第9話 灰色街のお姫さま⑵

 甘ったるい老酒を舐めエビに箸を突き立て首を反らせて大きくため息をつく。

 そのユリアスに構わず、ミラルダはクラゲの細切を咀嚼しながら首を傾げて口を開く。

「せんせの話だとさあ。

 周到な感じするんだけど、王子様」

「そうだな」

「そういう人はのし上がる……いやもう王子様だけどとにかく、そのために政略結婚したいもんでしょ?」

「そう思うね。

 だからやめたほうがいい。

 政略的に利用できるんだろうな、ユリアスさんが」

 ミラルダが箸で姉を指差す。

 ジュストが頷く。

「言ったら悪いけど姉貴がおうじさまのなんの役に立つわけ。雇いたいならわかるんだけど」

 苦笑いでそう溢すミラルダは、姉もそう思っていると思っていた。だが姉は唇を結んだまま、箸にもエビを刺したままでどこか虚空を睨んでいた。

 医者は肩をすくめる。

「いいか政略的に利用できるってのは結婚だけじゃない、要するにユリアスさんを近くに置きたいって事。近くに置くことでなにかしらの」

「脅しになる。」

 ユリアスの言葉に医者は目を丸くして手に持っていた茶わんから茶をこぼした。

「脅し?」

「あたし……姿を消す」

 次に驚いたのはミラルダだ。

「そんなこと言ってもここじゃ姉貴有名だしこの街以上に姿をくらませられる街なんてないよ!?

 姉貴どこ行くんだよだいたい手持ちあるの?

 ここから出るには金がかかるぜ?

 それこそおうじさまの手を借りねえと」

 ぐう、と変な声を絞り出して姉はテーブルに突っ伏した。

 ミラルダの言うとおりここから出るにはあらゆる犯罪や金が手段として必要だ。流れ者を受け入れその人間の捨てたいあらゆる過去を飲み込む街は、這い出るには厳しい沼のような社会を作り上げている。沼の中の家族は守る。出ていく恩知らずはもしかしたら自分のことを外の誰かに話すかもしれない、捨てたはずの過去がまた息を吹き返すかもしれない。だから大体の場合は殺された。

 この街から物理的に出るのは自由だ。魂も死んだら一番近くの村の教会で休める。ただほんとうに出ていく……他で生きることは許さない。

 近くの国々がこの街の存在を許しているのはその為だ。小さな犯罪を自分の国で起こされることもあるが隣国が敵国になった時には少し利用できる。街全体が一つの国に入れ込まないのは空気でできたルールだ。他で生きられぬのだからテロリストにはなりえない、大きな犯罪……暗殺とか民を扇動するとか、そういうことは起きない。大きな諮問犯罪者の集団。

 そんな薄汚い連中が街の中でどんな目に合うか誰も興味はなく、必要なときに必要な金を持って訪れる場。

 八つの頃から染み付いた灰色街で生きること、外で死んだこと。わたしは時々それらを体に染み付かせておきながら忘れるのだとユリアスはため息をついて思った。

「そうだね、今更……出られない」

「姉貴……誰か、誰を脅せるのか知ってるの?」

「ちょっと待ってくれ」

と、医者が席を立つ。

「俺が聞いていい話じゃないんじゃないか?」

と帰り支度を始める。だがユリアスはそれを止めるように医者の腕を掴んだ。

「できれば聞いて。

 長い話になるけど」

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