第204話 ハル・ウィード流おもてなし術
――マーク・ジョーンズ視点――
貴族科の卒業試験は、精神的にとても疲弊する。
何故なら全員分の課題を見なくてはいけないからだ。
去年は全員が各々好きなようにパーティを開けるという内容だったので、時間も掛かるし審査基準も膨大だった。
今年に関しては三十分のおもてなしなので、まだ疲労度は去年よりましだろうが、それでも精神的にはクるものがある。
毎回招待する貴族の方々を選定するのも骨が折れるが、比較的貴族の方々は協力的だったりする。
それは、彼らにもこの試験は利点があるからだ。
卒業試験は貴族としての見栄や将来性も、ゲストの方々に見られている。
将来性があるのであれば卒業後、生徒達と今後は貴族として交流をして、自身の利益を得ようと考えているからだ。
勿論ゲストの方々も疲れるだろう。だが、有益になるから喜んで参加するのだ。
こういった良き循環があるからこそ、貴族科は成り立っているのである。
さて、今日は試験最終日でついに最後の一人となった。
俺も審査員としておもてなしは受けずとも、第三者として厳選なチェックを行った。
なかなか面白かったのは、ライジェル・グローリィ。
私兵で一番腕が立つ人物を連れてきて、自らも参加して二人で美しい剣舞を見せたのだ。
流石、剣の腕はハル・ウィードを凌いでいるのではないかと噂されるライジェル、とても美しい舞だった。
そして素直で実直だった部分も好感触だ。
「私には剣しか取り柄がない為、今回は妻に殆ど協力をしていただきました。妻はかけがいのない素晴らしい女性です」
この台詞を俺達の前で言ったのだ。
きっと狙って言った訳ではないのだろうが、それでもゲストの方々も素晴らしい方だと太鼓判を押しており、全員が彼と縁を作ろうとしていた。
ライジェルは嬉しそうに一人一人に対応し、全員と交流の第一歩を得たのだ。
チャンスを逃さなかったのは素晴らしい。
他の生徒に関しては、まぁよくあるおもてなしだった。
豪勢な料理やワインを用意し、自身もきらびやかな貴金属に身を固める。
よくある貴族流のおもてなしだった。
まぁ及第点をつけられていたから落第はないが、ゲストの方々は交流を進んで深めようとは思わなかったようだ。
「ふぅむ、今年は平々凡々といったところですかね」
最後の一人であるハル・ウィードの部屋に向かう最中に、ゲストの一人が呟いた。
この方は《オーランド・ラッセル》公爵。通称絵画貴族。
美しい風景画を描く事で有名となり、現国王陛下の目に止まり貴族となった方だ。
元々貴族になるという野心を胸に秘めていて、なった直後から勢いは止まらずに最上級貴族にまで上り詰めた。
現在五十歳のオーランド卿は現役を引退しており、自分の領地で開いている芸術学校で後進の育成に力を注いでいる。
白い立派な顎髭を撫でて、退屈そうに言った彼は、毎年貴族科の試験に御協力頂いている。その為彼の感想には説得力があった。
もてなしがありきたりすぎたのだろう、今年の生徒はライジェル以外は保守的になりすぎている。無難に卒業しようという魂胆なのだろうな。
「そうですわね。わたくしもライジェル卿以外は期待外れでしたわ。まぁ試験としては合格ラインですけれども」
彼女は《リリアーナ・アレクセイ》公爵。通称薔薇貴族。
大柄な彼女は薔薇にとても執着しており、元々赤色しかない薔薇を品種改良交配という方法で、六色の色を追加させた人物だ。
また、花も芸術となると豪語しており、彼女の庭園は芸術といっていい程色鮮やかな薔薇で埋め尽くされている。
夫が侯爵だったが病で死亡しており、子宝にも恵まれなかった為に彼女が侯爵位を引き継いだ。
そして様々な庭園を芸術のように変えた事から、素晴らしいセンスと薔薇の色を増やした功績が認められて公爵となった。
また、貴族のパーティでは彼女がいるかいないかで、パーティの格付けが決まる程の影響力を持っている。
そんな彼女が期待外れと言ったのだ、言葉の意味のままで捻りがなかったのだ。
「仕方あるまい、彼らはこれからじゃ。もしかしたら数年したら頭角を見せるかもしれんぞ?」
ふぉっふぉと笑う彼は、《ログナイト・カーリィ》公爵。通称騎士貴族。
現在七十歳と、世界の平均寿命を無視して生き続ける彼は、元々王国騎士団長だった。
騎士団とは、王族専用の近衛兵でその長だったのだ。
武力にも優れ、今から五十年以上前は頻繁にヨールデンと戦争があったという。
そこで活躍したのが彼だ。
一騎当千を体現した程の強さを誇る彼は、生ける伝説なのだ。
その功績を讃えられ彼は侯爵となり、数々の戦術や戦法、斬新な訓練方法を編み出して公爵へと上り詰めた。流石にご高齢の為、腰が曲がってしまい杖を付いて歩いている。
無類のパーティ好きとして知られていて、様々な貴族のパーティに参加する彼が最後まで居座ればそのパーティは合格、帰ってしまったら不合格とも言われる。 ログナイト卿は先を見据えて、まだ見捨てないでいる。それは有り難い事だ。
「私は去年参加したのだが、去年の生徒の方がまだよかったように思える」
腕を組んで唸るのは、《バルディアス・カーディナル》公爵。通称算術貴族。
元々商人の家の次男だった彼は、計算が非常に得意だった。
商売より算術を解くのが好きな彼は、やがて「世界の理を数値化出来ないだろうか」と思うようになる。
十二歳の時に「魔力のランク測定式」という数式を発表。魔力解放の儀で水晶に頼らなくても数値によってランク決めが出来るものであった。
現在でもまだ水晶の手軽さが勝っている為に普及はしていないが、発表された当初は学会を大いに騒がせた。
さらには我々の世界は平面ではなく球体である事を証明し、且つ球体の大地に我々生物が立っていられる理由も証明した。
確か、《超引力》だったか?
大地は我々を常に引き寄せ続けていて、どんな物体や生物にも適用される。そして重い程超引力は強力に働く性質があるようだ。それも彼は数式化してさらに学会を騒がせた天才であり異端児である。
数々の画期的な数式を発表した事で、国王陛下に認められて貴族となり、その後も算術学会の発展に尽力を注いだ結果公爵となった。
腕を組みながらあくびをする。相当暇だったのだろう。
「わたくしは、稀代の英雄が楽しみで仕方なかったのよぉ」
頬に手を当てて妖艶な笑みを浮かべる彼女は《ララ・サージバル》公爵。通称美容貴族。
二十代前半に見える彼女は、実は四十代後半だ。
元々娼婦であったララ卿は、十六歳の頃にとある公爵に身請けされて結婚。公爵婦人となる。
自身の容姿しか取り柄がなかった為、彼女は若さを保つ為に美容について研究を始めたのだ。
使用人にも試した結果効果が見えたので、夫に頼んで商品化したら大ヒット。
それがさらに彼女を美容の研究にのめり込ませるきっかけとなり、次々と商品を考案して全てがベストセラーとなった。
公爵家は非常に潤ったが、夫が病死。子供がいなかった為に彼女が家督を引き継いで公爵となった。
未だに独り身を貫いている彼女だが、実は愛人が二十人もいるとの事。
どうやら彼女が導き出した究極の美容法は、「男性に毎日愛される事」だった。
事実、彼女は去年よりさらに若返ったように思える。
そしてララ卿は、ハル・ウィードを愛人にしようとしている様子だ。
ララ卿が放つ色気は相当だ、妻が三人いるハル・ウィードもやられてしまうのではないかと、ちょっと心配ではある。
最後にもう一人いたのだが、欠席となってしまった。
最近あまり体調が優れないという噂を耳にした。
残念だが大変優秀な方なので、体をご自愛していただき、快復してもらいたいものだ。
どうやら五人共、最後のハル・ウィードに多大な期待を寄せている。
どのようなもてなしをするのだろうか、貴族の中でも異端児と言われているからこそ、期待は重みを増していく。
俺も、彼がどのようなもてなしをするのかは非常に気になる。
俺を含め六人で雑談しながら移動していたら、いつの間にかハル・ウィードの部屋まで来ていた。
さて、どのようなもてなしをしようとしているのだろうか。
「それでは皆様方、ハル・ウィードの審査をお願い致します」
全員が静かに頷くのを確認した後、俺は扉を開けた。
すると、ハル・ウィードとレイ・ウィード、リリル・ウィード、アーリア・ウィードが横一列に並んで立っていた。
そして俺達を一瞥すると、四人で頭を下げた。
「私の部屋にようこそお越し下さいました。私が、ハル・ウィードで御座います」
「正妻のレイ・ウィードで御座います」
「正妻のリリル・ウィードで御座います」
「正妻のアーリア・ウィードで御座います」
俺を含め、全員が驚いていた。
ウィード家の家訓は知っていたが、まさか本当に白を基調にしたドレスを着ているし、名乗りの際にしっかりと正妻と付け加えている。
正妻は奥方の中で一番影響力が高い立場だ。それが三人もいる事に驚きを隠せないのだろう。
側室は悪く言えば当主を際立たせる為の置物で、影響力はほぼ皆無だからな。
三人もいるとなると、誰と縁を結べばいいか悩んでしまうのだ。
そして何より驚いたのが、ハル・ウィードの格好だ。
赤髪をオールバックで固めているのはいい。服装だって問題はないのだが、あまりにも着飾っていないのだ。
白いワイシャツに黒に近い紺色のスーツという、シンプルを突き詰めた服装なのだ。
貴族とは見栄が全てだ、当然服装だって含まれる。
だが、奴の服装には見栄なんて一切存在しなかった。
何を企んでいるのだろうか?
「では早速ですが、ささやかな物をご用意しております。こちらへどうぞ」
すると、レイ・ウィードがログナイト卿の手を取った。
十二歳とは思えない程美人な彼女に手を取られ、でれっとした表情を一瞬見せる卿。
「ログナイト卿、本日はお会いできて光栄で御座います。僕は女の身でありながら、剣術を嗜んでおります。是非武勇伝をお聞かせください」
「ふぉっふぉ、こんな美人さんにお願いされたら、断れんわい」
そのままログナイト卿の手を引き、エスコートしていく。
確かに彼女は剣術を嗜んでいる。エスコート役としては適任だろう。
オーランド卿の手を取ったのは、リリル・ウィードだ。
「初めまして、オーランド様。実は私、貴方様の代表作の《ガリアント大橋》が大好きで、レプリカ品ではありますけど、今部屋に飾っている程なんです」
「ほほぅ、レプリカ品なのが残念だ。今度私が描いた物を差し上げようか?」
「本当ですか? 私、頑張ったんですけどあまりにも高価で……。今は無駄遣い出来ない時期でしたからレプリカ品で我慢していたんです」
オーランド卿が随分とご機嫌になっている。
しかし、彼女が絵画鑑賞を趣味としていたのは初耳だ。
事前に誰が来るか知っていたのだろうか?
いや、試験で誰が来るかは誰にも伝えていないから、そもそも知らない筈。
となったら、偶然にもリリル・ウィードが彼の絵が好きだったのだろう。
バルディアス卿の手を取ったのは、アーリア・ウィード。
彼女は病気でサングラスをしないと外に歩けなかったのだが、彼女が開発したコンタクトレンズなるものを眼球にくっ付ける事でサングラスが不要になったのだ。
元の美しい
「バルディアス様、わたくし、貴方が発表されました《魔道具における魔力の最適伝導式》にはいつもお世話になっております。是非ともお話を聞かせてくださいませ」
「おお、アーリア姫様! 噂に名高い魔道具職人となられた貴女様に私の式を使っていただけるとは……光栄の極みで御座います。私もそのコンタクトレンズとやらの原理について、色々お聞かせ願いたいです」
そしてハル・ウィードはリリアーナ卿とララ卿の手を取った。
「それでは貴女方は私がエスコートしましょう。お二人の手を取れて、光栄至極で御座います」
「あら、ハル卿は随分と女性の扱いに慣れていますのね?」
「若いのに素敵だわぁ。でもわたくし達の審査はこれからよぉ?」
「はい、わかっております。これから三十分間、全力でおもてなしさせて頂きます」
…………。
ハル・ウィードが普通すぎて、かえって不気味なのだが。
何か裏があるのだろうかと変に勘ぐってしまう。
いかんいかん、平等に審査しなければ。
気を取り直して。しかし出だしは見事だ。序盤からゲスト全員を上機嫌にさせた。
これは他の生徒では出来なかった事だ、素晴らしい。
元々ハル・ウィードは誰とも隔てなくコミュニケーションが取れる人物だ、爵位が上の人間でも怯まずにひょうひょうとしていられるのも、彼が王族と懇意にしているからなのだろうか。
テーブルに案内すると、その上に置かれている品に驚かされた。
とても、質素だったのだ。
置かれているのは一口サイズのフルーツに、オレンジジュースだった。
ゲストの方も驚かれていて、オーランド卿が堪らず質問をした。
「は、ハル卿。随分と軽食なのだな?」
「はい。これにはちゃんとした理由がございまして、皆様はすでに様々なおもてなしを受けているだろうと考えました。勿論豪勢なお食事も召し上がったのでしょう。となると、今お腹も満たされていらっしゃるのではないでしょうか?」
まさにその通りだった。
皆様々な料理を口にしているので、満腹な状態だったのだ。
この部屋に向かっている途中に実は話題に上がったのだが、「お腹がきついから、食事系のもてなしは勘弁願いたい」と話していた程だ。
まさか、これを読んでいたのか?
「なので私は、少し摘まめる程度の軽食と、口当たりの良いオレンジジュースをご用意致しました。私の専属商人であるカロルに用意させましたので、味は保証致しますよ」
カロルの名前が出た瞬間、「おお」と感嘆の声が漏れた。
彼の名前は貴族界隈では非常に有名だ。そんな彼が選んだ品々だから、信用度はそれだけでうなぎ登りだろう。
ハル・ウィードがグラスを持って、オレンジジュースを注ぐ。
ほほぅ、なかなか旨そうだ。
そして三人の妻達がオレンジジュースが注がれたグラスを、ゲストの方々に渡していく。
「それでは、この素敵な巡り合わせに、乾杯」
グラスを重ね合わせず、グラスを上げて乾杯する。
そして皆が同時にジュースを口に入れる。
「あぁ、とても甘い」
「とても美味しいですわ」
「いやぁ、何処の生徒もワインばかり用意するのでな、そろそろ飽きてきた頃じゃった」
「甘さだけではなく、酸味もあるから後味もよろしい」
「これは気に入ったわぁ、お土産に欲しい位よぉ」
ゲストは全員気に入った様子。
ワインの種類は赤と白の二種類しかない。しかも生徒達は大体同じ品種を用意していたので、味が大きく変わる事はない為、ゲストはワインに飽きていたのだ。
これも見越してオレンジジュースにしたのであれば、ハル・ウィードはなかなかの策士と言えるだろう。
さて、これからどういうおもてなしを見せるのだろうか。
……信じられん。
これが稀代の英雄の底力なのか。
彼のおもてなしは、何の捻りもない普通のものだった。
なのだが、非常にゲストの方々が楽しんでおられる。
どんな内容か?
ただ、話しているだけなのだ。
だが凄いのは、終始ハル・ウィードが話題を提供している事だ。
流石は平民上がりの貴族だけあって、話の内容が非常に面白いのだ。
他の生徒のおもてなしでは聞こえなかった、楽しそうな笑い声が聞こえてきていた。
「皆さん、貴族の食事って味濃くないですか?」
「うむ、大体パーティでは味が濃いのが出される」
「そうなのよぉ。女性の事を考慮してなさすぎなのよねぇ」
「ですよね? ですので私は敢えて、王都にある《風のささやき亭》という大衆食堂をお勧めします」
「ほう、どうしてだね?」
「あそこにあるピッツァなんですけど、味は濃くないのに頬が落ちる程美味しいんですよ!」
するとハル・ウィードはピッツァを食べる仕草をし、美味しそうな表現を体全体でしたのだ。
ゲストの方々も非常に興味を持たれていた。
「あっ、でも食べ過ぎないでくださいね? 私の分がなくなっちゃうので、出来れば一食だけにしてくださいよ?」
「ははは、そんなに食べないぞ」
こんな調子でトークだけで楽しませているのだ。
ハル・ウィードが提供する話題はどれも貴族では味わえない興味深いもので、ゲストの方々も審査という事を忘れて楽しんでいる。
しかしこのおもてなしなのだが、異常な所が一つある。
通常ならば貴族同士お互いの服装等を褒め合うのだが、一切服装の話題が上がらない。
誰もハル・ウィードの服装について触れないし、ハル・ウィード自身も服装に触れていない。
しかも誰かを褒めて話を盛り上げるのではなく、純粋な話題だけで楽しませているのだ。
貴族のパーティやおもてなしでは、本当に有り得ない程の異質な状況だ。
さらに俺が気になった点がある。
彼の妻の話題になった場合のハル・ウィードの行動だ。
これも通常の貴族ならば妻を自分の一歩後ろに下げるか横に並ばせるかのどちらかなのだが、ハル・ウィードの場合は妻が話題の中心になった瞬間に自分が一歩後ろに下がり、妻達の背後に立つのだ。
その際、彼女達のドレスが非常に綺麗に見える。
レイ・ウィードは白が基調なのだが、ドレスの裾に薄い黄色のグラデーションが着色されている。そしてラメも付けられているのだが、照明が当たって輝くラメが際立っている。
リリル・ウィードは右肩から青色のグラデーション、アーリア・ウィードは左肩からピンク色のグラデーションが着色されているのだが、まるで彼女達それぞれのドレスの色を際立たせるかのように、背後に立つのだ。
いや、恐らく狙って際立たせているのだろう。
ハル・ウィードがジュースを持っている時も、常にスーツの前に添えているからオレンジジュースの色も目立ち、とても美味しそうに見える。
これは、ハル・ウィードが狙ってやっている事なのだろうか。
もし狙ってやっているのだったら、どういう意図があるのだろう。
自分自身を際立たせるのなら理解できる、しかし妻を際立たせて何の意味があるのだろうか?
「それはっ!?」
バルディアス卿が唸った。
彼はハル・ウィードのシャツの袖に視線を注いでいる。
「あっ、お気付きになりましたか?」
「正直よく見ないと気付かなかった……」
何だ何だと、他の面々も彼の袖に注目する。
俺も注目してみると、驚いた。
さっと見たらただの金色のカフスボタンなのだが、目を凝らして見るとそれはウィード家の家紋を形取ったカフスボタンだった。
つまり、世界で唯一彼しか持っておらず、唯一家紋にする事を許されている《レミアリア白金双翼勲章》のボタンだ。
こんな栄誉ある勲章を形取った装飾物ならば、絶対に目立つ所に付ける筈なのに、ハル・ウィードは敢えてカフスボタンにした。
しかもよく見ると、チェーン式のカフスボタンとなっている。
このチェーン式は自分一人で付けるのは不可能で、執事やメイド等人の手を借りないと付けられない装飾品だ。
わからない、何でこんな事をしているのかが本当に理解できない。
俺を含め、ゲストの面々も困惑しているようだ。
「実はこれ、特注で造ってもらったものでしてね。名誉ある勲章なら堂々と付ければいいと言われたのですが、ちょっと自慢気になってあまり好きじゃなかったのです」
ハル・ウィードはたははと笑いながら語る。
そこで反論するのはオーランド卿。
「いやいや、これは名誉ある勲章だぞ? ならば逆に堂々と付けないと、貴公の為に勲章を用意した陛下に対して失礼にあたるのではないか?」
「確かに仰る通り。ですが、本日の試験の課題を思い出してみてください」
「課題を……?」
俺を含め、ゲストの方々も思い出している。
だが課題と栄誉ある家紋をカフスボタンにした意図が結び付かず、さらなる混乱をもたらした。
「私の意図は分かりにくかったかもしれませんね。今回、私は皆様をもてなす側なのです。では堂々と左胸とかに勲章をぶら下げたりしたら、皆様はどういう反応をしますか?」
ハル・ウィードにそう言われた瞬間、俺は気付いた。
恐らくゲストの方々も気付いただろう、はっとした表情をしている。
ようやく意図がわかった。
今回の課題は、ゲストをもてなす事だ。
つまり、勲章をぶら下げているとゲストの面々が勲章を褒めるだろう。
それは言ってしまえばすでにおもてなしではない、
「ですが、この栄誉ある家紋を付けないと、国王陛下に対して失礼にあたります。勿論親愛なる陛下の臣下である皆様も気分を害されてしまうでしょう。そこで私は、カフスボタンにするという発想に至りました」
……参った。
全く以てこいつにやられた。
目立たないが、ワンアクセントの装飾品としてカフスボタンを選んだ意図、そして課題に対する取り組み。
全てにおいて、過去の生徒を見てもこんな発想をする生徒はいなかった。
ハル・ウィードはまだ続く。
「それに、嫌味ったらしく堂々と付けるより、ワンアクセントにした方がお洒落でしょう? ほら、たまに見える金のカフスが紺のスーツを背景にしたらより綺麗に見えますし」
俺も含めて全員が唸る。
黒に近い紺に金色というのは見映えがいいのだ。
全身にごてごてに着飾るより、遥かに美しい輝きを袖元から見せてくれる。
まるで我慢しきれなかったように、ララ卿がハル・ウィードに質問をした。
「では、奥様達の背後に立つようにしているには、何の意図があるのかしらぁ?」
「それも至極簡単ですよ。妻達のドレスの見映えを良くするためです」
「それをして、貴方に何の利があるのかしらぁ?」
「俺の――やっべ、私の利、ですか?」
「是非、お聞かせ願いたいわぁ」
するとハル・ウィードはにっこりと笑って答えた。
「一つは、私の自慢の妻達の見映えをさらに良くして、自慢しているんです」
『自慢かよ!!』
俺を含めて全員が突っ込んだ。
いや、ハル・ウィードの妻達は照れていて、突っ込みに参加はしていない。
「もう一つは、男女の特性の違いでしょうか」
「特性の違い?」
ララ卿が食い気味に聞いた。
「ええ。どんなに着飾ろうとも、男のパーティでのお洒落なんてほぼ一つしかないんです」
そうハル・ウィードに言われて思い浮かべてみる。
確かに俺達男性は、基本的にスーツをベースにした服装だ。
後はそこに装飾品やら陛下から賜った勲章を胸に着けたり、ゴテゴテになってしまう。
バルディアス卿も納得したような声を漏らす。
「それに比べて女性は、無限のお洒落の可能性を持っている。そしてどの女性も全て等しくその可能性を持ち合わせています。体型に合わせたコーディネイトが出来るし、小物一つで見映えがガラっと変わる。これは男には出来ない事だと思っています」
リリアーナ卿とララ卿は嬉しそうな表情を浮かべる。
言われてみて、同意してしまっていた。
女性に関してはちょっとしたアクセサリー一つを変えただけで印象を変えられる、不思議な生き物だ。
ハル・ウィードが言うように、これは男では出来ないお洒落だ。
男女の特性の違いを言われて、初めて俺は気付かされた。
「では着る服のパターンが決まっている私達男はどうすればいいか? 選択肢は二つ。まず一つ目は、パートナーをより美しく目立たせる為の裏方役になる事」
そういってハル・ウィードは、三人の妻を自分の前に立たせる。
うむ、彼女達が着ているドレスは、ハル・ウィードの黒に近い紺色のスーツのおかげで際立って美しく見えるのだ。
元から容姿が美しい三人だが、彼がドレスの背景になる事でさらなる美しさを身に纏ったのだ。
「そしてもう一つ。これは女性には出来ないお洒落です。今回私がやっているように、《裏地のお洒落》です」
『裏地のお洒落?』
全員の声が奇跡的に重なる。
ハル・ウィードがそれに対してくすりと笑った。
「そうです。例えば、このジャケットの裏地なんて、こんな事をしています」
ジャケットのボタンを外し、俺達に裏地を見せる。
すると表は黒に近い紺色に対して、裏地は暗めのマゼンダ色なのだ。
この色の違いに、俺達は驚く。
「どうです? これが私の仕草でちらっと見えたら、気が付くと見入っちゃいますよね? これが男だけが許される《裏地のお洒落》です。女性にはどう足掻いても表面上のお洒落には敵いませんから、俺達男は、こういった所で勝負をするんですよ」
もし《裏地のお洒落》に気付いたら、その人はお洒落の達人ですよ、と一言付け加えてウインクした。
俺達の常識が、叩き壊された気分だ。
普通ならこのような破天荒な事は受け入れられないだろう。
だが、受け入れてしまった。
いや、納得して受け入れてしまう程の説得力があった。
何故なら俺も含めた男性陣が、誇らしげに着けていた勲章や金の時計等の光り物が、急に恥ずかしく思えてしまったのだ。
そして自然に着こなしているハル・ウィードに、尊敬と憧れを抱いてしまった。
ゲストの一人が、呟いた。
「……完全に、やられたよ」
それは、バルディアス卿だった。
「貴公は私達を楽しませてくれただけではなく、新たな可能性の《見栄》を私達に示してくれた。本当、有意義なおもてなしだったよ」
「有難う御座います、バルディアス卿」
「私は個人的に貴公に興味がある。まだまだ引き出しがありそうだ。是非今後とも交流をしたいと思う」
「私の方こそ、貴族としては若輩者ですので、色々教えて頂けると嬉しいです」
ハル・ウィードとバルディアス卿は、両手で固い握手をした。
卿は相当彼を気に入ったようだ。
「私もこんなに楽しいもてなしは本当に久々だったよ。ハル・ウィード卿、同じ芸術を生業としている者同士、今後も意見を交換していこう」
「はい、実は私も絵画で取り入れたい事が御座いました。ご相談に乗ってください」
オーランド卿もハル・ウィードをいたく気に入ったようで、自ら握手を求めてハル・ウィードもそれを受け入れた。
凄まじい、自ら彼に対して交流を結ぼうと歩み寄っているゲストの面々。
駆け出し侯爵が、公爵二人をすでに味方につけたのだ、貴族界隈ではショッキングなニュースだろう。
だが、まだ止まらない。
今度はログナイト卿が近付いてきた。
しかし、今度はハル・ウィードがログナイト卿の杖を持っている手に対し、素早い動きで自分の手を添えた。まるで抑え付けるかのように。
レイ・ウィードも動こうとしていた。
何があった?
「ログナイト卿、お戯れを」
ハル・ウィードが困った笑顔を浮かべてそう言った。
お戯れ?
卿が何かしようとしたのか?
「ふぉっふぉっふぉ、貴公はただの音楽家ではない、か。流石は《双刃の業火》と呼ばれるだけあるのぉ。それにそこのベッピンな奥さんも反応しおった」
「恐れ入ります」
「儂の行動に勘づいたという事は、これの正体もわかった訳か」
するとログナイト卿は曲がっていた背筋をピンと伸ばし、持っていた杖を肩に乗せた。
こ、腰がまっすぐになった!?
今までのはわざと、腰を曲げていたのか?
「ええ。その杖は相当重量があるようですね。中に刃を仕込んでいますか?」
「いやいや、ただの鉄杖じゃよ。まぁ、叩くと相当痛いがな」
「でしょうね。杖を付いた時に、異常に重そうな音をしていたので」
「ふむ、それは貴公の噂の音魔法による情報かの?」
「その通りです、ログナイト卿。流石にいきなり私にそれを振り回す素振りを見せるとは、夢にも思っておりませんでしたよ」
つまり、ログナイト卿はそんな重い杖でハル・ウィードに対して殴り掛かろうとした?
それを事前に察知した奴は、攻撃される前に手を添えて抑止した、という事だろうか?
俺から見て、卿にそんな素振りがあった気配は一切なかったのだが……。
「ふぉっふぉ、なかなか有望な若者じゃの! よし、気に入った。今度儂の私兵と合同演習を行おうぞ!」
「有難う御座います、是非色々ご教授下さい」
二人は両手で固い握手を交わす。
二人の武の実力者が、交流を約束した。
これも貴族界隈にとっては大きな事件である。
そして最後はリリアーナ卿とララ卿が二人揃ってハル・ウィードに近付き、二人同時に奴の手を取った。
「貴方のその女性を際立たせるという素晴らしい考えに、とてもわたくしは感動しましたわ」
「有難う御座います、リリアーナ卿」
「わたくしも感動したわぁ! それにぃ、貴方の奥様達も素敵で、是非わたくしの美容方法を試していただきたいわぁ」
「きっと妻達も喜びます、ララ卿」
「ずるいですわ、ララ卿! わたくしの自慢の薔薇達も今度奥様達に差し上げますわ。そして、貴方にも似合う薔薇を見繕いますわ」
「楽しみにしています」
……五人の公爵と縁を繋いだ。
これは、もう誰もハル・ウィードの存在を無視できない程の出来事だ。
今後彼はどのような道を歩いていくのだろうか、俺にとっても楽しみで仕方ない。
卒業した後も、俺はハル・ウィードが歩む軌跡を是非とも見ようじゃないか。
心なしか、公爵達に受け入れられたハル・ウィードを見て、三人の妻達は嬉しそうな表情を浮かべていた。
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