15 鬼の潜む場所

「不可能? その状況でリコを突き落とす手段なら、二つもあるではないか」

 帰宅した私が突き落とし事件の状況をかいつまんで話すと、スフィーはいきなりそう言い放った。

「――まあとにかく順を追って説明しろ。事件前のおぬしたちの動きも含めて、遺漏いろうのないようにな」

 スフィーの命令に従って、私は詳しい説明を始めた。

 慎重に事件当時の状況を思い出しつつ、無関係と思える点も含めて全てをスフィーに伝えておく。

「――で、リコ先輩が現場の教室に入った後の状況だけど――私は先輩の悲鳴が聞こえるまでずっと、現場に続く廊下を見張ってたよ。愛子と話しながらだったけど、目は離してないし」

 リコ先輩の入った教室は廊下の一番奥だったが、そこまで距離が離れていたわけではなかった。その上あの三階の教室は完全な袋小路だ。私と愛子が見張っていた以上、犯人は入ることも出ることも出来なかったはずなのに――。

 それなのにリコ先輩は突き落とされ、しかも私がすぐさま突入したにもかかわらず現場には誰もいなかった。

 ……一体犯人はどうやって逃げたのだろう?

 うーん……どう考えても私の頭脳には荷が重すぎる。

 推理はスフィーに任せて、私は説明に徹することにした。

「――それと、事件発生時のみんなの動きだけど……まず悲鳴を聞いて最初に駆けつけたのはいっきで、ちょうど階段前の丁字路で私と鉢合わせたの」

 スフィーはずっとお座りの姿勢のまま、何も言わず話を聞いている。

 なんだか物足りなさを感じながら、私は話を続けた。

「私もその時は気が回らなかったけど、いっきと同じグループなのに庵先輩と真理亜先輩は付いて来てなかったよね。これは庵先輩がちょうどトイレに行ってる最中で、真理亜先輩は悲鳴が聞こえた時に庵先輩を怪しんで男子トイレに直行したかららしいの」

 私はそこでスフィーの反応を確かめるため、質問を織り交ぜてみる。

「――スフィー、庵先輩はトイレにいたと思う?」

「……さあな」

「――ちゃんとトイレにいたんだって」

 スフィーの気のない返事に拍子抜けしつつ、私はそう答えた。

「あと最後に、ユイさんと柴皮先生はずっと校舎の外で見張り。二人で手分けして見回ってたそうだけど、誰も見かけなかったし不審な事もなかったって」

 そう説明を締めくくり、私はスフィーに尋ねた。

「ねえスフィー、さっきの話だけど……本当にリコ先輩を突き落とす方法が二つもあるの?」

「うむ。屋上からの突き落としが無いとなれば、方法は二つだな。おぬしが真っ先に推理したこの屋上説はなかなかよかったぞ。その調子で他の方法も推理してみろ」

 私はしばらく頭をひねって考える。

 そして出した答えは――。

「……瞬間移動?」

「……誉めた途端にそれか」

 呆れきった口調のスフィーに、私は口を尖らせて言う。

「だって犯人は教室から消えちゃったんだから、他に方法なんてないでしょ? 本当にあるって言うんなら教えてよ」

 そう催促すると、スフィーはようやく気の進まない様子で語り始めた。

「……これは一番有力で、一番まずい展開なのだが――」

 渋い表情で、一度言葉を切るスフィー。

「……一番最初に単独で現場に駆けこんだ者が、そのままリコを突き落とすというやり方がある」

「あ、その手が――って、最初に駆けこんだのは私じゃない!」

「その通りだ」

 私が言葉に詰まるほど真剣に言うスフィー。

 ――その重い言葉の調子で、私はやっと事態の深刻さを悟った。

 ……そうか、だからさっきの警察の取り調べで、いつも以上にしつこく事件当時の状況を説明させられたんだ――。

 しかも、明日の金曜日も私だけが朝一番で警察の事情聴取に呼ばれている。

「……私が最有力容疑者になってるんだね……」

「そうだ。一番最初に一人で現場に飛びこんだのはまずかったな。教室に突入したそのままの勢いで、おぬしが窓際のリコを突き飛ばせば――」

「で、でも! リコ先輩の悲鳴は、私が教室に突入する前にあったんだよ?」

「それは貼り紙等でリコを窓際におびき寄せ、そこに何か驚かして悲鳴をあげさせるようなトラップを前もって仕掛けておけばよい。後は、突き落とした瞬間それらの仕掛けを素早く回収すれば――」

「私、そんなことしてないよ!」

「わかっておる。おぬしがいつも首にかけておる『スフィンクスの涙』の守護の力のおかげで、ひねり自身が依代よりしろになる事はないのだからな」

 ――そうか、私への直接的な呪いはこのネックレスが防いでくれてるんだ。

 スフィーはさらに続ける。

「だがこのまま放っておけば、この状況証拠だけでおぬしが犯人にされかねん。なにしろこの犯行方法が一番簡単かつ有力なのだからな」

 ……スフィーの言う通り、これは私自身ですら一応納得できてしまう推理だ。あんな不可能状況で突き落としをするには、これしか方法がないとさえ思える。

 私は不安に襲われて言った。

「――私、一体どうすれば……しかも、もう今後はろくに捜査もできないんだよ?」

 明日の金曜は既に休校が決定していた。その次が土日なので、このまましばらく学園自体が閉鎖されてしまう。

「構わん。もう捜査は必要ない」

 力強く言うスフィー。

「――え?」

 間の抜けた声で言う私。

「鈍い奴だな。真相はもう判明しておるという事だ」

 スフィーの言葉に、私は呆然と尋ねる。

「嘘……それって犯人も――『首盗り鬼』の正体もわかったって事?」

 今回の事件で私は全てを見失った――しかしスフィーは逆に全てを見出したのだろうか?

「もちろんだ。手こずらせてくれたが、『首盗り鬼』が誰の心の中に隠れておるか、ようやく判った」

 自信を持って言うスフィー。

 私はそこでつい馬鹿げた質問をしてしまう。

「それって本当に存在する人――つまり人間、なんだよね?」

「当たり前ではないか。そもそも犯人は消えてなどおらんのだからな」

 ――でも、真相が見えない私にとっては消えたも同然だ。

「まだ解らぬのか? 仕方ない、ならば答えを教えるとしよう。この推理を武器に、おぬしが犯人と対決するのだ。心して聞けよ」

 そう言って、スフィーは今回の『首盗り鬼事件』の真実を語り始める。

 ――不可能と思われた犯行の方法。

 ――そして『首盗り鬼』の正体。

 今まで私には全く見えなかった犯人の姿と事件の全貌が、スフィーの推理によって次々と白日の下に晒されて行く。

 ……そして全てを聞き終えた私は、しばらく放心状態のまま真実を噛みしめた。

 ――この真実を、私が犯人に突きつけなければならないのだが――。

「できる……のかな?」

 私が弱音を吐くと、スフィーは優しく微笑んで言った。

「ひねり、わらわは信じておるぞ。おぬしも信じるのだ。これまでそうしてきたようにな」

 ――そうだ。前に絶望した時だってそうやって信じ、その結果こうして真実にたどり着けたのだ。

「――わかった。信じるよ」

 私はスフィーに向かって笑顔でそう答える。

 ――今度は無理して作った微笑みでなく、心からの微笑みで。

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