第31話 取材が来たぞ

「さ、咲さん」

「ん? どうしたの? 体調が悪いの?」


 俺の胸に手を当て、咲さんは思案顔だ。い、いま手を当てないで欲しいんだ。ひんやりとして気持ちいいんだけど、あれがあれしたら不味いですよ。


「ん、少し体調が変かも」


 咲さんは一人納得して、俺に突然抱き着いた。ふにゅんふゅにゅんが直接体に当たってる! し、しかし冷たい彼女の体がとても心地いい。し、幸せ。

 これぞ、新世界のウォータークッションだああ。

 

 なんて考えていたら、咲さんが熱っぽい目で俺を見つめているじゃないか。


「さ、咲さん?」

「ゆ、勇人くん……ごめんなさい。つい……」


 あ、ああ。そういうことね。うん、そらもう、俺の興奮状態はマックスを振り切ってあと一突きすれば、咲さんに襲い掛かるところまできている。

 吸いたくなるよねえ。でもちょっと待ってほしい。俺も吸い付か、せ。

 

 って、咲さんに口を塞がれた!

 でも、思いとどまったようにそれ以上何もしようとせず、そのままプルプルと肩を震わせているじゃないか。

 俺はそんな咲さんがいじらしくて、キュンキュンしてしまう。

 

 いいよね、うん。

 

「咲さん……」


 俺は唇を放すと、また彼女へ口づけして……

 おおおおお、熱が急速に収まっていくううう。いやサウナで熱せられた体は熱いままだけど、言わなくても分かるよね?

 

「ありがとう。勇人くん」

「ううん、俺もなんだか頭がとてもスッキリしてきたよ!」


 この後、一旦シャワーで水を浴びて、再びサウナへ。結局一時間ほど出たり入ったりを繰り返してサウナを楽しんだのだった。

 あ、岩風呂のこと忘れてたあ!

 

 ◆◆◆

 

――取材当日

 咲さんとマリーはフロントの受付カウンターの奥に並んで立ってもらい、俺は入り口で待ち構えていた。

 珍しく黒猫形態のクロもロビーに来ていて、彼女にはマスコットになってもらうべくカウンター前でお座りしてもらっている。

 

 ガラリと扉が開き、のれんをくぐる女性二人の姿が目に入った。

 

「こんにちは! ようこそおいでくださいました」


 俺が元気よく挨拶をすると、女性二人も頭を下げて挨拶を返す。

 一人はカメラマンさんみたいで、重たそうな大きなカメラを両手で抱えていた。もう一人は清楚な服装をした長いスカートをはいた若い女性だ。

 彼女の姿をどこかで見たことあるような……明るい茶色の髪をしたサイドテールにパッチリとした茶色の目。身長は咲さんより少し高いくらいかなあ。華奢だけど。

 

 受付にいた咲さんが俺の元へやって来て、耳元で囁く。

 

「勇人くん、あの子、土産物屋さんの写真で確か」

「あ、ああ。それで見たことあるような」


 俺がポンと手を叩くと若い女性が微笑み自己紹介をする。

 

「こんにちは、蜜柑です」


 そうそう、確かにそんな名前だったよ! それにしても、氷蜜柑から蜜柑さんなんだろうか。

 あ、安易な……。

 

「通りで初めて会った気がしないわけですよ! 写真で見たことあります」

「私もです」


 蜜柑さんは笑顔のまま、俺へそう返す。リップサービスなんだろうけど、俺はこの人と直接会ったことなんてもちろんない。

 年齢は同じくらいだろうけどね。まさか学校の同級生とか? いやいや、こんな可愛い子だったら覚えてるって。

 

「では、さっそくご案内します。まずは客室からでいいですか?」

「はい。よろしくお願いします」


 俺と咲さんは二人を連れて、客室、食堂、大浴場と紹介する。蜜柑さんが感嘆する声を上げるところをカメラマンさんが撮影し、作業は滞りなく進んでいく。

 撮影が終わってロビーに戻ると、蜜柑さんが何やらしゃがみ込んで何かを見ている。

 

「猫ちゃんがいるんですね! 可愛い!」


 蜜柑さんの言葉に反応して、カメラマンさんが黒猫を映す。

 そのまま蜜柑さんが黒猫に近寄るけど、猫はプイっと顔を背けて客室の方へ走って行ってしまった……クロおおおお。アピールのチャンスだったのにい。

 

「す、すいません!」

「いえいえ、猫は気まぐれなところが可愛いんですよ」


 蜜柑さんは気にした様子もなく、立ち上がる。

 これにて取材は終了したのだが、ありがたいことに二人はこのまま朧温泉宿に泊まっていってくれるそうだ。

 先ほど、取材用に料理も食べてもらったから食事は朝だけになるけど……。

 

 ◆◆◆

 

――自室

 自室に戻ると、黒猫が座布団の上で丸まっていた。

 

「クロ、逃げるくらいなら無理して来なくてよかったんだぞ」


 クロだって、嫌なことだってあるだろうし。さっきは大人げなく心の中で叫んでしまったけど、嫌なことを彼女にさせてしまったのかと少し反省したんだ。

 

「吾輩、人間の前に出ることは嫌いじゃありませぬ」

「そうなの?」

「はいです。ただ……あの変態が嫌だっただけです」

「それって……蜜柑さんのことかよ!」


 何かよく分からないけど、蜜柑さんの性癖とかまで見抜けるんだろうか。

 あんな可愛い顔して何を……い、いかん、妄想したら次に彼女の顔を見られなくなってしまう。

 

「クロ、明日彼女たちを見送るまで部屋にいてもらっていいかな?」

「ゆうちゃん殿……次はマスコットの役目をこなします故……」

「いや、気が向いた時でいいよ。しゃべったりするとマズいしさ」


 俺はクロの頭をナデナデした後、ご飯を食べて風呂に入ることにした。

 

 宿泊客は蜜柑さんたちだけだし、男湯は今日も俺の貸し切り状態だ。

 ヒャッハー。ジェットバスと香草風呂を試すかあ。誰もいないことが分かっているので、産まれたままの姿でハンドタオルを手に持ち大浴場に入る。

 

 あれ、香草風呂に誰か入ってる。マリー? いや違う。あの後ろ姿は……蜜柑さんじゃねえか!

 や、やばい。やばいぞ。俺。ちゃんと男湯に入ったかな。それとも蜜柑さんが間違えた!?

 

「こんばんは」


 素っ裸で固まっている俺に、蜜柑さんはこちらを振り向き、朗らかに挨拶してきた。

 や、やばい、この笑顔は怒りの笑顔なんじゃないだろうか。事案になったら困るううう! ぬがあああ。


「こ、こんばんは。す、すぐ出ます! すいませんでした!」


 ああああああ。前もそのままだったあ。

 俺は急いでハンドタオルで前を隠すと、空いた方の手で頭をかく。

 蜜柑さんは香草風呂に肩までつかっていて、見えたらダメなところは見えてない。なぜなら香草風呂は濁った茶色をしているからだ。

 

 い、今のうちに立ち去ろうとした時、彼女が口を開く。


「一緒に入りますかー?」

「お、お許しをおお。って、え?」


 とても軽いノリで蜜柑さんが誘ってきたじゃないか。

 な、ナニコレ、テレビのドッキリとかなのか? な、なら乗っかってもいいんだよな。

 け、決して俺の欲望のためとかじゃあない。

 

「い、いや、俺は構いませんけど」

「私もあなたなら構いません」


 少し頬を染めて彼女は俺を誘う。

 騙されてる? ドッキリ成功のプラカードが出てくる? いや構わんよ。誘ってくれてるなら。

 これは行かねばなるまい!


「し、失礼します」

 

 蜜柑さんのいる位置から反対側へいそいそと入浴する俺。

 あー、近くにアイドルがあ。うーん、良いな。いい体験したわ、俺。

 

「み、蜜柑さん?」

「どうせなら近くがいいですよね」

「は、はい!」


 い、いつの間にか肩が触れ合う距離まで蜜柑さんが近寄っていたあああ!

 

 積極的な蜜柑さんに顔が赤くなるのが止められない。本当に現実なんだろうか? くそ猫が化けてないだろうな? いや、なんかそんな気がしてきた。きっともうすぐ「吾輩」とか言い始めるんだ。

 きっとそうだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る