言ってるだけだったが。
彼女は当然女子なので、なにを使って、どのように発表するのか、友達と意見を
出し合った。けれど、
あれじゃないこれじゃないと言っている内にとうとう、遠足の日が明日へと
迫ってしまった。
この時彼女は、時間が巻き戻るか、せめて、あと一日猶予がもらえないものかと、
本気で神様に願った。
不安と緊張で、彼女は殆ど夕食を食べられなかった。
なんていうかこう・・・・・・食べ物が喉を上手く通らないのだ。
お陰で彼女の前の皿に盛られたビーフシチューは、一向に減る気配がしない。
こんなでは母親に叱られる。そう思ったけど、彼女の注意は、
他に向けられていた。
あなたまたこんなの買ってぇ!
いいだろ別にぃ、自分の金なんだし。
そーじゃなくて、物をもっと大切にしろって言ってるんです!
こないだ始めたワインのラベル集め、あれまだ
ファイル半ページも使ってないじゃない!
うッ、それは・・・・・。
もぉ・・・・・・うるさいなぁ。
二人に聞こえないように、彼女は小さく呟いた。
隣で兄も、ウンザリする様な目つきで二人を見つめ、いや睨んでいる。
大体これいくらしたの⁉
やっぱこーゆーのは家のじゃダメだな。臨場感ってもんが出ん!
疲れ果ててため息をつく母。
女子生徒は何気に、父の、誇らしげに自慢しているそれを見てみた。
コッ・・・・・コレだ‼
彼女は身を乗り出して立ち上がると、
おとーさんコレ借りていい⁉
そうして父から借りたのが、この迫力満点のカメラだ。
父は、くれぐれも壊したり汚さないようにと念を押し、渋々彼女に
貸してくれた。勿論それは、彼女自身も心得ていた。
次の日の遠足は・・・・・・・大成功に始まった。
女子生徒の班の女子たちは、彼女の、可愛らしいイラストの入ったリュックから
現れた巨大なカメラを見るなり、一体これはどうしたのか、なぜ彼女が
こんな大層な物を持っているのか、興味深々で問いただし、スゴイスゴイと
絶賛の声を上げた。
他のクラスの男子は、ズルいだの、羨ましいだのと、嫉妬混じりのヤジを投げた。
それにさえも、彼女自慢げに笑った。
まるで、自分がみんなから特別扱いされている様に感じられて。
遠足の場所は、電車やバスを乗り継いで、学校からかれこれ二時間程かけて
向かう、県境に連なる山の中にある、ハイキングコース兼自然公園だ。
まず電車を降りて、クラスごとに一列になって山道を上り、
さらに約三十分かけて、みんなが楽しみにしている、BBQ会場へと向かう。
食材は既に、先生達や会場の管理人の方々によって用意されているので、
彼らはそれを、班に分かれて、各々が分担して作るだけだった。
女子生徒はそんな微笑ましい光景を、できる限りカメラに収めた。
山道の脇に生えた花や草やキノコ。自分の班のメンバーが、必死に、
しかしクスクス笑いながら、肉の焼き加減を確認する姿。
帰り道、夕焼けに染まるバス停や駅など、惜しげもなくバシャバシャ撮った。
カメラのレンズを覗くたびに映る、目の前の光景の、何とも言えない臨場感。
それらをパシャッ、パシャッと鳴らしながら切り取り、立体感満載のカメラの
中に収めていく感覚は、幼い女子小学生を魅了した。
これを父に返すのを、思わずためらいそうになる。
無事に今日の工程が終わり学校に帰った時、彼女はまだまだ、カメラを
使いたいという衝動に駆られた。
だからこうして、誰もいなくなった廊下を一人、ウロウロしている。
首から下げた父のカメラを、しっかりと両手で支えて。
女子生徒はすっかり、このカメラの、虜となっていた。
彼女は自分の歩きながら廊下の先を、オレンジ色に染まるグランドを、
ガランとした教室を、レンズ越しに見つめている。
もう彼女は、カメラマンになった気分で、遠足よりも一層、ウキウキしてきた。
やがて目の前に、灰色の鉄の扉がジワ~ッと拡がった。
彼女はもう、廊下の突き当りに達していて、横には闇へと続く階段が
下へと伸びている。
もー一回・・・・・・・!
そう思い彼女は、カメラを構えながら、ゆっくりとターンした。
上履きが、キュッと、苦しそうに鳴る。
再び、どこまでも続くと思われる廊下を捉えた時、水筒並みに太いカメラの
レンズは、奇妙な光景を映し出していた。
そこに薄暗くなった先は無く、こちらに背を向けて、少女がひとり立っていた。
背は、女子生徒と同じか、やや高いと思われる。
彼女の着ている服は、一言でいえば、異様だった。
赤いドレス、白いフリルのついた、派手な、黒いスカート。
この学校に制服は無く、皆が普段着である。
もし、彼女の着ているそれも普段着なら、ソートーな趣味だ。
少女は背後にいる彼女に気づいていないのか、黙って廊下の真ん中に、
背中を向けて突っ立っている。
すると突然、さっきまで雲に隠れていた筈の太陽が顔を出し、廊下に
溢れんばかりの夕陽が差し込んできた。
一瞬眩しくなり、彼女は顔を、カメラから離した。
その時彼女の両の眼に飛び込んできた光景は、夕陽を存分に浴び、
眩しそうに顔を隠し、ひとり佇む少女。
瞬時に女子生徒の、カメラマンとしてのプロ根性が騒ぎ出し、
急いでカメラを、彼女に向けた。
そこでようやく、この生徒の存在に気づいたのか、少女がゆっくりと、
後ろを振り返った。
灰色交じりの、ツインテールに結んだ黒髪が、微かに、美しく靡いた。
女子生徒は、そんなことお構いなしに、カメラのシャッターを押した。
****
「森宮さん、大丈夫⁉」
初めてあたしの耳に飛び込んできたのは、波川センセの声だった。
あたしはそれに応えない。応えられない。
だってあたしは今、転んでいるから。
うつ伏せに。顔や足に薄茶色の土を付けて。
金曜日の五時間目、つまり今は、体育の時間だった。
この日の体育は以前から告知されていたが、体力測定を実施していた。
内容はハンドボール投げに走り幅跳び・・・・・そして五十メートル走。
それらはそれぞれクラスで決められた人数ごとに分けられ行われていた。
あたしのグループは、その五十メートル走の真っ最中だった。
あたしは、出席番号で最後から二番目に走る予定で、そこに変更の無いまま
行われていた。
でも・・・・・あたしはひどく、緊張していた。
ちゃんとみんなみたいに走れるか。ドンくさいとなじられないか。
そう思うと思う程、あたしは、自分の番が近づいてくると、ドキドキ
してきて、その場にしゃがみ込みそうになる。
測定は一人ずつだと時間がかかるというので、何人かで一斉に走る。
そしてもう走り終わった人、あるいはまだの人がそのタイムを計る。
落ち着け、自分。去年は何事もなく終わった。だから今年も大丈夫。
待ち時間の間ずっと、ずっとずっと、自分にそう言い聞かせた。
森宮ぁ、センセが呼んでるぞぉ!
後ろから男子が大きな声で突然言ってきたので、あたしはビックリして、
肩をビクつかせた。
う、うん。すぐ、行くね・・・・・・。
かすれた声で、あたしは返事をした。
センセのいる方へ走っていくと、もう順番だから位置について、と
センセが優しく言った。
急激に心臓の鼓動が速まり、思わずむせ返りそうになる。
大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫・・・・・。
スタート位置に向かう間、あたしはずっと念じていた。
石灰の粉の、白い線の引かれたスタート位置には、既に
何人かの生徒が集まっていて、お互いペチャクチャ話したり、
手首や足首を回しほぐしていたりしていた。
そしてあたしが到着するや否や、全員無言で、あたしを睨みつけた。
冷たく鋭い視線が、あたしの顔に、胸に、腹に突き刺さる。
な、なに・・・・?なんでみんな、あたしを睨む、の?
もしかして、あたし、みんなを、待たせてた?
だから・・・・
いやな考えがあたしの脳内を満たし、動悸は一層強くなって、
背中から冷たい汗が溢れてきて、白生地の体操服がへばり付く。
ヨーイ・・・・・・
センセの声で我に返ると、みんなはもう、あたしを睨んではいなかった。
もうみんな、走る構えをとっていて、あたしもそそくさと、
彼らと同じように、走る為の構えをとった。
ドンッ!
センセが突き上げた腕を振り下ろすと同時に、あたしは全身に
力を込め、走り出した。
あっという間に半分を通過し、あたしは安堵した。
もう目の前には、タイマーを持った記録係が、あたしの
手の届きそうな位置に立っていた。
あともうちょっと、あともうちょっと、あとッ・・・・・!
その瞬間、気づけばあたしは、豪快に転んだ後だった。
そしてすぐに、ジャージ姿の波川センセが、大慌てで走って
来るのが見えた。そして、土まみれのあたしを抱きかかえると、
「森宮さん、大丈夫⁉」
「す・・・・すみません・・・・」
なぜだかあたしは謝った。唇についた土が口に入ってきて、
砂粒の感触、それに鉄っぽい味が、口いっぱいに広がるのを感じて。
「どこか怪我していない?」
見上げると、血相を変えてセンセが聞いてきた。
「平気・・・・です・・・・」
「なに言ってるの⁉」
センセが怒鳴るので、あたしは肩を震わせた。
そして俯いた時、あたしの折れそうなか細い足から、地面についた腕の肘から、
真っ赤で鮮やかな血が、傷口からドクドク溢れている光景が飛び込んできた。
「立てる?」
センセは、打って変わって優しい口調で言うと、そのままあたしを支えたまま、
ゆっくりと立たせると、パンパンッと、砂まみれになったあたしの膝や
服をはたいてくれた。
「すみません・・・・・・」
あたしは、ただただ申し訳なく思い、センセに謝った。
センセははたきながら、囁くように言った。
「どうして謝るのよ。森宮さんは何も悪くないでしょ?」
「だって、あたし、ドンくさいから・・・・・」
「転んだだけで大げさだよ。それに、森宮さんはドンくさくなんかない。
ちゃんと走れていたの、先生見てたから」
その時あたしは、自分自身にひどく落胆した。ちゃんと走れていたのに、
ちゃんと・・・・・センセが見てくれてたのに・・・・それなのに・・・・
「・・・・・すみません」
あたしはまた、謝っていた。
しかしその声は聞こえなかったらしく、センセはクルリと後ろを
振り返って、
「誰か、森宮さんを保健室まで連れて行ってくれない?」
えッ・・・・・
あたしは動揺した。そして・・・・・・
「センセ・・・・・あたし、ひとりで行けます」
「駄目よ。森宮さん足怪我してるじゃない。誰かが付き添わないと」
心配そうな顔で、センセが言う。
「いえ・・・・大丈夫、です。だって・・・・」
あたしはそこで、口を噤んだ。
だって・・・・みんなに迷惑だと思うから。
もう既に他の測定は終わっているし、五十メートル走だって、
あたしたちで最後だった。
本当なら今頃、あたしたちは教室に戻り、一足早い休み時間を
満喫している、はずだった。
それを、ひとりの間抜けな女子のせいで足止めを食らい、今もこうして、
あたしがここからいなくなるのを待っている。疲れているのに、立ったまま。
そんな奴の付き添い?冗談じゃない。ひとりで勝手に転んだのは
お前だろぉ?行きたきゃひとりで行けばいい。お前にはそれがお似合いだ。
心なしか、みんながヒソヒソそう言っているような気がする。
そう思うとどんどん、あたしは申し訳なくなってきて、
「本当に大丈夫です。ひとりで行けます」
強い口調でセンセに伝えると、あたしは彼女を振り切り、トボトボと
保健室へ向かった。背中に彼らの冷たい視線が、突き刺さってきて、
あたしは走る速度を速めた。
もう十月だというのに、純白の太陽がギラギラとあたしを照らし、
暑さで思わず、ため息をついた。
保健室はもう、目の前に見えていた。
あたしは緑色の、ボール避けのネットを潜り、廊下へと進入した。
やがて保健室の前に立つと、あたしはふと考えた。
そういえばあたし、保健室に来るの初めてだなぁ・・・・・
どんな、先生なんだろう。
また緊張してくる。どれだけ人見知りなんだ、あたしは。
あたしたちが毎日授業を受ける教室とは違い、近代的で、どこか
洗礼されているクリーム色の扉。変にあたしは感嘆し、
唾を飲み込んだ。
そして、静かにノックした。
音はなく、扉の向こうに聞こえたとは思えなかった。
しかし、
「はぁーいどぉぞー」
中から明るい声が返事をして、ちゃんと聞こえたんだと思い、
あたしはホッと、胸を撫でおろした。
「シッ、シツレイシマス!」
別にそんな、ガチガチに緊張しなくても・・・・・・。
扉を開けた視線の先には、白衣を着た女の先生がいた。
茶髪に若干染めた長く癖のある髪を横に束ね、こちらに背を向けて、
椅子に座って何やら書き物をしている。
その先生が、椅子を回転させて振り返ってきた。
あたしと同じような、黒ぶちの眼鏡をかけていたが、思わず、
きれい・・・・・・・・・
と、思い見惚れてしまっていた。顔立ちは整っているし、薄く化粧しているが、
それがなんとも、この人には似あっていると言った感じだ。
年は、三十くらい、だろう。
その保健の先生が、優しそうに笑って、
「どーしたん?」
まさかの関西弁で話しかけられたことに、あたしは少々、戸惑ってしまった。
「あ、あの・・・・・体育で、足を擦りむいてしまって・・・・・」
「ちょっと見してみてぇ」
そう言って先生は近づいてきて、あたしの足元にしゃがみ込むと、
傷口を観察・・・・・いや、診察し始めた。
「あぁホンマやなぁ。ほなウチちょっと救急箱取って来るから、
あそこに座ってちょっと待っといてくれるか?」
人差し指で先生の示す先には、ドアの横にデンッと黒い長椅子が置かれていた。
見た目からして、明らかに弾力のありそうなそれは、どう見ても、
今のあたしのようなけが人や病人が使う用だろう。
「ハッ、ハイ!」
あたしは身を強張らせながら、椅子に腰かけた。
「おッ、いい返事やなぁ。でもあんま、無理はせんときな」
向こうから先生がそう、柔らかい口調で注意する声で注意するのが
聞こえてきた。
しばらくすると、先生が戻ってきた。木製でできた、
真ん中に大きく赤い十字架の描かれた救急箱を右手に下げて。
「さってと。じゃあ絆創膏貼る前に傷口消毒するなぁ。
ちょ~~っと沁みるかも知れへんけど・・・・・」
申し訳なさそうに笑うと、先生は箱を開け、中から消毒液の
詰まった白い容器を取り出した。
流石に中身までは見えないけど、広い窓から注がれる太陽の光
で、ユラユラと揺れるそのシルエットは確認できる。
先生が濡れたティッシュで、あたしの傷の周りについた土を掃うと、容器の
キャップを開け、噴出口を、擦りむいて点々に存在する傷口に
向け、手に持っているずんぐりとした容器を、ギュッと指で押した。
あたしの、微妙に痛々しい擦り傷に、透明な消毒液が吹きかけられ、
一瞬、微かに感じた傷みで、顔を引きつらせてしまった。
先生には、バレていないようだったが・・・・・。
その後絆創膏を二枚、傷口の上から貼ってくれた。
肘も同じように終えると、
「よしッ終了!よぉ頑張ったなぁ。エライエライッ」
そう言って、先生はあたしの頭を撫でてくれた。
正直ちょっと・・・・・恥ずかしい。
「痛くなかった?沁みなかった?」
「は、はい。大丈夫です・・・・」
実際沁みたけど、先生に無理な心配をかけまいと思い、あたしは笑顔で
返事をした。
すると先生は、何やら探る様にあたしの顔を覗き込んできて、
「君、もしかして・・・・・・森宮真奈果、ちゃん?」
と、唐突に聞いてきた。
勿論あたしの名前は、『森宮真奈果』なので、
「ハッ、ハイ!」
と答えた。すると突然先生が立ち上がって、
「やっぱりぃ!やっぱりマナちゃんや!ウチのこと憶えてる⁉」
「えッ・・・・・え・・・・?」
「あーやっぱ憶えてないかぁ。最後にあったんマナちゃんが四歳くらい
の時やからなぁ」
「あの・・・・・えと・・・・・」
あたしはワケが解らず、ただ混乱した。
すると今度は先生、あたしの手を持って、まるで訴えるように、燥ぐように
言った。
「ウチやウチ!『マリおばちゃん』!マナちゃんのお父さんの妹!」
えッ⁉じゃあこの、先生・・・・・・。
「あたしの・・・・・叔母さん・・・・?」
先生、もとい自称叔母さんはコクコクと頷いて、
「そうそう!ホンマに、憶えてないの?」
そう、ガッカリするようにあたしに聞いた。
「・・・・・ごめんなさい・・・・・」
思い出せない自分が、なんだか凄く悪いように感じて、しかし
先生は、怒るどころか、むしろ微笑んで、
「まぁしゃーないわッ。長いこと会っとらんかったし」
その時あたしの目の前に、先生の首から下がっている名札に目が行った。
そこには『森宮毬乃』と書かれたカードが、薄いビニールフォルダに入って
いた。先生の言っていることは、どうやら嘘ではない、らしい。
この人は本当に、あたしの叔母さん、のようだった。
「いやぁそれにしても、マナちゃんおーきゅうなったなぁ。
ついこの間まではウチの膝くらいしかなかったのに」
あたしは、苦笑いした。まだこの先生が、自分の叔母という実感が湧かないから。
先生はそんな事お構いなしに、話しを続ける。
「昔はケッコー一緒に遊んでたんやけどなぁ。あッそーや!
憶えとる?マナちゃんウチのボール遊びしてる時に、ウチが間違ってボール
高う投げてしもて、公園飛び出して隣の家と家の間に挟もーてしもって、
ウチが取りに行くってゆーたけど、マナちゃん“あたちが取る!”
ってゆーてそのまま飛び出してってなぁ。そしたらいくら待ってても戻って
こーへんから行ってみるとマナちゃん家の間にボールと一緒に挟まってて
うぇーんうぇーん泣いてて、あん時ウチ、死ぬほど焦ったわぁ・・・・」
あッ・・・・・・・!
それは、あたしも憶えていた。
誰かは忘れちゃったけど、昔仲良くしてくれたおばちゃんがいて、その日も、
一緒に公園で遊んでいた。その途中、あたしの投げたボールが
どっか行ってしまって、取りに行ったら、よくは憶えていないけど何かとんでも
なく怖い思いにあったということを。
この人が、そのおばちゃん⁉
「んッ、どーしたん?」
目を丸くして、先生があたしに尋ねた。
「あッあたしそれ、憶えています・・・・・
こッ、怖かった、です・・・・・・あたしも」
「ホンマぁ‼?憶えとるん⁉」
「はい」
先生・・・・・叔母ちゃんが今にも泣きそうな顔で言うから、
あたしは思わず、笑い出しそうになった。
「マリおばちゃんやで‼ホンマのホンマに憶えとるん⁉」
昔のあたしが、この人をなんて呼んでいたかは分からないが、
この人自身のことは憶えているので、
「はい」
と、再び返事をした。
すると先生、嬉しさのあまり感極まったのか、あたしの手を取り立ち上がり
そうになった。だけどすぐに我に返ったらしく、
「あぁごめん。足怪我しとるんやったなぁ」
そう言うと優しく、あたしを座らしてくれた。
「にしてもビックリしたなぁ。兄さんから転勤したのは聞いてたけど、まさか
マナちゃん、ウチのおる学校に転校して来るなんて。兄さん、あん時教えて
くれたらよかったのにぃ」
そう言えばお父さん、この間誰かに、自分達が新しく引っ越したことを電話で
知らせていたような。
「あッ、あの、先生」
「マリおばちゃんでエエよ。その方が、ウチも懐かしくて嬉しいから」
「そ、そんな!先生に、ちゃん付けなんて・・・・・・」
すると、先生はクスッと笑って言った。
「マナちゃん相変わらず真面目やなぁ。そーゆートコ、マナちゃんと
同じくらいのお父さんにそっくりや」
ちょっぴり恥ずかしくなり、あたしはポリポリとこめかみを掻く。
「お父さんは元気にしとる?」
「はい。元気です」
「マナちゃんはどう?学校には慣れた?」
「・・・・・・・」
「マナちゃん?」
そのことに関して聞かれるって、覚悟していた。
でもいざ本当に聞かれると、なんていえば良いのかわからない。
“楽しい”と、言えばいいのか。それは、嘘だ。
今のあたしの状況は、だれがどう見たって、楽しく学校生活を送って
いるとは思わない、だろう。
マナ、ウソついちゃ、ダメ
頭の中に少女の囁く声が、水面に落ちる水滴のように流れる。
なら、正直に言う?あたしは今クラスで、虐めを受けています、って。
言えるわけ、ない。この人は、あたしの叔母で、この学校の先生だ。
もしあたしが打ち明ければ、確実にその事実は、他の学校の先生
全員に伝わる。そして彼らは動くだろう。ひとりの非力な女子生徒を、
卑劣な虐めの魔の手から救おうと。その先にある結末は何か?
・・・・・ホーフク・・・・・
あたしは心の中で呟く。『ホーフク』という言葉にどんな意味があるのか、
詳しくは知らない。でも、『仕返し』と同じようなもの、とは、判っている。
もし、本当に、この先生に、『マリおばちゃん』に打ち明けたら、あたしは
今度クラスでどんな扱いを受けるのだろうか。
どんな・・・・・どんな・・・・・・ドンナ・・・・・どんナ・・・・・!
「いや!」
あたしは、恐怖のあまり立ち上がり、華奢な腕を、足を、小刻みに震わせた。
「どーたん、マナちゃん⁉」
先生はおっかなびっくりと言った感じに目を見開き、あたしを見つめた。
そして震えた手を、白くて少しヒンヤリする手で包みこんで、
「なんかクラスで、怖いことでもあったん?」
心配そうな声で先生が尋ねる。
「あ、ありません!何もありません‼」
あたしは必死に答え、いや、嘘をつく。しかし、もう無駄だと感じた。
ここまで取り乱していたら、“あぁ何かあったんだな”と思われても、
不思議ではなかった。
「まさかマナちゃん・・・・・」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・お化けでも見たん?」
もう、弁解の余地がないと、あたしは観念して、
あたしはコクッと、首を縦に振った。
やっぱり、ダメだった・・・・・・えッ、お化け?
「ウソッ!マナちゃんお化け見たん⁉」
「あの・・・・先生・・・・?」
「まさかと思って聞いたみたけど、そら学校でお化け見たら誰だって
怖いわなぁ」
「先生?」
「エッじゃあマナちゃん、もしかしたらこれから何かとんでもないことが
起こるかもしれへんってこと⁉あわわどーしよ、マナちゃん、しばらくガッコー
休んだ方が・・・・・」
「先生!」
「おわぁ、ビックリしたぁ・・・・・」
何とか、物凄く慌てる先生を止めたのはいいが、どうしてこの人、あたしが
学校で何かあった=お化けに遭遇したと解釈したのか・・・・・。
あたしはもう一度、先生に何もないこと、というか、お化けになんか会って
ないことを説明しようと試みた。
「あのッ、先生、実は・・・・・」
すると先生、今度は険しい顔つきになり、顎に手をのせながら、
「まさかマナちゃんの出会ったのって・・・・・真っ赤なお化け・・・・?」
と聞いてきた。
「真っ赤な、お化け?」
あたしはつい、反射的に聞き返してしまった。
「あれッ、マナちゃん知れへんの?この学校に伝わる怪談話」
階段話、それは、真夜中に動き出す人体模型や、血の涙を流すベートーヴェンの
肖像画とか、そう言った類のものか。あたしの前いた学校にも、そういう
ものを耳にしたことがある。確か、旧校舎の女子トイレの一番奥の個室に
現れる、そこを使った人間の血をすべて抜き取る、名前、なんだっけ?
とにかく、それとよく似たものが、この学校にもあるのだろうか?
「え~~ッとなぁ。どんなんやったっけ?確か、どんな願いも叶えて
くれる学校の守り神、やったっけぇ?」
響きから察するに、生徒に悪戯したり、殺したりするような、悪い
お化けではないらしい。
「どんな、お化けなんですか?」
何気なくわいた興味から、あたしは聞いてみた。
先生は、遠く過ぎ去ってしまった昔の出来事を
思い出すかのように、こめかみに指を置いて考え込み、説明し出した。
「んん~~ッと・・・・・あぁそーや、放課後、誰もいない屋上に
ひとりで行くと、その『真っ赤なお化け』が現れんねん」
登場の仕方は、どの学校にもありふれた、悪く言えば、ありきたりな感じだ。
それなのに一瞬、自分の心臓が、大きく鼓動した。
「で、現れたそのお化けに、自分の今一番の願い事を言うと、三日後の
朝、いつも通りに学校に行くと、その願いを叶えてくれている、と」
「なんだか・・・・・みんなが喜ぶような、内容ですね」
あたしは率直な感想を述べた。だが、さっきから、変な気分だ。
まるで、その、お願いを言う生徒が・・・・・ひどく、あたしと重なってきて、
先生はそれに気づかず、話を続ける。
「そぉやろー?ウチがこの学校に通ってる頃はそれなりに有名でなぁ。
まぁ、見た人はいないけど・・・・・」
と、残念そうに言った。
「そうなんですか」
あたしは適当に相づちを打つと、先生は自慢げにニヤッと笑って、
「でもな、ウチ、見たことあんねん」
「そ、そうなんですか⁉」
驚くあたしをよそに、先生はまるで誘うように腕を組んで、
「あぁー信じてないやろぉ?ホンマに見たんやで、ウチ。
カメラで写真も撮ったし」
そう言うと先生は、机の横にかかった、永年使ってくたびれたであろう
褐色のリュックから、一枚の写真を取り出し、あたしに見せてくれた。
「昔ウチが子供んときに撮った写真やから、少し色褪せてるけど・・・・・」
先生の言う通り、差し出された写真は、端と真ん中の部分に、薄っすらと
セピア色がシミのように点在し、被写体の存在感を、判りにくくしていた。
が、あたしは、後頭部を殴られたような衝撃がし、椅子から落ちて、その場に
しゃがみ込みそうになるのを、理性で何とか、押しとどまっていた。
写真はカラー写真で、恐らくだが、放課後に撮ったのだろうと思われる。
眩いオレンジ色に照らされている廊下を見事なまでに正面から捉えており、
一見するだけでその、何とも言えない高揚感が伝わってくる。側面には誰も
いないガラリとした教室が添えられ、これもこれで、良い味を出している。
そしてこの写真の最もな魅力は、その廊下の、カメラを構えた幼い
先生の前に佇む、一人の少女だ。
西洋人形の着ているかのような、赤と黒のドレスに似た洋服を身にまとい、
フリルのついたスカートと、灰色の交じった黒髪を靡かせ、
両手を鳥の羽のような形にしながら、可愛らしく、今にもこっちを振り向こうと
している。除く横顔は見るからに、洋館や人形店に置かれている
人形の顔そのもので、それが何とも可愛らしく、美しい。
もしこの写真を、どこかのコンクールに応募すれば、審査員たちは
たちまち見とれ、文句なしの金賞をつけるだろう。
でも、あたしは、彼らみたいに感動することはなかった。
先生が怖いと念押しするまでもなく、この写真からは、恐怖が立ち込めていた。
でもそれは、写真を撮った先生本人には、解らない。決して理解出来ない。
この写真が禍々しいものと知っているのは、多分、
学校中の誰よりも、あたしだけなのだろう。
「・・・・・・日影、さん・・・・?」
そう、そこに映し出されているのは、数日前、屋上で出会った、
自分を『日影』と名乗った少女、そのものだった。
あたしは一応、先生に確認してみる。
「先生・・・・・」
「んん、どーしたん?」
「これ・・・・この写真・・・・先生が、小学生の時に、
撮った写真・・・・です、よね・・・・?」
あたしは祈った。これは、つい最近撮られた、どこにでもある
普通の写真だって、先生が答えるのを。
「そーや。それはウチが小学生の時に、この学校の中で撮った
写真やで」
じゃあなんで、あたし、この写真の子に・・・・・つい最近
会っているの?
認めたくない。認めるのが怖い。
だがこの写真は、あたしに“認めろ!”と、強く、強く訴えて来る。
あたしは会っている。この学校にいる『真っ赤なお化け』に・・・・・・。
そして彼女は、ついぞこの間、あたしに言った。
ボクがマナのおねがい叶えてあげる!マナが一番望んでいる
結果を、ボクが作ってあげる。
その時あたしは、目の前いる先生に、なぜかこんなことを
聞いていた。
「真っ赤なお化けって、どうして、『真っ赤なお化け』って呼ばれてるんですか?」
先生はその質問に、なんの躊躇いもなく、静かに答えた。
「あぁ、それなぁ。実はこの怪談、女の子の間では結構
人気あってなぁ。好きな男子が、自分と両想いにしてほしい
ってお願い、叶えてくれるからって。でも、この真っ赤なお化けさん、
他からも需要あったんや・・・・・いじめられっ子の間で。
そのいじめっ子を、殺してくださいって。嫌な話やろぉ?
そんなある日、ある一人の女子生徒が、屋上で亡くなっているのが
見つかってな。ナイフで刺されたみたいで、カラダ真っ赤に
染め上げて。そん頃から、ある噂がたったんや。
いじめっ子が、屋上で、真っ赤な血に染めたドレスを身に纏った
女の子に、殺されるって・・・・・」
重苦しい空気が充満する保健室で、先生から聞くこの学校の噂話は、
身の毛もよだつ程に現実感を漂わせていた。
次の瞬間、あたしはそこを飛び出し、屋上へと、駆けだしていた。
「マナちゃん⁉」
後ろから先生の呼び止める声がしたが、そんなことを気にするほど、
今のあたしには余裕がなかった。
もしさっきの話が、本当にあった出来事なら、日影ちゃんは、あたしは、その
二の舞をしようとしている。あたしは日影ちゃんに言われた。
この、虐めという抜け出せない蟻地獄ような毎日からあたしを開放し、
平穏な日常をプレゼントする、と。
しかしそれは、あたしを虐めている人を、屋上で殺された女の子同様、無残に
殺し、虐めを完全に終わらせる、ということではないのだろうか。
そして先生は、願いは三日後に叶うと、あたしに教えてくれた。
それは・・・・・・・明日だ。
大股で階段を駆け上がっている際、あたしは、日影ちゃんの言っていた
ことを思い出していた。
あっ、マナその時、ゼッタイゼぇ~~タイここに来てね‼
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