第163話 暗躍する《影》


 ――とある《影》の活動日誌――


 ハル殿の受勲式二週間前、我ら《影》六名は、他国の商業船に紛れ込んだ形で行商人としてヨールデンに無事潜入。

 潜入名目は、『ヨールデンの各町や村で移民募集をしている事を流布せよ』との王命だ。

 この作戦にはニトス閣下が絡んでおり、閣下曰く「帝国民は、我々が与えた娯楽が味わえなくて不満を募らせている頃だろう。だから君達には移民を後押しして欲しい」という事だった。

 ヨールデンの民は、武器製造の仕事を主にされていて賃金もいいらしいが、逆に娯楽は皆無との事。

 成る程、一ヶ月掛けて音楽や芸術に触れさせたのも、これが狙いだったのか。

 潜入してみてわかるが、皆口々に「また音楽聴きたいなぁ」だの、「くそっ、帝国なんて……」と呪詛のように呟いていた。

 しかもそれらはリューイの街だけではない、様々な町や村でこの呟きを聞いた。

 リューイの街から他の所へ、我が国の文化である芸術が伝播していたのだ。


 しかし、移民募集を流布させるにしても、一つ問題がある。

 基本的には酒場等で愚痴を聞きながら話を持ち掛けるのが基本だが、酒場自体がほとんどないのだ。

 酷い所だと、食堂すらない。

 こうなると噂話を流布させるのはなかなか骨が折れる。


 そこで我々は、六人で担当地域を決めてそこを巡回し、実際に商品を売ったり仕入れたりを繰り返して顔を覚えて貰う事にした。

 仕入れ先すら少ない為になかなか骨が折れたが、潜入して一週間と六日でほとんどの店と仲良くなった。

 そして、それぞれの店主に聞いてみた。


「今の生活に満足しているかい?」


 と。

 娯楽に餓えていた彼らにとって、我々の言葉は悪魔の囁きのように聞こえただろう。

 そして全員が首を横に振った。

 他の《影》も同様の反応だったと報告を受けている。

 我々は、ついに切り出したのだ。


「卸している時に聞いたんだが、どうやらリューイの街は、お隣のレミアリアに移民するらしいぜ?」


 実際、まだ彼らは動き出していない。が、すでに移民準備に取り掛かっている事にして話してみたのだ。

 この話を聞いた店主は、随分と目を点にしていたのを覚えている。

 そして食いついて来たのだ、「本当なのか?」と。

 私はあくまで第三者の立ち位置を忘れずに、軽いノリで答える。

 リューイの街でとある店主と仲良くなり、ここだけの話という事で移民の話をする。当然、その店主にも心を開いているという事を付け加えてやる。

 

 すると、まるで死んだ魚のような目をしていた彼らに、生気が宿るのを見た。

 後は店主が誰にも聞かれない所に案内され、詳しく聞いてきた。

 この表情は、まさに必死といっていいだろう。

 何に似ているかというと、麻薬中毒者と同じような表情だ。

 まるで薬が切れてしまい、我慢できずに懇願しているような、そんな顔だ。

 そこまでして、我が国の音楽と芸術に心酔しているのか。

 いや、ハル殿とニトス閣下の策略による結果、と言っていいかもしれない。

 これが文化侵略の威力なのかと、我々は内心驚愕したものだ。

 他の《影》にもどうだったかを聞いたが、どうやら私と同じ感想を持ったようで、「麻薬中毒者を相手にしているようで、かなり緊張した」との事だった。

 娯楽を知らない、もしくは忘れていた人間に一度娯楽を擦り付けると、ここまで必死になるのだと勉強になった。

 

 一通り説明すると、店主はまるで憑き物が落ちたかのように晴れやかな表情をしていた。

 決意したようだな。

 各店主は急遽店仕舞いをすると言って、私を店から追い出したのだ。

 これは私の担当した町や村全員が、そっくりな反応をしていた。

 確信した、彼らはこれから皆を集めて移民の話をするのだろう。

 移民のやり方は所々ぼやかしながら伝えたから、どのようにするかを念入りに打ち合わせする筈だ。

 何故詳細を伝えなかったのか、それは私の口から全てを伝えると怪しまれると思ったからだ。

 第三者として聞き齧った程度で詳細を知っていたのなら、きっと私を怪しんで逆に移民の事を考えてくれないだろうと判断した。


 それから三日間、我々は担当した町や村を回ったが、まるで静かだった。

 もう移民をしたかのような、そんな静けさだ。

 四日目にはようやく店主が顔を見せた。

 表情は、強い意思を持ったそれだった。


「ごめんな、明日から取引出来ない」


 各町や村の店主から言われた第一声だった。

 話を聞くと、移民を深夜に決行すると言われたのだ

 内心上手くいったとほくそ笑みながら、卸し先がなくなった事を残念そうに伝えると、「悪いな」と謝られた。


「そんなにあんたがハマる程、音楽と芸術はよかったのか?」


 と聞いてみた。これは純粋な好奇心だ。

 すると、各店主はその凄さと魅力を身振り手振りで伝えてきた。約三十分以上掛けて。

 彼らの目は童心に返っているようで、彼らと交流を持ってから初めての笑顔だったのを覚えている。

 それほどなのだな、我が国が誇る芸術と音楽は。

 逆に誇りに思えてきて、同時に嬉しくもなった。

 

 ちなみに、リューイの街を奪還したヨールデン兵士は、各町や村を回って我が国の音楽や芸術に関する品を持っていないかを見に来たようだ。

 リューイの街から広がった我らが誇る文化は、ヨールデン帝都の《ラヴランチュア》以外の所にはかなり広まっていたようで、所持していた全員に所持品処分命令を下されたようだ。

 普段巡回なんてせず、魔物に襲われても何もしない帝国兵士が、こんなどうでも良い事に限って高圧的に命令してきたようで、腹を立てた民は反抗したようだった。結果はその場で処刑されて亡くなったようだ。

 さらに、各地域の守りを強化するのかと思えばそうではなく、レミアリアに再度攻撃を仕掛ける為に全軍がリューイの街にそのまま留まるのだという。

 事前にその情報を聞いていた為に、今回の我らの作戦は、《ラヴランチュア》以外を重点的に流布させるつもりでいた。

 流石の戦争好きであるヨールデンも、帝都を手薄にする訳がない。

 なので、侵入も容易である各町や村をターゲットとしていた。


 結果はどのようになるだろうか。

 我らの仕事はこれで完遂した。

 これ以上我らがやる事はない。

 後はどうなったかは、我が王都で見守るとしよう。

 

 最後に。

 我ら《影》の中で一人だけ、重要且つ一番危険な任務を任されている者がいた。

 彼は成果を上げられたのか、それともバレて処刑されたのか。

 その報告も王都で聞くとしよう。

















 ――とある《影》の活動記録――


 この活動記録は、後程隊長に提出する。

 隊長の指示の元、日記のように書くようにと言われた為、私の心境もここに記す。

 どのような意図があるのかは不明だが、我々は《影》だ。

 命令にただ、従うのみだ。


 ○月○日

 ヨールデン兵士がリューイの街に攻め込む一歩手前の所で、私もヨールデン兵士に成り済まして軍に潜入。

 約五万程いる兵士の中に一人が紛れ込んでも、怪しまれる事がなく潜入に成功した。

 私の王命は『敵兵士に引き抜ける人間がいるなら、その者も移民させよ』である。

 今まで受けた王命の中でも難しい任務だが、何とか達成させたい。

 まず私の取った行動は、数人の兵士と仲良くなる事だった。

 行軍で疲れ果てている彼らに便乗し、私も疲れた演技をする。

 すると、若い兵士が話し掛けてきたのだ。

 ちなみに、今回私の容姿は、約二十代前半風に魔法で顔を整形した。これは我ら《影》に伝わる門外不出の魔法だ。

 もう自分の本当の顔がどうだったのか、忘れてしまった。


「やっと街に着いたな。でもどうせこれから奪還戦だぜ? 休ませろってんだ」


 うんざりした表情の若い兵士。

 彼の名前はレインという。ヨールデンの民にしては珍しい名前だった。

 ヨールデンの名前の傾向として、濁点を好んで使う。だが彼には使われていない。

 理由が気になったが、今は彼の話に合わせて仲良くなろうと、その時は思った。


「全くだな。どれだけコキ使うんだよ」


「そうだなぁ。ああ、早く酒を浴びるように飲みたいぜ」


 レインがこぼした愚痴に、周囲にいた比較的若い兵士数人が頷いた。

 彼がきっかけで、さらに知り合いが出来た。

 体躯がしっかりとしていてあまり表情を変えないが、周囲に気遣いが出来る優しい男であるヴィラゼード。

 優男という言葉を体現している容姿で、戦場が似合わず気弱な性格にラビエーラ。

 そしてレインの友人で幼馴染みの、飛び抜けて明るい性格のドゥヴァラ。

 レミアリアでは聞き慣れない、少し言いにくい名前だ。

 

「諸君、今からリューイの街奪還戦を行う!! レミアリアのクソッタレに我らが正義の剣を突き刺すのだ!!」


 何が正義の剣だ。

 貴様らから戦争を仕掛けてきて、よくもまぁ正義とぬかす。

 怒りが沸いてきたが、私は何とか押し殺して周囲に合わせて勝鬨を上げた。

 だが、安心しろ。

 もうリューイの街に我が軍は一人もいない。


「突撃ぃぃぃぃぃっ!!」


 無能な上官だった。

 何の作戦も立てず、ただ物量だけで押し切ろうという甘い考えだった。

 我が国には、一人で戦局を引っくり返す程の強力な魔法を持っている、ハル・ウィードという英雄がいるのに。

 全軍がリューイの街に正面から入っていく。

 無抵抗過ぎて、普通なら怪しむだろう。だが、上官が無能故に疑う暇がなかったようだ。

 突撃としか連呼していない。

 こいつは引き抜きしない。いらないな、絶対。


「え、え?」


 上官が気の抜けた声を出す。

 だが、他の兵士も似たような反応だった。

 それはそうだ。

 何故なら、街の中は、何食わぬ顔で普通に生活している領民だけで、我が国の兵士は誰もいなかったのだから。

 領民が我々を見ている。

 まるで「何しに来ているんだ、こいつら?」みたいな目をしている。


 ヨールデン兵士は街をくまなく捜索するが、敵が見当たらなかった。

 この日は気が抜けた上官の号令の元、解散が命じられた。

 いい気味だと、ここには敢えて記しておく。


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