第5話 お掃除だよー

 目覚めると枕元に黒猫が丸まっていたので、背中を撫でてから起き上がった。

 うーん、朧温泉宿は温泉宿一覧に登録はされているけど、それだけなんだよな。最低限、旅館のウェブサイトくらいには登録しておきたいんだが……この状況でお客さんが来ても……酷い展開になるだろうな。はは。

 だが、従業員以外に問題はないのだ。最低限、お客さんを受け入れ可能にすればまずはいいかなあ。

 

 そんなことを考えながら、ロビーに辿り着くと咲さんとマリーが掃除の準備をしていた。

 ぞうきんにバケツ……ウェットシートか。掃除グッズは普通なんだな。

 

 俺が来た事に気が付いたマリーが両手をブンブン振ってにこーっと挨拶をしてきた。

 

「おはよー、ゆうちゃんー」

「おはよう、マリー」

「勇人くん、おはよう」


 咲さんはぞうきんを絞っては、カウンターの上に載せていっている。

 朧温泉宿は見た感じ、天井も含めて隅々まで綺麗さが保たれているんだ。なるほど、こうやって毎日掃除していたってわけか。


「あ、掃除だよね? 俺も手伝うよ」

「ううん、マリーがやっちゃうから大丈夫よ」

「え?」


 マリー一人に任せたら大変だろうと、思わず彼女の方へ振り向くと……

 

「ちょ、マリー、何故脱ぐ!」

「んー、お掃除だからー」

「い、意味が分からん、ま、待て、後ろ向くから」

「べつにいいよー、えーい」

「だあああああ!」


 見えてる、見えてるからあ。といいつつ、思わずマリーの体に釘付け担ってしまう俺である。

 は、生えてない。いや、それはいいんだが。

 

「ってええええ、うおおおおお」


 マリーから白い煙があがり、次の瞬間大量のコウモリが姿を現した!

 驚いた俺は思いっきり仰け反ってしまい、咲さんのクッションに後頭部がダイレクトアタックしてしまう。

 

「す、すいません! 咲さん!」

「大丈夫よ、勇人くん、あれはマリーだから」

「ぎゅーっとされると、あ、ああううあう」

「え? 変だった? 不安な時、ギュッとするといいって聞いたんだけど」

「あ、ああうあ。そ、それで間違えてません!」


 ああああ、俺の後頭部よ、君は桃源郷に飛び込んでいるが、できれば顔の方が幸せになりたい。

 そして、咲さん、その勘違いは素晴らしいよ。ぜひ、そのままでいて欲しい。

 

 俺が呆けている間にも、マリーが変化したコウモリたちは口にぞうきんやウェットシートをくわえて、隅々まで掃除を行っていく。

 す、すげえな、マリー……。

 

「あー、私も役に立たないとなあ」


 コウモリたちの様子を眺めていた咲さんがはあっとため息をついた。


「咲さん、その……首なんだけど」

「ん、そうなの。すぐ外れちゃうの。お客様の前で外れたらと思うと……」

「それって……」

「ええとね――」


 咲さんが言うに、勢いよくお辞儀した時とか、突然振り向いた時などによくコロンと首が床に落ちてしまうそうだ。

 うーん。ちょっと首の立て付け緩すぎやしませんかね……それくらいで首が落ちるんだったら、常にヤバいよ。

 

「そ、それはすぐ落ちそうですね」

「そうなの。みんなに迷惑ばかりかけてしまって……」


 俺はうつむいて長いまつげを震わせる咲さんへ何かできないものか思案する。

 あ……


「そうだ! 咲さん」


 俺は閃いた! 風呂場に用意してあった手ぬぐいを急いで持ってくる。

 

「咲さん、ちょっとこっちへ」

「うん……」 

 

 咲さんの首元に顔を寄せたはいいが……

 ああああ、咲さんの髪の毛からいい匂いが漂ってまいります。はああ。

 ってそんなことを考えている場合じゃねえ。 


「ど、どうしたの? 勇人くん」

「あ、いや、咲さんの髪が……」


 つい思っていることが口をついてしまったああ。幸い咲さんは不思議そうな顔をしてコテンと首を傾ける。可愛いー。

 よっし、俺は手ぬぐいを二つに畳んでから彼女の首へそれを巻き付けてみる。


「咲さん、これでどうかな?」

「うん、もっときつく縛れば、いいかも」

「手ぬぐいはさすがに見た目が悪いから、スカーフか何かで縛ったらどうだろう?」

「う、うん。勇人くん。ありがとう」


 咲さんは色っぽく手ぬぐいを撫でながら、俺に礼を言ってくれた。

 ほんと彼女は美人だよなあ。おっとりした雰囲気といい、少し大きめの胸も……首の立て付けが悪いことだけが玉に瑕だが。

 いや、で、でも、首が取れた後の咲さんの表情を思い出すと……うふ、うふふふ。悪く無い、首が取れるのは悪く無い。だけど、俺の前だけな!

 あの表情は、俺の心のメモリーに記憶しておくのだ。


「あ、咲さん、この後、咲さんとマリーの接客を見ようと思ってたんだけど、マリーの掃除がまだ時間かかりそうだし……」

「たぶん、あと二時間くらいはかかると思うの」

「は、はやいな……待ってる間にさ、咲さんのスカーフを買いに行かない?」

「うん! ありがとう、勇人くん!」


 咲さんが感極まったように、俺へ抱きついて来た。

 俺は口元が緩むのを必死で抑えつつ、彼女へ問いかける。

 

「咲さん、近くで買い物ができるところってあるのかな?」

「うーん、勇人くんと一緒だったら車じゃないとかも?」

「咲さん、バイクか車ってあるかな?」

「うん、どっちもあるよ! でも、親父さんしか運転できないの」

「俺も運転できるから大丈夫だよ」

「すごい! 勇人くん!」


 そ、それほどでもお。やべえ、こんな美人に褒められると、お世辞でも何でも鼻の下が伸びっぱなしになっちゃうよお。

 朧温泉宿は山奥にあるが、一応温泉街の端くれに建つ。中心地まで行けば土産物屋があったはずだ。そこでスカーフか洒落た手ぬぐいくらい置いてるだろ。


「どうしたの? 勇人くん」

「あ、うん、行くところを考えてたんだよ。土産物屋でいいかなって」

「たのしみー」


 咲さんはひまわりのような微笑みを浮かべ、胸の前で手を組んだ。

 俺は彼女の表情に心臓が高鳴ってしまう。ドキドキしながらも、俺はそのまま外へ出て行こうとしていた咲さんを呼び止める。

 

「あ、咲さん、風呂用の手ぬぐいを首に巻いたままだよ」

「あ、変だよね?」

「首に巻く用じゃないからね」


 咲さんは俺の前まで来ると、クルリと後ろを向いて首を少し前に傾けて手ぬぐいが巻かれたうなじを見せてくる。あ、これは取って欲しいってことだよな?

 し、しかし、彼女の肩口ほどの長さの髪の毛がフワリと浮き上がり、うなじがチラチラと。す、素晴らしい!

 み、見とれている場合じゃあない、俺は咲さんの首がズレないよう、慎重に手ぬぐいを外す。

 

「ありがとう」

「あ、うん」

「勇人くん大丈夫? 少しほっぺが赤くなってるけど……」

「あ、大丈夫!」


 さっきから笑顔とうなじの破壊力のせいで、顔が……俺はブルブルと首を振ると彼女と一緒に温泉宿の外に出た。

 温泉宿を出て右手に行くと駐車場があって、そこに小型バイクと「おぼろ温泉」と横に書かれた白の軽トラックが停車してあった。

 

 ここは、バイク一択だろお。いやあ、やってみたいことがありましてね。

 と思っていたら、咲さんが声をかけてきた。

 

「勇人くん、バイクにしよ?」

「え、うん」


 俺は自分の考えが読まれてしまったのかと思い、内心ドキドキしていたけど、咲さんはキラキラと目を輝かせて言葉を続ける。

 

「えっとね、勇人くん、後ろに座ってぎゅーっとして男の子とバイクに乗るんだって見たことがあるの」


 咲さんはウキウキとした様子でバイクのハンドルを撫でる。俺はバイクにまたがると、彼女はすぐに後ろに乗り込んだ。


「う、ううむ。これはグッとくるな……」

「どうしたの? 大丈夫? 勇人くん」


 俺へ両腕を回しギュッと抱きしめた姿勢で咲さんが尋ねてきた。いや、単に美女を乗せて二人乗りという憧れのシチュエーションと咲さんが押し付けて来るフワンフワンで……

 

「大丈夫だよ、行こう!」

「うん!」

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