第7話 元砂漠の医者とツーリスト

 ややこしい生まれの子供だと思った。

 砂漠―オアシス王国でのらりくらりと暮らしていた頃のことだ。砂漠と呼ばれはするが海にも川にも面する豊かな国。国土を覆うざらりとした砂と照りつく日差しに目を瞑れば過ごしやすい水辺からのそよ風さえあった。

 建物は昔々さながらのレンガ積みもあったしコンクリもあった。ただ青空以外は砂と日差しに煤けていた。

 海辺の過ごしやすい煤けた家に居を構えて、うまく立ち回っていたら王室の典医の一人になった。勿論貴族出身やら身元のしっかりした連中には快く思われなかっただろう。流れ者の医者、ただし腕は―長く生きただけだが−一流と言える、自分でも。

 どうとでもなれと思っていた。

 適当に金を稼いで、またトンズラしようと思っていた。

 そんな時にシヴァンという少年に引き合わされた。

 血の糸でがんじがらめの。

 少年は当時まだ十五歳になる前だったと思う。当時の王のいとこの息子といとこの娘が産んだ男児。母親に連れられてきたその少年より、初めは母親の若さ……否幼さに唖然とした。

 彼女は十二の時に息子を産んだと言う。会った時はそれこそ三十に近かったのだが十五の息子がいるようには見えなかった。思わず医者としてこんなことを言った。

「ラッキーでしたね」

「はあ」

 気の無い返事。俺は言い淀んでから

「子供による出産は失敗というか……母体が死んでしまうことも多くてああいやその、だから、お母様がご無事で何よりでした」

と言った。彼女は少し誇らしげに鼻を鳴らして、黙っていた。

「それで殿下(この時彼は王子ではなかった。しかし王族の血の流れを受ける者には殿下と付けておいた方が話はスムーズに進む)のお加減は、どこが悪いのですか?」

 自宅の医務室として使っていた応接間奥の椅子(普段なら患者を座らすには自分の位置から遠すぎた)に腰を落ち着けている少年に尋ねると、彼は笑んだ。

 その時の少年の表情を、なんと言っていいのか知らない。

 遠く、東洋の木像を思わす−−張り付いたように不自然ではない、ただ十五の少年の顔ではない。

「僕は話をしにきたんです、ドクタア」



 話はとても簡単だった。

 僕は異国に興味があるのであなたの話を聞かせて欲しい。

 それから眠り薬をすこしだけ欲しい。少しだけね。

 王の血族は雇い主だ。雇い主が診察という仕事を与えぬならこちらの見積もった時間はあまるわけだし、俺は不思議な思いで頷いた。この日の予約はやけに厳重に厳密に取られたからだ。なにか少年には他の者に言えぬ気がかりがあるのではないかと一瞬よぎったが、母同伴の席にそんな訳はないかと疑問は増える。

「話と言っても」

 俺はオアシス原産の安売りされていた茶葉を大きなティーポットに計り入れながら天井を仰いだ。

 天井近くの壁には昔買った今では安い絵が丁寧に飾られている。

「その絵の話でも構いません。

 絵画がお好きか」

「いやこれは……大昔の画家の絵で、わたしの故郷の絵です」

「故郷は」

「もう国もありません」

「どういう意味です?」

 かんかんに熱せられたやかんから湯を注いでティーポットをタオルで包む。

「さあ……きっと信じてはいただけない」

 それからとりとめのない話を。

 行ったことのある国、ない国、行きたいところ見てみたいところ。

 その話の間は少年はあの表情をしなかった。十五らしい顔をしていた。

 予定の時間が時計の鐘を打つと少年はすっと立ち上がり、この日の礼を述べ、眠り薬を少し受け取り、金を置いて去った。

 なんだったんだろうな。

 と、その日は残りの時間は休日だったので散歩でもしようかと庭から海を眺めているとひとりの友人を含む王室警備兵数人が塀を乗り越えてきて銃剣を突きつけてきた。とりあえず両手を上げて膝を折るポーズは万国共通だ。そうすると友人が銃剣は突きつけずに尋ねてきた。

「シヴァン殿は」

「帰ったけど?」

「御母堂も共にか」

「ああ」

「いつからいつまでいらした」

「10時から2時」

 おかげで昼飯をまだ食っていない、と付け加えるがその前に警備兵達は銃剣を下ろしていた。

 友人はしばらく黙り込んだ。

「シヴァン殿は何か……薬を?」

「眠り薬を。一番弱いのをほんの少し」

「なんの病だ」

「つーか手を下ろしてもいいか?」

 頷く。はあ、と大きく息を吐いて手を下ろし、珍しい外国の話が聞きたかったそうだ、ついでに眠り薬がほしいと言われただけでと言う。偽りはない。

「そうか」

 友人はそう言ってから、片手を上げた。すると兵達はさっと庭から出て行った。

「……なにがあった?」

 去ろうとする友人に尋ねると、彼女は勝手にガーデンテーブルからウィスキーのボトルを取り上げ、グラスに注ぎ一息に呷った。

「末の王子が暗殺された」

 末の王子というと、継承権の最後に座する子だ。

「確か直系のお子か?」

「そう、王陛下の末の男児だ。」

 まだ五つだったのに毒を盛られて。彼女は言って深いため息をつく。

「それで……あのシヴァンって子は容疑者ってことか?」

「そりゃあ、これでシヴァン殿は王子になれるからな。

 実行犯がまだ捕まっていないが捕まったら吐かせるぞ」

 息巻く彼女をよそに空を見上げる。血みどろに汚ない土の上と違って空は綺麗だ。

 果たして数日後に友人の思惑と違って疑いのとかれた(まあどうせトカゲの尻尾を切ったのだろう)シヴァン王子は、俺を自分の専属医にした。最初は口封じがわりなのかと。しかし数日後に母親が自害してその葬式の後、彼女の棺の前で二人になる機会があった。あいつに直接打ち明けられた。あの独特の笑顔で。

「母はとても色々に固執していました」

 白い棺の蓋を右手の指でなぞりながらシヴァンは密やかに告げてくる。

「まあ死んだ者の闇を語るのはやめましょう。

 ただ……僕は母の願いは叶えてもいいと思っていたんです。

 父は卑屈で自分と自分の家族が突出して目立つことを好まないから。

 だから母の願いを叶えることはそのまま父を痛めつけられることになるかなって思っていた」

「父親が嫌いなんですか」

 その年頃にはよくあることかもしれないが。落ち着かない気分で俺は聞いた。

「さあ?」

 言って、シヴァンは少し考えるように首をかしげる。

「さあ……母が父を憎んでいたから?

 そう考えると僕はまるで母の傀儡だなあ」

 棺の前で彼は、年頃の少年らしくからからと笑った。

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