第85話 帰郷


 楽しい時間ってのは、あっという間に過ぎていく。

 前世の友達が言っていたが、「仕事の時間はめっちゃ長く感じるのに、楽しい休憩時間はとても短く感じる」と。

 俺は好きな音楽でしか金を稼いだ事がないから、そこは共感できなかったが、楽しい時間がとても短く感じるのには激しく同意する。


 さて、今日で俺は王都を離れる。

 半年間お世話になった寮の部屋は、机とベッドだけになった。俺の私物は一切ないから、生活感も一切ない。


「……何かここを離れるのも名残惜しいな」


 この部屋で勉強をし、この部屋で親友達とバカな話をしたり。

 思い出がたくさん詰まった部屋だったんだ。

 過ごしている間は何とも思わなかったのに、部屋を離れる時になって寂しさを感じていた。


「半年間、ありがとうな!」


 俺は部屋にお礼を言った。

 言っても仕方ないとはわかっているんだけど、どうにも言いたくなってしまう。

 俺は部屋の扉を開けて出ていこうとすると――


『頑張って』


 そんな声が聞こえたような気がして、部屋の入り口で振り返ってしまった。

 もちろん、部屋には誰もいない。

 ある種の恐怖体験だけど、俺はそうは思わなかった。

 きっと、部屋の声なんだろうなと思い、部屋を出ていく時に小さくサムズアップをした。

 バイバイ、第二の俺の部屋!











「皆、今までお世話になりました!」


 俺は馬車で出発する前に、見送ってくれる人達にお礼を言った。

 来てくれた面子は、《風のささやき亭》の店長、そして四人の親友達、学校の教師陣にアーバイン、さらには王様と王太子様、そしてサングラスを着けたアーリアもいた。

 どうやら俺の進級試験の時、アーリアはサングラスを着けて演奏を聴いていたようだ。やっぱりあの声は彼女だった訳だ。

 もちろん彼女はこれから公務で飛び回ったりするから、その時でもサングラスをしていないと、《虹色の魔眼》のせいで糾弾され、処刑されてしまうだろう。

 そこで俺は、この世界にはまだ確認されていない《光過敏症》という病気の第一号患者として、常にサングラスを着用していないといけないとしてみては? と王様にアドバイスをした。


「そ、それだ!」


 王様と王太子様はがたりと立ち上がり、早速そのように仕向けた。

 この事により、アーリアはサングラス着用限定で外へ出れるようになった。

 見送りに来れたのも、その病気をでっち上げたからなんだよな。


 皆からそれぞれ挨拶を受ける度に、俺の目頭が熱くなっていく。

 こんなの、泣くのを我慢する方が大変だって!

 親友達は、また会おうぜの一言で済んだ。まぁ再会できるのは確定しているし、それに手紙でもやりとりしようって話したから、きっと大丈夫。


 そして王様。


「ハル殿。貴殿には本当にお世話になった。命を救ってもらっただけじゃなくて、娘の事も解決してくれて……。本当に感謝しかないよ」


「別にいいっすよ。大した事はしてないですし」


「ははっ、それを言える時点で大物だよ、貴殿は」


 俺と王様はしっかりと握手をした。


「ハル殿、私も命を助けていただいて感謝しております。本当に大義でした」


「いやいや、俺の方こそ王太子様に死なれると色々困りますから」


「ふ、《色々》ですね?」


「ええ、色々ですよ」


 王太子である第一王子様が死んだら、自動的に頭の中は武力しかない第二王子が王太子になってしまう。

 そんな事になったら、俺達音楽家は音楽だけに集中できなくなっちまう。

 だから、現王太子様に死なれちゃ困るんだよ。


 最後に、アーリア。


「ハル様、たくさん演奏聴かせて頂き、本当にありがとうございました」


「いやいや、俺の方こそ勉強させて貰ったよ。ありがとうな!」


「ふふっ、本当音楽に関してはご謙遜されるのですね?」


「まぁな。一生勉強が必要な分野だからさ」


「――ハル様」


「ん?」


 すると突然、アーリアは俺の頬にキスをした。

 えっ、は?

 何この子、突然何ちゅぅ事してんの!?


「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ! ハルっちが何か変な事された! とってもいやらしい事された! しかも姫様に!!」


「わたくし、見ちゃったんです。ハル様が恋人の方にされている所を」


 ミリアがぎゃあぎゃあ騒いでいるのを無視して、アーリアは会話を続けた。

 って、何処で見たんだよ!

 この子、ストーカーか何かか!?


「うぅぅぅぅ、いくら姫様でも、ハルっちにそれはいけないと思うの!! 食らえ、《ウォーターボール》!!」


「おい、バカ! それこそ待て! 不敬罪になるぞ!!」


 アーリアが俺の頬にキスした事で激昂したミリアが、事もあろうに姫様に対してウォーターボールを放とうとしていた。

 俺は止めたが、もう発射直前だ。

 あぁ、ミリア、終わったわ。


「大丈夫ですわ。《改変》」


 え、改変?

 アーリアは恐らく《ウォーターボール》に視線をやると、球体を維持して浮遊していた水が弾け、ミリアがびちゃあっと頭から水を被ってしまった。


「つ、つめたっ!」


 まさか、《虹色の魔眼》で魔法陣を見て、そして球体を維持できないように《改変》したのか?

 これが彼女の眼の力か……。

 お?

 これ、使えるな!


「アーリア、時間がないから後で手紙を送るけど、お前にお願いしたい事が出来た! いいか?」


「はいっ! ハル様のお願いだったら、何でも聞きますわ!」


 ん? 今何でも――止めておこう。

 そしてついに馬車が出発する時間になった。

 俺は馬車に乗り、皆に手を振った。


「じゃあな! また会おうぜ、皆!!」


 馬車はゆっくりと動き出した。

 見送ってくれる皆は、手を振ってくれている。

 あぁ、いい人達と巡り会えたなぁ、俺。


 本当、ありがとうな、皆。

 絶対にまた、王都に戻ってくるから!!















 俺の村までの道のりは、本当に長かった。

 今回はオーグの家が馬車を出してくれて、実は俺が乗っている馬車の後ろに、さらに馬車が追従してきている。

 何故かと言うと、グランドピアノ第一号が積んであるからだ。

 オーグは本当に、この第一号を無償で俺にくれたんだ。

 そんな大きな荷物があったせいで、実に十三日の長旅となったんだ。

 たまに魔物が襲ってきて、護衛の傭兵さんと協力して討伐したりして、無事に俺は村に帰ってきた。

 懐かしの我が家。

 いやぁ、本当久々で早く部屋に入りたいわ!

 ピアノを下ろすのは全て傭兵さんにお任せして、俺は駆け足で実家の扉を開けた。


「母さん、ただい……ま?」


 扉を開けたら、母さんが、倒れていた。

 嬉しい気持ちはぶっ飛び、目の前が真っ白になった。

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