第6話 灰色街の医者の昔
殴られて血だらけになって足蹴にされて……そんなことを予想していた。予想したうえでした発言だ。身分と金を持った連中のそうでない存在への扱いなら知っていた。
意外なことにシヴァンという男は顔を引きつらせはしても、ミラルダの言葉を聞いてざわついた自分の連れ達を諫めた。そして何も言わず店を出て行った。
目を丸くしたミラルダの後頭部をハタいたのはエラーヘフだ。彼女は普段着のラフな格好で煙草をくわえて腕を組んでミラルダを叱りつけた。
「無茶はしない」
「はい……マム」
見れば野次馬たちは散開しだしていた。オーナーが手ずから後日のチケットを配っている。それを受け取ったり遠慮していたり、ミラルダはその人混みの中に姉を見つける。
姉ちゃん! と手を振る、彼女は険しい顔でこちらに近づいてきた。
遮るようにエラーヘフが前に出る。
「ユリアス」
「エラーヘフママ」
ほっとしたように母の名を呼んだ彼女は、何度か口をぱくぱくとわななかせた。
エラーヘフはユリアスの長い髪を撫でてしばらくなにか考えるように娘を見つめた。
後ろの方で酒瓶を逆さにした医者も彼女を見つめ、なるほど確かに美人だという他人事の感想を持った。医者とミラルダにしてみれば彼女の美しさに妙な気を起こした砂漠の男が浮かれているというところだ。
ユリアスはエラーヘフにはあの部屋の前にいた男やポンザの話をしていた。
母は煙を吐き出して、
「始末したほうがいい案件なの?」
と問うた。
「わかんない……」
ユリアスは頭を両手で抱えて呻く。
「あいつ本物だってどの情報屋も言う」
「本物の王子?」
「うん……」
確かにあの国は王族がいっぱいいる。だがこの街に本人が来たことなど聞いた覚えはない。
「あいつは変わりモンだからなあ……」
カウンターで呟いた医者に、ぐるっと振り向いたユリアスの鋭い視線が刺さる。医者は肩をすくめた。
「どうも。はじめましてだな」
「もしかして弟のデートの相手?」
「デートじゃないけどまあ、友人の医者」
「……ああ、ジュストってあなたのこと?
東の大通りの三階建てを即金で買い取って、弟を雇ってる医者?」
ジュストは目を丸くしてよく知ってるな、と。姉のほうは微笑んだ。
「弟があなたに助けられたと聞いて。ありがとう、お礼がまだだった」
いや、とジュストは頭を掻いてなんとなく意外だと言い苦笑いした。
「あんた……弟さんの話だと街いちの情報通で旦那がすごい奴だった……とか聞いて、なんだかもっと凄まじいようなイメージでさ、すまん」
「お礼くらいは言いますよ」
「そうだよな、いや失礼だったな、こちらこそミラルダはよく働いてくれてる」
「ところで、あなたはオウジサマを知ってるんだ?」
苦虫を噛み砕いた顔をして、医者は頷く。そして話を聞きたくてそわそわしていたミラルダを親指で指して、三人で場所を変えることを提案した。
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