第86話 母親への思い


 俺は目の前が真っ白になって、呆然と立ち尽くしていた。

 何が起きてるんだ?

 何で母さんが倒れているんだ?


「ハル殿! しっかりしなさい!!」


 すると、傭兵のリーダーさんに肩を揺さぶられ、意識を現実世界に戻した。

 

「はっ! 母さん、母さん! 大丈夫か!?」


 俺は倒れている母さんの元に駆け寄り、肩をさする。

 母さんの表情はまるで苦痛に耐えるかのように歪んでおり、たくさんの汗を流していた。

 そして、お腹が大きく膨れている。

 ……まさか、産まれるのか?


「ハ…………ル、エルダーさんの、おばあちゃんを、呼んで、きて……」


 エルダーさんとはこの村で農民をやってる人で、そのおばあさんは村で唯一の助産婦的な事をやっていた。

 どうやら母さんは、その人に世話になっているようだ。


「わ、わかった!! ごめん、傭兵の皆はピアノ運ぶの後回しにして、母さんをベッドに連れてって! 何かあった時の為に待機してほしい!!」


「了解だ!」


 俺は全力疾走でエルダーさん家へ向かう。太陽は俺の真上にあるから、調度昼時だった。

 出産って、あんなに痛みを伴うのか……。

 話では聞いていたけど、美人な母さんの顔があそこまで歪むなんて。

 エルダーさんの家は、俺の家から走って二分位の距離にある。

 そこまで遠くない距離が本当にありがたい。

 

「エルダーさんのおばあちゃん! ハル・ウィードだけど、母さんがもしかしたら出産しそうだ!! 早く来てくれ!」


 俺はエルダーさんの家に着いた瞬間、玄関の扉を叩く。

 するとすぐにおばあさんが出てきた。しかも手にはタオル代わりの純白の布だったり、よくわからない物を詰めたバスケットを手に持っていた。


「ウィードんとこの倅か! よし、わかったよ。行くぞ!!」


 このおばあさんは口が男勝りではあるけど、その性格が逆に出産時に心強いらしく、村ではかなりの評判だ。

 といっても、この人以外に助産婦をやっている村人はいないんだけどさ。

 おばあさんはちょっと腰が悪くて走れないから、本当は急かしたいけどその気持ちを抑えて、彼女の手を引きながら自宅へ連れていった。

 自宅に入った瞬間、おばあさんは突然怒り出した。


「お前達はバカか! そんな小汚ない格好してるのは一番妊婦に悪いんだよ!! さっさと出ていくか、この家にいたいなら全裸になりな!!」


 おばあさんは傭兵さん達に指を指し、二択を迫った。

 まぁ当然出ていく事を選んだ。


 まさか、本当に帰ってくると同時に産気付くとは思わなかったぜ……。

 ってか、父さんは何処にいるんだよ!

 ……ああ、学校か。

 今すぐ呼びに行きたいけど、こっからだと走っても十分位かかっちまうぞ。

 どうしたらいい?

 いや、簡単な方法があるじゃん!


 俺は学校がある方に向かって、サウンドボールを放つ。

 俺の口元と脳内にサウンドボールを生成し、学校に向かっていったサウンドボールとは魔力の糸で繋がっていた。


(とりあえず、三キロ程進んでみてはソナーを放って場所を確認。そして調度学校の真上に来たら、大音量で俺の声を響かせる!)


 この作業を繰り返そうとしたら、一発で学校の真上に来ていたようだ。

 よしよし、ならばやりましょうか!


「あーあー、マイクテスト! 聞こえてるか、父さん!? 俺だ、ハルだ! 母さんが産気付いて、もしかしたらもう産まれるかもしれない!! 戻ってこれたら戻ってきてくれ!!」


 傭兵さん達から見たら、俺が何をしているか意味不明だろうな。

 でもリーダーさんには俺の魔法を教えているから、自分の部下にそれを小声で説明していた。

 この人、結構デキるな!


 そして約五分後。


「ぅぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおっ!!」


 遠くから赤い髪の男が、鬼のような形相で全力疾走してこちらに向かってきている。

 うん、父さんだ。

 来るの流石に早すぎねぇか?

 もしかして、校長とかに話を通さず、速攻で向かってきたのか?


「ハル!! 母さんは!?」


「エルダーさんのおばあちゃんに来てもらって、今見てもらってる!」


「そ、そっか。あぁ、くそっ! 無事に産んでくれ、頼む!!」


 母さんは今回三十代での高齢出産だ。

 下手をすれば、命に関わるかもしれない。

 この父さんの祈りで俺もその事に気付いてしまい、全身の血の気が引いたような気がした。

 

 嫌だ、俺はまだ母さんを失いたくない。

 前世の母さんとは、本当に思い出がない。

 俺が覚えている事と言えば、キャリーバッグを転がして、振り返らずに家を出ていく瞬間だった。

 顔も知らない。彼女に愛してもらえた記憶すらない。

 俺は、母親の愛情を知らなかったんだ。


 でも、この世界に来てから、今の母さんにたくさんの愛情をもらった。

 そして前世の記憶を持っている俺は、今の母さんを親として同様に愛している。

 こんな素晴らしい母親を、まだ失いたくないんだ、俺は!


 お願いします、女神様。

 どうか、どうか……。

 俺の母さんが無事に、出産を終わらせられるようにしてくれ!

 恐らく俺達人間の人生の干渉出来ないのはわかっているけど、お願いだ、本当にお願いします!!


 とりあえず傭兵さん達にお礼を言って、帰ってもらった。

 速攻で戻らないといけない予定があるようだった。


 俺と父さんは家に入り、リビングで母さんの無事を祈りながら待っていた。

 時には座っていられずにリビングを歩き回り、村人数人に手伝って貰ってピアノを俺の部屋に運んだりして、不安な気持ちを誤魔化していた。

 寝室から、母さんの悲鳴とおばあさんの叱咤の声が時折漏れてくる。

 それを聞く度に、俺と父さんは立ち上がっては落ち着かずに、リビングをうろうろするといった繰り返しばかりしていた。


 そして、夜が更けてきた頃、寝室から泣き声がした。

 赤ん坊の泣き声だ!


「は、ハル! 産まれたぞ!!」


「あ、ああ!!」


 俺達は感極まって、抱き合って喜んだ。

 だが、事態はよくなかったようだ。

 おばあさんが寝室から勢いよく飛び出してきたんだ。


「お前達、まだ喜ぶんじゃないよ!! リリーの容態が悪いんだよ。恐らく、今日が山場だよ」


f 山場……。

 詳しく話を聞いてみると、出産に体力を使いすぎたのと、衰弱度合いが激しくて生きるか死ぬかは母さん次第なんだとか。

 俺達に、出来る事はないのか……?


「いいかい、お前達。これは体が丈夫とかそういう問題じゃない。リリーがどれだけ生きたいかどうかにかかっているんだ。だから、ずっと傍にいて声をかけ続けるんだ。いいね?」


「「はい!」」


「いい返事だね。ちなみに、元気な女の子が産まれたよ! そっちの面倒は私が見ておくから、リリーの傍にいてやんな」


 妹……俺の、妹。

 でも、ごめん。今は妹より、母さんが大切だ!

 寝室に入ると、母さんはベッドの上で辛そうに呼吸をしながら目を瞑って横になっていた。

 恐らく、意識がない状態なんだと思う。

 俺は母さんの右手を、父さんは母さんの左手を握り、声をかけた。


「リリー。よく頑張ったな、元気な女の子が産まれたんだ。とっても元気に泣いているんだ。だからさ、子供を抱き締める為に、ちゃんと戻ってきてくれ!」


 父さんは、母さんの手を強く握っている。

 父さんがとても辛そうな表情をしている。

 きっと泣きたいんだろうな、本当は。

 俺だって泣きたい。泣きたいけど、今はそんな暇があったら母さんに声をかける!


「母さん、俺、向こうで元気にやってたぜ? それに、最優秀留学生の称号も取ってきたんだ」


 意識を失っている母さんに向かって、俺は話しかけ続ける。


「しかもさ、最優秀留学生専用のブレザーもあるんだ。俺は母さんにこれを着た俺を見てほしいんだよ」


 そう、俺の野望は、俺一人だけのものじゃない。

 歌手になるという夢を諦めて、母さんは帰郷したらしい。そして村娘としてくすぶっていたようだ。

 俺は今、母さんの夢も背負って音楽活動をやっている。

 このブレザーは、俺が野望を叶える為の第一歩をついに踏み出した証なんだ。

 だから、どうしても母さんに見てもらいたいんだよ!


「だから、だから……! 母さん、目を覚ましてくれ!!」


 届いてくれ、届け! 

 俺の思いを、母さんに届けてくれ!

 そして、目を覚ましてくれ……。

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